*** 時事話題 ***
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      時事の話題を、多くは”コピペ”ですが、それに自分なりに解釈を加えた書き放題です。
      写真等は借り物が沢山あります。
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  <目次>

  * 政治     (14年08月)  
  
  * 経済     (14年06月) 

  * 文化     (19年05月)  

  * 演劇・映画  (20年02月) 

  * スポーツ   (13年09月) 

  * 社会     (14年12月)  

  * 技術・IT  (15年11月) 








































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* 政治    ご意見、コメント、感想などがあれば右の掲示板からお書き込み下さい。→ 掲示板

    23.吉浜と田老の違い (21.2)
  22.渡邊恒雄「わが体験的靖国論」 (14.08)
  21.戦後レジームからの脱却 (14.03)  
  20.特定秘密保護法案に反対 (14.02)  
  19.犬決 (13.12)  
  18.原発再稼働その2 (13.08)  
  17.戦後68年も経ったのに (13.08) 
  16.麻生副総理・財務/金融大臣のとんでもない論理原発再稼働その2 (13.08) 
  15.憲法解釈の変更・憲法の変更 (13.03) 
  14.原発・宇宙開発の軍事利用 (12.07) 
  13.原発再稼働 (12.04)
  12.南西諸島の安全 (11.02)
  11.ニッポン破産 (10.03)
  10.政治資金問題 (09.12)
  09.教育基本法の改正 (06.11)
  08.民主党・メール問題 (06.04)
  07.これからの日本「増税しかないのか」 (06.01)
  06.小泉首相の靖国参拝(2) (05.10)
  05.集団的自衛権と憲法9条の改正 (05.09)
  04.郵政民営化解散 (05.08)
  03.郵政民営化 (05.08)
  02.靖国参拝 (05.05)
  01.憲法問題 (05.05)








































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* 経済    ご意見、コメント、感想などがあれば右の掲示板からお書き込み下さい。→ 掲示板


 18.アベノミクスの終焉 (14.06)
 17.リフレーション (14.04)
 16.デフレーション (13.07)
 14.アベノミクスの本質 (13.12)
 13.山田方谷/理財論 (12.12)
 12.TPPを再考する (11.11)
 11.TPP(環太平洋戦略的経済連携協定) (11.10)
 10.欧州金融安定化基金(EFSF) (11.10)
 09.円高 (10.10)
 08.ロハス (10.07)
 07.サステナビリティ(sustainability)は可能か? (10.07)
 06.子供の貧困率 (10.03)
 05.財政破綻 (10.03)
 04.市場原理主義の弊害 (07.01)
 03.日銀「量的緩和」策の解除 (06.02)
 02.ホリエモンは何だったのか! (06.01)
 01.IR(Investor Relations) (05.09)








































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* 文化    ご意見、コメント、感想などがあれば右の掲示板からお書き込み下さい。→ 掲示板

  11.加藤典洋さん死去 (19.05)   
  10.データの日付 (13.07)
  09.脳が変わる生き方 (13.06)
  08.なぜ気になる?たった一人の悪い評価 (13.05)
  07.”半クエ” (12.09)
  06.”なので” (12.09)
  05.俳句の「二つの四季」 (12.04)
  04.埼玉のヒーロー & 三偉人 (11.12)
  03.開高 健 (11.11)
  02.また、新聞を替えた (11.10)
  01.以て瞑すべし (11.01) 








































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* 演劇・映画    ご意見、コメント、感想などがあれば右の掲示板からお書き込み下さい。→ 掲示板


  29.映画「パラサイト半地下家族」(20.02) 
  28.映画「空母いぶき」(19.05) 
  27.映画「ファーストマン」(19.02) 
  26.映画「キングコング」(17.04) 
  25.映画「シン・ゴジラ」(16.08) 
  24.映画「INDEPENDENCE DAY RESURGENCE」(16.07) 
  23.映画「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」(16.05) 
  22.映画「オディッセイ」(16.02) 
  21.映画・TV「明治の仇討」(14.09) 
  20.映画「GODZILLA」(14.07) 
  19.映画「大統領の料理人」(13.09) 
  18.映画「終戦のエンペラー」(13.08) 
  17.映画「風立ぬ」(13.08) 
  16.狂言「万作の会・狂言の世界」(13.02)
  15.映画「東京家族」(13.01) 
  14.映画「のぼうの城」(12.11)
  13.映画「ウェイバック」(12.09) 
  12.映画「プロメテウス」(12.09) 
  11.映画「マーガレット・サッチャー」(12.03) 
  10.映画「はやぶさ―遥かなる帰還」(12.02) 
  09.映画「猿の惑星:創世記」(11.10) 
  08.映画「トランスフォーマー 3」(11.08)
  07.映画「最後の忠臣蔵」(11.01)
  06.落語「楽太郎改め六代目三遊亭円楽襲名披露」(10.04)
  05.映画「2012」(09.12)
  04.映画「沈まぬ太陽」 (09.10) 
  03.映画「硫黄島 (06.11)
  02.映画「UNITED 93」 (06.08)
  01.映画「日本沈没・日本消滅」 (06.07)








































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* スポーツ    ご意見、コメント、感想などがあれば右の掲示板からお書き込み下さい。→ 掲示板

  04.2020年東京オリンピック (13.09) 
  03.野球「マリナーズ:アスレチック開幕戦」(12.03) 
  02.甘い日本のゴルフプロ (12.01)
  01.大リーガーのツバ吐き (11.01) 








































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* 社会    ご意見、コメント、感想などがあれば右の掲示板からお書き込み下さい。→ 掲示板

  29. 子殺し (14.12) 
  28. TVコメンテイターの薄口化 (14.04) 
  27. 三度目のリフォーム (13.12) 
  26. 高速道路事故増加 (12.08) 
  25. がれきの広域処理 (12.03) 
  24. 地震・津波・噴火 (12.02) 
  23. 開かずの踏切 (12.01)  
  22. オームの戦略 (12.01)  
  21. 中国 地溝油と食の安全 (11.12)  
  20.3.11地震発生時の模様 (11.08) 
  19.吉浜に学べ (11.06)  
  18.非現実的な夢想家 (11.06)  
  17.福島原発の惨状 (11.06)  
  16.震災と原発 (11.05)  
  15.原発震災 (11.04)  
  14.原発震災は想定されていた (11.03)  
  13.東北関東大震災は天罰か? (11.03) 
  12.巨大地震と大津波 (11.03) 
  11.チリ・サンホセ鉱山落盤事故 (10.10) 
  10.韓国の台頭 (10.10)  
  09.新聞を変えた (10.10)  
  08.エジプト旅行バス事故 (10.06)  
  07.地溝油(再生食用油) (10.07)   
  06.皇室典範改定 (06.09)
  05.建築構造計算偽装事件 (05.11)
  04.箍(たが)が緩んだ (05.04)
  03.近隣諸国との軋轢 (05.04)
  02.Livedoor vs フジ (05.02)
  01.統治の崩壊 Collapse of governance (05.02)








































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*技術、情報(IT)    ご意見、コメント、感想などがあれば右の掲示板からお書き込み下さい。→ 掲示板

  14.Amazon,楽天での不正取引結末(18.12) 
  13.ワイドFM(FM補完放送)(15.11)
  12.4代目プリウス	(15.07)
  11.FCV(燃料電池車)(14.12)
  10.タイヤ交換で燃費向上(14.11)
  09.FC2って何?(13.11)
  08.ドア指はさみ防止(12.05)
  07.FT−Bh(次世代トヨタハイブリッドカー)(12.05)
  06.ウエストクッション (12.05)
  05.プリウスに乗ってみて (12.03)
  04.マッドガード (12.01)
  03.地上の太陽・核融合発電 (11.08)
  02.安全な技術は無い (11.05)
  01.CALS/EC (05.06)











































21.戦後レジームからの脱却  (14.03.15)

  フランス革命でアンシャン・レジーム(Anien rgime 旧制度)は崩壊したが、安倍総理はこの
  頃盛んに「戦後レジームからの脱却」をしなければならないという。レジームは旧制度のこと
  であり、戦後レジーム(戦後体制)は彼の政治信条と相容れないようである。

  そのために、ありとあらゆる場面で戦後レジームを取り除く政策を確実に推進している事は、マ
  スコミ報道の通りだ。様々な組織のトップに安倍のお気に入りの人物を就かせて、「戦後レジー
  ム」を取り払うことに躍起である。我々はお金を払ってNHKを視聴しているのであるが、その
  公共放送のトップさえも安倍の意向を汲んで入れ替えた。もはやNHKは会長の顔色を窺ってい
  るので報道に偏りが出かけている。国営放送にしたいなら税金で運営すべきだろう。

  戦前の侵略被害を受けた中国・韓国のみならず欧米からも「安倍晋三は、危険な歴史修正主義の
  ナショナリストだ」との非難の声も上がっている。米国は戦後体制を構築推進してきたのだから
  その秩序を「戦後レジーム」として否定されては黙っているはずはなかろう。「極右(Radical 
  Nationalists)」とさえ英国のエコノミスト誌は彼を評している。

  戦後レジームはヤルタ会談でのヤルタ協定とポツダム宣言から始まっている。2014年の冬季オリ
  ンピックが開催されたソチから450km黒海を隔てたクリミア半島のヤルタで1945年2月に、米・
  英・ソのルーズベルト、チャーチル、スターリンが戦後の処理を決めたヤルタ協定を締結した。
  また、ドイツが1945年5月に降伏したあと、ベルリン近郊のポツダムで米、中、英が会談して日
  本に対する戦争終結勧告をしたものがポツダム宣言である。この宣言が日本に伝えられるや、朝
  日、毎日等の大新聞でさえも「笑止、ポツダム宣言」などと喧伝したのである。ましてや軍部な
  どはこの宣言を歯牙にもかけない有様であった。

  1945年(昭和20年)7月26日に日本に通告されたこの宣言を受け入れていれば、その後の広島・
  長崎の大参事は避けられたのである。ドイツは既に同年5月に無条件降伏しており、ソ連の参戦
  も予想されるこの時点で何故日本はこれを受け入れず、広島、長崎の21万人以上の市民を3000度
  以上の灼熱と放射能で殺戮してしまうことになったのであろうか。前述のように日本の新聞でさ
  えも、既に日本の大都市は空爆で酷い惨状になっていて圧倒的物量で迫ってくる連合軍には立ち
  向かう術が無いのは分かっていても「笑止、ポツダム宣言」などと書かなければならない事態だ
    ったのだろう。日本中がマインドコントロールされていたのだろう。
    そういう戦前の「美しい国」の状況に戻したいのであろうか?当時副大統領だったトルーマンが
    ルーズベルト大統領の急死を受けて大統領に就いたことも原爆投下に大きく作用したのであろう。
    米兵の犠牲を救うために原爆投下を決意したと彼は言い訳しているが、既に日本はポツダム宣言
    受諾やむなしの動きもあって、これを彼は承知していたとの説もある。

  明治維新後日本は絶えず軍事行動を続けてきている。
    1873年(明治5年)徴兵令を公布し翌1874年に台湾に出兵して以来、1894年(明治27年)日清戦争
    1904年(明治37年)日露戦争、1910年(明治43年)朝鮮併合、1914年(大正3年)第一次世界大戦
    1931年(昭和6年)満州事変、1937年(昭和12年)日中戦争、1941年(昭和16年)第二次世界大戦
    と戦争を続けて来て、1945年8月のポツダム宣言受諾まで71年もの間軍靴の音が絶える事はなかっ
    たのである。
    
    中国、東南アジア、満州、朝鮮半島で戦争を行ってきたのである。天皇崇拝や軍国主義思想が強
    制され、治安維持法で個人の思想信条は制限され自由はなかったのである。北朝鮮の金王朝の崇
    拝と先軍思想が強制され個人の自由等無い事を対岸の火事だと高見している時ではないのである。
  教育への政治の介入、国家の犠牲になって死ぬことは名誉だと讃える思想の「靖国神社」への首
  相の公式参拝、憲法解釈を捻じ曲げての集団的自衛権行使など留まることを知らない暴走は、憲
  法を改定して軍事力の行使による戦争の出来る国への変貌が狙いかもしれない。まさか上記の様
  な明治の徴兵令を発布して10年〜20年毎の戦争が出来る国への変貌を願望している訳ではなかろ
  うとは期待したい。しかし彼の言質や講演などを総括すると「押し付けられたポツダム宣言、占
  領憲法などによって醸し出された戦後レジームの自虐的歴史認識や国家観に我慢がならない」よ
  うである。戦後生まれの彼が何故故そうなったのか、終戦時生まれの明治以降初めての70年に渡
  る平和を享受してきたぼんくら頭の初老の年金暮らし者には理解できないネ!


  これらの戦後レジームを脱却して、戦前のような「美しい国」を取り戻そうというのだから、事
  は簡単ではない。僕は終戦の年の生まれであるから戦前は全く知らないが、まだ終戦から70年経
  っていないのである。第二次世界大戦死者でソ連は2800万人(人口の14%)、中国は2000万人(3.9%)
  ドイツは900万人(10%)もの犠牲者が出ている。中国は人口が多いので別だが、人口の10%を超え
  る死者が出ると事はそう簡単に忘却されるものではない。因に日本は312万人で人口比4.4%なので
  ある。それでもだれでも親戚には何人かの犠牲者がいる状況なのである。ユダヤ人に至っては78%
  ものユダヤ人が殺された(590万人)そうである。(米国は42万人で人口のわずか0.32%)

  何千万もの戦争犠牲者を出したり、人口の10%を超える死者を出した国々や自国を侵略され、言葉
  や氏をも強制的に変えさせられた国がわずか70年ほどの期間でその痛みを忘れるはずはない。戦後
  処理は終わったと公式にはなっているのかも知れないが、最近の中国での戦争賠償裁判や韓国の日
  本企業への戦時賠償判決等が起こっている状況からして、まして北朝鮮などは戦後処理は全く済ん
  でいるとは思っていないだろう。

  その一方で、日本にはいまだに米国の基地が数多く存在している。かっては対共産諸国への防波堤
  の意義をもつ前線基地だったのだろうが、ソ連崩壊後は対中国包囲網基地なのだろう。米国の相対
  的軍事力低下の中で、日本が独自に軍隊を持って(すでに防衛庁は防衛省に格上げされた)米軍の
  肩代わりをするのであろうか?押し付けられたとはいえ、平和憲法を持ち、個人の自由を保障する
  世界に冠たる「戦後レジーム体制」を作り上げ、軍事の代わりに経済や文化で世界に伍する国家と
  なった日本を「戦前レジーム体制」に戻してはならないのである。

  

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20.特定秘密保護法案に反対  (14.02.08)

  この安倍政権になってからの、内閣法制局長、日銀総裁の更迭、NHK会長や理事の人事等で
  の右傾化の傾向は甚だしいものがある。靖国への参拝、教育方針の変更と挙げれば切がない程
  の凄まじい右寄りの舵取りがなされている。

  なかで、多くの文化人がこぞって反対しているが、ここでは森村誠一さんのサイトに載ってい
  る同法への反対を紹介しよう。

  下記をクリックしてご覧頂きたい。

  森村誠一公式サイト



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19.犬決  (13.12.22)

  

  12月12日に処刑された北朝鮮の張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長(67)が、犬
  決という方法で処刑されたと中国系香港紙「文匯報」(ぶんわいほう)が報じている。それによ
  ると、「政治犯による情報として、張氏と張氏の側近5人が衣服を脱がされて鉄のオリのような
  場所に入れられた後、3日間エサを与えられなかった120匹もの猟犬が放たれて殺された、と
  した。その際、金正恩第1書記、李雪主夫人のほか300人を超える高官が処刑の様子を見てい
  たとした。」「文匯報」電子版は、張氏の処刑についての記事の文中で「朝鮮『犬決』張成沢」
  などと小見出しを付けている。文匯報新聞は中国共産党や中華人民共和国政府を支援する新聞と
  されている。こうした残酷な処刑をしたとしたら、金正恩の独裁体制を維持するための恐怖の見
  せしめの思惑からであろうか?

  写真は台湾の中天新聞が報じたものを伝える台湾のTV放送である。
  毎日新聞の12月19日「木語」欄で金子秀敏専門編集委員もこの話を取り上げて「本当に恐ろしい
  話」の見出しで書いているので、まんざら信憑性が無いわけでもなかろう。

  この「獣咬」という処刑方は古く秦の始皇帝頃からあった刑罰で相当に残酷な刑法である。中国
  で古代から行われた刑罰には目を覆いたくなるものや耳を塞ぎたくなるものが沢山あるが、これ
  は西欧でもかなり行われたもののようである。

  今年の4月にクロアチアからの帰りのルフトハンザの機内で映画を観たのが、ジェイミー・フォ
  ックス主演の「ジャンゴ繋がざる者」という映画で、内容は19世紀中期の南北戦争前のアメリカ
  南部を舞台に、かつて奴隷だった男の妻奪回の荒唐無稽なアクション・コメディ映画である。
  その中でレオナルド・ディカプリオ扮する農場主が娯楽のために、黒人奴隷を片方が死ぬまで戦
  わせ、それを拒む者に「犬決」の刑を行う場面が出てくる。負けた奴隷が死にきれないときは金
  槌で叩き殺す非道さも画面に出てくる。

  それまで白人の農場主は酷い事をする者という一般的な思いは持っていたが、その「犬決」の酷
  たらしさに戦慄したものだが、その同じやり方が21世紀の我が隣国で行われたとかという噂にし
  ろ、誠に悍(おぞ)ましいものである。

  
  
  
  (映画django unchainedより拝借)
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18.原発再稼働その2  (13.08.18)
  


   経営コンサルタント、起業家として知られる大前研一が原発再稼働について、安倍総理に提言
   をしている。(2013.08.17日毎日新聞)

   その主旨はこうだ。

   「福島原発の「炉心溶融」について東電も政府もウソをついてきた。原発政策を推進した自民
    党は政権復帰した途端、昔の自民党に戻って再稼働は当たり前のように言っている。
    原子力規制委員会は通産省から離れて環境省の外局として発足したが、そのメンバーには原
    子炉の炉心の専門家は一人もいない。福島と同様の事故が起きたら対応は出来ない。原子力
    規制委員会は活断層のことばかり問題にしていて、活断層に国民の注意を向け、再稼働を自
    らが承認したという責任逃れの方策にしようとしている。
  
    福島原発事故の原因は全電源喪失であり、5,6号機は屋上に設置されていたディーゼルエン
    ジン一基が稼働したために生き残った。これらのデータを分析して対策を取れば再発防止は
    可能である。原子力をこのまま止めるのは敗北であり、これを乗り越えてこそ工業国である」
    
    安倍内閣の原発再稼働の基本方針は、原子力規制委員会が新しい規制基準に適合すると認め
    たものを認可する事である。13.8月現在で電力4社が6原発12基の安全申請していて、年内に
    も審査終了1号が出る見込みである。おそらく殆ど再稼働認可となるだろう。

    大前研一はマサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号を取得し日立製作所へ原
    子力開発部技師として入社した経歴の持ち主で、2012年9月には東電原子力改革監視委員会
    委員に就任している。

    しかしながら、福島原発事故で未だ15万もの人々が汚染地区に帰れずにいる事実である。福
    島原発の事故機の内部はどうなっているか不明で、汚染水は溜まる一方だし、地下水による
    海洋汚染も進行中である。それらの決定的解決策も確立していない。まして何十年もかかる
    廃炉の行程さえ確率されていない。そして再稼働が実施されれば大量に発生する核廃棄物の
    最終処分場建設の目途も立っていない。更にもんじゅによる「核燃料サイクル」も行き詰ま
    っている状況下で、どうして再稼働が安易に出来るのだろうか?

    大前さんも原子力の専門家なら、東電原子力改革監視委員会の委員ならせめて福島の放浪す
    る住民を安全に故郷帰られる解決策を示した上で、こうした提言は行うべきではなかろうか?
    全電源喪失さえ起こらなくさえすれば、それで原発の安全性が確保で来る訳ではなかろうに。
    
    ご自身が経営コンサルタントなら、日本国の経営の面からも、原発の廃炉まで含めたコスト
    や安全性等を含めて総合判断なさり提言されては如何なものか。
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17.戦後68年も経ったのに (2013.08.17)

 1945年8月15日に先の大戦は終った。今日は2013.8.17日だから戦後69年目になる。その年の8月に
 生まれた僕も68歳になったが、"戦争は終わった"の 実感は無い。既に戦争は終わっていたし山村
 だったし、まだ幼児だったので戦後体験は分からない。既に人生を終えた同年代人の方も多くい
 るほどの年月が経過したが、未だにアメリカ軍は3.7万人も駐留し続けているし、近隣諸国との終
 戦処理は完了したとは言い難い。

 戦後70年も経とうというのに、日本ではまだ戦争は”終わらない”状況が続いている。駐留米軍は
 3.7万人、土地は3.8万kuでほぼ国土の1%を占有して様々な軋轢を起こしている。アジア近隣諸
 国への謝罪や近隣諸国との領土問題もいつまでも続いている。靖国問題も一向に解決しない。

 毎年この時期だけ、これらの問題が論じられるが、秋口になるともう忘れられて年々棚上げにし、
 先延ばしにされ続けてきた。

 文芸評論家の加藤典洋はこう言う。
 「戦後が終わらないのは、日本が過去の侵略をアジア諸国に謝れず、アメリカが原爆投下を日本に
  謝れないからであり、その二つのトラウマがあるからである。アジアへの謝罪は世代を経るにつ
  れ、いよいよ謝れなくなっていて、「歴史を忘れた民族に未来は無い」とサッカー場で抗議され
  るのである。アメリカが原爆投下で謝罪するにはまだ時間が掛かる。日本は原爆投下のアメリカ
  を赦すのか赦さないのかどう赦すのかまでを含め、きちんと考えるべきである」

 68回目の終戦記念式典で、安倍首相は歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者に対する加
 害責任に明確には触れず、「歴史に謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を胸に刻みつつ国の未来を切り
 拓く」と述べた。その一方で「あなた方の犠牲の上に平和と繁栄がある。片時たりとも忘れない」
 と感謝の念を示し「世界の恒久平和に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう全力を尽
 くす」と述べた。しかし韓国のサッカーファンに言われるように「歴史を忘れた民族に未来は無い」
 のではなかろうか。何かにつけて官邸の「右傾化」の言動が目立ち、しかもそれがアジア以外の諸
 国からも指摘され始めているのは憂慮すべき事態である。

 先の大戦で死を強いられた人々は、現に事実として「犬死に」の状態におかれている。それはあの
 無責任な指導層によって死に至らされ、まさしく犬死にの状態に捨て置かれていること、それが問
 題なのだと白井聡(文化学園大助教)は言う。

 「3.11の福島原発事故を巡って生じているすべてが、強烈な既視感を催させるからである。事故発
  生経緯、不誠実な情報提供、責任の不追及、なし崩しの政策回帰、これら全てが、あの敗戦から
  本質的には何も学んでいない(戦争死は無駄だった)という事実を突き付けている。事故処理計
  画が破綻したのは、東電、国の「無責任の体系」そのもので、その体制で事故処理を計画しても
  末路は見えている。これは68年前と全く同じものが反復されており、自らの致命的失敗を犯しな
  がらも責任追及を恐れてこれを認めず、そのために状況をさらに悪化させるという行動様式を温
  存している。この病根がある限り、あの死者達は犬死に留まり続ける。閣僚が靖国参拝しようが
  しまいがそんなことは全く関係ない。そしてこの状態を作り出し、容認しているのは我々自身な
  のである。死者達を救い出すには、それを倒し破壊するしかない」

  東大の加藤陽子教授は、戦争が起こされたの真の原因と国の説明の異なりを取り上げてこう言う。
  
  「1931年に起こった満州事変では、これを計画した石原莞爾関東軍参謀は、将来の対米、対ソ連
   のために中国東北部を軍事占有する目的で行動した。中国ナショナリズムの高揚に対し、日本
   の満蒙権益を守るために満州事変が起こされたと思われがちだがそうではなかった。条約でも
   秘密議定書でもなく、単なる会議録中の発言を根拠として、中国が条約や議定書を守らないと
   喧伝して満州での武力発動を進めて行った。竹島、尖閣問題を考えるとき、こうした満州事変
   での教訓を、日本も中国も韓国も参考とすべきである」
  「為政者だけでなく私たちもまた、現在を捉え、未来を予測する際に、無意識に過去の事例を想
   定しつつ判断を下すものである。だから想起すべき歴史的な事例をいかに豊かに自らの脳中に
   ファイリングしておくか、それが決定的に重要である」

  なんとも滅入る69年目の終戦記念日である。
  前出の加藤は、紀元前6世紀の「バビロンの捕囚」でさえ58年間だったではないか、日本の戦後
  は「現代のバビロンの捕囚」であると言う。正にその通りで、終戦時生まれの我々は何もせず、
  何も出来ずに捕囚のまま生を終える事になるのだろうか。

                        2013.8.16 毎日新聞・論点より
    
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16.麻生副総理・財務/金融大臣のとんでもない論理 (2013.07.10)
                                                                          
 麻生副総理・財務大臣・金融担当大臣がまたやった。

 2013年4月10日に公表された youtube をまずご覧頂きたい。空いた口が塞がらない・・・。
 要旨は以下のようだ。
--------------------------------------------------------------------------------------
 日本はこのまま財政赤字を継続すると財政破たんすると、簿記の基本がわかってない財務省の役人
 や新聞の連中などが言うが、そんな事は無い。
 
・現在900兆の国債残高があるが、借り手は政府で、貸しているのは国民なのだ。国民が銀行に預
 けた金は、銀行は利ザヤを稼いではじめて成り立つのでどこかに貸さなければならないが、年間約
 30兆円借り手がない状況になっている。これを放置すればデフレになるので、政府が借りている。
 つまり国民が毎年約30兆円政府に貸しているのである。

・その30兆円の国債は全て円で借りている。その94%は国民が、残り6%を外人が円でで買って
 いる。つまり100%日本の国債は円建てで買われているのだ。

・ギリシャの国債は自国民は30%しか買わず、70%は外国人が買っている。しかし信用が無いの
 13%の利息を付けないと売れない。それに較べ日本国債の利率は0.9〜1.0%であり、その
 差は13〜15倍もある。日本国債はそれほど信用が高い。

・100%円建ての国債なのだから、満期になっていざというときは「政府が紙幣を印刷して返済す
 ればいい、簡単なことだろ。ドル、ユーロで返済するんではないので簡単なんだ」。

・15年前に武村蔵相が「財政破綻宣言」をしたが、当時500兆円のGDPで国債残高は450兆
 円だった。それが現在500兆円のGDPに対し900兆円の国債残高である。金利は3.2%だ
 ったものが現在は1.0%である。財政は破綻もせず、金利はこの20年間で1/3以下に下がって
 いる。これは日本の経済力が強い証拠である、国民の努力の賜物だ。。

・郵便貯金にしても、結局は国が保証しているのだから同じ事であり、外人の投資家はそれをよく理
 解していて、左のポケットの金を右ポケットに移したものと見ている。為替レートも少し前の1ド
 ル240円が今や83〜85円である。円を持っている事が得なので世界のマネーはそうした事を
 冷静に見て判断して動いているのである。
 ・・・。

---------------------------------------------------------------------------------------

 どうですか、大丈夫ですか、これを見てのけぞりませんでしたか?

 また2013年6月17日の時事通信によると、17日の横浜での講演でも
「日本は自国通貨で国債を発行している。お札を刷って返せばいい。簡単だろ」とやって会場をどよ
 めかしたと報道された。
 youtubeの言動といい、横浜での講演といい、これは本人は冗談ではなく、真面目にそう考えてい
 るとしか思えない。これが副総理・財務大臣・金融担当大臣の講演なのである。

 「お金を出し過ぎて信用がなくなったら金利は上がる」とも指摘。際限のない通貨発行には否定的
 であることも強調し、そのうえで日本の借金は970兆円に膨らんでいるものの、金利は上がってい
 ない。「日本が財政破たんの危機ということはない」と言い切った。と時事通信は伝えている。

 まず、財政法で禁じられている「財政ファイナンス」を本気で気軽にやればいい等という発言は正
 気の沙汰ではない。中央銀行が政府の財政赤字を賄うために資金を提供する(国債を直接引き受け
 ることによって資金を調達する)ことは先進諸国はどこも禁じてやってはいない。日銀がいったん
 国債の引き受けなどで政府への直接の資金供与をはじめてしまうと、政府の財政規律を失い、通貨
 の増発に歯止めが効かなくなり、将来的に「ハイパーインフレ」を招く恐れがあり、財政法第5条
 で禁じられている。

 それでも安倍内閣では黒田日銀総裁を任命して、事実上の「財政ファイナンスと為替誘導」を進め
 ているが、それでも物足りないと日銀法を改正して政府の意のままに金融政策を行おうと企んでい
 る。参議院選挙で安定多数を多分占めるだろうし、財政も金融もやりたい放題となろう。無論、念
 願の憲法もでしょうがね。総理・副総理とも大変なお方が国の舵取りをなさっておられるものだ!

 どうもこうした世間知らず、常識知らずで親や祖父が総理だのというご家庭で純粋培養のようにし
 て生育なされた二世、三世の議員の方々には、御用学者ではなくもっとしっかりしたご意見番が付
 き添い適宜にアドバイスでもしないと外国からも信用されなくなるのではなかろうか?

 皇室の歌会始の「召人」を長年務められている歌人の岡野弘彦さんの現在を詠ったものに次のもの
 がある。 <親ゆづり 祖父(おほぢ)ゆづりの政治家(まつりびと) 世に傲り(おご) 国を
 ほろぼす 民を亡ぼす> 安倍さん麻生さんなど心して読まれるとよい。

 総理は政府は「輪転機」があるから大丈夫とか、副総理は「お札を刷って返せばいい」等の発言を
 聞くと、暗澹とした気持ちになってくる。英語にいくら達者であっても喋る中身がこうも幼稚では
 聞いた外人もひっくり返ってしまうのではなかろうか?早々に引退なさって得意なクレー射撃でも
 やっている方がいいのではないかと思う。もう一人の方は得意なアーチェリーをやって、たまには
 ゴルフでもいいいが、ランチで好きなハヤシライスを食べたあと大好物のアイスクリームでもしゃ
 ぶっておられる方が、腸の病気を寛解せしめておくに最善だと思いますがねえ!


