06年2月、日本の寒さに耐えかねて赤道直下シンガポールへ行ってきた。 シンガポール
はマレー半島の先端にある琵琶湖程度の小さな国で、東経104度であり日本との時差は1
時間で、北緯1度9分の赤道直下の島である。
人口も424万人と少ないが、目覚しい経済発展を遂げた魅力のある国である。 東インド
会社のスタンフォード・ラッフルズが1819年にインドと中国の貿易中継地としてここを
発見してからのわずか200年ほどの間に、150人程のマレー人漁民しかいなかったここの
地が今日の発展を見た。
以来、イギリスの植民地となり、日本軍が占領し1945年の日本の敗戦で独立し、その後
優秀な指導者のもと大発展を遂げたのである。ただし、日本軍の占領下で5万もの人々が
虐殺された事実はしっかり認識して観光すべきである。戦犯で214名もの日本軍人が 処
刑された事でその罪の大きさが分かろうと言うものである。
シンガポール占領での英軍降伏時の山下大将の尊大な態度は、決して誇れるものではな
いのである。現地ガイドさんもその辺はサラッと触れるだけであるが、如何に観光とは言
え、日本人として”買い物ツアー”だけに浮かれていいものではないのであり、特に若い
何も知らない、知ろうとしないオネーチャン・オニーチャン方は反省すべきである。
真夜中の1時過ぎにチャンギ国際空港に到着したユナイテッド航空から降り立ってバスで
ホテルまで行き、ベッドに入ったのは3時を過ぎた頃であった。僅か3時間ほどの浅い眠
りをモーニングコールで起こされ、薄暗い中でバイキング形式の朝食を済ませたあと、7
時半から早速市内観光に出かけた。
まずはチャイナタウンのスリ・マリアマンヒンドウー寺院と中国人街朝市観光である。
以前この地区はインド人地区だったのでヒンドウー寺院が残っている。現在インド人は
違う場所のリトルインディアン地区に住んでいる。人口は中国系が77%、マレー系14%、
インド系8%等となっており、中国系が多い。
この辺りのアパートでは、干竿を壁に直角にしている。香港辺りでも同様。今日は旧正
月をまだやっているので、中国式の飾りや派手な赤い提灯等が飾り付けてある。下の写真
で格好つけているのはラッフルズの像である。
ご存知マーライオンである。
『札幌時計台、マーライオン、人魚姫』が世界3大ガッカリだそうだがなかなかどうして
ガッカリではないのだ。たいしたものだ、が感想である。
輪タク(自転車タクシー)に乗って市内観光をした。30数台の輪タクが大通りや狭い路地
を我が物顔で通り過ぎるのだが、目線が歩く人よりも低く、スリル満点である。ドロボー
市場あり、リトル・インド人街あり、中国街ありで、それは愉快なものである。出発前に
供されるフルーツの盛り合わせは多彩であるが、なかでもドリアンは強烈な臭いである。
この不適な兄ちゃんの顔を見ていると、ドロボーしたものを売って何が悪いんだエッツ!
と言っているようで庶民の逞しさを感じてします。それにしても、こんなものまで売って
いるのか!とタジロイデしまう。
これが一番のシンガポールでの目的の場所、蘭園です!
時間が40分ほどしかなく、2/3程度しか見られなかった。
残念(・_・o)ン? (o・_・)ン? (o・_・o)ン?
暫くこのすばらしい花達をご覧下さい。しかも全部地植えなんです、感激!
余りにも興奮して、ピントが合わずにシャッターを沢山切ってしまった。
市街を見渡せる丘の上で夕食です。暗闇にマーライオン・タワーが微かに見える。
夜はナイト・サファリ動物園見学。これは一見の価値があり。翌日はセントーサ島観光。
昆虫館や水族館
地上110mの展望タワーからはシンガポール本島や点在する島々、船が遠望できる。またケ
ーブルカーに乗れば、眼下に雄大な景色が広がる。
昼食はケーブルカーを降りて、日本人の経営する中国飲茶形式のものであった。まだ正月
(旧)なので入り口にはミカン(金柑のような)飾り付けがある。
オーチャード通りはビッグで清潔。銀座など霞んでしまうほどのものである。中国系の大
型商業施設や高島屋、伊勢丹もある。
シンガポール川をナイトクルージングで下り、マーライオン公園まで行って帰るコース。
途中聳え立つ高層ビル群が圧倒する。
シンガポールの建物は、超高層は判らないが、一般の公団住宅などは柱が細くしかも1階
部分は大抵駐車場なのだろうか吹き抜けになっており、壁も少ない。地震はないのだろう
がいかにも心もとない。ハワイでも同じような建築物が多くみられる。まるで姉歯設計が
設計したもののようである。もし地震があれば一たまりもない。
年間平均気温24〜27℃で、昼間は30℃以上だそうだ。思ったほど暑さは感じない。湿度が
低いのだろうか。
水も食料も石油も何も無い小さな島国が、なぜにこれほどまでに経済発展を遂げ世界最先
端の金融、貿易、情報の先進国家になり得たかは、日本にも極めて参考になる所である。
これはリー・クアンユー首相の卓越した指導力や(日本を参考にしたとも)徹底した自由
貿易港の維持拡大、金融資本の誘致、観光産業の育成や極端とも思える法治国家政策によ
る罰金制度等があげられる。
また教育による人材育成に力点が置かれており、語学、情報教育などは世界的にも高い水
準に達している。日本の旅行会社の現地ガイドさんでさえ数カ国語を操るのを見ると、日
本は情けなくなってくる。
→この頁の最初へ戻る
→HPの最初へはブラウザの「戻る」ボタンで戻って下さい。