《The forest universe of the four seasons》
 * 利尻・礼文ハイキング * (2005.08)
 新千歳空港に9:00に到着したJALを降りたった40人ばかりの中高年の夫婦が目立つ集団は、
小学生の遠足よろしく引率のガイドさんの掲げる旗を目印にゾロゾロと指定された”宗谷
バス”の指定席に乗り込んだ。小学生の遠足と較べると多少静かで、ガイドさんの説明や
指示に従順である。この頃は皆まだまだ元気一杯であった。

 これから旅する位置は下の絵の通りで、日本最北の地である。直ぐ北にはサハリンが迫
っている。この稚内には魚介類を満載したロシア船がしばしば入港し、ロシア人船員が稚
内には多く見うけられる。ロシアの船員の中には、夜間家の外に放置されている自転車等
は放置物として持って行ってしまう者がいて時々警察ザタになるそうである。北の人々は
今だに計画経済の後遺症に悩んでいる。
 
観光バスは、新千歳空港から高速道を通って留萌、サロベツ原生花園へと500Km程も走り に走った。北に進むにつれて人家はまばらになり、人の姿も消えて行った。あるのは一直 線に伸びる道路と、左側に日本海、右側には荒れ果てた耕地か自然林のみである。途中、 飛び切り上等な花田家の番小屋(下の左の写真)があり、道の駅が併設されており小休止 した。これはニシンで成功した大網元の御殿のようなもので、普通の番小屋は小さくうら ぶれて寂しく、朽ち掛かり、北の冷たい風雨に晒されているのである。大半はこんな立派 なものは無い。 下の写真はサロベツ原生花園で僅かに咲き残っていた花で、他の花は終わりであった。 それでも、このサロベツ原野は広大無辺で、その広大さが気持ちいい。北海道は広大さを 売り物にするしかないのではないか。
夕方稚内に到着し、ビジネスホテルと観光ホテルを兼ねたような妙に落ち付かないホテル に泊まり、翌く早朝フェリーで利尻島へ向かう。ホテルの庭先にヨツバヒヨドリが群生し ていた。

 2時間弱のフェリーの船旅を終え、利尻島に着いて、早速”ポン山”(アイヌ語で「小さ い山」)のハイキングへ出発する。本来なら、ポン山頂上からは眼前に”利尻山”が聳え 立つはずだが、あいにく雲に隠れて全く見えない。
 この利尻山は、「白い恋人」(みやげ物で空港等でよく売っているチョコレート)のデ ザインとなっている。 ツバメオモトの実                       ドクゼリ
ゴゼンタチバナ                        リシリリンドウ
 利尻は利尻山の7合目あたりから上に高山植物があるらしい。次に機会があれば利尻登 山ルートを選ぼう。登山は10時間のコースで、ハイキングの軽装ではダメと思われる。頂 上付近は火山岩の瓦礫で相当登り辛いらしい。富士山も登山道をハズれると瓦礫で登れた ものではないので、富士登山をされた方なら想像が付くと思う。
イタドリ                           ノリウツギ
ポン山から姫沼まで約4時間のハイキングを終え、利尻島一周を観光バスで巡った。今回 のツアーは、観光バスで巡るだけのものではないので、皆相応の身支度をして参加してい るハズであるが、例外もいて、一人、二人が必ず遅れるのである。そうすると、結局その 遅延者のペースに合わせるしかなく、勢いスローペースのハイキングとなる。  小学生の頃の遠足のように、飛ぶように走ったり、登ったり、落っこちたり、道草を食 ったりは出来ない中高年主体のハイキングなのである。  今回のツアーで気付いたのは、観光バスのガイドさんがいづれも達者であり、笑いを盛 んに取ったりするのであるが、何だか関西の芸能人風にサービス精神が旺盛なのである。 観光のほかめぼしい産業もない北海道で生きるにはサービス業の研鑚をするしかないのだ ろうか、厳しい生き様も垣間見えた。