 麻生さん、我が財務省作成の「財務省・我が国の財政について」でもご覧になるべしです。
 無論ですが日銀法も今一度読まれる事をお勧めする。特に日銀の独立性をよく読んで欲しい。なお
 麻生さんはお札を刷ればいいと仰っているが、銀行券(お札)は日銀でしか刷れず、しかも独立し
 ているので麻生さんの権限ではダメなのです。政府管轄下の造幣局なら貨幣(硬貨)は造れますが
 現在の所500円が最高額の貨幣なので、1万円、10万円硬貨でも造らないと無理な荒唐無稽な話。
 正確には独立行政法人国立印刷局が日本銀行券を印刷し、この印刷物を日銀が製造費用(一万円札
 で約40円、全体では約15円)等を支払って購入している。その時点ではまだ印刷物に過ぎず、
 金融機関が日本銀行の当座預金口を引き出して、日銀の窓口から日本銀行券を受け取ると初めてお
 金になり、法定通貨となる。貨幣も同様である。なお日本銀行券には強制的債務弁済の強制通用力
 があるが、貨幣(硬貨)の強制通揚力は額面価格の20倍までに制限されているので、硬貨の支払
 で500円硬貨を21枚(10,500円)使おうとすれば支払を拒否されても仕方がない。



 仮に、麻生さんの言われるように「お札を刷って返せばいい」としても日銀が紙幣をタダで差し出
 す訳ではなく、国債という債券と交換にするわけで、国債は更に積重ねられてしまうのである。日
 銀がお札をプレゼントしてくれると本気で思っているなら、麻生さんは複式簿記どころか、小中学
 校の社会科の勉強を国語もそうですが、やり直す必要がきっとある。ま、お金などどこからか湧い
 来るものだとの感覚なんでしょう、お二人とも。

 結局は税金でコツコツ返して行くしか無いわけである。若しくは政府財産を切り売りするか、商売
 をして稼ぐしかないが政府にそんな事は出来るはずはない。最後の手段はデフォルト(債務 不履
 行)かハイパーインフレという禁じ手はあるが、これは国民に塗炭の苦しみを強いるものであり、
 決してそうならないようにするべきである。

    
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15.憲法変更  (13.02.20)


   「個人を尊重し、多様で相対立する世界観・価値観の存在を認め、その公平な共存を目指す
    立憲主義の憲法原理」に基づく米国の憲法は、日本の憲法原理と同じであり、それは米国
   からの日本への贈り物である。と長谷部恭男は2013年2月14日の朝日新聞への寄稿で述べて
   いる。

   いま、憲法解釈を変え、憲法を変えることが声高に叫ばれていて、今次安倍内閣でその実現
   がなされようとしているが、日本の平和と安全のために、ひいては米国との同盟関係を深め
   る事になるか冷静に見極める必要があるとも言っている。

   戦争は国家と国家の戦いであり、国家を形成するのが憲法である限り、戦争によって攻撃さ
   れるのは敵対する国家の憲法原理であり、異なる憲法原理を抱く国家同士は対立し、戦争に
   至るものであるとする。憲法解釈を変え、憲法を変えることを叫んでいる人達は、はたして
   こうした憲法と戦争の根源的な関連性を十分理解しているかである。と喝破している。

   憲法の役割は、政府の出来ること、出来ないことを定めて、その行動を縛ることである。米
   国は建国以来戦争の絶えたことの無い国家であるが、かの国の憲法は大統領を軍の総指揮官
   に定めた一方で、戦争宣言は議会の権限と定めている。政府・大統領による不用意な軍事行
   動を制限しているのである。

   しかし敵国の急襲などの非常事態には大統領は議会の承認なしで軍を動かしてきて、議会の
   承認無しで軍事行動を起こすのが通例になってしまっている。アフガンにしろイラクにしろ
   そであった。しかし議会による軍事行動抑制は、危険に晒される国民の代表者の同意が必要
   だから当然なのである。米国で憲法と現実の乖離がありながらも現実に合わせて憲法改正議
   論が起こらないのは、憲法を通じて政府の戦争権限を抑制しようという意義が広く認識され
   ているからである。

   自民党の改憲草案によると、九条を改正して自衛隊に代えて「国防軍」を設け、その出動は
   国会の事前承認とはしないという、いはば現行の米国型を上回る好戦国への変貌を狙うかの
   ような代物である。

   憲法9条下では、国には自衛権は個別的自衛権あるが、集団的自衛権は認められないとされ
   てきた。集団的自衛権は、友好関係にあるある国が武力攻撃を受けた際に、他の友好関係に
   ある他の国々が共同して個別的自衛権を行使することを言う。だが、ある国が武力攻撃を受
   けた際に、その国の武力が不十分であり、友好関係にある他の諸国が共同して援助のために
   軍事行動を起こす際の集団的自衛権は、日本には無いと政府は言い続けてきた。つまり、日
   本の領土や国民の安全とは無関係な場合での自衛隊の実力行使は出来ないとしてきた。だが
   日本が武力攻撃された際に、友好国の米国が自衛隊と共同で軍事活動している場合に、米軍
   への攻撃に対して自衛隊の反撃は現行憲法で禁止はされてはいない。

   憲法九条二項は、「陸海軍」その他の戦力はこれを保持しない」と謳っている。だが戦力と
   言えるほどの軍隊は持てないが、領土の保全や国民の生命財産の安全を保持するための自衛
   のための必要最小限の実力の保持までは禁止していない。九条に関する集団自衛権の解釈の
   仕方を変更すべきとの議論があるが、「解釈の変更」を自己目的化しているようである。日
   本の安全とは無関係に、国際社会の平和という一般公益のために自衛隊が戦闘行動するよう
   な事まで想定していないのであれば、「解釈の変更」も不要である。戦争権限の拘束をはず
   すことが、真の日本の平和と安全になるとは思えない。と長谷部は述べている。

   自民党の党是が、現行の日本国憲法は俄作りの米国の押しつけ憲法であり、「憲法改正」こ
   そが自民党立党の目的であるとして、これを果たしてやっと一人前の独立国家になりうると
   する考えが思考の基底にあるのであれば、「アベノミクス」の好況感や支持率の高止まりを
   利用して、一挙に参議員でも選挙に圧勝して「憲法改正」を実行し兼ねないのである。

   しかし長谷部が言うように「異なる憲法原理を抱く国家同士は対立し、戦争に至るものであ
   ると」とするならば、ここは慎重に熟慮して参院選に臨まなければならないのである。戦後
   しか知らない我々世代が70歳に差し掛かろうというこの時期に、現行憲法に守られてきた幸
   せは今一度噛み締めてみるべきなのである。

   
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14.原子力・宇宙開発の軍事利用  (12.07.04)
  


   2012.06.20日はこれからの日本の進む路で記念すべき日となるだろう。
  原子力基本法に「わが国の安全保障に資すること」も目的とする項目を追加した。同時に宇宙航
  空研究開発機構法で「平和目的」に限定していた項目が削除された。これらは国会で何の議論も
  なく、自民党が修正提議して民社党も受け入れてしまった。民社党は消費税が通りさえすれば良
  いと懸命であり、自民党の意見を鵜呑みの状態になっている間隙を縫っての仕業である。

  原発推進の目的は、発電は当たり前であるが、副産物で発生するプルトニュームを利用すれば原
  爆は容易に作る事が出来るので、その推進当初から「安全保障」面での利用を自民党は目論んで
  いた。自民党に限らず、所謂タカ派と言われる人々は平時は口には出さないが、思考の底にそれ
  を秘めていた。

  宇宙開発の面でも、先進諸外国は軍事目的に盛んに利用していて、特に最近の中国の宇宙開発は
  全くの軍時利用であり、独自の宇宙ステーション建設も進めていることから、その対抗策として
  「平和目的」限定項目を削除して対抗出来うるようにしたのであろう。

  不思議なのは、これを三大紙は殆ど取り上げないことである。東京新聞が年6月21日 朝刊でひと
  り「原子力の憲法」こっそり変更と取り上げた程度である。
  NET上では、その後色々と議論は出ているものの、安全保障の道具としてこれを利用するのであれ
  ば「消費税」と「原発」以外にも争点として議論すべきである。こっそりと行うべきものではない。
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13.原発再稼働  (11.04.16)
  


   点検で停止中の原発を再稼働するかどうかで議論が沸いている。民主党政権は再稼働の方針を
  表明した。世論の多くはそれに対して反対の意見が多い。それはそうだろう、福島のあの惨状を
  見せつけられ、今だ相当に危険な状況にあって納まる気配は無く、今後何十年にも渡って莫大な
  対策費用や犠牲を伴うものなのだから。

   それでも、この決定は止むを得ないと思う。この事故が起こる直前まで、まさか誰もこんな事
  故が起こるとは思ってもしない原発神話に完全に洗脳されていて、地球温暖化やエネルギー対策
  の本命と信じて疑わなかったのである。全エネルギーの3割までをこの原発に頼り、さらにその
  上乗せさえも検討していたのである、3.11が起こるまでは。

   それが一度この事故が起こるや、次々に様々な問題点が浮上してきた。もし事故が起こらなか
  ったらそれらは水面下に潜在し、更に酷い状況に進んでいたに違いない。国民は生存を脅かされ
  る事態にまできっと追いやられていたに違いない。きっとそうなっていただろう。

   村上春樹がスペインで言ったように、「効率」を求めるあまり、原発をずっと容認したに違い
  ないのである。原発反対と唱えようものなら”非現実的な夢想家”として無視されたに違いない。
  北朝鮮が核実験を行うとして世界は過敏になっているが、その実、日本は北朝鮮が持っている原
  爆の材料となるプルトニュームをその何十倍もすでに持っているのであり、それを原爆化する技
  術も十二分に持っているのである。非核三原則を堅持するなどと言っても、世界は日本が潜在核
    大国である事を疑うものはいないであろう。55年体制下で歴代の政府の思考の根底に"潜在核保
    有願望" があった事は疑いの余地は無い。
  
   戦後一貫して原発推進を継続しているのだから、社会、経済の仕組みが原発無くして成立しな
  い構造となってしまっている部分がある。だから、この福島の惨状におののいて一刻反原発をヒ
  ステリックに唱えてみても一過性に終わる可能性が大きいのである。むしろ大事なのは、安全性
  が科学的に確認出来たものは稼働させて、社会、経済の摩擦を少なくしつつ代替となるものを確
  実に着実に増やして行って、原発が無くても済ませられる社会構造にするべきである。

   菅政権で唯一評価したい「浜岡原発の停止」は、堤防の嵩上げ等して再稼働したいとの動きが
  あり、再稼働容認の市長の当選などが伝えられるが、ここは予想される東海地震の真上であり、
  津波以外の被害で放射能漏れをもし起こせば、それこそ関東は人の住めない場所となってしまう
  のは間違いなく、これは再稼働どころか、早期な廃炉が不可欠なものである。仮に廃炉と決定し
  てもそれを完了するには何十年も掛り、更に核廃棄物の最終処分場の候補地さえ国内では未だ決
  まっていないお粗末さなのである。

   つまり原発は今の科学技術では完全に制御出来る技術ではないのだ。"潜在核保有"意向を持ち
  たい向きの人々はあくまでも原発に固執し続けるだろうが、すでに米国を初めソビエトや中国、
  等が持っている核兵器で全人類を何度でも抹消出来うる状況下で日本がそれらを有したとして、
  何の意味があるのだろうか?

   とすると、兵器としての原発は日本は決して保有せず(潜在的にも)、エネルギー源としての
  原発は可能な限り早期に、21世紀の前半にも廃止すべきである。ただあまりにもラジカルに原発
  を一度に廃止したり、運転停止をすることは社会的な”きしみ”が大き過ぎるのである。徐々に
  縮小、廃止すべきなのである。その工程は公にし、法律で律すべきであろう。

   ただ問題なのは、猛烈な経済成長を遂げつつある中国やインド、東南アジアの諸国などがエネ
  ルギー確保のために原発を大増設する計画を有していて、すでに計画実施の段階に踏み込んでい
  ることで、その一つや二つでも事故を起こせばその汚染はわが国にも押し寄せて来る事だ。お隣
  の韓国にも日本海に面してすでに3基が稼働していて、今後韓国全体で12基もが建設されよう
  としているし、台湾では沖縄与那国島からわずか100km強の龍門発電所が稼働しているので
  ある。こうした世界の原発に関しても関心を持っていかなければならないのである。
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12.南西諸島の安全                        2011年02月15日

   防衛大学校長の五百旗頭(いおきべ)さんが2011年2月13日の毎日新聞の「時代の風」欄に「南
  西諸島 あんぜんのために」と題して寄稿している。

   中国のGDPが日本を抜いて世界第2位になったことが、このところ盛んに報道されている。他の
  国々がリーマン・ショックによる世界的経済危機に見舞われている最中、一人中国だけは経済的
  軍事的に大躍進を続けている。このまま中国が経済成長を続けるなら早晩アメリカを抜いて世界
  第一の経済大国になるだろうと予測されている。

   その中国の経済成長に不可欠なエネルギー資源と運搬ルートを確保するために、中国は世界各
  地に進出して活動をしている。その一つが尖閣諸島の領有の問題であり、東シナ海への中国海軍
  の進出である。中国の軍事拡大は凄まじく、兵力は289万人と日本の24万人の10倍以上である。
  2位は260万人のインド、3位は154万人のアメリカである。宇宙では既に軍事衛星を所有してい
  る他、ステルス戦闘機や大陸間弾道ミサイルや空母の建造にも取り掛かっている。質の面でアメ
  リカには及ばないものの、いづれ比肩する軍事力を、いやアメリカを凌駕する軍事力を持つ事に
  なるのではなかろうか。
  
   1971年以来、中国は尖閣諸島の領有権を主張するようになり、1992年には国内法で中国領土に
  編入してしまった。この大陸棚に石油やガス資源が埋蔵されている事が判明したからである。対
  して日本の対応はまことにのどかで、沖縄本島以西の南西諸島には防衛施設は皆無なのだそうだ。
  五百旗頭氏に言わせれば「およろしければどうぞお取り下さい」の状態なのだそうだ。防衛大学
  校長がそう言うのだから、その通りなのだろう。

   遅ればせながら、2011年になってやっと「南西諸島防衛」をテーマにして日米共同演習が行わ
  れた。紙に書かれた約束事に過ぎない「日米安保条約」が実際に行動を伴うものであるという事
  を、この地域に干渉しようとする国々に認識させ、無分別な行動を抑止させる効力が認められる
  と五百旗頭氏は言う。

   以上は南西諸島への人為的脅威への対処であるが、この地域ではその他に地震・津波という自
  然災害への対処が極めて大切なのである。
   今から240年前の明和大津波は山のような津波で40mの大波が石垣島を始め多くの南西諸島を壊
  滅させたのである。わずか240年前の事であるにも関わらず、多くの人が忘れてしまって無防備
  に安穏に生活している。
  → 八重山地震・明和の大津波を参照

   川を逆流した大津波は最高85mの高さまで達したという。
  五百旗頭氏は地形的に高台に逃れる事は難しいので、強靭な鉄筋3階建以上のビルが必要だと述
  べているが、これで大丈夫なのあろうか?少なくと、100m間隔ぐらいで最低10階以上の鉄骨鉄筋
  の避難所を兼ねた建物を低地には設けるべきではなかろうかと思う。

 

  津波大石(つなみうふいし・石垣島・大浜崎原公園・推定重量700トン 写真:山村武彦氏)

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11.ニッポン破産  (10.03.27)

  
           
   2010年4月2日号の「週刊朝日」の見出しは凄い。
  
  「自民党がつくった借金1千兆円でニッポン破産」

   自民党の与謝野が、舛添が「経済政策」とはちゃんちゃらおかしい。
   歴代自民党政権が選挙目当ての「バラマキ」でつくった借金、
   言い換えれば税金で有権者を買収し続けたツケがいよいよ回ってくるのである。
   破綻スイッチはすでに押された。民主党がこれを回避出来るかどうか、正念場だ。”


   自民党と官僚が組んで何年にも亘って、いいように予算を使って来たその結果がこのような膨
  大な借金の元になった事は疑いようがない。自民党は政権を死守するために税金をジャブジャブ
  と使って有権者を買収し続けたし、官僚は天下り先を作るために自民党政権に取り入って無駄な
  組織や施設を税金でジャンジャン作り続けた。

   
   90年代の初めのバブル崩壊後、経済政策の失敗によって経済がデフレ状態に陥ると財政収入は
  減少したものの、官僚が築き上げた経常支出は止まらず、それをカバーするために年々赤字国債
  を歴代の政府は発行し続けた。追い打ちをかけたのは、不況下で”緊縮財政”を実行したため、
  更なる不況の上塗りとなり、一層の税収不足に落ち込んでしまい、歳入を上回る赤字国債の発行
  までせざるを得なくなった。

   
   週刊朝日は以下のように書いている。
  IMFによると、日本の2009年の借金総額はGDPの2.18倍であり、英国の0.68倍、米国の0.84
  倍に比べて格段に大きく、2055年までにこの倍率を高めないようにするだけで、消費税率を35%
  にしなければならないそうである。


   日本が何故このような借金漬けになったかだが、きっかけは田中角栄政権下で、財源や負担の
  仕組みがないままに「福祉元年」と銘打った老人医療の無料化や老齢福祉年金の5割増を行った
  のがはじまりだった。それ以降、歴代の自民党政権はこれを倣い借金体質を持続してきた。
  

   一般会計歳出と一般会計税収を折れ線グラフで描くと、歳出が増え税収が減るとそのグラフは
  ワニが口を開いた様に見えることから「ワニぐち」と呼ばれるそうだが、鳩山政権の10年度のそ
  の「ワニぐち」は顎がはずれそうになるほど開いてしまった。小沢の影響が絶大ないまの民主党
  政権では「農家戸別補償」とか「子ども手当」、「高校授業料無料化」など自民党に劣らぬバラ
  蒔きをやるからである。田中の子飼である小沢はそうした体質をもともと有しているのである。
  

   民主党が一般会計歳出で、どれだけ歳出を抑えられるか、無駄を削れるかが、景気対策による
  景気の回復による税収の増加と相まって「ワニぐち」をすぼめさすことが出来るかに掛かってい
  る。「公務員ムダ論(角川書店)」の中で福岡政行はこう述べている。公務員の総人件費は2009
  年で国と地方の税収約77兆円のおよそ半分の約38兆円(財務省資料)にもなる。だから、ここを
  削って、公務員人件費2割カット、退職金3割カットして歳出の縮減を図るべきであると。
  

   歴代の政権では1998年の小渕あたりから借金はどんどん積み上がりだし、森、小泉あたりで
  800兆円を超えてしまった。特に小渕は自らを「世界の借金王」などと自虐してみせた。小泉は
  5年間の間に約220兆円もの国の借金の増大をやってのけた。


   従来の自民党政権は選挙に勝ち政権を維持する事しか頭になかったのであり、野に下った今で
  さえ従来のやり方に反省の色は無い。
  

   政権交代となった民社党政権下で尚こうした赤字国債が必要なのだろうか?09年の総選挙のマ
  ニュフェストで公約したことを実行するには多くの財源が必要で、それは一朝に予算見直しや、
  「埋蔵金」掘り起こしで対処出来るものでも無く、公務員の削減や人件費の減少等がそう簡単に
  出来るものでないからであろう。


   まさに「週刊朝日」の見出しが言うように、”ニッポン破産”回避が出来るかどうかが民主党
  の正念場として問われているのだ。それを期待して民主党に政権を国民は委託したのだから。
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10.小沢・鳩山政治資金献金問題  (09.12.30)

           
  

  2009年12月24日鳩山首相は一連の政治献金問題について以下の説明をした。

           
 『2009年12月24日
  国民の皆さまへ 衆議院議員・鳩山由紀夫 

  東京地方検察庁は、私の資金管理団体である友愛政経懇話会の収支報告書の虚偽記載問題につい
  て、捜査で解明した事実に基づき本日、処分を下しました。
  また、この検察による解明を受けて、弁護士による調査チームから事実関係に関する2回目の報
  告を受けました。 

  この問題につきましては、6月30日の記者会見で、弁護士の調査報告に基づく説明をさせてい
  ただきましたが、その段階でも、またその後の調査でも全容が解明されるには至っておりません
  でした。
  そして、検察による捜査が開始されて以降、捜査に全面的に協力をしてまいり、その一環として
  今月18日には弁護士からの助言もあり、検察に対して説明文も任意で提出させていただきまし
  た。

  この間、調査を依頼した弁護士から、口裏合わせとの誤解を招きかねないため、本件の関係者と
  直接連絡をとらないこと、また捜査協力の一環として捜査中の事柄については発言を控えるよう
  助言を受けておりました。私自身が何も知らず、説明できないことを大変もどかしく思いました。
  また身近な人間に話を聞くことも誤解を受けると言われたことでつらい思いもいたしました。し
  かし、自らが告発を受けている立場であり、そして野党第1党の代表、その後は総理として、言
  動を慎み検察の捜査に委ねるべきことが最善と自らを納得させてきました。説明責任を果たして
  いないとのご批判をいただきながら、国会でも捜査による解明を待ちたい、捜査によって全容が
  解明された後にご説明させていただくとしてきました。

  検察の捜査によって、資金管理団体である友愛政経懇話会等の収支報告において、この5年間で
  多額の虚偽記載があったことが解明されました。検察の判断を重く受け止め、資金管理団体の会
  計責任者、会計実務担当者の起訴に対して、責任を痛感しております。お名前を勝手に拝借し、
  ご迷惑をおかけした支持者、知人の皆さま、そしてご遺族の皆さま、ご迷惑をおかけしたすべて
  の皆さま、国民の皆さまに改めて深くおわびを申し上げます。

  私の初当選以来、政治資金集めから収支報告書の提出に至るすべての政治団体の活動にかかるも
  のに加え、政治家個人としての政治活動、そしてプライベートにかかる経費についても、(元公
  設第1秘書の)勝場がその処理を一手に引き受けてくれていました。政治団体の政治活動資金以
  外でも、日々の会食や会合、国内外に出かける旅費、議員の任意活動である議連や議員政策研究
  活動、パーティー会費や仲間の皆さんとの冠婚葬祭のおつきあい、個人として借りている事務所
  の家賃など、数えたことはありませんが、年間で相当な費用がかかっていたと思い起こしていま
  す。勝場が万事滞りなく事を運んでくれていると思っており、私は資金のやりくりや手続きの心
  配をすることなく、安心してすべてを任せ切っていたというのが実態です。

  私自身の資産につきましては、勝場の求めに応じて、私の資産を管理していただいている六幸商
  会への指示書に私が署名なつ印し、お金の取り扱いは勝場に委ねておりました。それが政治資金
  として使われるのか、プライベートに使われるのか、それをどう処理するのかについても、長年
  にわたる勝場への信頼からすべて安心して任せておりました。この6年間で約3億2000万円
  という金額になることも最近になって弁護士から指摘された次第です。

  勝場は、虚偽記載を行った理由について、政治家としての私に資金調達能力がないように見られ
  たくなかったことと、自分が調達努力を怠っているように見られたくなかったことから、私には
  何も言わずにこういうことをやったと供述していると報告を受けました。
  なぜ、もっと勝場、そして(元政策秘書の)芳賀を含め事務所スタッフとコミュニケーションを
  行い、勝場の悩みを含めて事情を把握する努力を払わなかったのか、猛省してやみません。しか
  し、真実、今振り返ってみても、不自然さや疑問は感じていませんでした。あまりにもずさんと
  いうご批判をいただいておりますが、父親の代から手伝ってくれていた勝場、私が議員になる前
  から手伝ってくれた芳賀、2人ともまじめできちょうめんで、誠実に仕事をしてくれているとい
  う信頼感が前提にありました。誠に私の不徳のいたすところと思っております。

  さらに、地検の捜査によって母からの資金提供が事実であり、私の個人資産とともに虚偽記載の
  原資にも充てられていたことが確認されました。
  親から大金を用立ててもらい、知らぬはずはないと思われるかもしれませんが、弁護士による調
  査の過程で勝場に問いただしても、一貫してそういうことはないと答えていたとのことです。私
  は本当に全く承知しておらず、勝場の否定を踏まえてそういうことはないと信じていると申し上
  げてきました。まさに調査の限界を痛感する思いです。

  年間1億8000万円もの資金提供を受けていながら、なぜそのことを知らなかったのか、気が
  付かなかったのか、国民の皆さまが疑問に思うのは当然だと思います。親も私も常に周りの人々
  が私たちのことを何くれなく面倒を見ていただく環境にありました。正直に申し上げて親や周り
  の者とお金の話を直接することはほとんどありませんでした。私に心配を掛けまい、体面を傷つ
  けまいとして、日々苦労をしてもらってきたことが、結果として今日このような事態につながっ
  たのだと思います。結果として年老いた母に親不孝をしてしまいました。また、私のために勝場
  や芳賀の家族にもつらい思いをさせています。

  母からの資金提供については、法に照らして的確に対応すると国会で申し上げました。これが貸
  し付けなのか贈与なのかという議論が一時あったようですが、私自身が全く関与していないとこ
  ろでお金を借りていたというのもおかしな話です。また、このお金のことは何も知りませんでし
  たから、贈与税を免れようなどという発想自体もあり得ません。承知していなかったとはいえ、
  私のために提供され、私の政治活動や個人活動のために使われたということですから、捜査で解
  明された事実に基づき、母からの贈与として2002年にさかのぼって申告し、速やかに納税を
  行います。

  贈与税の対象となる資産は総額で12億6000万円となるとのことですので、納税額は概算で
  も6億円を超えることになると聞いております。
  収支報告書の虚偽記載については、検察の捜査や五百蔵弁護士の調査報告書で示されている内容
  を事実として受け止めています。今後、でき得る限り速やかに、残された疑問点を含めて実態を
  確認して、収支報告書、閣僚の資産公開、国会議員の資産報告について、修正をしてまいります。
  また、私の政治活動、政治団体の活動における資金管理の在り方を見直し、改めるべき点を抜本
  的に改善してまいりたいと考えます。政治資金管理は法定監査だけではなく、日常的に公認会計
  士等にチェックを委託して過ちを繰り返さぬようにいたします。今後は母から資金の提供は受け
  ません。

  私の取るべき道について申し上げます。いま私がこのことをもって進退を語るとするなら、それ
  は政権交代という勇気ある選択をしていただき、民主党・鳩山内閣による政策遂行に期待し応援
  していただいている国民の皆さまに対する責任を放棄することになります。また、難題が山積す
  る中で政治が立ち止まることは許されないと考えます。
  過去の発言についても弁解はいたしません。しかし私は、私腹を肥やし不正な利得を受けたこと
  は一切ありません。私は、ご批判は真摯(しんし)に受け止め、改めるべきは抜本的に改め、政
  治家としての私の使命を果たしていくことが私の責任であると改めて決意しております。

  国民の皆さまに率直におわびし、改めて国民生活が第一の政治の原点に立ち、身を粉にして私が
  果たすべき使命の達成にまい進いたします。
  以上、検察によって真相が解明され、事実が確認されて処分が下された今日、国民の皆さまに対
  するご説明とさせていただきます。なお、私が東京地方検察庁に提出した説明文「ご説明」の概
  要を公表させていただきます。以上。』

           

  要するに、
  1.収支報告所の虚偽記載については、鳩山自身に資金調達能力が無いと見られたくないから
    また秘書自身も資金調達努力を怠っていると見られたくないから、長年の腹心の秘書が勝
    手にやったとしている。
  2.母親からの12.6億円もの贈与についてはその一部が政治資金の原資にも流用されてい
    て、年間では1.8億の金が提供されていたが、金の話など周りとした事が無く無頓着だ
    ったとしている。
  金銭感覚が一般庶民とは違うのである。金の事など”よきに計らえ”の家なのだ。ま、今まで
  通りお金の事など気になさらないで、大所高所から政治をおやりになることですな!
  


  
  小沢幹事長については、
  09年12月27日に毎日新聞から以下の記事が配信された。西松問題を始め、幾多の疑惑がこちらに
  は山積している。
         
  かってそうした事を最も得意とする集団のボスを支えていた小沢は、当然こうした手腕はピカ一
  であろうし、昨今の報道でもそれを窺わせる新聞報道が数多ある。

           

 『資金移動 小沢氏側に新生、自由党解党時残金22億円余
  小沢一郎民主党幹事長が過去に率いた2政党「新生党」と「自由党」を解党した際、党に残った
  資金の大半に当たる計22億円余を、自分の運営する政治団体に移して支配下に置いていたこと
  が分かった。自分の政治活動のほか、親族への支出などにも充てていた。両党の資金には政党交
  付金など多額の公金が含まれており、こうした資金移動の手法が論議を呼びそうだ。

  政治資金収支報告書などによると、小沢氏が代表幹事を務めた新生党は新進党に移行する直前の
  94年12月、党本部と10支部に残った資金のほとんどに当たる9億2526万円余を、政治
  団体「改革フォーラム21」に移した。党本部に限ると5億5948万円余のほぼ全額が同フォ
  ーラムに移され、この大半は国から支給された「立法事務費」だった。同フォーラムは、東京都
  千代田区にある小沢氏の個人事務所を所在地とし、小沢氏が実質的に運営している。

  また、03年9月には小沢氏が党首だった自由党と民主党の合併に伴い自由党が解党。同党に残
  った15億5715万円余(うち5億6096万円余は政党交付金)は、所属する議員らの35
  政治団体に各500万円が分配されたほか、13億6186万円余が同党の政治資金団体だった
  「改革国民会議」に移された。同会議は自由党解党後に一般の政治団体に変更され、小沢氏によ
  る若手政治家の育成事業「小沢一郎政治塾」の運営母体となった。

  同会議も所在地を小沢氏の個人事務所に置き、最近5年間は事務所費として毎年1096万〜
  2532万円を計上、政治塾の会場費や講師への謝礼などに2354万〜2690万円を支出し
  ている。06〜07年には農水省OBの小沢氏の義兄に対し「組織維持費」の名目で計495万
  円の支出もあった。支出額は毎年6066万〜8308万円、5年間で3億4556万円余に上
  る。解党時の残資金を巡っては、政党交付金に限り他団体への寄付を禁じる改正法案が今年、衆
  院を通過したが、解散で廃案となった。

  解党に伴う資金移動について毎日新聞は小沢氏の事務所に説明を求めたが、26日までに回答は
  なかった。【政治資金問題取材班】』
  

   
  こちらは民主党党首小沢一郎の政治資金の件であるが、これは鳩山とは全く次元の異なる問題で
  ある。彼の資金管理団体「陸山会」は田中角栄の「越山会」に何となく似た響きの会であるが、
  こちらの資金調達能力は鳩山の比ではない。田中直伝の資金調達能力を有している小沢は「小角
  栄」とも呼べるその能力を十二分に有している。
  
  以前会社勤務の際に政治献金に多少関与したことがあるが、企業に政治献金や口利料とか多額の
  パーティ券を要求してくるのはその殆どが自民党であった。企業は仕事を有利に進めるために、
  その対価として多額の金を出すのである。それでも利益は十分に確保出来るからである。

  勿論これらは高いコストとなって消費者が最終的には支払う事になったり、納税者が負担する事
  になるのである。政治献金には表のものと、裏のものがある。裏のものは経費として経理処理の
  出来ない「使途不明金」となったり、原価の中に巧妙に潜り込ませるものである。こちらは役所
  に顔の効く政治家でなければ実行できない。実務は無論秘書が行うが、金額も数千万から億単位
  のものとなるであろう。

  無論、政治家が私腹を肥やすためにだけ政治資金を利用するのではなく、政治家に何かと要求す
  る国民の側にも問題がある。そうした「持ちつ持たれつ」の関係を半世紀以上も継続してきたの
  だから、一朝一夕にしてこのしがらみは無くならないだろう。この方はあまりにも評判が悪すぎ
  るので、表に出ないで後ろで政治をおやりになるしかないでしょう。
        
  1955年から93年までの55年体制以降も自民党とその連立政党による事実上の長期自民独裁政治か
  ら決別し、民主党政権が誕生し多くの国民が期待しているが、そのリーダーたる2人がこうした
  状況下にあることは、誠に不幸な事である。こうした問題と決別して長年待ち望まれていた国民
  本位の政策の実行を期待したいものである。経済問題、財政問題、外交問題等の難題に本腰を入
  れて立ち向かえる人材の出現が望まれる。
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09.教育基本法の改正  (06.11.06)

     

           

  11月6日の朝日の夕刊に立花 隆が『教育基本法の改正』について語っている。

  現行の基本法は人類が長きに渡って普遍的価値として認めてきた事柄が書かれているが、何故こ
  れを拙速に変えようとするのか? それは国家主義を実現するために、憲法と一体となっている
  教育基本法改正を、安倍首相はセットで進めざるを得ないからだとする。先の戦争で日本が国家
  主義と民族主義に走り、教育が国家の手段となったが、その根幹は『教育勅語』が教育を支配し
  たからだとする。

  そもそも教育は国家に奉仕すべきものでなく、国家が教育に奉仕すべきであるとする。


  この意見には共感するところが大である。今回の政府案には『公共の精神に基づき、主体的に社
  会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う』とある。まさに国家主義優先の考えそのも
  のではないか?『美しい日本』はこのような個人が国家目的に組み込まれて、全体の為には個人
  の自由や尊厳はどうなっても良い事を言うのであろうか?ジーパンを穿いた「岸 信介」には目
  を離してはならない。政権延命のために”口をつむいで”いるだけなのだから。やはり安保世代
  の僕らは危険を感じてしまう。
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08.民主党・メール問題  (06.04.01)

     

           

  06年04月になってやっと「メール問題」の決着をみた。このお陰で国会の審議が随分とおざなり
  になって、来年度予算もスンナリ成立してしまった。こんな事でいいのか?と言うのが一般的受
  け止めではないだろうか。

  穿った見方をすると、自民党サイドから仕掛けた”罠”ではなかったか、とさえ思えてくる。そ
  れほど問題山積の国会になるはずではなかったのか?
  更にもっと穿った見方をすれば、民社党の稚拙な前原態勢を切り崩して、小沢、菅あたりが民主
  党党首になるための仕掛けだったのではないかとさえ思えてくる。

  でなければ、永田議員の言質に、もっと最初の方で指導があってもいいと思われるではないか?
  失態に失態を重ね、最悪の状況で辞任に追い込まれるようにである。
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07.これからの日本「増税しかないのか」 (06.01.32)

     

           
  05.01.21のNHKの特集番組で「これからの日本”増税しかないのか”」19:30〜10:30が長時間放送
  された。ここで志木市の市民委員会の活動が”税の使い道のチェック”の観点から取り上げられ
  議論の一つとなった。筆者はその市民委員会のIT委員として多少関わったので、この問題につい
  て考えてみる。

  国の借金(財政赤字は767兆を超えて増え続けている)や地方財政の赤字は途方もない巨大なも
  ので、1世帯当たりの財政赤字は1,630万円程にもなると言う。

  興味のある方は「借金時計」と入力して検索エンジンで探してみればいい。暗澹たる気持ちになる。
  しかもこれに歯止めが掛からずさらに増加しているのであるから、このまま行くと日本の財政は
  破綻して、日本の経済は破滅を迎える事は必至である。

  そうならないためにはどうすればいいのか?と言うのが今回の放送のテーマであるが、一番簡単な
  のは”増税”と”インフレ”である。増税は消費税のUpが手っ取り早い、インフレはいつの世でも借金し
  ているものには有利な解決法である。管理された”インフレ”待望論がいつも自民党からくすぶり続
  けている。インフレなど管理出来るものではないのに、である。まさか”平蔵先生”の教えではなか
  ろうが・・・。

  だが、まてよ”増税”の前にやるべき事があるのではないか?そうだ、歳出のチェックが先ではない
  のか、税金は本当に効率的に利用されているのだろうか?財政赤字はそこの所を改善してシステム的
  に歯止めをかけるようにすべきではないのか、が志木市などの市民委員会の主な役目であった。
  議会があり、議員からはそんな事を市民が行っては議員の顔が潰れるし、市民の代表として選挙
  で選ばれている意味が無くなると一部議員からは反対の声が出ている。しかし、これは中央・地
  方を問わず議員の先生達がちゃんとやって来なかった(官僚任せ)事の結果なのではないのか?

  そうした歳出の見直しをしても尚不足するのであれば、増税も仕方ないのではないか、となる。
  次の世代に莫大な借金を残す訳にはいかないのである。しかし増税の仕方においても消費税がい
  いのか、もっと違う税のとり方があるのではないか?
  小泉内閣になってからは逆進課税の方向であり、「貧富の差を大きくして,金持ちに富を集中さ
  せたほうが,まとまった投資が行われて経済が活性化する」と言った理念が採用されている。
  「勝ち組」と「負け組み」を作りその所得格差を広げる政策であると言ってよい。増税の仕方に
  ついても議論のあるところである。

  デフレ傾向が止まらないと言う。これは可処分所得の少ない者にとっては歓迎すべきことであるが、
  資本主義の基本的仕組みがインフレを前提に成り立っている以上体制側の人々や、大幅な経済成長を
  望む人々にはデフレは困るのである。巨大財政赤字が膨らむ一方なのである。しかしこのデフレはパ
  ソコンや通信等を通じた情報の交換によりより安いものを望む人々の集計であって経済が落ち込んだ
  り、不況によって齎されたものではない。従来型のデフレ論議では論じられないもである。安い中
  国製品の大量輸入なども関連して生じているのである。

  このまま財政赤字が継続すると、国債の金利を上げざるをえず、つれて銀行などの金利も上がり、
  経済活動は停滞して所得は減少し経済は破綻へ向かう事になる。なんとしてもこれ以上の財政赤
  字の増をストップし、財政の収支が均衡する方法がないか、”安易な増税”以外の道を探ろうと言う
  のが今回の番組の狙いであった。多少消化不良の嫌いはあったが、こうした事柄を、特に明日は
  わが身となる若年層が真摯に考える事にこうした番組の意味がある。筆者は今日を区切りとして、
  一旦志木市の市民委員会を辞める事にした。
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06.小泉首相の靖国参拝(2) (05.10.22)

     

           

  10月17日の首相の靖国参拝が、また中・韓の反発を招いている。10月22日の「朝日」の「私の視点」
  に、これに関連した意見が掲載されている。一人は林泉忠氏(琉球大助教授)で、首相の靖国参
  拝などの「歴史認識」をめぐったナショナリズムの台頭に危惧を募らせ、視野狭窄に繋がりかねな
  い「ナショナリズム不要論」を提唱する。  もう一人は神戸大教授の王 柯(おうか)氏で、参
  拝の形式が「簡素」な形で行われたからと言って近隣諸国の理解が得られるものではないとし、
  「戦争日本」は「戦後日本」とは全く異なるものであるのに、これらを区別しない精神構造があり、
  これは一部の日本人の政治家の責任があるとている。「戦後日本」の政治化であるにも拘わらず、
  「戦争日本」の戦争犯罪の否定や「東京裁判」さえも否定し、A級戦犯を祭る靖国への参拝が使命だ
  と主張しているとしている。  

  外国の(戦争被害者国)の方に指摘されると印象が強いが、僅か60年戦争から経過しただけで、
  上記2氏が指摘するような事態が起きているのも事実である。今ならまだ戦争体験をした老人は
  残っているが、これがその体験が無い者ばかりの時代になったとき、また、同じ過ちを犯す恐れ
  は多分にある。中・韓も経済発展を遂げ、軍事力を増強しており、中国は米・ロシアに次ぐ核搭
  載可能な大陸間弾道弾を有しており、前の大戦と同じ道を歩めば、幾ら米国の核の傘の下にある
  とは言え、日本が消滅させられる程の被害を被る事になる。そうした事態に至らない為の確固た
  る仕組みを早急に作り上げる責務が戦争体験者や我々その子供に課せられた最大の任務である。

  上記2氏の発言は正鵠を射たもと思うが、諸兄は如何思われるか。
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05.集団的自衛権と憲法9条の改正 (05.09.21)

     

           
  前原誠司氏が民主党の代表となって、俄然、「集団的自衛権の行使」と「憲法9条改正」が現実
  的になってきた。同氏はその推進論者であるからであり、自民が衆議院で大幅に議席数を増やし
  たことと相まって、この2つは本当に実施されるかも知れない状況となった。ただ、参議院では
  まだ野党勢力が強く簡単には国会を通過するかどうかは分からない。

  「集団的自衛権」はもちろん米軍との共同戦線を意味しており、「憲法9条」は集団的自衛権の
  行使のことである。憲法9条では「許容される自衛権の行使はわが国を防衛するための必要最低
  限度の範囲内にとどめるべきである」としてこの集団的自衛権の行使は認められないとの解釈が
  なされて来た。「個別的自衛権」については、自衛隊があるが行使した事態は未だ発生していな
  い。

  「集団的自衛権」行使の難しいところは、第二次世界大戦の終了後も米国は、絶えず他国との紛
  争に関わり断続的に軍事介入を継続しており、米国と連携して戦争当事者に巻き込まれる恐れが
  あるからである。

  金だけ提出し、血を流さない日本のやり方が米国にいつまでも受け容れられるとは思わない。た
  だし、憲法9条は事実上米国が作成したものであり、そこに「集団的自衛権行使」の矛盾がある。

  中国が経済的大国になるにつれて、軍備の拡張を急ピッチで進めており、軍人の数ではすでに圧
  倒的に軍事大国であるが、総合的な軍事力の面でも早晩米国に比肩しうる大国になるのに時間は
  掛からない。中国以外でも”BRICS”と呼ばれる国々は21世紀の半ばまでにいづれ軍事大
  国となる。

  わが日本も軍事力では世界の五指に入ると言われる程の軍事予算と装備を持っているらしいが、
  その我が自衛隊(自衛軍)が米国との集団自衛権行使で共同戦線を張ってよいものだろうか。ほ
  かの選択肢はないのであろうか。
  国際法上からも、国連憲章でも国家に自衛権は認められているが、その行使について、郵政民営
  化などよりも真摯な議論と国民の審判が必要ではないか?
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04.郵政民営化解散 (05.08.28)

     

           
  郵政民営化を争点に解散、05.9.11投票と相成った。郵政民営化が諸改革の象徴であり、これを経
  ずして改革は出来ないとする小泉政権と、同じ自民党内でも郵政族や、小泉政権の政策のやり方
  に異を唱える勢力との党内紛争である。

  郵政改革に反対を唱える者には、離党を迫り、対立候補を立てるのであるから、本来なら野党には
  ”漁夫の利”のハズであるが、中間調査ではどうやら野党には厳しい状況との報道である。この中
  間報告は弱者支援効果がある。

  確かに小泉政権以来、公共事業は大幅削減され、特に地方の建設業者は苦境に立たされている。メ
  ガバンクは不良債権の整理を迫られ、統廃合を繰り返しなりふり構わぬ債権取り立て整理を実施し、
  民間企業の多くはリストラの名目のもと大幅な人員整理をして人件費の減少を図って史上空前の利
  益が出た等としている。本来の儲けである営業利益はそんなに増えてはいない。

  しかし、街には正社員に就けない若者がフリーターやニートとして溢れかえり、年金の不払い者は
  激増し、このままでは将来無年金に陥る老人(現フリーターやニート)が増加して社会は確実に悪
  化するに違いない。正社員とそうでない者との所得格差が3倍、4倍に開けば、国は確実に混乱し、
  犯罪が多発し収拾の付かない事態に陥る。

  外交面では、中国、朝鮮(南北)、ロシアとも殆ど進展のない状況であるし、対米追随外交はそれ
  なりに行ってはいるのだろうが、戦後60年経過しても進駐軍は健在であるし沖縄では相変わらず
  事件、事故が発生している。中には、東京裁判はフィクションであったのだとか、太平洋戦争を正
  当化して、東南アジアに対して行った戦争の反省はしなくて良いのでは、との声が真面目な議論と
  して出てきつつある。これらの論議が国際的に受け入れられるとでも思っているのだろうか?

  財政は完全に破綻しており、プライマリーバランスを確保できないでいる。これは増税か悪性イン
  フレで賄う他なく、公務員の多少の減員や歳出の引き締めで及ぶ範囲のものでは無くなってしまっ
  た。好況になったにしては、企業税収の伸びは少ないのは税制の問題が大きい。累進課税は緩和さ
  れ、金持ち優遇は確実に進んでいる。消費税の増税は間接税の増加であり、所得格差を更に広げる
  ことになる。

  少子高齢化の社会は、確実にそこまで忍び寄っており、社会の規範は乱れ切っている。犯罪はます
  ます凶悪化し、低年齢化している。高校や大学は遊園地化して見せかけだけの教育が横行している。
  企業のモラル、役所のモラルも地に落ちた感があり、これに2007年問題が拍車をかける事であろう。

  郵政民営化のみならず、こうした諸問題を争点にて総選挙が行われれば、投票率は少しは上がり、
  閉塞感ばかりの状況から抜け出す筋道が見られるか知らん。
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03.郵政民営化 (05.08.12)

     

           
  郵民営化解散となってしまった。郵政民営化だけではなく、その背後にある政府・自治体や政治
  の改革と捕らえるべきであるなら、それなりに大きな意義のある事である。

  今や日本の財政は破綻しており、その負債は天文学的数値であり、刻々とものすごい金額でその
  金額が増え続けている。「財政赤字」と打って検索してみるといい。日本経済が破綻するまで動
  きつづける財政赤字カウンタが刻々と日本の財政の赤字を刻み続けている。(05.08.12現在で
  1000兆3395億円、一人当たり805万円の財政赤字)。ア然とさせられて声も出なくなる。

  これらを作りあげてきたのが、”所謂55年体制”なのである。政治と政府が癒着して天文学的
  借金大国を作りあげてしまったのである。そのお金の入り口のところを、郵政改革を発端にして
  改革して行こうと言うのであるから、既得権益を護りたい政治家や役人は反対するのは当然であ
  る。これらのすべてのツケはいづれ国民に帰って来るのであって、増税かインフレで対処するし
  か無いのである。

  郵政解散で一時下げた株価も、景気の”踊場”通過の日銀の観測や経済機関の評価と政治・行政
  改革のやる気・本気を外人が評価した事や、企業の好業績見通しもあって上昇に転じている。さ
  て、皆さんは9.11にはどう投票しますか?これによって、従来型の赤字国債垂れ流し、財源
  バラ撒き景気対策や利益誘導型政治形態と決別するか、否か、が問われているのですぞ・・・。
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02.靖国参拝 (05.05.26)

     

           
  小泉首相の靖国参拝がクローズアップされている。特に、中国、韓国等の戦時被害の大きかった
  アジアの国からは非難の声が大きい。「国の戦没者への参拝を他国が内政干渉すべきでは無い」
  が小泉さんの参拝の論点であるが、これはおかしい。国内では通用しても、特に前の戦争で大き
  な被害を受けた国々からすると、戦争指導者で「A級戦犯者」といわれる人々が靖国に合祀され
  ておりそこに参拝するのは、被害者側からすると大きな問題であるからである。

  ドイツはナチスの過ちを世界に向けて反省し、大変な額の賠償金も支払い、不戦の記念碑等も設
  けて真摯に反省している様態がある。我が日本は、残念ながら平和憲法を作り過去60年一度も
  戦争もしていないし、する意思も無いとしてその辺をなおざりにしている。その平和憲法も今や
  改憲の方向だし、自衛隊は海外に派兵されているのだ。靖国参拝などにこだわっていて、どんな
  利益があるのか、日本人としてのアイデンティティをそんな狭小な行為で示して何になるのか・・。

  現在の外交はまさに「四面楚歌」である。アメリカ一辺倒の外交からアジア重視の外交に転換す
  べきである。経済的関係でもアジアはアメリカを凌駕するまでに至っているのだ。靖国について
  も「A級戦犯」を分祀するとか、別の形の戦没者慰霊施設を早期に創設して、行きたいなら毎日
  でも慰霊に参拝すれがいいではないか。世界、特にアジアの戦争被害国が納得する施設にしては
  どうかと思う。
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01.憲法問題 (05.05.03)

     

           
  改憲か護憲か、国論を二分するところである。
  このところ、随分と改憲論議が高まった感がある。自民党はもともと改憲を党是としており、そ
  の主導のもとに進展しているのであろう。但し、護憲勢力も依然健在であり、簡単には改憲には
  至らないであろう。いかに何事も軽軽しく法案を通してしまう小泉さんと言えども、改憲はそう
  簡単にはいかない。九条の重みは、特に東アジア、最近関係が先鋭化している中国や韓国、北朝
  鮮などに与える影響は靖国問題や領土問題とは比較にならないような影響を及ぼす恐れが多大で
  ある。

  出来れば9条は、世界に誇れるものであり、長い将来を見据えたら残すべきであるが、他国の侵
  略は防がねばならないのであるから、自国を守る正式な軍の保持が明言出来るようなものへの改
  憲は必要ではないか
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18.アベノミクスの終焉                        (14.06.01)

→ アベノミクスの終焉




17.リフレーション                        (14.04.07)


  安倍政権の意向を受けて日銀が行っている意図的な通貨膨張策が「リフレ」である。バズーカ砲
  ほどの通貨供給量を増加してインフレ期待観を持たせ、実質金利の低下によって個人消費や設備
  投資を促進させ好況に導こうというもので、アベノミクス政策の一つである。

  リフレ政策は
      「貨幣供給量×流通速度=物価×実質GDP」という貨幣数量式と
      「実質金利=名目金利−期待インフレ率」というフィッシャー方程式
  とから行われるものでデフレ不況下で通貨供給量を増やして、ハイパーインフレになる前に止め
  るというもので、1933年の米国のニューディール政策が有名である。

  しかしながら事はそう簡単には行くものではなく、貨幣の流通速度は滞留しがちで一定ではなく
  実質GDPも変化するため、通貨を増やしてもそのまま物価が上昇するとは限らない。
  また、フィッシャー方程式は名目金利=実質金利+期待インフレ率でもあり、名目金利が一定な
  ら期待インフレ率が高まると実質金利は下がらざるをえず、そのため消費や投資が増えて好況に
  なるとするものだが、株高や円安などの効果はあっても雇用や物価などの実態経済への波及は容
  易ではない。

  消費税率のアップや円安による輸入物価の上昇による物価上昇は確実に進んでいる。更に公
  共料金の値上げ、電気・ガスや医療費、高速料金の値上げは我々を直撃する。特に、年金だ
  けが唯一の収入源である年金生活者にとっては、実質的な消費の削減をするほか逃れる術は
  ない。デフレ下であれば、一定の生活水準を保て更に物価の下落分多くの消費が可能であっ
  たのである。我々年金生活者には緩いデフレは好都合であったのである。
  

  辻元氏はこう言う。
  「日本経済の発展を妨げている問題点は何だろうか。これは主として以下の3つが考えられる。
   (1)エネルギー資源など一次産品の高騰、
   (2)新興国との競争(要素価格均等化圧力、技術優位性の喪失)、
   (3)少子高齢化による国内市場の縮小と生産年齢人口の縮小(政府債務問題、社会保障問題
      を含む)。
   これらの問題を解決しない限り、日本経済の持続的発展は望めないだろう。 
   これらの3つの問題を、リフレで解決できるのだろうか? インフレ期待を起こし実質金利を
   下げる、というが、これは物理的には何もしていないヴァーチャルな操作だ、こうしたヴァー
   チャルな操作で、これら3つの問題が同時に解決することは考えられない。」とする。

   そして日本はすでに先進国の中でも良好な経済状況下にあるのだから、これ以上の経済成長を
   目指す時代は終わったとする。そして次の様に言う。
   「客観的に見て、日本経済の年率1%前後の成長は、人口が減少していることを考慮すると、人
    口が年率1%前後伸びているアメリカと比較して全く遜色がない成長率であり、ユーロ圏が昨
    年に続き、今年もマイナス成長と予想されていることを見ても、全く問題がない。先進国の
    中では非常に良好な経済状況である。

    政府は国民を豊かに出来るのか?
    そもそも、政府が何か政策を打ったからといって国民が豊かになることはあり得ない話だ。
    政府の役割は、義務教育やゴミの収集などの必要な公共サービスを提供することと、富の再
    分配機能である。簡単に言えば、マンションの管理組合のような役割であり、国民を豊かに
    する機能はない。
    金融緩和にしても、物理的にはゼロサムの操作であり、調節機能以上の働きはない。
    実際に小泉内閣時の景気拡大を検討しても、これは小泉構造改革で景気拡大したというより
    も、アメリカもユーロもバブルで輸出が伸びたことによるものであると言えるだろう。
    このように、政府が何か景気対策を打ったために、持続的な景気拡大が実現したという話は、
    今までに一度もない。
    リフレの何が問題か?
    それでも、リフレで株式市場が活況を呈し、それなりに経済成長が加速すれば、それでいい
    じゃないか、という向きもあるだろうが、最近の株価の乱高下を見ても分かるように、期待
    先行で上がった株価を維持するのは難しい。 上に挙げた日本経済の3つの問題は、ちょっと
    やそっとで解決するものではないからだ。

    しかし、本当の問題はもっと先にある。 今般の日銀の大胆な金融緩和の問題点は、金融緩
    和を行っている現在にあるのではなく、将来、金融緩和を止めて、引き締めに入る時点で表
    面化する。 即ち、インフレが実現して、それを抑制する段階で、日銀は大量に抱えた巨額
    の国債を売らなくてはいけない。このときには、当然、国債の表面金利は上がっているわけ
    だから、巨額の損失が発生し、これは国民負担になって跳ね返ってくる。
    それより何より、インフレが実現した段階で、1000兆円に上る政府債務に高い金利が掛かり
    始めることで、政府債務は制御不能になる可能性が高い。

    インフレが実際に起きた場合に生じる問題の大きさは測り知れない。今、デフレを非難して
    いる人たちも、インフレになって政府債務が急膨張をし始めれば、諸悪の根源とこき下ろし
    ていたデフレこそが、財政破綻を防ぐ防波堤だったとデフレを懐かしむことになるだろう。  
    私にはリフレは、狂人の戯言としか思えないのだが、皆さんはどのようにお考えになるだ
    ろうか。」と言う。

   
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  デフレーションは「一般物価水準の継続的下落」と定義されている。

16.デフレーション                        (13.07.07)

  デフレーションは「一般物価水準の継続的下落」と定義されている。

  総需要が総供給を下回ることを起因として発生し、実質利子率と実質賃金の高騰を生み、企業収
  益を圧迫するので、企業活動は停滞し、失業は増大する。また企業も消費者もリスクを避け、消
  費や投資も伸びない悪循環で経済の活力が落ちる・・・などと説明されている。

  また、デフレ下でも賃金は急に下げにくいので、企業はリストラを進め、非正規雇用や失業が増
  えるなど、若者や経済的弱者を長期に渡って苦しめる結果となり、経済の成長を阻むので大方の
  経済学者は解決すべき事項とする。個々人では、デフレによって好影響を享受するものがいる一
  方、社会全体では一般に悪影響が大きいとされている。

  しかしながら、僕などのような固定的収入の年金生活者にとっては、収入増は無いのであるから
  デフレによる「実質所得の増加」は歓迎すべき事柄である。インフレによって物価が高騰すれば
  「実質所得の減少」は避けられず、消費を極力避けたり切り詰めざるを得ないのである。かって
  羽田内閣(1994年4月〜同6月)の時、「物価低下による実質所得倍増」をスローガンに掲げよう
  としたが、価格低下と経済成長は両立せず所得の増加は出来ないとの経済原理を理由に実施には
  至らなかった。

  だから「アベノミクス」はデフレからの脱却を最優先する。そのために日銀総裁を大胆な金融緩
  和論者に替え、歯止めなき財政支出を行い、三本目の矢として民間投資を喚起する成長戦略を行
  うという。インフレターゲットさえ設けて何が何でも物価を押し上げるのだ張り切っている。
  
  だが、一寸待って欲しい。東日本震災復興予算財源としての増税、消費税増税、そして政策的な
  物価上昇まで行うとなれば、われら収入を増やす方法を持たない年金生活者はどうなるのであろ
  うか。確実に実質所得は減っていくばかりである。年金生活者でも、定年後あちらこちらを渡り
  歩いてその都度退職金等を貰っているお役人や大手企業の方はいざ知らず、雀の涙ほどの退職金
  で追い出された僕のような弱小年金生活者やさらにもっと生活に苦しんでいる者はどうなるのか?

  あながちインフレ歓迎ではなかろう。物やサービスの値段が高い高いと言っていつも愚痴をこぼ
  すのは我ら庶民ではないか?安いに越したことは無いのである。デフレ・スパイラルなどと経済
  学者や大規模企業家が吹聴するのは眉唾ではないのか?・・・と思えて来る。

  経済成長至上主義が本当に必要なのだろうか?成長しなければ雇用も賃金も所得も増えず、税収
  も増えず衰退してしまうのであろうか?そのために凄まじい環境破壊をし、大量の化石燃料を燃
  やして温暖化を進め異常気象を起こし、家族制度を壊して人間を破壊して人は幸せになれるので
  あろうか?効率重視だけの観点で異常な雇用形態を作り上げたり、社会ルールの規制を取り払っ
  て結婚も出来ない若者を大量に作り出し、非人間的な労働環境で労働災害や交通災害を生じさせ
  ていいはずがない。

  この先人口は確実に減少して行くのであれば、国民総所得はそう伸ばさないのでいいのであって
  一人当たり所得が偏重しないで、世界に伍して上位であれば幸福なのではなかろうか?であれば
  インフレターゲットなどと口にしなくともよいのではなかろうか。デフレから脱して管理された
  インフレを目指し経済成長を進めて雇用を増やし、所得を増やして税収入を増やして歳入と歳出
  のプラマリーバランスを取って財政破綻を避けられる等と、政治家は御用学者の入知恵を吹聴す
  るが現実の経済はそうは動かない。インフレはハイパーインフレとなり、人気取りの財政支出は
  歯止めが効かない赤字財政を一層推し進めるだけの施策に陥るだけである。
  
   
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15.国民総所得(GNI : Gross National Incomes)首相的外れ発言   (13年6月)

    

 安倍首相が13年6月5日政府の成長戦略の発表で、「一人当たり国民総所得(GNI)を10年後に現
 在の水準から150万円以上増やす」と宣言したそうです。そしてそのあと、8日の街頭演説ではこう
 も言ったそうです。「10年間で国民の平均の所得を150万円増やす」と、さらに「10年間で平均年
 収を150万円増やす」と。

 経済のイロハをやった方は百も承知でしょうが、
 
 国民総所得(GNI)は国民総生産(GNP: Gross National Product)と同一のものであるが、
 最近は国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)が経済指標として一般に使われる。この
 GDPに「海外からの所得の純受取(海外からの所得の受け入れを加え、海外への所得の支払い
 を差し引いた)」を加えたものがGNIである。日本は近年海外に巨額の投資を行っていて、海
 外からの利子、配当、収益が大きく、GNIがGDPよりも大きくなっていて、このGNIを経
 済指標とするよう政府は提言している。

 安倍首相は「国家戦略特区」を作って2020年までに海外からの対日直接投資残を現在の2倍にし
 日本のGDPを増やす計画だそうだ。しかし街頭演説では一人当たりGNIを150万円増やすと言
 う。GDPは日本の中での経済規模であるが、GNIはそのGDPに日本の外で稼いだものを加え
 外資企業が日本で稼いだものを減じるのであるが、外国での付加価値の方が大きいのでGNIは
 GDPよりも大きくなる。それを人口で割って一人当たりGNIが増えたと言っても、計算上だけ
 の事であって平均年収が150万円増やすこと等には決してならない。2011年の名目GNIは凡そ
 488兆円だが、その内訳の雇用者報酬(給料に相当)は245兆円で約50%しかない。つまり残りの
 半分は企業所得とか減価償却費などであるので、労働分配率を上げるなら兎も角、現状の企業所得
 の中の給与にまわす部分を増やさない限り「10年間で平均年収を150万円増やす」こと等にはなら
 ないのである。企業の内部留保や一部大金持ちに恩恵があることぐらいだろう。

 アベノミクスもこの手のものに他ならず、株価や円為替相場は以前の状態に逆戻りし始めている。
 それでも選挙目当てで、大胆な財政出動や日銀とつるんだ通貨バラマキや法人税減税等によって何
 とか参院選に勝利して、念願の憲法改定、自衛軍の創設等の右傾化政策の実施に向かわんとしてい
 るように思える。しかし、海外特に米国内では覚めた目で日本の右傾化を警戒し始めている。

 参考までに世界のGDPはこのようになっている。(1$=100円で計算して、数字は名目数値)
 世界のGDPランク(2012年)  米国1,570兆円、中国822兆円、日本596兆円、ドイツ340兆円
 一人当たりGDPランク   米国11位、日本13位、中国87位、ドイツ21位
 

 2013年6月15日の毎日新聞で、浜矩子先生は「国民総所得150万円アップ」的外れの首相発言と題し
 て「矢を放つことことが好きな安倍氏だが、的が定まっていず、そのことに気づいていないのか」
 と激しく糾弾している。
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14.アベノミクスの本質   (13.12.12)
 「知性なきアベノミクス」                     13.12
 13年12月9日の毎日新聞の夕刊に経済学者の伊東光晴さんの「アベノミクス批判」を吉井理記者が
 まとめている。伊東さんは「アベノミクス」という幻想に踊らされる社会が我慢出来ないらしい。

 金融機関が持っている国債を日銀が買い取り金融機関のお金を増やし、民間への融資や投資を増や
 して消費を拡大して景気回復とデフレ脱却を図るという三本の矢の一つの「大胆な金融政策」を行
 ったという。しかし現実は全く異なる。

 13年4月で市中に流通していた89兆円と日銀当座預金残高66兆円の合計の155兆円のマネタリーベー
 スが、11月末時点で191兆円(市中流通金89兆円+日銀当座預金残高102兆円)と膨らんだが、増加し
 たのは日銀当座預金残高だけで、市中流通金89兆円は4月の時点と同額で増えておらず、銀行に留ま
 ったままになっている。これは消費、企業活動も低調で新たな融資が出来ていないからである。

 「アベノミクス」による株高や企業業績の好調さが報じられるが、これは株は海外の投機マネーが
 流れ込んだだけであり、好調な業績は海外市場の好況やリストラによるもので、「アベノミクス」
 とは何の関連も無い。

 円安政策の結果、輸入コストの上昇を招き食料品などの物価高を招いただけで、安倍内閣はこの1
 年何もしておらず、国民の不安を高めただけだ。市中に出回るお金が増えれば物価が上がり、資産
 価値も上昇し、消費も増えるという人間の思考を単純化して考える「アベノミクス」は経済学と呼
 べないシロモノである。閉塞感から従来の経済学ではあり得ない暴論を述べているだけである。

 小泉政権は規制緩和で多大の非正規雇用者を生んだが、「アベノミクス」も成長戦略をうたいなが
 らも、需要がないのに規制緩和して競争を激化させるから非正規雇用者は更に増える。原発も早々
 に再稼働を決めており、犠牲になるのは国民である。戦前と同じようなムードに乗ってはだめで、
 知性を磨かなければならない。

 競争や成長の時代が終わったことを自覚し、人口減による市場収縮に備えるしか処方箋はない。住
 宅は既に需要を上回るほどもあるので、これを活用して安価な住宅を供給し、物も十分あるからあ
 くせく働かなく、豊かな時間が過ごせる余暇を増やすべきである。消費税の代わりに付加価値税を
 導入して、貧しい人に負担が掛からずに税収を上げ財政再建をすべきである。

 「アベノミクス」は大企業を潤すが、非正規雇用者を更に増やし消費は一段と冷え込み、異常に増
 発して余ったお金は、投機市場に流れ込み異常な投機社会の来訪をきたす恐れがある。だから「ア
 ベノミクス」はなんとしても食い止めねばならないとする。

 伊東光晴さんの本は、学生時何冊か読んだものだが、上記ほどの激しい方では無かったと思う。そ
 の伊東さんがこうまで「アベノミクス」について批判されるのは少々驚きであるが、最もな言質で
 ある。三本の矢の「機動的な財政政策」は絶対的多数を国会で占めているので無軌道とも思える程
 進められているが、「民間投資を喚起する成長戦略」は殆ど目ぼしいものは見当たらない。これで
 は「大胆な金融政策」を日銀総裁の首を据え変えて行ったとしても、上で伊東さんが言われた通り
 にしかなるまい。

 政治面では、憲法改正への道筋に向けて様々な施策を、強引にそして矢継ぎ早に安倍政権は実施し
 始めた。衣の下の鎧がいよいよ上着を押しのけて表面化しつつある。

..........................................................................................



                                        13.01
  13年1月20日の朝日新聞の経済気象台でコラムニストの山人さんが以下の様に書いている。

 「10年で200兆円の公共投資によって経済を成長させる。公的資金で製造業の工場を買取り、新規
  投資を促す。官民ファンドに政府が投資して競争力強化や中小企業支援を行う。
  こうした不況期に財政支出を拡大したり、企業の投資促成にために政府が環境を準備することは
  経済の一般論としては正しい。しかしバブル崩壊後に政府が同様の政策を行った結果、経営者は
  財政支出や規制緩和に頼り、新技術・新市場の創出に挑戦しなくなり、金融機関は、リスクを取
  った企業成長の支援をやめ、金融緩和による国債価格上昇に収益を依存する萎縮体質になり、国
  の債務は持続不可能な水準に達してしまった。

  大きな政府によるアベノミクスが、このような経済政策のままでは、デフレ脱却と経済再生に期
  待を高めた経営者の失望を招くのはそう遠くはない。」

  個人的には、リーマン・ショックで暴落したままになっていたなけなしの塩漬けの株価が少しだ
  け戻し、ゴルフに2,3回は行けるほどの僅かの利ざやを生んだ銘柄もあり、多少は嬉しいのだ
  がこれとても、「山人」が云うように経営者の失望を招く前に売り抜けないとまた痛い目に遭う
  ことだろう?夏まで持つかどうか?