 利尻島には中央に1718mの利尻山が聳え、その頂上は雲に隠れてなかなか姿を現さない。 利尻はなんと言ってもコンブで有名で、海岸のいたる所にコンブが生成している。上の右 の写真は海中を覗きこんで撮ったものだが、清澄な海水のなかでコンブが揺らめいている。 それと絶品のウニが獲れるのである。このウニはコンブを食べて成長するのだそうで、特 に”馬糞ウニ”が美味である。  回転寿司で食べる、あのミョウバン臭いウニではなく、生ウニが食べられるのだ。写真 は生ウニの軍艦巻きで3個で1200円、それはそれはもうマイウ〜、マイウ! 
 利尻の玄関港、鴛泊(おしどまり)にはペシ岬展望台があり、ここに登ると稚内や礼文 島が展望出来る。  利尻は人口約6000人、礼文はその半分の3000人との説明。夏のシーズンは観光客で賑わ うが、冬は全くの閉ざされた世界。
 ウニ1個を食べると、なんと卵40個相当のコレステロールを摂ったことになるそうな。 今度の旅行の直ぐ後に病院でその検査があると言うのに、また、先生にコッテリとやられ るか。”卵どれだけ食べたんですか”って!  
 ペシ岬の礼文島側は断崖絶壁になっており、ウミネコやカモメの営巣地になっている.余 談だが、カモメの足はピンクで、ウミネコの足は黄色だそうです。 ツリガネニンジン                        カモメ営巣地

   その日は利尻に泊まり、翌朝礼文島へフェリーで渡る。日本最北端の礼文島は”花の礼 文”と呼ばれるように様々な高山植物が平地に生えている。礼文にはそもそも高山は無い。 タカネナデシコ                         オンシモツケ



エゾノコギリソウ                        タカネナデシコ
ハマエンドウ                          レブンソウ






イブキトラノオと利尻                      レブンハナシノブ


                               チシマフウロ


レブンハナシノブ                        猫岩
レブンウスユキソウ             


                                トウゲブキ

礼文島の最北端は”スコトン岬”と呼ばれ、その少し先に”トド島”があり、トドが来る のだそうだ。7月25日だと言うのに、俄に掻き曇り冷たい北風がビュービュー吹きだしたの には驚いた。
礼文島は日本最北限とされ、そこに最北限のトイレがある。来島を記念をして用を足した。 当初最北は礼文とされていたが、精密に測量すると日本最北端は宗谷岬と判明し、礼文は 日本最北限、宗谷は日本最北端となったとの説明。
ここが日本最北端の宗谷岬で、日本最北端のトイレでも用を足して参りました。宗谷岬に 結構家も多く、まあ、こんな厳しい場所に生活の場を持つものだと感心させられる事しき りです。
この道北の日暮れが遅いのに驚いた。上の写真で時計は7時10分を指しているのに、まだ 明るいのである。礼文島は東経41°であり、千葉の銚子とほぼ同じ経度なのである。その ため日暮れは銚子や東京と大差がないのである。ただし、地軸が23.5°傾いているために、 北緯45°のこの地では冬は3時頃早くも暗くなるのである。

3泊目は猿払温泉に泊まり、天然ホタテ尽くし料理を堪能した。
右上と左下はホタテ貝の化石で、猿払の海岸近くにある


4日目は、台風7号の影響で時折小雨が降りしきる富良野へバスで延々と走った。 でも、美瑛、富良野に着いた頃は雨も上がって、利尻、礼文の自然に対し人工の花を愛で る事が出来た。

美瑛の「四季彩の丘」、富良野の「ファーム富田」。
富良野にはTVドラマ北の国からに出てきた「拾って来た家〜やがて町」がある。一番大 きい「雪子の家」のほか「中畑すみれの家」「五郎の四番目の家」もあります。ドラマは 終わったが、隣に「純と結の家」ができるなど、現在も建設中の建物があり、観光スポッ トとなっている、との事。  






今回のバス走行距離は約1000Kmであり、高速道は1/4程度で残りは一般道だった。一般道 でも直線が多くて信号も少なく、バスは快調に走った。利尻、礼文に花を見に行くなら6月 中旬までに行くべきであろう。


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