 
 冗談じゃないぞ「アベノミクス」 (12.12)
 --------------------------------------------------------------------------------------
 ・物価目標を2パーセントに設定し、日銀法の改正も視野に入れて大胆な金融緩和を行う。 
 ・財務省、日本銀行、および民間が参加する外債ファンドを創設し、外債購入の方策を検討する。 
 ・緊急経済対策を断行し、補正予算と新年度予算を合わせて切れ目なく経済政策を実行する。 
 ・「日本経済再生・産業競争力強化法」を制定し製造業の復活を目指す。 
 ・日本の立地競争力低下による産業の海外流出を防ぐため、イノベーション基盤の強化や法人税の
  引き下げなどを行う。 
 ・メタンハイドレートやレアアース泥などの海洋資源の開発に集中投資する。 
 --------------------------------------------------------------------------------------
 「アベノミクス」はおおよそ上記のものを云うとWikipediaに載っている。 

 12年12月28日の朝日朝刊には「もろ刃のアベノミクス」と大きく報じている。公共投資や金融緩
 和で目先の景気を底上げし、円安で輸出を増やして時間を稼ぎながら目標を決めて、集中的に成
 長分野で規制緩和する成長戦略を進めて、新しい産業や市場を作ると云うのである。

 景気を託す「三本の矢」として@積極的な公共事業 A大胆な金融政策 B企業の投資を呼び込
 む成長戦略 をあげている。しかし課題は、時間稼ぎの間に成長戦略が乗軌化するかであり、失
 敗すれば国の借金だけが更に膨張し、過度のインフレに陥る恐れがあると解説している。


 株式市場での金融緩和による円安関連株や、公共事業を見越した建設関連株の高騰が生じている
 ことを、早くもその成果が出たなどと自慢げに話す者もいる。しかし、いかにも経済政策を急ぐ
 訳は、夏の参院戦や消費税上げの対策であり、選挙に勝って衆参で安定した議席を確保し、消費
 税Upさえ叶えば、あとは好きな様に政治を進められると目論んでいるとしか思えない。憲法改
 正による「美しい国」実現が本当のやりたい事なのだろう。

 しかし、我が細々とした年金暮らしの身になって考えると、インフレ、増税、いづれもが生活を
 脅かすものであり、減らされる一方の年金だけが便りの身では、更に倹約した生活を強いられる
 ものである。物価は2%、消費税も3〜5%も上げられるとそれは即消費を切り詰めるしかない
 のである。医療費負担も早くも2割負担を公言する閣僚もいるが、更に厳しい生活になるだろう。

 1991年3月からの経済停滞、失われた20年は、間違った経済政策故に生じたとする説がある。
 デフレ不況だと云うのである。受給ギャップで需要が不足しているのに、財政健全化とか構造改
 革と称して不十分な政府支出しか行われず、スパイラル的に景気が悪化したとする説である。デ
 フレはインフレに比べて決して起こしてはならず、生産が減少し、雇用も減少し、景気が後退し
 失われた年月となるとするものである。確かに、ケインズ政策もニューディール政策も政府の役
 割を増して、つまり大きな政府のもとに成功したのではある。
 
 中野剛志(新エネルギー・産業技術総合開発機構)は以下の表の様に主張する。
 

  従って、失われた20年の間に行われた政策は、経済に対しては正反対なものであって、デフレ
  を助長し経済を縮小・停滞せしめるものであったと云う。そして日本の様に国債の90%を自国で
  所有している限り国家破綻など起こりえず、デフレ克服には積極的な財政出動をするべきだと云
  う。
  
  アベ政権はまさかこうした意見を鵜呑みにした訳ではなかろうが、1000兆円を越える国債を抱え
  その利払いだけで経常支出の相当の割合(平成23年度で23.3%)を割かねば成らない国家財政が
  更にその比率を高めてよいものだろうか?まさか大インフレを起こして、その比率の縮小を期す
  るなんて計算してなんていないでしょうな!
  
  山田方谷の云う「天下の事を 制する者は 事の外に立ちて 事の内に屈せず」となさねば、更にこ
  の国は混迷を深めるだけにならないだろうか。戦後55年体制下で政府自民党は悉く「事の内」の
  政治を推し進めてきて、今日の惨状を招き、今次選挙で大勝したことをいいことに、またぞろ先
  祖帰りをした政治を進めてはならないのである。
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13.山田方谷「理財論」に学べ                       12年12月
     

    義を明らかにして
    利を計らず
                                    
    それ善く
    天下の事を
    制する者は
    事の外に立ちて
    事の内に屈せず
 
  
  
  

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   NHKの大河ドラマ「雲中の飛龍・山田方谷」放送の要望  
 100万人署名活動をやっています。「山田方谷マニアックス」からご署名をお願いします。
 <昭和39年高梁高等学校卒業生の「雲中の飛龍 山田方谷」実現を求める全国100万人署名運動
  の呼びかけ人としてお願いします>  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

 自民党が12年12月の総選挙で大幅に議席を伸ばし、組閣前から大風呂敷を広げている。自民294、
 公明31を足すと325議席となって、参議院で法案が否決されても衆議院で再可決すれば法案は成立
 する320議席以上を獲得したのである。こうなると”ねじれ”も役立たず自民・公明の思うがまま
 に法案を多少の抵抗はあっても通す事が出来るのである。自民党は大敗した前回の総選挙時よりも
 得票数が減ったにも拘わらずこうした結果になるということは、選挙制度に問題があるからだ。

 そこで早速、自民の立党の基本理念である憲法改正を目論見始めた。自衛隊を"自衛軍"に改名して
 名実ともに日本の再軍備化の準備に入った。集団的自衛権を堂々と行使し、隣国との領土紛争にそ
 れら軍を出動させて中国、朝鮮との戦闘も辞さずの構えである。憲法を改正し、九条第二項の「交
 戦権」を盛ると安倍総裁は断言した。交戦権の無い軍隊など確かに無意味なものであるからだろう。
 岸、佐藤、そして父君のなし得なかった悲願達成が叶うと上ずった声で断じていた。米国の日本統
 治のための憲法を改正して我が国独自の自主憲法を制定するという悲願達成にやっとたどり着ける
 と云うことなのだろう。

 しかし、戦後70年近くもこの与えられた「平和憲法」の元、日本の軍隊が他国の人を一人たりとも
 殺す事の無かった事実は、世界の中での日本のプレゼンスからしてみると驚異の事実である。戦後
 生まれの僕にとっては、それが当たり前の事だったのである。戦後の昭和29年生まれの安倍晋三に
 とっても当たり前の事だったはずであるが、安倍寛、岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎、岸信夫等の
 政治家一族に生まれ、成蹊大学を出て南カルフォルニア大学で政治学を少し齧った後中退して帰国
 して神戸製鋼に3年務めたあと父安倍晋三の秘書を経て、父の急死のあと山口の父の地盤を継いで
 政治家になった彼は、次第に国家主義的考えに向かったのだろう。
 
 そして経済政策である。赤字国債を発行して大型補正予算を組んで「列島強靭化」と称し、かって
 自民党が得意とした公共工事を全国各地でバラマキ、金融面では政府の言いなりになる日銀総裁を
 選任して超緩和金融政策として大量の日銀券を市中にバラマいてハイパー・インフレをも誘発しか
 ねない金融政策に着手するらしい。(あのアベノミクスは勘弁願いたいものだ)

 また、あの経済財政諮問会議を復活させて、政府に都合の良い御用学者や財界のトップの意見のみ
 を取り入れて限られた政治家が各役所に指示する方針らしい。あの小泉政権時の竹中的市場原理的
 経済政策が復活するらしい。市場原理万能を信奉する政策は、市場原理で勝ち抜いた者には心地良
 い世界であろうが、落ちこぼれた者には地獄である。敗者、弱者を救済出来る社会体制を整えない
 でこうした施策を進めてなんとする。

 大量の非正規社員や低所得層を生み出し、経済弱者を多く輩出して何の政治であるか?どれだけ世
 の中が荒み、でれだけ多くの自殺者が出たことだろうか。バス交通事故の惨事やタクシー業界の混
 乱など無秩序な規制緩和が因縁で生じたものがなんと多い事か。少々話が横に逸れた、元に戻そう。

 今こそ先人の知恵を借りるときなのである。
 上杉鷹山を凌ぐと言われた「山田方谷」のこの言葉を噛み締める時である。

   それ善く 天下の事を 制する者は
   事の外に立ちて
   事の内に屈せず

 PHPに載っていた山田方谷の「理財論」の一部を紹介すると以下の如くである。
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 為政者は全般を見通す識見を持って大局的立場に立て。一事に係らわって全般を見落とすな。
 財政改革といえば、財政の窮乏という、数字の増減、即ち収入の増加と支出の削減をいかにするか
 ということのみにとらわれてしまい、その他のこと(哲学)は財政再建の名のもとに片隅に追いや
 られてしまいがちになる。

 風紀やモラルが荒廃し、教育水準が低下し、社会が閉塞した状態では、いくら財政のそろばん勘定
 があっていても長続きはしない。
 あとで大きな反動が返ってきて、前よりも一層悪い状態に陥ってしまう。

 厳しい倹約と緊縮財政だけでは、経済が、社会が萎縮してしまう。額に汗して働く国民が報われ、
 豊かになるよう、いかにして経済に社会に活力を与えていくかということに心を砕かなければいけ
 ない。つまり、国民を富ませ、幸福にさせ、活力のある社会をつくることが必要なのである。

 国民の立場に立って財政・税制等の社会制度を考えるということである。そうすれば、自然と財政
 は豊かになる。


 第一に、財政改革や事業の再生のためには、「財の内」に屈せず「財の外」に立って、理財の枝葉
 に走らず、金銭の増減のみにこだわらないことが必要であるとしている。
 方谷は、藩の財政について次のように指摘している。

 理財の制度・方策は綿密度を増し、歳出削減の努力も10年を超える期間で実施している。しかし、
 藩の困窮は深刻化する一方であり、借財も増加する一途である。
 その理由は何か。知識・方策・綿密度が足りないのではない。平穏と安易な中で、財務の困窮だけ
 に心配事を集中し、必要な施策を放置してしまったためである。風俗が軽薄化し、汚職が広がり、
 文教が荒れ、庶民の生活が困窮しても施策を講じない。なぜならば、財政当事者は「財源がないの
 で、手が及ばない」と主張する。国政の基本が乱れているのでは、いくら金銭の増減にこだわって
 も財政は再生されない。理財のテクニックの高度化が困窮度を深める。理財にのみ走る政治家は、
 こまごまと理財のことばかりに気をつかい、国の困窮・衰亡を招いてしまう。財政改革には、超然
 と財の外に立って、経国(国の経営)を確立しなければならない。

 方谷が指摘したことは、数値コントロールに依存し矮小化された今日の財政構造改革の問題点その
 ものである。今日の利益誘導型の政治家や官僚は、「財の内」の存在となっている。少なくとも財
 政構造改革を推し進めるには、リーダーシップを取るべき政治家がマッチポンプ型の利益誘導から
 脱却し、「財の外」に位置することが必要である。
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 まさに先人に学ぶべしではないか?
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12.TPPを再考する                      2011年11月
  TPP(環太平洋戦略的経済連携協定 Trans-Pacific Partnership)への参加/非参加を巡って
  議論が白熱化してきた。

  「日本は貿易による所が大きい国なのだから、国際的な潮流に乗るしか生き残る道はないのであ
  る。」と乏しい知識で思っていたが、再度考えてみる。tpp

  1776年にイギリスの古典派経済学者のアダム・スミスが『国富論』で唱えた "laissez-faire(自
  由放任主義)"を起源とする市場原理主義は、競争原理の導入によって社会の効率化を図り、淘
  汰によっていいものを残していくという考え方である。動植物の世界でも優れた遺伝子を残して
  種の保存を図ろうとする営みとして行われている事はご承知の通りである。

  しかしながら、これが行き過ぎると富の偏在を招き、社会に経済格差が広まり経済は行き詰っ
  て大不況に陥り恐慌や戦争に襲われる。これを救ったのが、やはりイギリスの「雇用・利子お
  よび貨幣の一般理論」(1936年)を著したケインズである。彼は『自由放任の終焉』(1926年)
  によって自由放任主義からの脱却を主張した。

  自由競争に任せておけば、見えざる神の手によって全ては効率的で良いものだけが残るという市
  場原理主義は、短期的には小泉改革に象徴されるように国際競争力や企業業績の一時的回復、向
  上を齎したものの、格差の拡大を助長せしめてしまった他に、次のような社会が成り立って行く
  うえでの必要不可欠な要素をも壊してしまいつつある。

  それは伝統や文化などの非経済的側面や、長期的観点での経営資源の運用や知的財産に対する評
  価は蔑ろにされ、農村や地方、非生産的人々への苛烈な施策となってしまった。社会が成り立っ
  ていくための根源的要素さえも奪ってしまったのである。

  TPPは、もともと2006年5月にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国加盟
  で発効した経済連携協定であったし、その理念は太平洋を囲む国々が関税のない自由貿易をして、
  経済発展を図ろうとするもので問題は無かった。しかし米国が入ってきて、米国の利益の最大化
  を図るためにその理念を利用しようとする所に問題がある。
  農、工業製品の自由貿易の他に、金融・投資、サービス、政府調達等についても例外無い自由化
  を行うもので、医療や訴訟などについても米国の巨大資本の参入が予想されている。工業製品の
  の恩恵は高くはなく、農産物については相当程度の影響が予想される。サクランボやオレ
  ンジ、牛肉は今でも38.5%、バターの関税は360%小麦の関税は252%
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11.TPP(環太平洋戦略的経済連携協定 Trans-Pacific Partnership)    (11.10.16)
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  TPPは2006年5月にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国加盟で発効した
  経済連携協定。2010年10月よりアメリカ主導の下に急速に推進された。現在アメリカ、オースト
  ラリア、ベトナム、ペルー、マレーシアの9カ国が参加表明している。日本はまだ参加表明はし
  ていない。農業などは関税撤廃により壊滅すると絶対反対の立場であるが、経団連等は工業製品
  輸出促進のため参加すべしとの立場である。
  要するに太平洋を囲む国々が関税のない自由貿易をして、経済発展を図ろうとするもので、決し
  後ろ向きの協定ではなかろう。
  ....................................................................................

  このTPPは2015年までに加盟国間の貿易において、工業品、農業品、知的財産権、労働規制、
  金融、医療サービスなどをはじめ、全品目の関税を10年以内に例外を認めない全面撤廃すること
  により、貿易自由化の実現を目指している。
  
  日本を加えた構成国のGDPは米国と日本の2カ国で全体の9割以上になることから、実質は日
  米FTA(自由貿易協定)であるとの見方もある。(中国、韓国は加わっていない)

  しかし、韓国が米国との間でFTAを11年10月に締結したことで、産業界には韓国の躍進を危惧
  し、TPPへの乗り遅れを懸念する声が上がっている。韓国はEUとも11年7月にFTA協定を
  結んでいて、貿易関連業界から日本の遅れを指摘する声が多い。ウオン安、円高で日本製品に対
  して優位な立場にある韓国製品による世界市場への進出は確かに目覚しい。
  WTOの統計では韓国の2010年の世界輸出高が3,640億ドルで世界9位になった。FTA戦略により韓
  国が日本の輸出高を抜くのは時間の問題だろう。

   世界輸出額<WTO 2010年 単位:億ドル>
   1位 中国  1兆2,020 億ドル
   2位 ドイツ 1兆1,210 
   3位 米国  1兆570
   4位 日本  5,810
   5位 オランダ4,990
  ただ、韓国国内では農業分野等でFTA協定による弊害を訴える声も多く報道されている。

  日本では、以下のような危惧がされている。
   ・農業  →競争力の弱い米、畜産は大打撃
   ・政府調達→公共工事が海外企業に奪われ、更に地方が疲弊
   ・医療  →営利企業が参入して、医療サービス格差が生じる
   ・労働  →単純労働者が入ってきて仕事を奪われる

  11.10.16朝日の社説では、『農業、労働、環境、食品安全の分野が対象になり、「国民の生活を
  守る」という大義名分の影に、関連業界の既得権益擁護の狙いがないか見極めよとする。少子高
  齢化で国内市場が縮小しつつある中で、成長の期待できるアジア太平洋地域との経済連携を深め
  る為には、日本が置かれている立場を大局的視点で捉えて推進すべしとのの考えである。とりわ
  けEUや米国とFTAを推進する決断をした韓国の戦略と実行力に学べ』とする。

  東日本地震復興や原発事故救済や、そして天文学的数字の国の財政赤字のために、この国をどう
  運営していくのか国政の課題は山積されている。そして近い将来確実に起きる南海、東南海、東
  海、首都直下地震や津波への備えも緊急課題であるはずである。もしそれらが連動して同時発生
  しようものなら、東日本震災を何倍も上回る被害が出ることは確実で、それこそ日本存亡の危機
  となりうるのである。小沢某の裁判の行方とか、自民、民主の政局争い等に明け暮れている余裕
  はなくて、まさに大局的見地から政治決断をもって望まなければ、世界の中で日本は沈没してし
  まうのではなかろうか。

  また、FTAを米国は経済的な発展や軍事的拡張を続ける中国に対して、その台頭を牽制する政
  治的な思惑も持っている。中国は今や世界輸出額が世界一の規模に達し、GDPも世界二位であ
  る他、軍備面でも空母を持ったり、単独宇宙開発にも乗り出して来ているから、日本を含む東南
  アジア諸国を巻き込んでなんとか中国を牽制したいのであろう。
  
  日本は貿易による所が大きい国なのだから、国際的な潮流に乗るしか生き残る道はないのである。
  
  

  但し、以下のようにTPPへの参加を危惧する声について、真摯に耳を傾けて判断しても遅くは
  ない。
   JAcom寄稿 「宇沢弘文氏の意見」

   「TPPを考える国民会議」の意見 → この頁の最初に戻る → HPの最初に戻る





















10.欧州金融安定化基金(EFSF)    (11.10.12)

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  EFSFは、"European Financial Stability Facility"の略で、日本語では「欧州金融安定基
  金」。2010年5月のギリシャ危機を踏まえて、EU(欧州連合)の27の加盟国によって合意された
  ユーロ圏諸国の経済救済を目的とした基金。2011.10月現在4400億ユーロの規模であるがギリシ
  ャ危機が一向に改善されないので7800億ユーロ(46兆円)規模への拡充を図っている。
  ....................................................................................

  民主主義の建前から、ユーロ圏17カ国全ての合意がないとEFSFの拡充は出来ないことになっ
  ていて、ドイツの1/30にも満たない小国スロバキアが欧州危機回避の命運を握っている。そのス
  ロバキアの国会がこのEFSFを10月11日に否決してしまった。

  EUが小国スロバキアの抵抗デ揺れている。スロバキアは2004年にEUに加盟し2009年からユー
  ロを導入した国で、人口は543万人、GDPは875億ドル(6.7兆円)の小国であり、地図からも
  判る通り山国である。
  かってはチェコスロバキアで、工業国のイメージがあるが、分離独立したチェコは工業が盛んだ
  がスロバキアは農業国で、鉱業国であった。近年工業化を進めている。
  
  

 スロバキア(旅行のHPより)

  EU加盟国は27カ国だが、そのうちユーロを利用しているのは17カ国である。当初は欧州はこれ
  で米国やアジア経済圏に対抗出来る経済規模になったかに見えたが、EU各国の利害関係が複雑
  で一枚岩ではなかった。総じて北欧は勤勉であるが、南欧は民族的特質なのだろうか享楽的であ
  る。それがEUで政治的に、そしてユーロで経済的に統合されるのはやはり無理があった。
  今回のギリシャ危機にしても、経済的に破綻しているのだから、国家的に一旦破綻処理をしてす
  べて精算して生活レベルも落して再出発すべきである。そうすれば安い生産物やサービスが提供
  出来て貿易や観光も再生出来るのである。
  それを、もともと勤労意欲が無く、加盟国からの借金で国家財政を運営しているような国がいつ
  までも継続する訳がないのである。EUがあまりにも枠を広げすぎたのである。

  スロバキアの与党は再度議決を図り、なんとしてもEFSFを通す構えで、多分可決されるだろ
  う。これで当面の経済危機は乗越えられたとしても、根源的解決には決して至らないのである。
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09.円高 (10.10.18)

   このところ一段と円高が進んでいる。1ドル=80円に近づいていて、70円台も窺う様子である。
  政府、日銀は円高阻止に躍起になっているが、市場の趨勢は円高であり留まるところを知らない。

   2010年10月15日の時事通信によると「菅直人首相は15日の閣僚懇談会で、急激な円高の進行に
  ついて「極めて行き過ぎたもので、何とか短期(的に)でも食い止めなくてはいけない」と述べ、
  必要に応じて為替介入に踏み切る可能性を示唆した。前原誠司外相が同日夜の記者会見で明らか
  にした。首相は中長期的視点に立った円高対策の検討も指示したという。」との報道がある。 

   たしかに急激な円高、それも世界中を駆巡っている投機筋の80兆円にも登るハゲタカ共に対処
  するには、様々な混乱を生じせしめるだろうから、それ相応の円高対策が確かに必要であろう。



   同志社大教授の浜 矩子さんによると、(2010年10月号文芸春秋)

  1.日本はデフレが止まらず、成長率も低く、失業率も下がっていない。財政赤字も膨大で国の
    借金は900兆円を超えた。日本経済のどこにも円が買われる材料はない。

  2.にもかかわらず、円がドルやユーロに対して独歩高になっているのは、60年以上続いてきた
    世界経済の戦後型秩序がついに崩れつつあるからだ。

  3.現在の円高は、急速な「ドル安」により起きている。

  4.戦後の米国経済は海外からの膨大な借金(投資)で貿易赤字の問題を覆い隠し、借金をテコ
    に国内消費を支えていたので「粉飾経済」に似た状態を続けていたのだが、その化けの皮が
    剥げはじめた証として今日のドル独歩安となっている。

  5.ドルの値打ちは、米国経済の実力に見合うレベルにいずれ下落するのが当然であり、どの辺
    りが適正な水準かといえば「1ドル=50円」がいいところだろう。

  6.こうした状況で、円高を防ごうとして、日銀がドル買い円売りの市場介入をしても、グロー
    バル時代の巨大な為替取引の規模を考えれば効果はほとんどない。日銀の政策金利は既に0.1%
    にまで低下しているので更なる金融緩和の手立ても効果もない。

  7.重要なのは円高回避ではなくドルが暴落し「1ドル=50円」となっても困らない対応策を考え
    ることであり、その姿勢がないと日本は行き詰る。

  8.必然であるドル暴落に対抗して世界各国が保護主義や通貨切り下げに走るなら、世界大恐慌が
    再来し第三次世界大戦となる恐れもある。
    


   浜先生はもし「1ドル=50円」となってもうまく変身していけば日本経済は生き残れるとして、華
  僑的な方法もあるのではないかと提言している。まあ、華僑的な方法はどうかとして、「1ドル=50
  円」ならドル建ての輸入品は随分安くなるはずで、海外旅行も随分恩恵を受けることになろう。も
  っともそうなるとドルが基軸通貨としては通用しなくなるだろうし、石油代金もユーロとか他の決
  済を求められるのであろう。


  

   円高と言えば直ぐに貿易依存度が頭をよぎることでしょう、誰しも。
  「第一生命経済研究所のレポート」は円高を以下の様に見ている。


  ○ 足下の経済環境の悪化は、輸出の急減を通じて日本経済を大きく停滞させることになった。し
    かし、輸出依存度や貿易依存度を国際比較すると、先進国の中では日本はむしろ低い方である。

  ○ 貿易依存度が低いにもかかわらず、世界的な不況の影響を強く受けた原因の1つは、輸出と輸
    入の伸び率の乖離にある。つまり、2002 年以降の景気拡張期に輸出が伸びる一方で、輸入の
       伸びが相対的に小さかったため、外需の成長率への寄与が大きくなった。しかし、今回の世界
       的な景気急減速で輸入に比べて輸出が大きく減少したため、外需要因はGDP を大きく引き下げ
       た。
       それに対して、ドイツ、アメリカなどは輸出入が同調して動いているため、輸出入が同時に縮
       小し、影響が相殺されることから、外需要因の悪影響は日本に比べて小さい。
       
    ○ 貿易財の構成では、ドイツは産業内貿易が活発であるのに対して、日本は特定の産業に特化し
       ている特徴が見られる。ドイツの周囲にはEU を形成し経済の発展段階が近いフランス、イギ
       リスなど生産・消費構造が類似している国が存在し、産業内貿易を拡大させている。しかし、
       日本は周囲のアジアと発展段階が異なり、生産・消費構造に相違点が多くある。そうした中、
       競争力の高さも背景に、輸送用機械・電気機械などは輸出超過となっている。一方、農林水産
       品・鉱産品は国内の供給能力が十分ではなく、輸入に依存せざるを得ない。このため、産業内
       貿易が相対的に不活発になり、特定の産業に集約する貿易構造になっている。
       
    ○ このような貿易・産業構造が、今回の世界的不況において日本経済の落ち込みを特に大きくさ
       せた。今後も、電気機械、輸送用機械など輸出型産業が日本経済の牽引役と期待されることに
       変わりないが、周辺国の発展段階に従って生産拠点の海外移転は続くと考えられる。したがっ
       て、こうした外需型産業以外にも内需型産業の強化や新たな産業の育成など、長期的な視点に
       立脚した産業政策の拡充と早期の実施が求められる。


      2010/09/08「日経新聞〜大機小機」は「円高をどうみるか」でこう述べている。
   円ドル相場が1ドル=79円台を付けた1995年以来の円高水準となっている。これをどのように
  みればよいのだろうか。

   2つの見方がある。1つはあまりにも円高が急速であり、立ち直りかけている輸出を抑え、景況
  を失速させかねない、政府・日銀は早く対応策を講ずるべきだ、というものだ。これが大勢であ
  ろう。

   もうひとつ有力な見解がある。日本の輸出の国際競争力を見るのに適しているといわれる実質
  実効為替レートでみると、水準は95年当時を大幅に下回っており、大騒ぎすべきではないという
  考え方である。理屈でいえば、輸出対象国の通貨に対する円の実質可価値を表した実質実効為替
  レートで判断すべきであろう。ただ次の点を考慮すべきではないか。

   第1は、実効為替レートは輸出対象国の通貨と円との交換レートを基準にしているが、日本の輸
  出の半分はドル建てで行われていることである。たとえばアジア地域向け輸出の49.9%(今年上半
  期)は米ドル建てである。したがって米ドルに対しての円高というのはやはり日本の輸出に影響し
  てくるのではないだろうか。

   これと関連して第2の点は、日本経済の貿易依存度が大きく高まっていることである。95年当時
  は日本の貿易依存度は20%台だったが、リーマン・ショック前には30%を超えた。円高が輸出減少に
  つながると、影響は大きいと覚悟すべきであろう。

   それでは今後をどうみるか。15年前の円高は、円・ドルベースでみても実質実効為替レートでみ
  ても大幅な円高だった。これはただちに経常収支黒字の縮小につながった。その結果、円相場はそ
  の後、急速に円安の方向に修正されていった。

   今後をみるポイントは、貯蓄・投資バランスである。今年度、財政赤字は急速に膨らむ。一方で
  家計の貯蓄率は国内総生産(GDP)ベースでみると、90年代半ばから急速に低下し、今や5%を大きく
  割って米国とあまり変わらない水準にまで下がっている。

   一方で企業部門の貯蓄が増加し、日本経済全体としては貯蓄超過であり、したがって経常収支黒
  字を維持しているというのが現状である。

   こうみると現在の円レートは微妙なバランスのうえにある。中期でみると、今は円高の最終段階
  にあるようにも思えるのだが。
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08.ロハス (10.07.19)

  

   よく”ロハスな生活”をする等という。
  ロハス(LOHAS)とは「Lifestyles Of Health And Sustainability」のことであり、
  ・健康と持続可能性のライフスタイル
  ・健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイル
  ・健康と環境を志向するライフスタイル
  などと訳されている。
  転じて、
  ・ココロとカラダ、地球にやさしいライフスタイル
  などともいう。

  「健康や・環境やエコ関連の商品やサービスをロハスと呼んだり、自分の価値基準を持ち、知恵
   や情報をバランスよく取り入れて自分にも社会にもよい暮らしを実現しよう」とするのが多分
    ロハス的なのだろう。

   ロハスな生活の一部として「全国地球温暖化防止活動推進センター」が推進している家庭でで
  きる取り組み10項目は以下の通りだ。
   
  1.  冷房の温度を1°高く、暖房の温度を1°低く設定する
  2.  週2日、往復8キロの車の運転をやめる
    3.  1日5分のアイドリングストップ
    4.  待機電力を50%削減する
    5.  シャワーを1日1分、家族全員が減らす
    6.  風呂の残り湯を洗濯に使いまわす
    7.  ジャーの保温を止める
    8.  家族が同じ部屋でだんらんし、暖房と照明の利用を2割減らす
    9.  買い物袋を持ち歩き、省包装の野菜を選ぶ
    10. 1日1時間テレビ利用を減らす

   無論、「健康と環境を志向するライフスタイル」実践にはまだまだ他に沢山あるだろうけれど
  も、これくらいなら一つでも二つでも出来るだろう。


   小見山 宏さん(前東大総長で、現三菱総研理事長)の話によると、
  家庭での対策では、二重窓または二重ガラスや家屋の断熱の効果が大きいそうだ。また冷蔵庫や
  冷暖房機器、照明機器等の省エネ型への買い替えは積極的に進めるべきだといわれる。まだ使え
  るからと云ってエネルギー効率の低いものをいつまでも使うのは損なのだそうだ。”もったいな
  い”の解釈を間違えていて、資源循環システムが出来上がっているからトータルで考えると、す
  こしも”もったいない”などないそうだ。むしろコスト的にも買い換えた方が有利なそうである。

   車も、日本車は燃費が良くて、今でも欧米のものに比べて同じ重量で20%もエネルギー消費が少
  ないそうである。ハイブリッド車ならさらに半分、電気自動車、燃料電池車なら、さらに半分に
  なると小見山さんは仰る。


   最新型のプリウスの燃費は38kmで、11年末発売予定のコンパクトHV車の燃費は43km程度になる
  らしい。現行のハイブリッド車は「ニッケル水素電池」を搭載しているがプリウスのプラグイン
    ・ハイブリッド車(プラグから充電)は「リチウムイオン電池」を搭載していて、57kmもの燃費
  が出せるらしい。欧州ではディーゼルエンジンが改良されて乗用車の主流となっている。燃費が
  良くて馬力があり、クリーンな排気ガスとなったからだという。では、このディーゼルとプラグ
  イン・ハイブリッドの組み合わせで、カーボンナノファイバーで車重を半分程度にすると、多分
  燃費100km程度の車が多分出て来ることだろう。遠くない将来に。

   LOHASの"S"はSustainabilityの"S"であり、持続的発展性/持続可能性のことである。
  この「時事話題」の「07.サステナビリティ(sustainability)は可能か?」に載せているので
  参照されたい。 
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07.サステナビリティ(sustainability)は可能か?  (10.07.17)

   サステナビリティ(sustainability)は Sustainable development(持続的発展性)と1987年に
  国連報告書の中に示された定義された。

  “Sustainable development is that which meets all the needs of the present without
    compromising the ability of future generations to meet their own needs.” 
      (The U.N. Brundtland Commission 1987)
      
  “将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現世代のニーズを満たすような開発”
   (国連ブルントランド委員会1987)

   しかし、そんなにうまい話があるはずがなく、言うは易しいが実行は至難だ。いやもう不可能
  と言ってもいい。産業革命を契機に化石燃料を大量に利用するようになってからは、サステイナ
  ブルでない状態に世界は突入してしまったのである。

   もともとは、水産資源を再生可能な状態に保つよう、漁獲制限をしたのがこのサステナビリテ
  ィ活動の発端であったが、今は人類の活動全般に渡っている。とりわけ環境、エネルギーについ
  てサステナビリティに行動しなければならないと、広く認識されるようになった。
   
   豊かな社会実現には経済活動の発展は必要であり、環境の保護も重要である。そこでこの二律
  背する事柄に折り合いを付けるためには、環境に悪い影響を与えない経済活動を行うべきであり
  そのために企業にCSR(corporate social responsibility)が求められるようになった。




   持続可能性とか持続的発展性と訳される”サステナビリティ”が各所で盛んに論じられている。
  現在のような人間の活動を続けていて、将来に渡ってそれらが持続できるかが問われている。特
  に環境問題やエネルギー問題について深刻な状況が予想されるからである。

   今や世界中の政治家も経済人も全てがこぞって経済の発展、拡大、成長ばかりを追及している。
  経済成長さえ出来れば、全ての事柄が解決され、皆が幸せになると声高に一様に叫ぶ。日本の総
  理大臣も経済成長すれば財政再建が出来るという。

      国連でもアナン前事務総長が提唱した「グローバル・コンパクト(GLOBAL COMPACT)」は、人権
    や環境等を守ることの原則を定め、企業のリーダーに対して持続可能な市場の発展に貢献するよ
    う呼びかけている。この国連グローバル・コンパクトは1999年1月31日に開かれた世界経済フォー
    ラムの席上で提唱されたもので、すでに10年が経過した。

   でも限られた大きさの地球上で、経済成長が永遠に続けられることはありえないだろう。環境
  は破壊され、エネルギー資源は枯渇し、異常気候が常態化するなど人類にとって幸せな未来は期
  待出来ない。だから上記の様な国連グローバル・コンパクトが提唱され、それを実践する企業等
  も数多く出て来ている。

  



   2010年7月13日有楽町朝日ホールで開催された「企業市民フォーラム2010(グローバル社会の発
  展と日本の役割)」に行ってきた。 (→詳細は朝日新聞10月7日31日 朝刊参照)

   基調講演で小宮山 宏さんの話が印象に残った。小宮山さんは前東大総長で、現在は三菱総研
  の理事長をされている。低炭素社会の実現を提言し、実行する時だと主張する。小宮山さんは人
  工物は飽和するという。車は2人に一台で飽和し、住宅も、セメントの使用量もある一定の点で
  飽和し、その後は増えないという。先進国はどこも飽和状態にあり、中国も5〜10年で飽和状態に
  なり、インド、アフリカもいづれそうなるだろうという。

   低炭素社会の実現には、電気の使い道の振り分けが重要で、日本では「ものづくり」に46%、そ
  して「日々の暮らし」に55%使っていて、前者は既に相当に絞り込んでいるので後者で削減するべ
  きであるとする。家庭の冷暖房、照明、冷蔵庫といった骨太のところで減らす技術をすでに日本は
  持っているので十分やれると訴える。10年前の製品に比べて大幅なエネルギー削減が出来る製品が
  売られている。もったいないから買い替えを控えるのではなく、エネルギー削減の観点から買い換
  えるべきであり、結果コスト的にもその方が有利なのだとする。
   
   そのためには
   ・エネルギー効率を3倍
   ・再生可能エネルギーを2倍(非化石エネルギー、原子力を含む)
   ・物質循環システムの構築

  以上の3点を実行すれば、人工物が飽和している社会では循環により低炭素社会は実現出来るとい
  う。日本はその技術で世界最先端にいて、世界をリードし得る立場であるとする。主催する「低炭
  素社会戦略センター」で実現可能な回答を示していくという。


   1992年、12歳で日系カナダ人のセヴァン・カリス・スズキ(Severn Cullis-Suzuki)は、リオデジ
  ャネイロの環境サミットに、子どもの環境団体の代表として参加し、子どもの視点からの環境問題
  について講演を行った。見事にサステナビリティの本質を衝いていて、後に、「リオの伝説のスピ
  ーチ」として世界中で絶賛された。

  


  その全文

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   こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運
  動です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。
  あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をた
  めて、カナダからブラジルまで6千マイルの旅をして来ました。 

   今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身
  の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうん
  ですから。 

   私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ
  子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちの
  ためです。 
   太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空
  気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前
  に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していく
  のを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。 

   私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャング
  ルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのでは
  ないか?あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことがありますか。 
   こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだ
  まだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をした
  らいいのかはっきりわかりません。でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。あなたがたもよ
  い解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなた
  は知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶
  滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となっ
  てしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。 
  どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。 

   ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治
  家かもしれない。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄
  弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。 
   私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っていま
  す。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。国
  境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。私
  は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動し
  なければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は
  恐い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。 

   それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあ
  まっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。 
   カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コ
  ンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。 

   2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。
  ひとりの子どもが私たちにこう言いました。「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない
  子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」 
   家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている
  私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。 
   これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。
  どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民窟に住む子どもの
  ひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、
  インドでこじきをしてたかもしれないんです。 
 
   もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球
  はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどこのことを知っています。 

   学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてく
  れます。たとえば、 

   争いをしないこと
   話しあいで解決すること
   他人を尊重すること
   ちらかしたら自分でかたずけること
   ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
   分かちあうこと
   そして欲ばらないこと 

   ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。 

   なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい
  誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこ
  うした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。 
   親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。あ
  るいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし
  大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、
  私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。 

   父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決ま
  る、といいます。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなた
  がたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私はいわせてもらいたい。もしそのことばが
  本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。 

   最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。 
   
   youtubeにあるスピーチの動画 

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   しかしながら、「経済成長は人々を幸せにしない」と「脱成長」を主張するフランスの経済哲学者
  がいる。有限な地球上において、無限な成長を維持することは出来ない。無駄な消費を強いる成長の
  為の成長は、汚染とストレスを人々に押し付けるだけだとする。(セルジュ・ラトウーシュ)

   だから、「脱成長(デクロワサンス・decroissance)をスローガンに掲げて、経済の規模を徐々に
  縮小させ、本当に必要な消費にとどめることが、つましいが真の豊かさにつながる幸せな社会なのだ
  という。共感出来る何かがある。

   サステナビリティを幾ら叫んでも、多少の延命効果はあるかもしれないが、有限な地球上では人々
  の成長思考をセルジュ・ラトウーシュのいう「デクロワサンス」の方向に向けるべきなのだろうか。

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   2010年7月13日に朝日新聞に掲載された
   「経済の成長は人を幸せにしない 経済哲学者・ラトゥーシュ氏に聞く」の記事は以下の通りだ。
   

    
     「メキシコのサパティスタ運動やエクアドル、ボリビアなど、ラテンアメリカでは、『脱成長』
     に通じる新しい潮流が 生まれつつある」と語るラトゥーシュ氏


  「脱成長」を掲げて経済発展や開発のあり方を問い続ける仏の経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ氏
  (70)が、日仏会  館の 招きで来日した。初の邦訳書『経済成長なき社会発展は可能か?』
  (作品社)が今月刊行されたラトゥーシュ氏に、  あるべき経済政策などについて聞いた。


  ■地域社会の自立こそ必要

   同書は欧州を中心に広く読まれており、日本での出版は13カ国目になる。「脱成長(デクロワサ
  ンス)」は、「だんだん弱く」を意味する音楽用語「デクレッシェンド」と同じ語源をもつ。経済の
  規模を徐々に縮小させ、本当に必要な消費にとどめることが真の豊かさにつながると氏は説く。

   「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成
  長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレ
  スを増やすだけだ」

   資源や環境の問題が深刻化する中で、「持続可能な成長」という考え方が国際的に広く受け入れら
  れるようになった。だがラトゥーシュ氏は、「持続可能な成長」は語義矛盾だと指摘する。「地球が
  有限である以上、無限に成長を持続させることは生態学的に不可能だからだ」

   世界経済が長期不況にあえぎ、日本でも貧困問題が深刻化しはじめた。経済成長こそが貧困を解決
  するという経済学の「常識」が力を得ていく中、「脱成長」は旗色が良くないようにも見える。

   この点に関してはラトゥーシュ氏も、今の社会システムのままでマイナス成長に転じても事態はか
  えって悪化するだけだ、と認める。

  「より本質的な解決策は、グローバル経済から離脱して地域社会の自立を導くことだ。『脱成長』は、
  成長への信仰にとらわれている社会を根本的に変えていくための、一つのスローガンだ」

   物質的な豊かさを達成した「北」の国々だけでなく、「南」の貧しい国も成長を拒否すべきなのだろ
  うか。

   「北の国々による従来の開発は、南の国々に低発展の状態を強いたうえ、地域の文化や生態系を破壊
  してきた。そのような進め方による成長ではなく、南の人々自身がオリジナルの道を作っていけるよう
  にしなければならない」

   就任間もない菅直人首相は、経済成長と財政再建は両立できると訴えている。だがラトゥーシュ氏は、
  「欧州の政治家も同じようなことを言っているが、誰も成功していない」と批判する。

   「彼らは資本主義に成長を、緊縮財政で人々に節約を求めるが、本来それは逆であるべきだ。資本主
  義はもっと節約をすべきだし、人々はもっと豊かに生きられる。我々の目指すのは、つましい、しかし
  幸福な社会だ」(樋口大二)
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06.子供の貧困率  (10.03.08)

  これも朝日の新聞記事だが、「子供の七人に一人が貧困」の記事が10.03.13の朝刊に載っている。
  「健康保険証」を持たない無保険の子供がいて、病院に掛かりにくくなっているとか、給食費や
  授業料、修学旅行費が払えなくなっている子供が居るとのニュースがここ数年報じられる事があ
  って、そうかなあ、程度の認識は持っていた。
  
  経済大国を自認する我国では、貧困など極く一部の事で、仮にあったとしても生活保護で賄えて
  いるとの思惑があって、自民党政権化ではそうした調査はしていなかった。ところが、貧困問題
  に取り組む公約を掲げた民主党が政権を取って実態を調査してみると、子供の七人に一人は貧困
  (家庭の所得が年間114万円以下)だという衝撃の事実が判明した。これはOECD加盟30カ国中
  19位と、悪い方であった。なんという事であろうか!

  さらに、一人親世帯の貧困率は更に酷く、30ヶ国中で最高の貧困率になっている。一人親世帯の
  殆どは母子家庭で、保育所不足から賃金の安い労働にしか就労できないから、平均収入は全世帯
  平均の約4割に留まるからだ。こうした家庭で育った子供は高学力をつけ難くなって行く。今や
  東大生の3人に2人は年収1,000万以上だそうです。

  所得の二極化、つまり年収300万以下と3,000万以上に分かれていて、圧倒的に300万以下が多い。
  企業は業績を上げるために、安い非正規労働者、パートを利用して人件費を極小化した。これを
  自民党政権が後押しして格差社会の到来を招いてしまった。税制面でもやる気を削ぎ社会の活力
  がなくなるからと逆進課税を随分と進めてしまった。(特に小泉政権下で)

  子供手当てが2.6万円支給される事になったが、一律支給するのではなく、こうした貧困な子供を
  抱えて頑張っている母子家庭等に5万でも10万でも支給し、1,000万を超える所得の家庭には支給
  しなくていいのではないか。所得の把握が出来ないなら背番号制でも直ぐ導入してはどうか?
  個人のプライバシーがどうの、国家にによる個人の監視がどうのこうのと言っている場合であろ
  うか、国家財政は破綻の一歩手前なんだから。

  財政均衡化では消費税率の引き上げが直ぐに浮上するが、日本のような一律課税の場合は、逆進
  性が強いので、奢侈品に課税し生活用品には課税しないなどの方法をとるべきではないか。
  
  

                    10.03.13 朝日新聞の記事、図を多用した。
  
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05.財政破綻  (10.03.08)

     

 
  10.03.08の朝日の朝刊一面に『悪夢「20xx年日本破綻」』の記事が出ている。その概要はこ
  うだ。

  日本の財政は破綻の危機に陥ったので、「前年度比毎年5%の歳出削減・消費税率25%の財政
  再建緊急プランの実施とIMFへの支援要請」を政府が表明した。その直後から円安が急速に進
  行し、国債が投売りされ、長期金利は暴騰、株価は暴落し、輸入品物価が高騰し、日本経済は大
  混乱に陥った。
  
  2010年時点で、公的債務残高は約950兆円であり、一人当たり750万円の負担となっている。4人家
  族だと3,000万円の借金をしている訳である。これはいづれ利息をつけて返済しなければならない
  ものである。

  下記カウンター参照。

    財部誠一/借金時計

    都道府県借金

    リアルタイム赤字カウンター

  日本の場合は、財政破綻した外国の例に比べてその9割以上を国内の金融機関が有しているから
  問題は小さいのだと言う者もいるが、借金であることの本質は変わらない。自民党政権の悪政の
  つけである。無論、高齢化による年金給付や医療費の増額も基本要素としてはあるが、景気対策
  として無闇に財政支出を増やす政策が野放図に続けられたり、霞ヶ関の役人を中心とした際限の
  ない自民党と結託した無駄な事業の実施の結果である。

  民社政権になっても一朝には改善出来ない、否、11年度は自民党時代を上回る国債発行と予算で
  ある。これは政権獲得に約束したマニュフェストを実行するために膨れ上がった予算である。
  こうした借金頼みの政策がいつまで継続出来るかであるが、個人資産は1,400兆円あるとされ、
  公的債務残高がこれを超える2019年あたりが限界とされている。実際には家計は住宅ローン等の
  負債を抱えているので4,5年のうちにその限界に達する恐れは十分ある。
  (「2014年 日本国破産/浅井隆 著」なる本まで発売されている)

  日本の信用低下を示す兆候が見え始めている。米国の格付け会社が日本国債の格付けを引き下げ
  たり、国債の債務不履行リスクの高さを示す指標が中国のそれを上回っている。政府信用低下は
  国債の値下がりを招き、利回りを上げざるを得なくなって長期金利は上昇する。そうなると、天
  文学的数値の国債の利息費が嵩み財政は一層の悪化をきたす。企業の資金コストは上昇し、経済
  は更に悪化して円安が進行して輸入物価の高騰を招く。「悪性インフレ」の到来だ。

  財政破綻を避けるには、歳出の削減と歳入の増加しか方法は無い。
  徹底した税金の無駄の排除と増税、景気回復による税収の増加が可能な財政運営戦略が必至だ。
  1955年から連綿として続いた「政・官・業」の黄金のトライアングルが今日の膨張し切った財政
  支出を齎した元凶である事は明白である。
  
  白鴎大学の福岡政行さんは著書「公務員ムダ論」の中で、公務員の総人件費が38兆円にも達し、
  国・地方の税収75兆円の半分にもなっている現状から、これを2割りカットして財政再建の足掛か
  りとすべきだと言う。税収の半分が公務員の人件費で、歳出の22%(2010年度予算)が国債費とい
  うべらぼうな予算で、まともな政策が実施できる訳もなかろう。

  
  幕末の備中松山藩の財政危機を救った山田方谷は、その「理財論」で次のように述べている。

  「それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。而るにいまの理財者は悉く
   財の内に屈す」
   つまり、大局観で物事の本質を見極め、目先の問題だけに囚われない心を持つ者が天下を制す
   る事が出来るのだと、言う。

  山田方谷は幕末の大老板倉勝静(かつきよ)の事実上のブレーンであり、徳川慶喜の大政奉還の
  発案者とされている。疲弊した藩財政の改革のため、徹底した藩財政支出の切り詰めを実行し、
  増税ではなく産業を振興して結果的に収入を増やして財政改革に成功する。
  今日の日本の財政改革の立派なお手本となるようなものである。

  兎に角、今の日本で一刻も猶予がならないのが財政再建である。「事の外に立ちて」実行しなけ
  ればならないのである。
  
  方谷は、これを実行する指導者は以下の様であれと説く

  「いま明主と賢相とが誠によく此れに省み、一日超然として理財の外に卓立し、
   出入盈縮は之を一二の有司に委し、時に其の大数を会するに過ぎずして、
   義理を明らかにして以て人心を正し、浮華を芟し以って風俗を敦くし、
   貪賂を禁じて以て官吏を清くし、撫字を務め手以て民物を賑わす贍し、
   古道を尚び以て文教を興し、士気を奮って以て武備を張れば、綱紀是に於てか整い、
   政令是に於て明らかに、経国の大法修まらざるなくして、財用の途もまた従って通ず。
   英明特達の人に非ざるよりは、其れ孰れかよく之を誠にせん。」


  →本HPの 「知的好奇心」の「山田方谷」参照下さい。
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04.市場原理主義の弊害  (07.01.19)

     

           
  『神の見えざる手』による市場原理に任せておけば全てが上手くいくとする市場原理で国の様々
  な政策が推し進められている。『小泉改革』なるものも、その理念は市場原理主義に基づいて推
  進されたため、いまやその矛盾、軋轢があちらこちらで噴出している。経済財政諮問会議、規制
  改革・民間開放推進会議がその推進機関であり、国家権力を利用して様々な提案が出され国家予
  算を使って実行された。官から民へ、経済活動の規制緩和、郵政改革、小さな政府、株主中心主
  義、競争原理の徹底などがここ5年ほど猛烈な勢いで実行された。これら会議の民間メンバーは
  奥田、牛尾、本間、吉川など財界と大学教授でいづれも市場原理主義かぶればかりであり、それ
  をリードしたのが竹中大臣であった。規制改革の方は宮内であった。 

  その結果、格差の拡大、福祉や行政サービスの低下、増税、弱者の切捨て等が生じてしまった。
  ”このまま衰退するよりも、強いものを更に強め弱者はそのおこぼれを貰えば良い”との姿勢が
  小泉改革の基本姿勢であった。小さな効率的な政府だと言いながら、片方でイラク支援などで巨
  額の財政支出を継続し、国の財政は天文学的借金となり果ててしまった。社会は荒んでしまい、
  自殺者は空前の数となり、親殺し子殺しの他、猟奇殺人が頻発するようになってしまった。企業
  は株主の期待に応えるため経費削減で短期的利益のみを追求するようになり、大幅なリストラや
  非正規社員増を行って数百万のニート・フリーターを生み出した。彼らはやがて生活苦から社会
  を揺るがすほどの影響を20年、30年後にはきっと生じしめるに違いない。  

  安倍政権になっても、この『小泉改革』はまだ継続され続けているのである。否むしろそれに加
  えて、『美しい国』の看板のもと、個よりも全体を尊重し、教育改革や憲法改正、防衛庁の省へ
  の格上げなどなにやら得体の知れない国家へ向かって走り出した感がする。
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03.日銀「量的緩和」策の解除  (06.02.28)

     

           
  政府・与党が日銀の「量的緩和策」を容認するムードが高まり、3,4月にも緩和される見通しと
  なってきた。もともと金利ゼロ(公定歩合がゼロ)のところへ、更に大量の日銀当座預金残を
  ふやしていたのであるから、市中銀行には資金が溢れんばかりの状態になっていた。この「量
  的緩和」は極めて異例の措置と言ってよい。
 
  景気の悪化とデフレ及び銀行の不良債権処理にメドが付いた、と言うのが政府・与党の容認の根
  拠である。しかし、「量的緩和」の先には利上げ(ゼロ金利解除)が当然のことながら見込まれ
  るので、各方面の思惑を誘う事は必死である。外貨では「円買い」で円高になろうし、長期金利
  の上昇や、国債の利回りのUpも想定される。株価にも当然影響が考えられる。さて、どの株を
  買って、どれを売るか?

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02.ホリエモンは何だったのか!  (06.01.22)

     

           
  ライブドアグループに捜査の手が入った。前から思っていたのだが、ライブドアは何でそんなに
  稼いでいるのか?不思議で仕方が無かった。ライブドアの株を一時保有したが、配当は無しであ
  った。株価を上げる事で株主に応えるのだ、とのホリエモンの説明であった。関連子会社でター
  ボリナックスと言う会社があった。ここも株価が実に奇怪な動きをした。捜査段階ではあるが、
  報道されているところによると、株価分割と情報操作や株価等価交換などによって濡れ手に粟の
  稼ぎをやっていたらしい。

  近鉄や日本放送買収の頃は、既存の利益体制に対する挑戦として、ひそかに応援していたものだ
  が、その実、不正によるお金稼ぎにのみ明け暮れていた訳で、六本木のITの勝ち組の象徴とされ
  るビルに入居したり、豪華なマンションに住んだりで芸能人気取りの単なる薄っぺらい人物に過
  ぎなかった。

  ヤフーにしても、楽天にしてもそれなりの実業が見えているが、ライブドアーは何が実業なのか
  ホント分からなかった、今もワカラナイ。買収した子会社はそれなりの業務を行っているが本体
  は本当に不可思議な組織である。

  それにしても、ホリエモンがポケットに入れた巨額のお金は多くの投資家や企業から掠め取った
  もので(株価吊り上げやM&A)、その手法を今後とも継続して世界的なお金持ちになるのが夢
  だったのだろうか・・・。
 
  いづれ司直の手で裁かれるだろうが、これでお終いになることは間違いない。
  それにしても、この株を買っていた投資家の売りは凄まじく、東証のシステムがダウンするほど
  の売りが出て、東証のシステム改善の一助になった点のみはホリエモンの功績として評価できる。
  しかしとばっちりで株価全体が大きく下がり多くの投資家が莫大な評価損を出しているのである
  から、その罪は極めて大きい。市場と言うものは、一寸した事で”ブラックマンデー”になり得
  るのだから、ホント怖い。
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01.IR(Investor Relations) (05.09.26)

     

           

  2001年のエンロン、2002年のワールドコム不祥事、我が国では2004年の西武鉄道、2005年のカネ
  ボウの不祥事と企業会計とその会計監査に絡む事件が連続して発生し社会問題化している。企業
  の財務報告の信頼性の欠如は、@企業内の倫理の欠如、A利益至上主義の横行、B取締会による
  監査の不足または監査能力の欠如、C外部監査人の非独立性等があげられる。「財務的数値で自
  分の会社の事業を語れる経営者がいない」のが現実である。従ってIRが、だからこそ必要なの
  であり、重要なのである。取締役である限り、会計・財務問題は経理部長、経理担当取締役に放
  任して済まされる問題ではなくなったのだ。エンロンで粉飾に関わった人物は25年もの禁固刑が
  課せられ、残りの人生の大半を刑務所で過ごすことになるのである。

  世の取締役の皆さん、「やさしい企業会計」の本でもいまからでも、大急ぎ読まれては如何。

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11.加藤典洋さん死去                     (19年5月21日)  

    文芸評論家の加藤典洋さんが、19年5月16日に肺炎のため71歳で死去したとの新聞報道があ
   った。『加藤さんは「敗戦後論」「戦後的思想」などの評論で戦後日本の思想と社会を問い直
   した』と毎日新聞は書いている。

    お住まいが、志木の同じマンションであったことから、時折エレベーターなどで出くわして
   いたが、最近お見かけないと思っていた矢先のことで驚いている。哀悼の意を表したい。

    近所と言う縁もあって、幾冊かの氏の本も読んでその博学さに感心し、思想に共鳴したもの
   である。2011.3.11の東日本大震災後は、出身が山形という事もあるのだろうが、原発政策な
   どに対しても鋭い批評をされていた。2017年8月に刊行された「もうすぐやってくる尊王攘夷
   思想のために(幻戯書房)」が最後に読んだ本である。そこでも明治、敗戦共にその反省が不
   十分のままで新体制に突き進んでしまって様々な禍根を日本は残してしまっているのではない
   か、明治維新から150年経過した今こそ、300年の歴史のものさしで考えるべきだと主張する。
   
    幕末の尊王攘夷思想が持っていた弱者の側のリベラルな普遍性を基礎にして、新たな批判の
   基礎をつくるべきであるとされる。

    「3.11死に神に突き飛ばされる(2011.9月岩波書店)」も再読して、氏の魂の安らかな事を
   願うばかりである。                             <合掌>

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13.真似                                 (17年1月18日)

  「真似る」とは「ほかのものに似せてする。模倣する。みならう。」などと出ている。
  「赤穂浪士による吉良邸討ち入り仇討」は「浄瑠璃坂の仇討」に
  「葛飾北斎の神奈川沖浪裏」は「東頭山 行元寺の波の伊八欄間彫刻」に
   似ている。と言うか前者は後者のインスピレーションを確実に受けていると思える。

   「浄瑠璃坂の仇討」は寛文12年2月3日未明(1672年)火事装束を纏い42名が徒党を組んで市ヶ
   谷浄瑠璃坂の旗本屋敷に潜む仇を打ち、幕府に裁定を願い出るというものであり、些細な事に
   端を発した刃傷事件でその片方にだけ切腹、家禄没収という裁定に憤る家臣等の仇討事件であ
   る。「赤穂浪士の討ち入り」と類似したなものである。

   これを裁定した幕府の大老・井伊直澄は、事件の首謀者である元宇都宮藩家来奥平内蔵允(く
   らのすけ)の遺児源八を、赤穂浪士の場合と違って伊豆大島への島流しとし、僅か6年後には
   これを恩赦で釈免し井伊家へ召し抱えている。源八以外の実行者も他藩に召し抱えられた。
   今年2017年のNHK大河ドラマ「井伊直虎」に詳しい「井伊一族(相川司・中央文庫)」を読む
   うち本件を初めて知った。

   赤穂浪士の事件はこの僅か30年後(元禄15年・1703年)に起きており、装束までも同じである。
   大石内蔵助はこれを明らかに手本にしており、あわよくば流刑、そして恩赦、他家召し抱えも
   あるかもしれないと思っていたことだろう。

   「江戸の三大仇討ち」はこの浄瑠璃坂の仇討、伊賀越の仇討ちそして赤穂浪士の討ち入りを言
   うのだそうで、「日本三大仇討ち」は「江戸の三大仇討ち」の浄瑠璃坂の仇討に変えて曾我兄
   弟の仇討ちを入れたものを言う。尚、明治になっての日本最後の仇討は臼井六郎の『遺恨あり
    明治十三年 最後の仇討』というTVドラマ化されたものである。

   これは現在の浄瑠璃坂で市ヶ谷自衛隊の近くの坂である。 
    
   ......................................................................................

   あの世界的名画である北斎の絵も、「波の伊八と称される武志伊八郎信由」の欄間の彫物
   にそっくりである。これは以前NHKだったと思うが、TVで観た記憶がある。その時、あれっッ
   と大きな衝撃を受けた事は鮮明に覚えている。まさか北斎さえも・・・の感であった。

   行元寺の波の伊八欄間彫刻と葛飾北斎の神奈川沖浪裏(いすみ市HPより)
    
      いすみ市HP
      
   元のものを知らないと、赤穂浪士にしろ北斎にしろその偉業、偉大さばかりが目立ってし
   まうが、その元があったという事だけは認識しておくべきではないか。他にも同じような
   事象は数多あるに違いない。


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12.大阪駅・蔦屋書店の様変わり                                 (15年6月22日)

  過日、十数年振りに大阪駅へ行ってその変わり様に驚かされた。大阪駅自体が大変貌を遂げて
  いた。線路を挟んでサウスゲートビルとノースゲートビルが建てられ、それらを連結する巨大
  な屋根や通路が設けられている。

  

  サウスゲートビルには大丸やホテルが入っており、ノースゲートビルにはルクア(LUCUA)
  という商業施設が入っていた。その二つを繋いでいるのが「時空(とき)の広場」と呼ばれる
  巨大な屋根で覆われた空間である。その屋根の巨大さには驚かされる。

   

  その北側のビルのLUCUAの9階に梅田蔦屋書店が15年5月にオープンした。この店舗は全国
  各地に点在するビデオや本やゲームを扱う店とは決定的に異なる。いわゆる「ライフスタイル
  提案型書店」というもので、11年に代官山に出来たものと同様のスタイルのものである。13年
  には函館店、イオンモール幕張店と増えている。公立図書館に併設されるものでは武雄市や多
  賀城市がある。T−SITEと呼ばれる蔦屋書店らしい。

  これらはCCC(Culture Convenience Club)のCCCデザインカンパニーが手掛けている。も
  ともと蔦屋書店は1983年に枚方に創業したもので、2003年に東証に上場後は「Tポイント」カー
    ドを開始し現在はT会員数が5000万人を越えているという。

  梅田蔦屋書店については、「大阪つーしん」の「梅田蔦屋書店」を見てきましたに良く説明して
  あるのでこちらをご覧頂きたい。

  従来の書店とは全く異なる空間であり、時間が有るときはここで過ごすのはいい、事実いいねえ。
  売り場の中にスターバックスコーヒー、ル・ガラージュのカフェや、ネイル&ヘッドスパサロン、
  靴磨き店、オーディオ売り場、Appleの商品修理受付店、旅行代理店、PC&スマホ売り場
  や文具・雑貨売り場もある。例えば料理コーナーには米や食器の一部なども置かれている。本屋
  かいな!と思わされる。
 
  カフェに店内の本を持ち込んで本を読んだり、店内の座席にカフェから飲み物持ち込みも可能だ。
  椅子が500席も用意されていると言うから驚きだ。問題はこうした飲食をしながら本を読めば当然
  溢したりして本が汚れる事があるだろう。そうした時は、暗黙の了解で購入を前提としているの
  だろうね・・・。


  大阪(枚方)は蔦屋の創業の地だからこうした「T−SITE」型の大型店を梅田に開業したの
  だろうが、我が家の近くにもこうしたスタイルの蔦屋が欲しいね。武雄市の市長は代官山の蔦屋
  を見て自分のところに同様のものを誘致したとか、そうではないとか?

  貴方もきっと経験しただろうが、郊外に点在するアウトレットモールで、女どもが買物漁りをし
  ている間、男共は為すべきことが無い。男物は極端に品物が無いし、飲食店もフードコートや申
  し訳程度のカフェがあるだけだ。何も為す事がないのである。時間を持て余すのだ!こういう場
  所にこそ「T−SITE」型の蔦屋、別に蔦屋でなくてもいいが、があれば2〜3時間は楽々過
  ごせるものでしょうがね。

  埼玉県の久喜のフォレオ菖蒲店は2,300坪に70万冊の品揃えで日本最大だそうだ。圏央道が今年
  度末に開通すれば白岡菖蒲ICからは近い。まあ、でも本を探すだけなら池袋のジュンク堂かネ
  ットで探した方が確実で速いのかもね。

  


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11.蛙となれよ冷やし瓜                                 (15年1月7日)
   蛙となれよ冷やし瓜


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10.データの日付                                 (13年7月9日)

 検索エンジンで物事を調べるのが当たり前のWeb社会になってきたが、その時に困る事がある。そ
 れはヒットして表示されたものに日付が無いものが多いのである。これでは折角調べてもそれが何
 時の時点のものか判らずデータの価値が無くなるものも多い。

 刻々と変移する為替や株価とか列車や飛行機・船等の運航状況や、気象状況等については日付・時
 刻は必須であって、それらにデータの時刻が無ければ全くのゴミデータである。
 その他のものでも、日付・時刻の付いていないデータは何時現在の事を表示しているのかわからず
 データの価値は半減してしまう。地図のデータ等も最終更新日時の無いものは見ても役に立たない。

 SNSのサイトについては、大概日付・時刻が自動で付与されるので、投稿者が入力しなくてもよ
 いので、内容は兎も角、いつの時点のものかが判るので評価できる。Wikipediaなどでは、記事の
 最下段に「最終更新日時」が載っているのでこれも、内容は兎も角、利用価値がある。

 GoogleやYahooで検索しても、データの日付が無いものは、例え日付は不要と思われる辞書での言
 葉調べ等であっても何時時点のデータであるのかわからなければ良くない。
 個人が書き込んでいるデータは日付の無いものが多い。俳句や川柳の投稿等でも日付は必須である。
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09.脳が変わる生き方                       13年6月

    

 このサイトの「思う」の27.に「なぜ気になる?たった一人の悪い評価」の事を少しのせまし
 たが、そこでは生物が生き残る脳のメカニズミとして、危機回避、損失回避等の悪いニュースを
 いち早く察知して対処するという事でした。

 今回、脳科学者の茂木健一郎さんが「脳が変わる生き方(PHP文庫)」を出された。そこには脳の
 ことについて様々な事が書かれている。
 そのは要旨次の様である。

 人間の脳の働きを変え、人間を変える最大の要因は「感動する」ことで、人間を変える劇薬となる。

 1. 人はどこまでも変われる

  ・脳には、私たちが変わることを支える力が備わっている。

  ・偶有性(どうなるかわからない)こそが、脳を生かす鍵である。
   <偶有性とは事物の本質的でない性質。その性質の有無が,事物の何であるかに影響しないよ
    うな性質(哲学)>

  ・苦手な脳はない、学ぶ方法を見つけていないだけで、英語や数学が苦手なのはその学習方法を
   まだ知らないだけ。

  ・人生で大事なのは「偶有性の海」に飛び込む事で、異質な何かが来たとき、古い自分を守らず、
   それに挑戦するべきである。

  ・脳は無限に成長する。

  ・人間が変わる一番の方法は感動で、感動したときどれだけ自分という楽器を大きく鳴らせるか
   で、人の器が決まる。

  ・涙は、脳が処理できないほどの情報を受けと取って、オーバーフローしているのである。
  
  ・脳は利他的にできていている。孔子の「七十従心」は無意識も美しくなるという、人間の理想。

  ・「釈迦の無記」とは、肝心なことは、敢えて言わないこと。本音を言ってしまうと多様性を喪
   失し、まがまがしいものが現れる。

  ・弱点を隠そうとすると、回りが重苦しくなる。皆に言ってしまうとお互いに楽となる。弱点を
   ユーモラスに表現すればよい。
 

 2.脳の中に多様性を育む

  ・脳の個性は、本人にもわからない。人生は、それを発見する果てしない旅である。

  ・森の生態系には多様性があるが、人間の文明は無菌状態であり、一つの原理しかない無菌状態
   は脳にとって不幸なことである。

  ・森の中では、たった一つで完結している生物は無い。脳は1000億個の神経細胞すべての役割が
   違い、制御不可能なものである。

  ・異質な人と接することは、自他を映す鏡である脳の「ミラーニューロン」を活性化する。人と
   の繋がりは生態系だから、そのネットワークは、多様性がある方がより成長する。

  ・優れた業績を残す人は、教養に多様性がある。脳のアーカイブに多様性があるほど、創造性は
   豊かになる。

  ・負荷が喜びになるメカニズミを悟った人は伸びる。苦しいが嬉しいという「脳の快楽原理」に
   精通することが、人生の勝負を決める。

  ・自分の欠点を客観化して、ユーモアを持って表現する英米人の叡智に学ぶべきことがある。
 
  ・演劇には、どんな人にも配役があり、人生も同様である。
 

 3.他人を鏡として自分を知る

  ・脳について考えるときに大事なのは、「自分と他人の関係」という視点を持つこと。

  ・落第や失敗は、できなかったこととの対照であり、自分の強みや個性がわかるチャンスである。

  ・失敗を後悔することは、未来を変えるためのシュミレーション。

  ・自分と強烈に異なる人との出会いこそ、ミラーニューロンの働きを通じて、切実に自分を知る
   きっかけとなる。

  ・色々な人の意見を聞き、最後は自分で決めることが大切。

  ・他人と向かい合うときは、いかに自分という楽器を鳴らすかという真剣勝負。自分と遠いもの
   と接して、自分という楽器を共鳴させようとすることが、人生を豊かにする。

  ・他者について、実際に何を言うかは、良いことから悪い事まであるが「聖なる選択」である。
 
  ・他人には、自分には見えていない陰の部分があると知りつつ接することである。

  ・何があるか判らない状況に対応するために、不安や恐怖の感情が進化してきた。


 4.人生を質入れしない

  ・生きるということは「人生の質入れ」をしない限り、ある特定の目的には回収されえない。
 
  ・仏陀は「涅槃とは何か」と問われ続け、ずっと答えずに、最後に見せた。完全な涅槃は、生き
   てるうちは得られない。

  ・「人生の目的はこれである」というどんな説も、生きることの間尺に合わない。

  ・どんな立派な哲学ができても、優れた科学の研究が出来ても一番大事なことは生きるというこ
   との現場にしかない。
 
  ・他人の心は絶対に理解できるものではなく、分かったことにしているだけ。

  ・アイコンタクトの要諦はチラリズムである。ドーパミンが出るのは、「見るか見ないか」とい
   う不確実性があるから。

  ・人生の偶有性は、他人というミステリアスな存在によって、生き生きと回復される。
 
  ・おばさん、おじさんであるというのは、年齢の事ではなく「無意識の垂れ流し」をする人の事。

  ・何を言い、何を言わないか峻別しないのは、化粧もせずに、または白粉を適当に塗って街に出
   るくらい、恥ずかしいこと。


 5.脳に空白をつくる

  ・リアルタイムで情報を処理するだけでなく、自分の内側にあるものを大切に育む時間、ロマンテ
     ィック・アイロニーが大事である。
     
  ・脳は様々な経験を使いまわす。子供の頃に蝶を追った経験が、生き方のヒントの訪れを常に待
   っている。

  ・一目惚れのとき、脳の偏桃体が、大脳新皮質よりも0.1秒早く反応している。

  ・落語には情けない人々が登場するが、笑という奇跡がある。この「下から目線」を持つ人は逆
   境にも強い。

  ・人生で何が起こるかわからないという偶有性を楽しめたら、怖いものはない。

  ・他人と比較した劣等感が、人生の偶有性を楽しむ一番の邪魔であり劣等感を捨て去ることである。

  ・大切な人がいないという事と、現れたということの対比の味わいが大切で、脳が夢見る力を育む。

  ・自分がいる世界に合わせることは必要だが、適応しきったらお終いになる。いかに揺らいでい
   るところを残すかである。

  ・脳にはオープンエンドの性質があり、「自分はこうだ」と決めつけなければいつまでも発展する。
 
  ・人生で重要な決断に迫られたら2秒で決める。答えなど無い。

  ・脳は、出力してみないと、内部にどんな考えがあるかわからない。出力してみることです。

  ・スタープレーヤーになる前の、ダメと思われていた頃のイチローに身を置いてみることが大事。
   落語の「下から目線」


 6.子供の遊びのように学ぶ

  ・人生の素晴らしいところは、どんな職業につこうが、どんな工夫を重ねていようが、そこに偶
   有性があること。

  ・偶有性の中で学ぶには。「ないものねだり」はだめ。所与の制約を引き受ける覚悟が必要。

  ・人生の終わりが近づくと、いつ死が訪れるかという、偶有性が意識され、生きる事を輝かせる。

  ・才能や境遇に恵まれていなくても、工夫の余地はある。恵まれた人の偶有性と質は変わらない。

  ・強化学習において、通過儀礼になるようなトライを繰り返していると、非常に遠くまで行ける。

  ・職業などの研鑽で遠くまで行ったとしても、偉くなったと思ってはいけない。幾つになっても
   砂場で遊んだようなドキドキ感が大事。

  ・少年のときの体験を手つかづのまま持っていられたら、独創的な仕事に繋がる。

  ・故郷と和解できて、いつも変わらずに自分の中にあると気づいた、人生は宝物をくれる。

  ・人生がどうなるかわからないことを楽しめていたら、その人は偶有性をうまく生かしている。

  ・偶有性を楽しんでいる最も高度なレベルは、気づいたら日が暮れているような、子供の無我夢
   中の遊びの様な状態である。


 7.人生をいかに生きるか

  ・脳が直面する問題には、正解のないものがある。いかに生きるべきかという問題は、まさに正
     解がないということ。
     
 ・人間の脳は、抽象的な問題を解くためにできているのでない。知性は常に、現場の具体性におい
  て働く。

  ・人の心がわかるとは、共感能力以上の何かです。見た目と一致しない、あるいはポーカーフェ
   イスの人の心を想像することは、動物にはできない。

  ・目に見えない、人の心がわかるには、総合的な学問が必要。学問の究極の目的は、人の心がわ
   かること。

  ・人間は他人のために何かをするときにも、喜びを感じ、脳にドーパミンが出る。自分勝手な人
   は、一身上のことだけを喜びにする、ドーパミンのモノカルチャー。

  ・いかに生きるかを教えてくれる学問こそが、本当の学問である。人の心がわかることは、本当
   の意味で、学問が出来るということ。

  ・最終的に人を感化するのは、人格です。知識やテクニックで取り繕っても、結局は人格がミラ
   ーニューロンに働きかけ、人は変わっていく。

  ・人間は、名誉も財産も不要、一人の人格者のもとに、自然に皆が集まってくる。

  ・現代は見た目優先ですが、最後は人格です。自分の人格をある種の作品として磨く。これを心
   がけたら、人間は本当に心楽しい人生を送れる。


  この本のコピペですが、どうです、脳が変わり、人間が変わりそうですか?
  詳しくは本をどうぞ、確か700円位の文庫本です。
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08.なぜ気になる?たった一人の悪い評価                       13年05月

    

 2013.5.12の毎日新聞の「新・心のサプリ」欄に海原純子さんが面白い投稿をされていた。
 「職場に一人いやな人がいる。あの一人さえいなければどんないいいか」「近所のあの一人ために
 気分が悪い」ということがよくある。

 なぜたった一人のために心を囚われ、引っかかって気にしてしまうのだろうか?なぜ人間関係の完
 璧主義を目指してしまうのだろうか?という謎に、嫌悪感の研究をで知られる心理学者のポール・
 ロジンの次の研究を紹介している。

 ロジンによると、「マイナスはプラスを圧倒する、という。つまり、脳は怒った顔を大勢のニコニ
 コ顔の中から優先的に見つけだすメカニズムをもっているのだ。人間に限らず動物の脳には、悪い
 ニュースを優先的にみつけ出し処理する能力が組み込まれていて、これが生物が生き延びるための
 危機回避のメカニズムになっている。」という。

 更に別研究者は、「人間は悪い感情、悪い評価をよい評価よりずっと詳しく検討する。悪い印象は
 良い印象よりずっと容易に形成され」、しかもなかなか取り消せないという。

 だから、たった一人に言われた悪口や悪い評価がずっと気になるのは、自分の心が狭い訳ではなく
 人間が生き延びるための脳のメカニズムであり、危機回避、損失回避の仕組みなのである。

 だから一人の悪口や一つの悪いことに気づきつつ、それが気になるのは「脳のメカニズム」である
 と客観的に捉えて、他の良い事に目をむけ、自分の心のベクトルを変える事によって、論理的にい
 やない気分を」乗り越えられるだろうと結論付ける。

 「だから、そうした事態に遭遇したなら、危機回避、損失回避の脳のメカニズムと思ってあまり気に
 しないことだ。」と海原さんは仰る。

 一人だけ異論を述べるものがよく居るものだが、そして多数決で大勢に従ってものごとは大体片づ
 けられるものの、後々までその異論が尾を引くものである。そして多数決で決まった事は気にもし
 ないものである。ところがその異論に対してはずっと気にして何らかの対処法を知らずしらず取っ
 ているものである。逆に考えると、注目を集める手段の一つとして、大勢に逆らう意見を極端では
 ないがないがある程度許容される範囲内で主張するのは、有効であるのではないかな?

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 ところで、海原純子さんは医者であり、歌手でもある多彩な能力の持ち主である。
   海原純子さんのHPはこちら
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07.”半疑問形”                           1209

  会話の途中、疑問文ではないのに語尾を上げる話し方のことを半疑問形と言うのだそうである。
  略して「半クエ」だそうだ。この略し方も甚だ疑問ではあるが。

  「半疑問形」とか「半クエ」とか言われる「語尾を上げて疑問符をつける話し方」が、下火にな
  ったとは言えまだ耳にする事がある。周りにはそうした話方をする人はいないから、TV・ラジ
  オで見聞きする言葉である。

  具体的には、
  「ですから?このやり方が自分の今までの経験では?最適で最高だと?思う・・・」
  の?のところの語尾を上げて話をするのである。

  こうした話し方は、「自分の言葉に対し自分で肯定して相手からの攻撃をあらかじめ防御してい
  ると考えられます。 間違った事が許せず、自分が否定される事を極端に嫌うため弱みを見せたく
  ない深層心理から来ています。」と分析する人がいる。、

  「自分しか知らないことまで、疑問形にする。話相手の反応をいちいち確かめながら、慎重に自
  己を表現していくと言えば聞こえがいいが、端的に言えば、自己の主張をことごとく相対化する
  手法である。だから、はっきりと言うべき事柄まで「?」をつけると、実に無責任に聞こえる。」
  と断定する意見もある。

  何はともあれ、耳障りな話し方であり、特に”助詞直前一旦息継ぎ”でしゃべられたりすると、
  自己防御だけでなく、自己陶酔であって、鼻持ちならないのである。
  ついでに当たり散らせば、話の中や文中にやたら外国語を入れ人がいるが、ちゃんとした日本語
  さえも話せたり、書けていないのに何故外国語の単語を挿入するのか判らない。これも「半疑問
  形」の利用に通じるものがある。
  日本語ではどうしても表現出来ない言葉があるのなら、その理由を明確に表示するべきである。

 
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06”なので”

  最近、「・・・です。なので・・・」
  という言葉をテレビやラジオで良く耳にする。特に若い女性や、誠につまらないコメントをする
  テレビのコメンテイターと称する人達がこの”なので”をやたら連発する。

  大辞林第三版では、
  〔助動詞 「だ」 の連体形または形容動詞の連体形語尾 「な」 に、原因・理由を表す接続助詞
  「ので」 の付いたもの〕・・・から。・・・あるので。 「雨なので中止にした」「静かなので
  読書に適している」
  と解説している。まあ、このように接続助詞として使うものならいいと思う。

  ところが、独立した接続詞として
  「私ダイエットしているんです。なので、スイーツは食べないんです」
  のように、文頭になのでを使っているのは違和感があり、間違っていると思う。

  接続詞として独立している「だから」は断定的で強い印象を与えるので、「なので」のソフトな
  語感のほうが若者に好まれているのだという見方もあるそうで、若者言葉として、他人との衝突
  を極力避けようとする曖昧表現や婉曲表現の1つとして利用されているとする説もある。

  同じ接続詞で「ならば」が受け入れられているのだから、将来は「なので」も普遍的になるので
  はないかと指摘する向きもある。更に「だから」「なのに」「でも」「だって」も「なので」と
  同じく語源は「だ」の活用形であり、いづれ定着するとの意見もある。

  しかし僕は断固としてこの”なので”を文頭に使うには違和感を感じる。

  →他にも、「ら」抜き言葉とか違和感のある言葉が、影響の大きいテレビ、ラジオで堂々と使わ
   れる憂慮すべき事態である。
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05.俳句の「二つの四季」

  誠に恥ずかしながら写真俳句というのをここ4〜5年やっている。全く句の体をなしていない程
  の酷さだが、”写真俳句”の”写真”で”句”をカバーしながらよたよたと続けている。五七五
  の短い文章に季語を入れなければならず、その季語が生活実感としばしばズレているのを感じる。

     

  俳句には「無季俳句」もあるが、大抵は季語を入れるのが普通である。季語は季節毎に分類され
  た「俳句歳時記」に纏められていて、生活や動植物の言葉を季節で分類したものだ。

   @伝統的な季語では 春は立春から立夏まで / 立春は 2月5日頃
             夏は立夏から立秋まで / 立夏は 5月7日頃
             秋は立秋から立冬まで / 立秋は 8月7日頃
             冬は立冬から立春まで / 立冬は11月7日頃
           を決めている。

   A新感覚的季語では 春は 3月〜 5月
             夏は 6月〜 8月
             秋は 9月〜11月
             冬は12月〜 2月
           としている。

  このように@の伝統的な季語はAの新感覚的季語より約1か月早い。これは明治37年(1904年)
  に「俳句新歳時記」で@の区分けにしたからだという。日本で太陽暦(グレゴリオ暦)が採用
  されたのは明治5年(1872年)で、それ以来生活実感と暦のズレが生じているのだ。生活実感
  よりも約1か月暦が先行するのである。

  立春(2月5日頃)と言われても、その頃は真冬の厳冬期であるし、立秋(8月7日頃)も真夏
  の太陽が照りつけている頃である。そこで上のAのような新感覚的季語が設けられている。
  @は「日本の歳時記」(小学館)、Aは「現代俳句歳時記」(学研)が代表例である。
  
  Aの新感覚的季語は金子兜太さんが1999年出した本が元になっている。この方が確かに生活実感
  に合ったものになっている。

  僕はAの「現代俳句歳時記」の方がピッタリ来るが、季語を移すことで、長い間に積み重ねられ
  て来た言葉の意味が変わる恐れがあるとさる。「朝顔」は秋の季語とされているがこれは夏に咲
  くけれども、花の姿に秋の気配を感じているからとの解釈や、去りゆく季節の中に、次の季節の
  気配を探るのが日本文化の粋だ、等とも言われる。

  歳時記に縛られすぎず、作者が感じた季節の情景が伝わる句であるべきだと、朝日新聞の宇佐美
  貴子さんが2012年4月30日の「文化」欄に記事を書いている。
  (本稿は宇佐美貴子さんの記事を参照させて頂いている)

  伝統的な季語 

  新感覚的季語
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04.埼玉のヒーロー (石川遼、川内優輝)&  埼玉三偉人                

  ”ダサい”とは”ダッテ埼玉”なんでしょうを縮めた言葉だそうで、野暮ったくて洗練されてい
  ないことの形容詞として良く使われている。天下の朝日新聞さえもしばしば平気で使っている。
  
  その埼玉で、今誇れるヒーローが二人誕生した。一人はご存知、石川遼である。彼については情
  報が溢れていて今更言うべきこともないが、2011年の獲得賞金とバーディー取得毎に10万円を加
  算して3.11災害への寄付とし、それが1億3348万円となったそうである。カジノで百億を超える負
  けをして子会社に支払いを押し付け、会社の存亡が危ぶまれているどこかのボンクラ御曹司とは
  まるで違う人格のヒーローである。
  
  (日経新聞の写真より)

  ただ、遼君は今年1勝も出来なくて応援している多くのファンには歯がゆい1年であった。TVに
  映っている姿を見ると、2打は大概フェアーウェイではなく林の中や隣のホールなどから打って
  いる。今季のフェアウエーキープ率は43.13%でプロ入り後ワーストだから如何にドラバーが曲っ
  ているかである。平均飛距離も290.78ヤードと昨年の296.79ヤードから6ヤード落ちている。これ
  は彼のようにドライバーで距離を稼いで攻める選手には辛い出来事だろう。願わくば、しっかり
  した指導者がついてこの金の卵を磨いて世界に通用出来る選手にして欲しいものだ。練習場で父
  親がしたり顔で見守っている光景を見かけるが如何なものだろうか?父親のマネジメントとコー
  チからと離れることが、石川遼を強くする最善の方法であると指摘する声があるので、遼君も決
  心すべきではなかろうかと思われる。


  もう一人は、マラソンの川内優輝選手である。
    11.12.4の福岡国際マラソンでの彼の追い上げをTVで観た方もおおかろうが、まことに賛辞に値す
    る走りであった。優勝は国内一般参加のジョセファト・ダビリ(小森コーポレーション) 2:07:36
    二位は同じく一般参加のジェームス・ムワンギ(NTT) 2:08:38 であった。二人共ケニアの選手。
    川内選手は 2:09:57 で三位であったが、国内選手の中では最高であった。
    
  
    (福岡国際マラソンHPより)
  
  多少ともランニングされる方ならお判りと思うが、一度トップから離されてからの追い上げのい
  かに苦しいものか!それも30kmも走ってからの追い上げである。想像を絶する意思の強さであ
  ろうか?僕も朝3.5km程走るがそれでも3km辺りでもう止めようかといつも思いながら走っている。
  
  川内選手は埼玉県庁の職員で、県立春日部高校定時制でフルタイムの仕事をしている。午後0時
  45分から同9時15分まで仕事をしている。練習は午前中にするのだそうだ。昨年の東京マラ
  ソンで2時間8分37秒の自己ベスト記録をマーク、日本人トップとなる3位に入った。その後もレ
  ースを練習代わりに出続け、2011年9月4日の世界陸上大邱大会男子マラソン、同10月30日の第1
  回大阪マラソンにも出場した。そして今回の福岡国際を走った。これらフルマラソンの他、11年
  1月には第16回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会で13kmを、2月には第65回香川丸亀国際ハーフ
  マラソン21kmを、6月には第6回隠岐の島ウルトラマラソン50kmを走り49km付近で昏倒し救急車で
  搬送されている。更に7月には第54回札幌国際ハーフマラソンで21kmを走っている。
  
  全力を尽くして走るためか、ゴール直後は意識朦朧の状態で倒れ込んで酸素吸入をする場面等が
  よく放映される。今回も実業団に入っていなくて多くのハンディがある市民ランナーが、恵まれ
  た環境下で十分な練習を積んでいる招待選手に追いついて抜いていくのは感動的でさえあった。 

  ......................................................................................
  <余談>

  前述の”ダサい”については、日本語俗語辞書では以下のように言っている。
  「ダサいとは古臭い(時代遅れ)、野暮ったい、田舎臭い、かっこ悪いといった意味の形容詞で、
   1970年代から関東の若者を中心に普及した言葉である(一説には1950年代から一部の若者の間
   で隠語的に使われており、1970年代に広く浸透したともいわれる)。1980年代後半に入ると対
   語の『ナウい』が死語となるが、ダサいはそのまま使われ続け、現代に至っている」

  『現代用語の基礎知識』では
  「田舎」を「だしゃ」と読んで、「だしゃい」が「ださい」になったと説明している。しかし
  「田舎」を「だしゃ」と読むことは一般的にはされないからこれは無理がある。
  芸人のタモリが埼玉のことをからかって”ダ埼玉”とやったのが全国に広まったきっかけだろう。
  
  有識者と言われる人々でも、野暮ったい、田舎臭い、かっこ悪い等の形容をなさる時に”ダサイ”
  を使う時がある。まあ本人は現代風に言っているつもりなんだろうが、この言葉が埼玉県の人々
  を傷つけている事をどれだけ知っているのか、いや知っていて使っているなら言語道断である。
  埼玉県ではこうしたイメージ払拭のために、膨大な税金を投与している実態があるのである。

  現在では身体的弱者を示す言葉は極力使わない事になっているが、この”ダサい”も同じもので
  あるはずで、朝日新聞にさる有識者が掲載した文章にこれがあり、抗議をしたが梨の礫であった。

  ......................................................................................


  埼玉の三大偉人としては塙保己一、渋沢栄一、荻野吟子の三人があげられている。
  遼君や川内選手と比ぶべくもないが、近世のこの三偉人は埼玉の誇りである。

  塙保己一
  
    (出典:本庄商工会議所HP)
    
 ・塙保己一(はなわほきいち)は1746年(延享3年)本庄市生まれの盲目の国学者。1937年
  にヘレン・ケラーが来日した際に両親から手本にしろと教えられた保己一の像に対面した。
    保己一は7歳の時失明し、江戸に出て鍼・按摩・灸、琴・三味線手ほどきを受けたが、いっこう
    に上達しなかった。その後学問を志し、文政二年、七十四歳で『群書類従』を完成させた。版木
    17,244枚(約34,000頁)の膨大なもので、この版木を20字×20行の400字詰めに統一させていたが
    これが現在の原稿用紙の始まりである。(渋谷の塙保己一資料館「温故学会」で公開されている)

  「盲目の国学者・塙保己一が古書の散逸を危惧し、41年の年月を掛けて集輯・編纂。幕府や諸大名、
  寺社など多くの機関や人々が協力して、江戸初期までに刊行された史書や文学作品を所収。その
  後の歴史学、国文学等に多大な影響を与え、学術研究に貢献している、今なお非常に貴重な叢書
  である。『群書類従』は1819年(文政2年)完成、正編1270種530巻666冊からなる日本最大の国
  書の叢書である。続編「続群書類従」は2103種1150巻1185冊、編者塙保己一は死去、子の忠宝は
  暗殺、そののち孫の忠韶に編纂が受け継がれ、孫の代の明治44年・1911年に完成した。正編と同
  様、のちの学界に大きな影響を与えた。」とnetに出ている。


  埼玉・児玉町に記念館がある

  
  (Mapion より作成)

  関越自動車道を本庄児玉で降りて、児玉方面に3.6km走って国道254号線を横断し、長浜町交差
  点(JR八高線も交差点を通っている)を左折して530m進むと児玉駅入り口交差点があるので、こ
  れを右折して400m進むと塙保己一記念館に到着する。






  渋沢栄一 
  
    (出典:埼玉県HP)
    
 ・渋沢栄一は1840年(天保11年)深谷市生まれの幕臣で、後に日本経済界の創始者となる。
  三井、三菱、住友財閥等のような財閥を作らなかったことは、公共に対する奉仕の思想が根底
  にある。
  渋沢は備中松山藩の山田方谷の一番弟子の三島中洲から思想の上で大きな影響を受けたのがそ
  の原因の一つだろう。三島は「二松学舎」の創始者で、山田方谷の教えに基づいて日本の伝統
  文化を維持しながら欧米の文化を取り入れる目的でこの学校を設立した。

  栄一は1847年弘化4年7歳のとき従兄尾高惇忠から漢籍を学んでいる。この尾高惇忠は明治5年に 
  富岡製糸場の工場長となっている。1863年 文久3年には高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てる
  が、計画を中止し京都に出奔。栄一はその後徳川慶喜に仕え幕臣となり、1867年にはパリ万博
  使節団として渡仏している。1868年の明治維新でフランスから帰国し、1870年 明治3年 30歳の
  とき 官営富岡製糸場設置主任となる。その後明治政府に仕えるが大久保利通と意見が合わず、
  民に下り以下日本資本主義の父となる働きをする。 

  渋沢栄一は第一国立銀行(現みずほ銀行 )、王子製紙、東京商工会議所、東京証券取引所、三井
  銀行、日本赤十字社、帝国ホテル、帝国劇場、日本郵船、石川島播磨重工、東京ガス、日本郵船
  東京電力、札幌ビール、東京海上等、約500社の会社を設立した。また、田園調布の生みの親
  としても知られている。”ダサい”埼玉人が殺風景な多摩川の河原を田園調布に改造したのだ! 
  田園調布に住んで居るものは”ダサい”等と言う資格が無いであろう。




  荻野吟子 
  
    (出典:国立国会図書館-National Diet Library)

 ・荻野吟子は1851年(嘉永4年)熊谷市に生まれた日本で最初の女医。1870年夫からうつさ
  れた淋病治療のため順天堂医院に入院したが、男性医師に診察される屈辱体験から、女医になっ
  てそうした屈辱に苦しむ女性を救うために女医になることを決意し、様々な障壁を乗り越えて女
  医一号となった。女性運動家としても活躍した。
  何よりも吟子の偉大さは、開業後の成功うんぬんよりも当時は女人禁制とされていた医学校に入
  学を認めさせると共に、開業試験への堅い拒否の扉を開かせ、日本医学界に女性進出の道を切り
  拓いた先駆者としての功績であろう。
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03.開高 健                
  開高 健が1989年に亡くなってはや22年が経った。そんなにも前だったか、の思いが去来する。
  開高は小説は27冊書いていて、「裸の王様」で芥川賞を受賞し、そのほか「輝ける闇」「玉、砕
  ける」や「耳の物語」等が代表作と言われているが、僕はエッセイやノンフィクション物の方が
  面白いと思う。

  今度「知的な痴的な教養講座」(集英社文庫)を、読み直しているのだが、やはり彼のエッセイ
  集は朱玉である。その第37章「世紀末」でこんなことを書いている。

  「二酸化炭素とフロンガスが地球を温室化して、温度が上昇しているとか騒がれている。やがて
   世界中の気候が変わり、生態系も変化するだろうっていう。ひょっとして21世紀は、世紀の始
   まりごろからもう、世紀末になってしまうのかも知れない。その頃、私はもちろん御舟入りし
   ているだろうが、こうして見ると、人間ちゅうのもあまり利口ではなさそうだな。」

   20年後の現在、彼の予想通り異常気候は常態化し様々な自然災害が世界中で頻発している。彼
   は御舟入りして早々と彼の地に行ってしまった。晩年の写真を見るととても60歳前とは思えな
   い様な老成した顔つきをしている。

   また、この章で漱石を好きになれない、下手糞な小説家だと言っている。特に有名になってか
   らは、無理矢理、自分を難しくしていると喝破している。「我輩は猫である」だけは面白いと
   評価するが、それ以外はダメだという。小宮豊隆、寺田寅彦、獅子文六そして日本国籍を取得
   したドナルド・キーンも漱石は評価しない。
   僕も漱石の小説は何が面白いのかよくわからない。しかしながら、鴎外と並んで明治、大正期
   の文豪とされているのは事実だ。
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02.また、新聞を替えた                      2011年10月05日

  毎日新聞から朝日新聞に、また新聞が替わった。昨年の10月の「01.新聞を替えた」として書い
  ているから1年振りである。
  毎日に較べて頁が多く分厚さが直ぐに実感できた。10頁ほども朝日の方が多いのである。しかし
  なんの事はない、それは広告分の差であって、内容的には毎日の方が良いと感じられる。
 
  2011.10.5日の朝日の朝刊は40頁であるが、そのうち全面広告が14頁もあり、更に紙面の下1/3〜
  1/4はどの頁も広告で占められていて、さらには上段、中段にもぽつぽつと広告が入っている。
  これらを計算してみると、なんと約20頁は全部広告なのである。だから正味の記事は半分の20
  頁であり、記事とは言えないようなラジオ・TV、株式覧が3.5頁もあるので、中身は知れたも
  のなのだ。

  「天声人語」は確かによく書かれていて感心するが、その他は五十歩百歩であるように思える。
  確かに広告も時に役立つ事もあるが、カラーでドギツイものが多い様に思えてならない。俳優の
  作り笑顔や、睨みつけるような白人女性など、意味のない巨大な写真が多い。ほんの少し前まで
  NHKの朝の連続ドラマで見せられていた顔が、全く異質の広告顔になっていたりする。たいがい
  広告は読み飛ばすが、もう少し洗練された品の良いものにならないものだろうか?特に広告の多
  い朝日とか読売では、広告の合間にある記事を探し読むような感覚になることがある。

  週刊誌の新聞広告の見出しを眺めるだけで、内容はかなり想像出来るので、これは重宝する。こ
  れはどの新聞でも同じようである。電車の中吊り広告と同じであり、これさえ読んでいれば社交
  的な話題に困る事はない。

  毎日の夕刊の1面の下の方に、「数独」がいつも掲載され、月〜金は初級、土曜は中級であった。
  これを解くのが楽しみだったが、それは朝日には無いので仕方が無い。「数独」も上級、難関と
  なると一寸やそっとでは解けないものがあり、秋の夜長には良いかも知れない。長い飛行機の旅
  等には格好である。

  新聞を替えて、我が女房殿が新聞拡販員の口車に載せられて何がしかの利得を得たに違いないが、
  これはお寒い我が家の家計と大新聞の拡販競争の要求が、合致したせいだろう。
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01.「以て瞑すべし」                        2011年01月23日

   葬式の追悼で、”・・・貴方の功績はもって瞑すべし”でありました。
  と読み上げられれば、故人に対しては最大の賛辞なのでしょう。否、故人は聞くことが出来ない
  のだから、参列者が故人に対して敬意を持つものなでしょう。
  人間、誰しもこのような追悼文で送られたいものではあります。

   「以て瞑すべし」とは
  ・ここまでできれば、もう死んでもよい。転じて、それで満足すべきである。
   例:「全力を尽くしたのだから"以て瞑すべき"であろう」
  ・その結果で満足すべき
  ・理想とまではいえないが、その水準に達していれば、十分に満足してよい。
  ・物事が整ったり、よい後継者が見つかったりしたので、後のことは安心だ。
  ・死者の追悼で、「生前、十分な功績をあげて満足でしょう」という意味の表現。
  ・それによって安らかに死ねるだろうという意味で、それくらいできれば死んでも良いという気
   持ち。宿願を果たしたので、もう安心して死ねる。例:「偉業を成し遂げたのだから、以って
   瞑すべしだ」 
  などと色々のところに載っているので、このように使うのだろう。

   作家の森村誠一氏が、「森村誠一の写真俳句のすすめ」2010年12月17日の森村誠一の写文俳句
  12月の中で、”以て瞑すべし”的エッセイを載せていらっしゃるのでその一部を紹介しよう。
  
  『三年間、それぞれの月、季節ごとに、人生や、自然や、移り行く世相や、発展を止めることの
   ない物質文明下の影響を受ける地球と、社会環境や国際情勢の変化などをつぶさに観察する機
   会を得た。過ぎた日は昨日のように近く、追憶は限りもない遠方に烟(けむ)っている。そして、
   未来は無限の可能性と、永遠の未知数に満ちている。

   私たちは好むと好まざるとにかかわらず空間を移動(旅行)できても、時間の囚人である。一
   分一秒も過去へ戻ることはできず、老若にかかわらず、現在がいちばん若い。我々は無限の可
   能性と未知数を食いつぶしながら、未来に向かって歩いて行く旅人である。

   過去から学ばない者には未来がないと同時に、過去に縛りつけられた者はいまがいちばん年老
   いている。過去から学んだものを教訓とし、未来に役立てるとき、我々はいまがいちばん若く、
   未知の狩人となる。

   私にとってはあっという間に経過した三年間であったが、茫然として時を過ごしていれば、そ
   れは一度限りの人生における損失(ロス)にすぎない。なにもせず、寝て過ごしても時間は時間
   であり、三年は三年である。若者は洋々たる未来の無限の可能性に恵まれているが、その可能
   性に挑戦しない限り、無限になにもないのと同じである。

   だが、そのことは若者に限られず、すべての人間に対していえることであろう。死刑でも宣告
   されない限り、いや、死刑を宣告されたとしても、執行日を告げられなければ、また医師に余
   命を予告されても、確実に予告された日に死ぬとは限らず、人間は生ある限り、無限の可能性
   をもっている。ただ、加齢に伴い、未知数が減ってくるだけである。

   生を受けると同時に、神からあたえられた日めくりカレンダーの残りが少なくなるほど、時間
   を大切に使うようになる。時間が濃縮されてくるのである。
   十二月に入ると、師走と称(よ)ばれるように、さして多忙でもない人も小走りに走りたくなる。
   一年ごとの人生の刻み目に時間が濃縮して感じられるのである。

   年頭に立てた予定を達成できず、年の暮れになってから急にばたばた動きまわって片づけよう
   とする心理と、薄くなった人生のカレンダーの持ち主の心理は共通するところがある。除夜の
   鐘が鳴り終わると同時に、人はまた新たな一年をもらったような気がするが、日毎減っていく
   人生の日めくりカレンダーを、新たに補給することはできない。一期一会の消費である。人間
   は分秒刻みに現在を過去に変えながら、神よりあたえられたそれぞれの人生を消費しているの
   である。

   なにもしない消費か、あるいはこの世に新たな生産をしながらの消費か、のちがいである。

   人生というケルン(石を積み重ねた山の道標)にどんな小さくともよいから、自分の石を新し
   く積み重ねたい。そんなおもいで聞く除夜の鐘は、一撞(つ)き、一鐘声(しょうせい)ごとに人
   間が積み上げるケルンの一石のように聞こえてくる。

   除夜の鐘撞(つ)き惜しみても時は行き


   どんな人の人生であっても、一度限り(ワンチャンス)の貴重な試み(トライアル)である。生き
   るために自分の人生の一部を売り渡したり、強制されたり、あるいは人生そのものを奪われた
   りする人もいるが、せっかく生を受けた以上、無駄に使いたくないとおもうのが人情である。
   どんな人生を過ごそうと、本人がいいとおもえば、それでよい。

   「いいじゃないの、幸せならば」が人生の要諦であるが、人間は時に幸せよりも不幸や不利益
   を選ぶこともある。社会正義のために自らを犠牲にしたり、使命のために家庭やささやかな幸
   せを放棄する。彼らにとっては幸せという身の回りの居心地よさよりも、生き甲斐や使命感の
   ほうが価値をもっているのである。つまり、幸せだけでは満足できない人間も少なくない。

   人類が文化をもってから地球上に生を受けた人間の総人口は、調査者、調査方法によって百二
   十億人から九千百億人と、かなりの異同はあるが、今日のような高度な物質文明の恩恵に浴し
   た、あるいはその副産物の弊害を受けた人類は、地球の総人口の中の一部にすぎない。いまだ
   かつて現代ほど物質文明が高度に発展した時代は過去にない。

   その意味で、現代に生きる人間は、過去の人間たちが決して経験しなかったことを体験してい
   る。電気、ガス、車、新幹線、航空機、PC、携帯、iPad、キンドルなど、物質文明の頂
   上に立った者は、決してそこから下りられなくなる。今後、これ以上の発展が期待されるとす
   れば有人宇宙船ぐらいで、この数十年間の飛躍的な発展は期待できないそうである。つまり、
   いまを生きている人類は、人類史上、空前絶後の経験をしていることになる。

   その経験が、未来の人類の幸福に貢献するか、あるいは地球そのものを破壊してしまうか、ひ
   とえにこれからの人類の英知にかかっていくであろう。自分の積み上げるべきケルンのささや
   かな一石が、人類の幸福にどんな小さくてもよい貢献ができれば、以(もっ)て瞑すべしとい
      えよう。

   
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29.パラサイト 半地下の家族 (20.02)
   2019年カンヌ映画祭でパルムドール賞を、2020年アカデミー賞を受賞したこの映画を観た。
   監督は奉俊昊(ポン・ジュノ)。
    
   「半地下(バンジハ)」と呼ばれる住居は1969年頃に武装した北朝鮮工作員が韓国に侵入し、
   テロ事件が相次いだ事から1970年に新築の防空壕として地下室設置が義務付けられた。これが
   1980年代のソウルの住宅不足危機で住居としての利用が許可された事を起因としている。住居
   としては劣悪なものであるが、家賃の安さから貧困者にとっての住居となっている。

   半地下は通りを行く人の足が窓から見られる高さにあり、通行人が唾を吐いたり、放尿するの
   を見らざるを得ない。通常地下のトイレなどの排水は汚水ポンプで浄化槽に送り込むが、この
   半地下にはそんな設備はなく汚水の逆流を防ぐためにトイレが地上の上になる高さに設置せざ
   るを得なくて部屋の高い所にトイレがあるという物凄い部屋である。これが見事なセットで再
   現されている。

   映画の冒頭は、上階のWifiを盗用してスマホを繋ぐシイーンから始まる。韓国では日本よりも
   Wifiは発達して利用されており、そう厳重ではない庶民のWifiの暗号さえわかれば上階のWifi
   でnetが繋がってしまうのだ。これは日本でも同じで、あなたのWifiは近所から利用されている
   かも知れないのでWifiのパスワードは厳重に管理すべきである。

    
   
   あらすじは『家族全員失業中で、日の光も、電波も弱い“半地下住宅”で暮らす貧しいキム一
   家。大学受験に失敗し続けている長男があるエリート大学生の友達に家庭教師を紹介される。
   大学生を偽装しIT企業を経営する社長一家が暮らす豪邸に家庭教師として入り込み、言葉巧み
   に世間知らずの奥さんを信用させ、教え子の女の子には勉強以外のイケナイ事も教える始末で
   ある。続けて美術家庭教師として妹を紹介し、父親は運転手として、母親は家政婦として徐々
   に“パラサイト”(寄生)していくキム一家の様子がコメディタッチで描かれる。
 
   後半になると、予想外の展開となる。
   社長一家がキャンプで家を空けるとその豪邸を我が物顔で利用し、飲み食いをしていると、桃
   アレルギーを巧みに利用して追い出した家政婦が帰って来て、地下深くに設けられていたシェ
   ルターに家政婦の夫が隠れ住んでいる事が発覚する。韓国の金持ちは北朝鮮からの爆撃や進入
   に備えて地下に大規模なシェルターを供え、生活が出来るようにしたのであり、そこに何年も
   家政婦の夫が隠れ住んでいたのである。

   その家政婦と夫をなんとか地下に閉じ込めたものの、豪雨があってキャンプを早く切り上げて
   帰ってきた社長家族に大慌てで何とか対処する。豪雨で半地下の家は水没し、水栓トイレから
   は汚物が逆流する始末で、体育館に避難してやっと難を逃れた。そして社長家族の下の子の誕
   生日パーティが盛大に開かれキム一家も手伝いに駆り出される。丁度その時、地下のシェルタ
   ーでキム家の長男の襲撃からら逃れ出た元家政婦の夫がシェルターから逃れ出て復讐を始め大
   惨劇となる。

   キム家の父親は半地下住宅に暮らす人々に沁みついた”匂い”を社長になじられ、積年の上層
   階級に対する恨みを爆発させて社長を刺し殺してしまう。そして忽然と姿を消してしまう。行
   き先は例の地下シェルターであり、そこからモールス信号で電灯を点滅させ、キム家の長男に
   メッセージを送る・・・』
   という大体の筋書きであったと思う。

    

   格差社会を題材にした映画である。格差は、実は日本の方が「ジニ係数」は韓国よりも高く、
   韓国はOECDの平均値よりも低い(2016年OECD調査)のであって、安倍政策は日本の格差を強め
   ていることがOECDの調査で示されている。映画「万引き家族」のようなより悲惨な現状が起こ
   りつつあるとも言える。(ジニ係数は低いほど格差が無い)
   
    

   ポン・ジュノ監督作品で2006年に公開された「グエムル-漢江の怪物」には今回パラサイトで
   キム家の父親役をしていた宋康昊(ソン・ガンホ)が出演していた。在韓米軍が漢江に投棄し
   た物質でサバのような怪獣が人を襲う映画だった。

    

   今回アカデミー賞を受賞した理由は色々あり(受賞理由)
   またぞろ韓国に対するネタミ、ソネミも数多ネットに書き込まれている。韓国財閥からの支援
   も事実あったようである。
   
    

   映画は全てセットで撮影したとポン・ジュノが来日時述べていて、猥雑なソウルの下町や豪邸
   が見事なセットで仕上がっていて、リアルであるが、この映画のキーとなると思われる「匂い」
   が役者が綺麗すぎて感じられないのは少々残念と思われる。また、そこまで残酷な絵は不要で
   はなかったと思われる。それにしてもアジア初のアカデミー賞受賞作品のことはあった。

    





28.空母いぶき (19.05)
   コミック「空母いぶき(かわぐち かいじ/小学館)」の映画化である。コミックでは新型護
   衛艦の艦長と副長、また政治家とジャーナリストという思想信条の相違を対立軸にし、互いに
   認められる部分とそうでない部分、さらにはそれら全てを乗り越えて、切迫する事態へいかに
   対処するかがメインテーマとなっている。国際政治の場における日本と中国をはじめとする各
   国の政治家の姿もリアリティを持って描かれている。

   コミックでは尖閣諸島を巡る中国との戦闘となっているが、映画では相手国は架空の国東亜連
   邦」となっていて、戦闘場所も沖縄の波照間となっている。「護憲」を掲げつつ、武力による
   安全保障について論じ
   ることはタブー視されがちだ。だが、中国の台頭で東アジアのパワーバランスは流動化しつつ
   ある。憲法を守りつつ自衛隊の抑止力を生かす具体策を議論しなければ、護憲は「机上の空論」
   に堕しかねない。「専守防衛」を貫きつつ他国からの武力侵攻に立ち向かう自衛隊と政府の姿
   を描いている。





27.First Man(ファースト・マン) (19.02)
    
   <これは映画のポスターで主演でアームストロングを演じたRyan Gosling(カナダ人)>

   Goslingは「アームストロングが成し遂げた偉業はアメリカの偉業ではなく人類の偉業だと思
   っています」と発言し、アメリカ保守層の反感を買ったが(トランプならどう非難したか!)
   誠に正論であり喝采を送りたい。映画の中では星条旗を立てるシーンは無いのも監督の意思
   だろう、これも喝采だ!50年後の今日、今度は月の裏側に中国国旗が立てられようとして
   いる、何と馬鹿なことか・・・。

   このHPの映画の記事は2018年は無しだった。観る意欲の作品が無かったからか、歳と共に映画
   なんてという気持ちからだろうかは判らない。しかし今回観たファースト・マンは少なからず
   感動した。予め前評判は新聞やネットで知っていたのではあるが、スターウォーズやインディ
   ペンデンスデイ、エイリアンなどの宇宙物などのエンターテイメントとは別の映画であった。
    
   
   監督はDamien Chazelle、原作はJames R. Hansenの「First Man」、音楽はJustin Hurwitz
   でこの抑えた音楽も実にシーンにマッチしていて、特にエンディングの延々と続く字幕も飽き
   ずに最後まで観賞できた。Justin Hurwitzは「La La Land」も作曲している。
   

   それにしてもだ、ロケットによる打ち上げの宇宙船の内部は、50年前の技術だろうが、想像を
   超える荒々しさ、激しさそしてアナログさなんだろうか?現在でもソユーズ宇宙船が唯一宇宙
   ステーションと地上を連絡する乗り物だそうだが(日本のコウノトリが貨物を宇宙ステーショ
   ンと地上を結んではいる)、そこにはアナログが多く残っていて、スイッチなどもアポロ船内
   のような手動型のものだそうで、コンソールが不具合になっても棒の様なものでグイと押せば
   スイッチが入るのだという。スマホなどは画面を手で触って命令を入れるが画面が動かなくな
   ったら万事休すとなってしまうのである。
    

   宇宙開発における事故はWikipedia 「宇宙開発における事故」に載っているが少なくない。
   宇宙飛行士達がいかに危険で過酷な訓練をしているかを、音響、視覚効果をとことん追求して
   いて、ドキュメンタリータッチなところが極めてリアリティを持って伝わってくる。Ryan Gosl
   ingの抑えた演技も実にいい。
    

   宇宙飛行士の山崎直子氏は「過酷な宇宙の状況と日常のごくありふれた景色の対比がとてもリア
   ルだなと思いました」と宇宙を経験した方ならではのコメントをしている。アームストロング次
   男のマーク・アームストロングは「「父は『宇宙船地球号』というコンセプトを信じていた。乗
   組員として、人類が責任を持ってしっかり守っていこうという気持ちが大事なのだと」語ってい
   る。
   
    
   ニール・アームストロング船長の見た宇宙、感じたままを再現していて追体験できる映画である。
   制作総指揮はSteven Spielberg(ティーヴン・スピルバーグ)が担当している。CG全盛の今日の
   映画の状況であるが、こうした実写のアナログ的映画が凄まじいリアル感や実質感を齎すもので
   ある。アメリカ映画は死んではいなかった!これは是非観るべき映画である! 
   
    
   これはNASAの本物のアポロ11号ニール・アームストロング船長の写真である。
   ニール・アームストロングが月面に降り立ったのは1969年7月20日(米国東部夏時間)の事である。
   僕が会社に入社した年の事で、大阪中の島の朝日ビルの地下で中継を観た記憶がある。
   その後12名の米国人が月着陸を果たした。


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26. キングコング:髑髏島の巨人 (17.04)

   キングコングは1933年にデビューした特撮映画であり、今回の「キングコング:髑髏島の巨人」
   は8作目である。1作目ではキングコングは5.4m〜7.2mの設定であったが、今回のものは32m
   と相当に巨大化した。1970頃を想定した展開となっていて、ヴェトナム戦争終結頃の話から始ま
   る。

    
   公式サイトの紹介はこう書いてある
   「1973年、南太平洋にある未知の孤島スカル・アイランドに調査隊がやってくる。調査隊を護
    衛するのは、ベトナム戦争の歴戦のヘリチームだ。しかし調査のために行った爆弾投下が、
    島の守護神である“キングコング”を怒らせた。ヘリの多くは破壊され、かろうじて生き残
    った人々は島からの脱出を目指す。しかし彼らを襲うのはコングだけではなかった。トカゲ
    の様な怪獣、巨大グモ、翼竜…。そして部下をコングに殺されたヘリ隊の隊長パッカードは、
    コングに復讐を誓っていた。」 

   これが髑髏島で、その周囲は物凄い嵐が絶えず吹き荒れているが、その内に入ればこのような
   自然が残る島である。多分ベトナムのハロン湾の奥地あたりでのロケだろう?
    


   コングが怒ると、ヤシの木を投げてヘリコプターなんか簡単に墜落させられる。
    


   この32mもの巨大なコングの迫力は凄い!
    


   トカゲに似た怪獣も出て来る
    


   巨大な水牛だ
    


   コングが怒ればヘリコプターなんか手掴みで落としてしまう
    


   コングとトカゲの様な怪獣の闘争は迫力満点
    


   とにかく、ストーリーなどどうでもよく、奇怪な怪獣やコングの暴れまわる画を楽しむだけの
   映画だろう、それはそれで面白い。

   この映画は4DX3D映画もある。4DX3Dの説明はこう謳っている。
   「4DXとは、現在、映画業界で最も注目を集める、最新の映画上映システムです。モーションシ
    ートが、映画のシーンに完全にマッチした形で、前後&上下左右に<動き>その衝撃を再現。さ
    らに、嵐等のシーンでは<水>が降り、<風>が吹きつけ、雷鳴に劇場全体が<フラッシュ>す
    る他、映画のシーンを感情的に盛り上げる<香り>や、臨場感を演出する<煙り>など、様々な
    エモーショナルな特殊効果で、≪目で観るだけの映画≫から≪体全体で感じる映画≫の鑑賞が出
    来る通常のシアターでは得ることができない特殊効果によって、映画の持つ臨場感=魅力を最大
    限開放することができる、アトラクション・スタイルの映画上映システムです。」

    3Dだから立体映像眼鏡をかけて観賞することになる。料金はシニアでも2,500円と高い。
    この4DXの更に上を行くのがM4DXで、「・シートの突き上げ ・首元への感触 ・背中へ
    の感触 ・香り ・風 ・水しぶき ・足元への感触 ・地響き ・突風 ・霧 ・ストロボ」
    が体感されるという。

    現在このM4DXは埼玉のTOHOシネマズ ららぽーと富士見の他、東京ではTOHOシネマズ新宿、
    六本木などである。(17.4月)

    このキングコングはアメリカ版GOZILA作成チームが担当したようで、いづれGOZILA
    とキングコングとの対戦映画も作るそうである。

    「いやぁ、映画って本当にいいもんですね〜」の水野晴郎とは岡山・高梁の同郷である。


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25. シン・ゴジラ (16.08)

    
   久方の日本版ゴジラの登場である。本家のゴジラはやはりいい!
   体内が不気味に赤いのが気になるが、なんとエネルギーは核という想定である。こうした映画
   は科学の常識を覆し、一般常識を破り、何処までも支離滅裂で、破天荒で、凶暴で、徹底した
   破壊がいい。日常の鬱積を晴らしてくれる。

    

   この不気味な赤は実にいい。
    

   ゴジラ論は色々あるが、この「シン・ゴジラ」に関しては
   黎明期フラストレヰション/[映画]『シン・ゴジラ』、戦後補完計画。が出色ではなかろうか。
   正統派では川本三郎から加藤典洋、笠井潔などのゴジラ論が知られている。大体が太平洋戦争
   の英霊説が一般的だ。

    
   川崎の武蔵小杉の高層マンション群でゴジラは自衛隊の攻撃を受け、なんとか多摩川を渡さな
   いようにするが、ゴジラは自衛隊の通常兵器など物ともしない。例によって皇居は避けて東京
   駅・丸の内まで辿り着く。皇居を避けるのは戦争の英霊であるゴジラは天皇制の呪縛から解き
   放たれないままだとの理由が多いとか、東宝の方針だとか?。
   女性の防衛大臣が勇ましい。やれと仰れば徹底的に無慈悲にやると宣われる。現女性大臣と重
   ねて見てしまった!
   


    

   自衛隊の兵力を見縊った米軍が「地中貫徹爆弾」を投下してやっと動きが鈍るものの、体内に
   原子炉を有していて、謂わば動く原発の様なもので、原子炉のエネルギーを利用した熱線ビー
   ムや火炎をを放射して米軍機を打ち落としたり、高層ビルを崩壊させる。

   いよいよ多摩川を渡って都内へ侵入する。
    

   牧という教授は、海に投棄された放射性廃棄物を食べて生育したゴジラの出現を予言していて
   放射能で被曝した妻が無くなったのは政府のためであり復讐にゴジラを利用したらしい。

   ゴジラは世代交代を経ることなく一個体で進化を続ける「人知を超えた完全生物」であること
   が判り、進化を止めるには東京のど真ん中に核爆弾を投下してゴジラを完全に消滅させるしか
   ないとの多国籍軍判断である。
   牧教授の残した資料を解読した結果ゴジラの生体機能を阻止できるデータが得られ、新幹線な
   どの列車爆弾でビルを倒壊させてゴジラを転倒させて口からコンクリートポンプ車で凍結剤と
   生体抑制剤を大量に口から流し込んでやっと凍結させて活動を停止させ、東京への核投下は中
   止される。

   しかし、今後再び動きだした場合には再度核攻撃が直ちに行われることになる。ラストシーン
   は巨大な尾の先から人の形をした数体が映されるという、謎の暗示に満ちたものである。

   東京のど真ん中にこんな物騒なものが放置されて、さて東京の人は、政府はどうするのだろう
   か?いつまた動き出すかも知れないのだ。動き出せば一時間内に核を落とすという制限付きの
   国連安保理の決議である。

   福島原発はメルトダウンした核物質を取り出して処理するのに30年も掛かるという。汚染水
   の流出は完全に止まった訳ではないだろう、報道されないだけだろう。原発稼働によって排出
   されるプルトニウムや放射性廃棄物は増え続けるがその保存、廃棄場所さえ決まっていない。
   原発近くの除染は進まず、原発難民は何十年も漂流を続けなければならない。プルトニウムを
   利用するプルサーマル計画やもんじゅ発電所はいまだに事故を起こし続け完成のメドさえ立っ
   ていない。このもんじゅの高速増殖炉発電はいまや世界で日本しか進めていないのだ。

   日本の原発の多くは停止しているが、政府方針としては耐久年度を伸ばしてでもその多くを再
   稼働する方針らしい。凍結したゴジラと停止した原発、因縁めいたものを感じざるを得ない。


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24. インデペンデンス・デイ リサージェンス(INDEPENDENCE DAY RESURGENCE) (16.07)
   あれから19年である。1996年にインデペンデンス・デイが公開されてもうそんなにも月日が経
   ってしまった。96年といえばまだ現役で会社勤めの日々であった。橋本龍太郎内閣が誕生した
   年で、前年には阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きた頃である。60歳の定年もまだほと
   んど意識しないで仕事漬けの日々を過ごしていた。その頃に前作が作られたのであった。

   これは96年の映画の一場面である。ミニチュアとCGの壮大なスケールの画面に圧倒された記
   憶がかすかに残っている。直径24Kmの巨大な宇宙船は地球の人類の根絶と資源を奪い取る目的
   で各地の上空に居座り容赦のない攻撃を仕掛けてくるが、強力な宇宙船のバリアーは核攻撃さ
   えも無力化し、世界の主要都市は宇宙船の攻撃で廃墟と化してしまう。そんな中、宇宙船にコ
   ンピューターウイルスを感染させバリアーを無力化して宇宙船を攻撃して地球の危機を救うと
   いうものであった。

   (1996年のインデペンデンス・デイの宇宙船)
    

   当時はまだ今の様にインターネットも普遍化はしていなく、Windows95が発売されてやっとパソ
   コンの普及が進みネットはこれからという時代であり、コンピューターウイルスと言われても
   まだ認識は浅かったが、アメリカ映画では既にそれによって巨大なシステムを壊すことを描い
   ている。最近では日本は韓国や東南アジアの一部の国にもインターネットで遅れを取る始末で
   ある。

   さて、今回の映画は映像の多くはCG化されスケールも大型化し、映像も各段に向上している。

    


   

   なんと今回の宇宙船の規模は4000kmを越える大きなもので、米大陸や大西洋を覆うほどの大き
   さの設定になっている。また人類はエイリアンの技術を吸収して新しい武器や乗り物を造りだ
   し、UNのもとに結集してエイリアンに対抗するようになっていて、地球防衛軍プログラム
   (ESD)を作成し、世界の民族が地球を守るために結集している。現実の世界では排他孤立
   の傾向化にあり、民族間、国家間の紛争が絶えず、テロの頻発に世界が怯えている現状なのは
   皮肉という他はない。

   映画では米国大統領は女性になっているほか、ここでも中国人がESDの幹部になるなど経済
   力をつけた中国を映画市場として強く意識した映画作りになっている。最近の米国の娯楽大作
   には必ず中国人が重要な役割で登場するのは商業上いた仕方ない事なのだろう。

    

   なんとも凄まじいのは今度のエイリアンは地球の中心深くドリルで穴をあけ地球のコアにある
   マントルを吸い上げて利用するとか、重力をコントロールし、地上のあらゆるものを空中に持
   ち揚げ、高いところから地上に投げおろして破壊するなどの技術を持っている。ドバイの828m
   のブルジュ・ハリファタワーを真っ逆さまに突き落とすシーンなどもあります。映像を楽しむ
   だけで十分だろう。ただ気になって仕方ない事の一つに米国映画のエイリアンはなんとかなら
   ないものだろうか。あのスターウオーズを作るハリウッドならもう少し工夫があってもいいの
   ではないか?

    

    


 

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23. マイケル・ムーアの世界侵略のススメ (16.05)
    

   米国の政治、社会に対して警鐘を鳴らし続けるマイケル・ムーアの映画の上映館は限られる。
   自宅から40分ほども車で走ってやっと上映館にたどり着いた。子供や女子学生に人気の映画を
   やっているのだろう、「シネプレクスわかば」はごった返していたが、このスクリーンはガラ
   ガラであった。

   予告編にはこう書かれている「ベトナムやアフガニスタン、そしてイラク…。世界各地に侵略
   戦争を仕かけているアメリカ合衆国だが、一向に状況は改善されない。思い悩んだ国防総省の
   幹部たちは、マイケル・ムーアに新たな“侵略”を依頼する。それは各国では常識とされてい
   るアイデアを略奪し、それを盗んで持ち帰ること。イタリア、フランス、スロベニア、ドイツ
   チュニジア、フィンランド、アイスランド、ポルトガル…。それらの国を訪れたムーアが見た
   ものは、アメリカでは考えられない驚くべき“常識”だった!」。

   そのどの国でも、米国に比べ、人は皆幸せで人間らしい暮らしを保証されて生活をエンジョイ
   している。その殆どが実は米国でもともと作られた制度だったのだ。それが外国に定着し、米
   国では機能しなくてしまったのだろう、あの輝ける自国は何処へ行ってしまったのだろうと問
   いかけている。藤原帰一氏は毎日新聞の映画評論で「大統領選で民主党の民主社会主義者と名
   乗っているサンダース候補が善戦したが、そうした人も米国に居ることをこの映画は見せてく
   れる」と言っている。

   ドイツでは、鉛筆工場の労働者が優遇される話が出て来るが、先の大戦で自国は何をなしたか
   を全て包み隠さず学校の教科書に載せて、戦争経験も無い子供にもしっかりと教え、将来に渡
   って伝え反省していく事を描いている。我が日本はどうだろうか?太平洋戦争肯定論も出てき
   ており、アジア諸国に対して行った事の事実の認定や検証もなく闇に葬ろうとしている。

   最後に、アイスランドの女性への質問だったと思うが、”お金をあげるから米国に住んでみま
   せんか?”とマイケルが尋ねると

   ”巨万の富を持つ人がいる一方で飲食にも困る者がいて、最先端の医療を受ける人がいる
    一方で病院にも行けない多くの人がいるなんて”それが”気にならない”社会の国になど
    決して住みたいとは思わない!と断言するのが印象的だった。

    海江田宗氏は以下の評をしている。
    『新作「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」では、世界の国々にはあってアメリカには
     ないモノをアメリカに持ち帰っているムーア監督。本作の中で「侵略」した国のうちの1
     つであるドイツからは、「ナチスの残虐な行為を次世代に伝える」という「平和教育」を
     持ち帰り、インディアンへの差別や黒人奴隷制度について十分な教育をしないアメリカ国
     民に一石を投じている。

     ドイツと同様に日本でも第二次世界大戦に関する教育が行われていることを「素晴らしい
     ことだ」と話すムーア監督は、「オバマ大統領が広島を訪問することを大変嬉しく思う。
     でも驚いてはいない。彼はそういう人間だと思うからね」と評価した。また、「戦争以来、
     武力に頼らず平和的行為で問題を解決してきた日本の人々にオバマ大統領は感謝している
     だろう」と話しつつ、「これまで武力なしでは問題を解決しようとしなかった国の大統領
     がそのことに感謝するっていうのは皮肉なことだよね」と述べた。

     自身も広島を訪れたことがあるというムーア監督は、その体験を「心を動かされ、とても
     悲しかった」と述懐。しかしアメリカ軍の海兵として沖縄戦に参加していた彼の父親は沖
     縄の後の本土上陸を指示されていたといい、「原爆投下は本当に、本当にむごすぎる行為
     だが、もしかしたら父の命を救ったのかもしれない。父が死んでいたら僕はここにいない。
     誰もそのことはわからない」と複雑な心境を明かす。

     ただ、「原爆が投下された時の日本はすでに、国の首脳部の意見とは裏腹にもう戦争を続
     けられる状態ではなかったのかもしれない」と分析するムーア監督は、「あくまで私個人
     の見解だが」と前置きしてから「その時のアメリカ大統領は『この爆弾が本当に使用可能
     かどうか試すべき』と誰かに説得されたんじゃないだろうか」と推測した。

     「その行為を同じ白人に対して行うことはアメリカ人にはできなかったんだ」とムーア監
     督。「とても悲しいことだ。そして第二次世界大戦以降、アメリカはほとんど有色人種の
     国としか戦争をしていないんだ」と振り返り、「人種差別には吐き気がする」と続けた。
     「しかし今の我々には白人ではないアメリカ大統領がいて、彼が広島を訪れる。そして白
     人ではない人々に囲まれて話す。そのことは全ての人に訴える何かがあるのではと思って
     いる」と願いを込めていた。』

     16.6.5の毎日新聞の「時代の風」にこのようにこの映画について書いている。
     過激なアポなし取材のドキュメンタリーで知られる映画監督の新作は、タイトルに似合わず
     希望に満ちた作品だった。言葉は「侵略」と、おどろおどろしいけれども、中身は、マイケ
     ル・ムーア監督本人が欧州各国を歴訪し、魅力的な政策をいろいろな国から学んでくる(侵
     略して盗んでくる、と称している)という、穏やかかつ有意義な話だ。

     フランスを侵略してフルコースのような学校給食を盗んだり、イタリアからとても長い有給
     休暇を盗んだりする中で、私がびっくりさせられたのは、アイスランドの話だ。1980年
     に、世界初の民選女性大統領が誕生したアイスランドは、男女平等ランキング1位、世界で
     もっとも女性が住みやすい国と言われている。

     そのアイスランドだが、21世紀に入ってたいへんな経験をした。リーマン・ショックの影
     響をもろにかぶって、国内3大銀行が軒並み巨額の負債を抱え、倒産の危機に陥ったのだ。
     男女平等が進むアイスランドにあって、男性優位が続いていたのが金融業界だった。男性経
     営者の三つのメジャーバンクが虫の息にあえぐ中で、黒字を出し健全経営を守った銀行があ
     った。その銀行、オイズル・キャピタルの経営者は、女性だった。創設者でもある2人の女
     性経営者が買うのは「分かるものだけ」。リスクを取り、実体のないものを追いかけがちな
     男性とは、違う論理で動いていた。

     リーマン・ショックが起きたときには、世界中にこんな疑問が駆け巡ったそうだ。「もしリ
     ーマン・ブラザーズがリーマン・シスターズだったら?」。世界的金融危機の引き金となっ
     た経営破綻は、果たして起こったのだろうか?

     男女平等を旨とするアイスランドは、この疑問をどこの国より真剣に受け止めた。国の財政
     を破綻させるほどの危機を作った銀行家の男性たちは訴追され、三つのメジャーバンクは国
     有化された。そして、危機を招いたのは男性型思考への極度の偏りが原因だったとして、二
     つの国有銀行の最高経営責任者(CEO)が女性に代わったのだ。ちなみに、アイスランド
     では企業の役員にクオータ制を導入しているので、40%は女性でなければならない。

     ドキュメンタリーには、美しく賢そうな女性経営者たちが登場して、口々に説いていた。チ
     ャンスがあれば女性は男性と同じようにあらゆる分野で力を発揮するだけではなく、だいじ
     なのは、男と女は違うということなのだ。どちらが偉いとか賢いとかいう話ではなくて、別
     のやり方を提示することができる。それが重要なのだと。

     アイスランドでの女性の活躍以外に、この映画の中で最も驚いたのは、ノルウェーの刑務所
     の例かもしれない。死刑制度はなく、最長刑期は21年で、刑務所は冷たい灰色の建物など
     ではなく、なんと湖を見下ろすリゾート風の一戸建て。囚人は、好きな服を着てパソコンも
     持ち、料理をするためのナイフも持っている。ノルウェーでは、刑務所で厳しい懲罰を科す
     よりも、普通の暮らしがどんなによいかを学ばせることに力を入れているのだろう。そう説
     明されてもにわかには納得しづらいが、ノルウェーの再犯率は世界で最も低いと聞けば、自
     分が常識だと思っているものの根拠が揺らぐ。ドキュメンタリーには、息子をネオナチに殺
     された父親が登場して、それでもノルウェーの法律を変えたいとは思わないと語る、この国
     の人々の重い決断と意志を感じさせるシーンもあった。

     真似(まね)できるのではと思わされたのは、宿題なし、授業時間ヨーロッパ最短で学力ナ
     ンバーワンをキープするフィンランドの教育と、スロベニアの大学授業料無料。スロベニア
     の学生は「借金」という言葉を知らないらしい。理想は掲げなければ実現されない。世界を
     見回して、すでに実現された理想があると思うと、ふと心が軽くなってくる。



    
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22. オディッセイ (16.02)
    

   火星に取り残された宇宙飛行士を救出するお話のSFである。
   あらすじ等はWikipediaをどうぞ。→オディッセイ

   米映画の例にもれず荒唐無稽、サービス満点のジョークや派手な映像もたっぷりあるが、火星
   で植物を育てるという設定には興味が惹かれた。植物を育てるための水や肥料などを限られた
   部材でやりくりする過程をもう少し丁寧に見せて貰いたかったものだ。もし火星に人が住む際
   には避けて通れない問題だからだ。

   この映画については評価が分かれているという。こちらに評価→オディッセイ評価
   原作の『火星の人(原題:The Martian)』にもあるそうだが、ロケットの打ち上げに失敗した
   NASAが中国のロケットの協力で物資を届けるストーリーが出て来る。国際宇宙ステーション
   には日本の「こうのとり」が協力しているのではなかったか?もはや宇宙開発も米中が仕切るよ
   な状況なのだろうか!米国の目は日本を通り越してもはや中国に向いているのだろう。

   16.2.5の毎日新聞の夕刊に載った「オディッセイ」の映画評論では”火星で見せた開拓者魂”の
   見出しで、「知識と技術を総動員して、火星の限られた施設にあるものを工夫して利用するさま
   が西部劇で苦難を乗り越える開拓者の、不屈の精神をみるようだ」と称える。また「NASAや
   宇宙船の乗組員や地上の職員などが救出作戦で結束する様が勝利に向けて猛練習するスポーツチ
   ームのようであり、映画を観ている者もその一員になったような一体感を植え付ける」と80歳に
   して若々しい映画作りをするリドリー・スコット監督にエールを送っている。

   1月程前に見た「スターウオーズ」は前宣伝の割には新味もなく昔のオムニバスのようで詰らな
   かったが、この「オディッセイ」の方が余程面白く感じられた。

   上の毎日の評論の追加蘭に「主人公が様々な工夫でサバイバルを試みる孤独な奮闘、NASAの
   人々の努力、宇宙船乗組員の決断が一つに結びついていく展開がドラマティックで、絶望状況を
   描きながらワクワクさせられる映画は滅多にない。宇宙や科学好きな子供にも進めたい快作」と
   褒めたたえている。僕も小学6年生の孫ともう一度見てみようかな・・・。


    



                          <写真は同映画公式HP等より拝借>
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20. GODZILLA (14.07)
    
   この夏ゴジラがまた帰ってきた。1998年のハリウッド版ゴジラについで二度目のハリウッドの
   ゴジラである。前回のゴジラはどう見ても恐竜、それもジェラシックパークの恐竜としか見え
   なかったが、今回のは本家のゴジラにかなり似ている。なんだか少しホッとさせられる。

   1998年のGODZILLA
    

   その迫力たるや凄まじい!かって1954年(S29年)の初代ゴジラなどと比べるとその映画技術や
   金の掛け方、当時はCGなども無論なかったものの全く比較にならない。

   評論家の加藤典洋はゴジラ好きでも知られていて、『さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く
   離れて』(岩波書店、2010年)の本も出しているが、「第二次世界大戦での戦死者は二百数十
   万人、民間人あわせ三百万人の方が亡くなっている。生き残ったものは死者への負い目をどこ
   かで感じながら生きている。戦後の日本に対し、亡くなった軍人の亡霊がゴジラとなって帰っ
   てくる、だから他のどこでもなく50回も日本に帰ってくるのだと」ゴジラを評している。


    

   まあ、ハリウッド版だからそういう事は一切お構いなしで、娯楽性たっぷりに描かれていて、
   日本の扱い方もいつもの通りである。ハリウッドが日本や日本人を扱う際に、この情報が溢れ
   る時代にいつまでたっても珍妙なものとなってしまうのは、何故なのだろうか? 先日、アフ
   リカのジンバブエの小さなTV局が日本を取材してTV番組を作るのを放送していたが、彼等
   は少ないスタッフと質素な資機材で番組を作るのだがそれは見事に日本を捉えていてひどく感
   心させられてしまった。無論、娯楽の映画とドキュメンタリーでは一概に論じられないが、ハ
   リウッドには日本など真面目に映像化する意識の欠片もないようである。

  
    

   日本の円谷英二監督のゴジラの特撮映画と今回のGODZILLAを比較してみると、その映
   像のスケール、精密さ、音響効果、迫力等において圧倒的な差異がある。今回はしかも3D版
   もあり、同じゴジラ映画とは思えない。

    

   ここまで映像技術が進んでくると、もう何でも映像化出来ないものは無いのではないかとさえ
   思えるほどである。外は猛暑が続いています、どうですか涼しい映画館でGODZILLAは!
   
   ストーリはWikipediaの「ゴジラ2014」からどうぞ

   加藤典洋の「さようなら、ゴジラたち・・・」に関しては以下の書評があるので紹介しよう。
   「読書日記」(nightlander  尾崎俊彦) 




                          <写真は同映画公式HP等より拝借>
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19. 大統領の料理人 (13.09)

    
   料理人は大抵どこでも男である。フランスといえどもレストランやホテル、官邸の料理人は男
   の職場である。その男の領域へミッテラン大統領時代の1988〜1990年に、大統領の初の女性料
   理人を務めたダニエル・デルプシュの実話を元にした映画である。1988年はミッテランの二期
   目の始まりの年であり、大統領の我が儘が通ったのだろう。ミッテランも72歳で相次ぐ饗宴料
   理には飽き飽きし辟易した頃だったろうし、健康上の都合からも田舎料理、お袋の料理が恋し
   くなる年齢だったのだろう。
   
     


   料理人役はカトリーヌ・フロが演じる。大統領役は小説家のジャン・ドルメッソンである。ミ
   ッテラン大統領は1981年〜1995年2期14年に亘って大統領を務めたが、物語はその中ごろの話。
   ミッテランは翌年、1996年1月に前立腺がんの延命治療を拒否して死去している。大統領役の
   ドルメッソンは1925年生まれで1916年生まれのミッテラン大統領より9歳も年下だったのだが、
   随分と老けて見え引退後の老人のようである。本物は65歳で大統領になり79歳まで勤めたのだ
   が写真やTVでは随分と若く見えたものだ。

    
   


   片田舎でレストランを営む女性シェフがミシュランスター・シェフであるジョエル・ロブショ
   ンの紹介で大統領のプライベート・シェフとしてエリゼ宮の厨房入りをする。しかし男性シェ
   フで固めた伝統と権威でガチガチの厨房で、彼女は大統領の信任だけを頼りに奮闘する。最後
   まで官邸シェフ達とは折り合わず、僅か2年で宮廷を去り、食べる事だけに楽しみを託す南極
   基地の料理人になって宮廷時代のうっぷんを晴らすかのような料理を作る。
   
    



   既に有名人となった女シェフを南極まで取材に来るオーストラリアの取材は、どういう意味合
   いを映画に与えているのか僕には解らないが、最後に彼らにニュージーランドでのトリフュに
   適した場所を見つけて働きたいなど将来の仕事を語る。そうした南極のシーンがエリゼ宮で料
   理を作るという本筋に度々挿入される。

    



   その大統領の要望に見事に応える料理を提供する様を、大統領のシェフを務めた後南極基地の
   シェフとして隊員に料理を作り感謝される映像を交え乍ら映していく手法は、観る人によって
   は、見づらいと評する向きもある。まあ、そうした事よりも料理に重点を置いてこの映画は観
   るべきであろう。残念ながら料理番組ではないので、詳細な料理法までははあまり出てこない。

    

    
  


   食材を探し求める主人公にフランス料理の奥深さも楽しめる。また実際に食通だったミッテラ
   ン大統領の料理へのこだわりも描かれている。これは誰も居ない厨房で、大統領にトリフュを
   パンに載せて食べさせるシーンである。こんな贅沢なトリフュの食べ方があるなんて・・・。

    



   僕も60歳になってから料理教室に何年も通ったが、このフランスの食材の豊かなことは驚嘆さ
   せられる。料理の質が我々がチマチマと作るものと圧倒的に違い、ボリュームがあり、厚みが
   あり、奥行がある。

   元々フランスは農畜産大国で農畜産物は自国で悠々賄えるし、魚介類も豊富である。こと食材
   に関しては世界に冠たる大国なのである。ただ残念なのは原発依存大国で、いつどこで原発事
   故が起こるかも知れない不気味さがあり、使用済み核燃料や核汚染物質の最終処分方法は確定
   的ではない。あのトリフュやフォアグラやエスカルゴが永久に安全に食べられるという保障は
   ないのである。

    

    
   
   こうして映画に出てくる料理を並べるだけでも、思わず涎が出そうなものもある。
                          <写真は同映画公式HPより拝借>
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18. 終戦のエンペラー (13.08)

    

   広島、長崎に原爆を投下する飛行機が飛び立つシーンから始まる。この飛行機が数時間後に何
   十万もの生命を一瞬にして奪い、生き残った者に地獄の苦しみを与え続けたかと思うと戦慄を
   を覚える。結局、日本は無条件降伏をして、マッカーサー司令官が日本に乗り込んで来る。マ
   ッカーサーの任務は日本を占領し、日本を民主主義国として再生させることだ。
   
   撮影はニュージーランドで行われたので、厚木基地に米軍機が降り立つ背景の山並みは当然丹
   沢ではない。日本は降伏したもののいつ襲撃されるか不安が募るなか、米軍の権威と体面を保
   つため、丸腰でタラップを降りる決意をする。ただ、マッカーサーを迎える日本の兵隊達が通
   過直前に後ろ向きの姿勢をとるが、これは見たことのない光景だ。

   マッカーサーは、戦争責任者たちを逮捕して連合国の裁判で裁くのだが、最大の問題はその戦
   犯裁判に天皇をかけるべきかどうかである。ボナー・フェラーズ准将に、その調査を命じ、そ
   してフェラーズが、東条英機、近衛文麿等にあたって、天皇の戦争責任を問い、裁判にかける
   べきかどうかを確かめる。

   ボナー・フェラーズは、米国に留学していた渡辺ゆり(後の一色ゆり)と戦前親しかった。渡
   辺ゆりは、恵泉女学院を創設した河井道、津田塾を創設した津田梅子等の推薦でクエーカー教
   系のアーラム大学に留学した時にフェラーズと親交を結んだのである。渡辺ゆりを通じてフェ
   ラーズは日本に関心を持っていた。
   フェラーズはマッカーサーと天皇が会見する前に、一色ゆり(渡辺)と河井道をアメリカ大使
   館に招待して、二人の意見を取り入れながら天皇を不起訴にする書類を作成してマッカーサー
   に提出した。

   これが功を奏して天皇は戦犯として裁かれることにならなかった。マッカーサーに彼のような
   軍事秘書がいた訳である。マッカーサーは1948年の大統領選に出馬を計画しており、早期に日
   本の占領政策を成功裏に終わらせ凱旋帰国を望んでいて、日本統治は良好である旨を本国に印
   象付ける必要もあったのだろう。結局はトルーマンとの戦いに敗れ、大統領にはトルーマンが
   就任した。

   
    

   上の映画の写真と下の本物の写真を比べると、マッカーサーの服装が映画ではよれよれである。
   本物の写真ではマッカーサーのズボンにはちゃんと折り目が着いており、シャツもアイロンが
   かかっている。どういう意味があるのだろうか?

   自害した東条英機役をした日野正平は、セリフは一言も無かったが、容貌が似ていて採用され
   たのではないかと日野が語っている。一月間ニュージランドで毎日100ドル貰ってブラブラして
   いたそうである。自害して机にうつ伏せているワンカットに出ただけである。

   ボナー・フェラーズは1971年に勲二等瑞宝章を「天皇陛下を戦犯より救出した大恩人」として
   贈られている。しかしフェラーズには、「週刊新潮 2013.8.29号」に掲載された日本円偽札
   作戦の顔もあった。彼は保守の思想の持ち主で、帰国後共和党に入り極右といわれたゴールド
   ウオーター上院議員の大統領予備選挙にも関わった人物でもあった。また、対戦直前まで日本
   大使館で対米交渉をしていた寺崎英成が天皇側の情報をフェラーズに流していたと、毎日新聞
   の金子秀敏が「2013.8.29の木語」に書いている。寺崎英成はフェラーズのいとこのグエンと
   いう女性と結婚していたのである。しかしこの映画には寺崎英成はちらとも現れない。関屋貞
   三郎を演じた夏八木勲の好演が光る。

   赤旗は「マッカーサーの側近にフェラーズのような人がいた、という意外な道具立て。しかし
   中身は旧態依然として天皇美化論に組するものだ。この映画をきっかけに、日本の戦後の出発
   、アジア太平洋戦争を考えるのも良いかもしれません」とつれないものだ。
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17. 風立ぬ (13.08)

    

   宮崎駿がその企画書でこう書いている。
   「この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名の小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の
    一節を堀辰雄は“風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同
    時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている。
    後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出
    会い別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を超えた彩どりをそえて、完全なフィクショ
    ンとして1930年代の青春を描く、異色の作品である」と。

   正にごちゃまぜの映画である。映画を観た人の感想も実にごちゃまぜで、あるいは喫煙シーン
   が多すぎて良くないだの、感動しただの、違和感を覚えただのと様々である。

   13.8.21の毎日新聞の「特集ワイド」で、この映画のキーワードは「ピラミッド」であると言
   う評論家岡田斗司夫の説を紹介している。「君はピラミッドのある世界とない世界、どちらが
   好きかね?」と二郎が夢の中でイタリアの飛行機設計技師のカプロニに問われ、「僕は美しい
   飛行機が造りたい」と答える。この問答がキーポイントだと岡田斗司夫は言う。

   ピラミッドは美の象徴であり、二郎はピラミッドを選んだ人間で美しいものにしか興味は無く、
   戦争の現実も、不景気も関心が無いんである。ピラミッドは権力が貧しい民衆から収奪して造
   ったもの、ピラミッドの無い世界は貧富の差も無く、犠牲も無く皆が平穏に暮らす世界だが、
   美は生まれて来ない世界である。宮崎駿も二郎もピラミッドの無い世界はイヤだと言っている
   のだとする。
   
   岡田は「我々も程度の差こそあれ二郎や宮崎駿と同じで、恋愛で生活を顧みなかったりするな
   ど、何かに夢中になると何かを犠牲にして生きているものだで、実にリアルな映画である」と
   言う。

   まだ見ておられない方は、直ぐにTVやビデオでも見られると思うので、単なる子供のアニメ
   とは思わず観賞されては如何!
   画面の美しさは一級品で、群衆を描く僅か4秒のシーンに1年3ケ月も費やしたと8月26日のNHK
   「プロフェッシャル」で、その職人ぶりが放映される。ただその陰で、こうしたアニメの製作
   者は生活出来ない程の低賃金労働を強いられている事実がある。観客動員数は500万人を超えた
   はずであり、彼らに人並みの給料を払うべきだと思いますがね。
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16. 狂言 (13.02)

    

   狂言を初めて観た。野村万作、野村萬斎親子の狂言であった。

   狂言は「能は面を使用する音楽劇で、舞踊的要素が強く抽象的・象徴的表現が目立つ。またそ
   の内容は悲劇的なものが多い。これに対し狂言は、一部の例外的役柄を除いて面を使用せず、
   猿楽の持っていた物まね・道化的な要素を発展させたものであり、せりふも含め写実的表現が
   目立つ。内容は風刺や失敗談など滑稽さのあるものを主に扱う。」とWikipediaに載っている。

   能も狂言も同じ能舞台で演じられるが、今回は有楽町朝日ホールであったので至極情緒に欠け
   た舞台であった。あの屋根が付いて背景に見事な松の絵が描かれている観客席から見上げるあ
   の舞台である。野村万作、野村萬斎の舞台だから悪いはずは無いのだろうが、如何せん何か薄
   っぺらく、深みが全く感じられなかった。全席7,000円にしては貧しいものだった。球場で大
   相撲を観ているようなものである。やはりしかるべき能舞台で見るに限る。

   狂言は能のような面は殆ど被らない。言葉も能に比べて分り易い。今回の出し物は「墨塗」と
   「鬮罪人」であった。それと素囃子の養老が囃された。上演に先立って野村萬斎が狂言につい
   て解説したので、それぞれの演技の内容を知ることができた。野村萬斎は映画「のぼうの城」
   で成田長親を演じ、その一場面でまさに狂言を演じたものだった。
 
   機会があれば、ちゃんとした能楽堂でじっくりと観劇したいものである。
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15. 東京家族 (13.01)

    

   小津安二郎が60年前に作った「東京物語」のリメイク版を山田洋次が2013年1月に公開した。

   Wikipediaの東京物語に書かれている映画のあらすじはこうだ。

   『1953年の夏、尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に旅行に出掛ける。東京に暮らす子供
    たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて
    両親をかまってやれない。寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だっ
    た。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。

    両親の世話に困った幸一と志げは、2人を熱海の旅館に宿泊させる。しかし、その旅館は安
    価な若者向きの旅館で、2人は騒々しさになかなか眠れない。翌日、熱海から早々に帰って
    来た2人に対し、志げはいい顔をしない。居づらくなった2人は志げの家を後にする。周吉は
    在京の旧友と久方振りに再会して酒を酌み交わし、とみは紀子の家に泊まる。ここでとみは、
    戦死した夫を忘れて再婚するよう、紀子に強く勧めるのだった。周吉は旧友に本音をぶちま
    けるほど泥酔する。深夜、泥酔状態のところをお巡りさんに保護されて、志げの家に帰って
    きてしまう。そこで志げ夫婦の顰蹙を買う。

    2人は、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったが、それでも満足した表情を見
    せて尾道へ帰った。ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態である
    との電報が子供たちの元に届いた。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは
    死去した。幸一と志げは悲しみつつも、間もなくさばさばした乾いた表情を見せる。

    とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に、とみの形見の品をよこすよう催促する。そ
    して志げは、とみよりも周吉が先に死ぬのが望ましかったと主張し、幸一もそれに同調する。
    紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。京子は憤慨するが、紀子
    は歳を取れば誰でも自分の生活が一番大切になるものだといって義兄姉をかばい、若い京子
    を静かに諭す。

    紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。そして紀子に再婚
    を勧める。ここで紀子は初めて、自分の苦悩を吐露する。独身を通す自分の将来の不安がぬ
    ぐえないことを打ち明け、涙を流す孤独な紀子に、周吉は妻の形見の時計を与える。』

       

   山田洋次作品の「東京家族」では、尾道が瀬戸内海の小島に変ったり、次男が戦死ではなく定
   職とは言えない舞台装置の仕事をしていて、3.11のボランティアで知り合った恋人が小津作品
   の次男の未亡人となったりしている。泊まる場所も熱海の旅館から横浜の超高層ホテルになり
   妻のとみこが亡くなる場所が尾道に帰ってからでなく東京の病院となっていたりする。そうし
   た些細な事はどうでもいい。

   山田監督は「家庭崩壊の後悔や回復したい気持ちは誰にでもある。完全に解決されることでは
   ないことを理解した上で、温かさや安心感も表現したかった。 ただ、核家族の到来をいち早
   く示唆した小津作とは異なり、今作では現代の家族に希望を持たせた。」と語っている。

   「東京物語」は静の、そして「七人の侍」は動の日本映画の代表作と云われる。映画評論家の
   秋山登氏はこの「東京家族」を評して、「山田の練れた表現力は見事というほかはなく、随所
   で涙腺を刺激する。ただし、その芸は今回、香気と風味に乏しい」と評した。

       

   僕は「東京物語」は見たことがない。なんせ公開された1953年、昭和28年である。まだ8歳の
   小学生だ。その頃の僕の田舎では映画どころではなかった。汽車で2駅行けば映画館はあった
   のだろうが、映画を見るなどという余裕は全くなかった。小学校は4kmも山道を降りた先にあり
   学校の行き帰りだけで4時間ほども掛っていただろう。

   だから、今回観た山田洋次監督の「東京家族」と小津監督の「東京物語」の書評やあらすじ等
   だけをたよりにしか述べられない。誰かが評している「なんでもないような本当に普通のスト
   ーリーの中に、人生の落日を迎えつつある親の心の悲しみ、寂しさ、そしてそれを感じられな
   い若い夫婦といった、いつまでもいつまでも繰り返される普遍的な事実を見事に描ききってい
   る」ということ等を通してみると、1950年の朝鮮戦争特需で日本は戦後経済を脱却して高度成
   長に向かう下地を整えつつあった時であり、地方から東京、大阪へそして工業化地帯へと人口
   の大移動が始まろうとしていた時代であった。だから子供は親の仕事を継がず、親元を離れて
   従来の家族制度が崩壊し始める時期であった。「東京家族」では子供は全て東京に出てしまい
   島に老夫婦が残される設定になっている。そしてやがてそのどちらかが死に、残された親の面
   倒を見る子供はおらず、暫くは近所や近くの親戚の世話になるものの、最後にはどうしようも
   なくなって幸運なら公的支援を得られるか、そうでなければ無残に孤独死しかないのである。

   こうした現象は日本全国の農村、漁村で生じていて、否、僕の故郷、実家でも同様な事態で両
   親は無くなり、実家は廃墟となり、田畑は野になり、山林は原野に帰ってしまった。大都会に
   出て来た若者も既に老境に差し掛かって、都会でも核家族化によって団地で同じような事態が
   起こりつつある。こうしてみると個人的には若い内だけは楽しかったり、経済合理性を追求す
   る企業には好都合であったが、核家族化は決していいものではなく、結局は財政支援等による
   それらの補佐が必要であって、トータルのコストで見ても合理的なものではないのである。

       

   いつもはガラガラの映画館だが、「東京家族」は結構客が入っていた。評判なのだろう。まだ
   ご覧になってないならお薦めである。僕は安いDVDでも買って本物の「東京物語」を観るこ
   とにしよう。それの鑑賞後に感じるところがあれば、また付け足を少し書こう。
   
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   
   早速だが、netでDVDの「東京物語」を購入して観た。秋山登氏が評するように、白黒の
   地味な画面であるが「香気と風味」は山田監督の「東京家族」を遥かに凌駕している。それは
   俳優のせいもあるだろう。笠智衆と東山千栄子、そして何よりも初めて観た原節子は、橋爪功
   吉行和子、蒼井優と較べるとどうしようも無いほどの落差がある。長男役の山村聡と西村雅彦
   の存在感差もまたどうしようもない。

   この「東京物語」はパラマウント映画の「明日は来らず」という作品を元にしていると云われ
   るが、あくまで淡々と低アングルで固定したカメラ位置で見事な構図で撮られていて、もう立
   派な日本原作映画と言ってよい。

   尾道と東京という設定であり、周吉の言葉は僕の故郷の言葉と殆ど同じで、とみが明日の朝ま
   で持たないと長男の幸一に告げられると「そうか、いけんのか・・・、そうか、おしまいかのう」
   と言う。備中、備後辺りでは死をまさにそのように受け入れるのである。

   ハリウッドのCGを使いまくった3Dのど迫力映画も娯楽としては楽しかろうが、こうした地
   味だが人間の生と死を見事に描く映画には及ばない。
   
   「東京物語」の脚本のサイトがあるのでご覧下さい。
   「東京物語」の脚本
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14. のぼうの城 (12.11)

    

   和田竜の「のぼうの城(小学館2007.12刊)」の映画化である。映画は2011年には完成してい
   たが、水攻のシーンが3.11で津波に呑み込まれる場面とダブって見えるため公開が1年延期
   されていて、12.11.2からの公開となったものである。公開初日の最初の回を早速見に行って
   きた。人が水に呑み込まれるシーンはカットされて出て来なかったが、迫力あるシーンは見
   事なものである。

      石田三成は秀吉の備中高松城の水攻めをまねて忍城の水攻めを行った。高松城は近くを流れ
      る足守川の水を堰き止める2.6kmの工事であったが、ところが忍城では利根川は北に6km
      も離れていて、荒川は西5kmも離れているのである。堤の総延長は28kmにも及ぶ大工事で
      あり、高松城水攻めの規模とは比べようもない。

   もともと忍城については、関東で唯一秀吉が落とせなかった城として、以前から興味を抱い
   ていて、忍城や丸墓山古墳を何度か見学したものだった。
   そのあたりをHPの「忍城」に少し載せている。
   あらすじ等はWikipediaののぼうの城が詳しい。
      
      映画は和田竜の「のぼうの城」を忠実に映画化していて、事前に小説を読んだ者には物足りな
      く感じる。ロケは苫小牧弁天の勇払原野近くで2010年8〜9月に行われた。実際の映画の中で
      はCG合成したのだろうが、背後の山並みはちゃんと外秩父連峰が映し出されていて、両神山
      もはっきり認識できる。今年の6月に会社のOBの人達と伊香保でゴルフをしたが、その際に
      埼玉古墳群の丸墓山や忍城を案内して、埼玉の歴史もPRしたものだ。
      
      狂言師の野村萬斎は流石に狂言師らしく見事な「のぼう様」ぶりを演じている。映画化するな
      ら誰が成田長親をやるのか?と思っていたが、彼を選んだ犬童一心監督の眼力は確かである。
      500人で20,000人の石田軍に立ち向かう関東武者の心意気を監督は観て欲しいとの事である。
      
    
     写真はいづれも「のぼうの城」の予告編から拝借した
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13. ウェイバック (12.09)

    

   銀座シネパトスという映画館で12.9.8からこの映画を上映している。HUMAX CINEMAという映画
   館は池袋、横須賀、成田、渋谷にHUMAXシネマがあり、そしてここ銀座の三越と歌舞伎座の間に銀
   座シネパトスがある。妙な映画館で、銀座三原橋地下街の晴海通りの地下そして地下鉄日比谷
   線がスクリーンの側を通っていて、電車が通るたびにゴトゴトと音がする。席数もそう多くは
   なくこじんまりとしたものだ。HUMAX CINEMA(ヒューマックスシネマ)は台湾出身の華僑である林以文の
   長男で林瑞祥(日本名:はやしずいしょう)が社長を務める映画興行やスタジオを営業する会
   社である。林以文(りんいぶん)はムーランルージュ新宿や新宿地球座を経営した実業家。
   この銀座シネパトスは耐震性に問題があり、2013年3月で閉館されることになっている。首都
   直下地震が起きたら、何はともあれ、映画観賞は止めて避難されますように!
   

   話はそれるが銀座5丁目の交差点側にニューメルサビルがあり、その7階にカレーとシチュー
   の店銀座古川がある。元宝ジェンヌの古川百合美さんがウエートレスをやっている店である。
   ここでシチューを食べてから銀座シネパトスへと繰り出した。

   この映画は「脱出記」を映画化したもので、これは本HPの知的好奇心に書いた通りである。
      →参照「脱出記」
      映画のパンフレットには「シベリアからモンゴル、ゴビ砂漠、チベット、ヒマラヤを越えイン
      ドへ −壮絶なる実話を基に描いた決死の大陸縦断脱出記!」とある。
      
      物語の粗筋はこうだ。
      著者は言う。「ポーランド人は何世紀もの間、どこの国よりもひどい仕打ちを受けてきた。東
      西に隣接する巨大な敵によって何度も侵略・占領され国土を何度も蹂躙された」と。事実その
      通りなのである。古くは蒙古の来襲から始まり、18世紀のロシア帝国、20世紀初頭のドイ
      ツ、そして1939年の第二次世界大戦のソ連と何度も何度も国土を蹂躙されてきた。著者が
      当時住んでいたピンクスはモスクワの西方700kmにある街で、現在はベラルーシ共和国として
      1991年にロシア連邦から独立したその首都ミンクスの近くに位置している。
      
      そのミンクスで、当時24歳だったポーランド陸軍騎兵隊中尉ラヴィッツはロシア人保安警察
      に逮捕され、言語を絶する残虐非道の拷問の末、極寒のシベリア第303収容所に護送されて
      25年の懲役を課される。その収容所は零下45度にまで温度の下がる現在のヤクーツクに近
      い場所にあり、たとえ強制収容所を脱出出来たとしても自然の猛威が立ちはだかり生還は出来
      ない場所にあった。モスクワからシベリア鉄道による輸送やその後の行進はあまりにも冷酷で
      非人道的なものであるが、そのあたりは映画化されていなのでむしろ救われる思いがする。
   
   それでも、この全くの理不尽な強制収容所からの脱出をラヴィッツは7人で実行する。支給さ
   れる僅かなパンを秘匿して蓄え、脱出してサバイバルに必要な最小限の物を巧妙な手口で獲得
   し、鉄の意思を持って決死の脱走を春(1942年4月)の気配が感じられる頃図るのである。
   
   第303収容所を抜けだした一行は幾つもの雪山を越えやっとバイカル湖にたどり着く。バイ
   カル湖は世界最大の湖でその細長い湖の長さは660kmもあり、直線で東京〜広島の距離で
   ある。その東岸を踏破してモンゴルに入る。途中バイカル湖畔でクリスチーナ・ポランスカと
   いう集団農場から逃走してきたポーランド人の少女に出会い、彼女がゴビ砂漠で歩けなくなっ
   て倒れるまで同行する。その間少女が醸し出す優しやや女らしさが、この映画で唯一のほっと
   する場面である。

   モンゴルもソ連の赤い陰が覆っていて、一行は表の道は歩けないが、モンゴルの田舎では旅人
   に寛大で、見返りを期待しない接遇を行く先々でうける。この時期に、6月頃に一行はやや体
   力を付けたのだろう。そしてゴビ砂漠へと入って行く。東西1600km,南北970kmの
   この砂漠は、「脱出記」の解説を書いている椎名誠に「あんなところを人間が歩いていくなん
   て?」と絶句させ、「草原から砂漠に入っていく過程で気持ちが震えてくる。僕のような安易
   な旅行者からみても、それは完全に地の果てを思わせる寂寥感と絶望感に満ちた風景であった」
   といわしめている。実際、水も食料もなくなり、主食は蛇だけとなる。ここで少女は力尽きて
   しまう。

   そして辛うじてゴビ砂漠を渡りきった一行は、今度は5000mを越えるヒマラヤを越えてイ
   イドへ向かうが、その雪のヒマラヤ山中で巨大なクレパスに落ちてメンバーの一人が亡くなる。
   そして雪男に遭遇して2時間以上も観察することになり、後にこの雪男目撃談を取材に訪れた
   英国の新聞記者によってこの「脱出記」が世に出るのである。

   本と映画を比較しても詮無いことではあるが、冒頭のソ連の残虐さや、シベリア鉄道での強制
   収容所への移送はバッサリ切り捨てられている。実に狡知なロシア人のやり方の一つに、ボタ
   ンや細紐も付けずに囚人用ズボンを支給することがある。囚人は常にズボンを落とさないよう
   に腰回りを押さえておかないとならず、そればかりが気に掛り、脱走しようという意欲が大幅
   にそがれるからだ。ヒマラヤ越えは全く映画では割愛されているのは残念である。最終4人が
   1年の逃亡の末(1942年4月)インドに辿りついて映画は終わる。

   ラヴィッツは1946年から英国に住み、英国人と結婚して、5人の子供と11人の孫を残して、
   2004年4月に88歳で亡くなった。実際には1942年、ソ連によって釈放されていたとの記録もあ
   り事の真相は明らかでない部分もある。ラヴィッツ等はインドで英国軍により手厚い治療を受
   けて社会復帰するのであるが、十分な白いパンを与えられるにも拘わらず、ベッドの下に秘匿
   してしまい、夜中に大声で暴れ出すなど如何に過酷な脱出をしたかが伺われる状態だった。

   映画化にあたり、ピーター・ウィアーはリアリティを出すために、撮影前に冒険家による冬季
   キャンプを行い、俳優達にサバイバル生活を経験させて、飢えと疲労で体がどうなるかを確か
   めさして撮影したという。まず映画を見て、それから本を読まれるのがよかろう。

    
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12. プロメテウス (12.09)

    

   朝日新聞の朝刊に「プロメテウスの罠」と題する連載がこのところ続いている。『人類に火を
   与えたのはプロメテウスだった。火を得たことで人類は文明を発達させ、やがて「夢のエネル
   ギー・原子の火」を獲得する。しかし、いま人類は原子の火に悩んでいる。福島第一原発の破
   綻を背景に、国、民、電力を考える。』これが連載の目的らしい。(プロメテウスは人類に火
   を与えたギリシャ神話の火の神)

   この「プロメテウス」という名前の映画が上映されている。「人類はどこから来たのか」、
   「人類最大の謎、それは《人類の起源》」がこの映画の宣伝コピーである。「エイリアン」の
   前日譚を描いたリドリー・スコット監督による映画であるが、内容は全く乏しい例の荒唐無稽
   な映画だった。

   若い考古学者で女性のショウと男性の考古学者ホロウェイがアイスランドの洞窟で古代遺跡に
   描かれた星を指し示す巨人の絵を発見する。世界の他の古代遺跡からも同様な絵が発見される。
   遥か古代の地球に宇宙船に乗った不気味で巨大な白人の宇宙人がやってきて、自己を分解させ
   て滝に身を投じてDNAを地球に拡散させる。これがやがて人類を形成するという暗示なのだ
   ろう?

   古代遺跡の巨人の絵は「人類の創造主」を示すもので、その絵が示す星に謎を解く鍵があり、
   その星へ招いているのだと解釈した二人の考古学者は、巨大企業が100兆円に近い巨費で造
   った宇宙船「プロメテウス」に乗り込んでその星を目指し遥かな宇宙の旅をする。

    
   

   アンドロイドのデイヴィッドが操縦する宇宙船「プロメテウス」は2093年、目的の星に到着し
   乗組員は今回の調査の目的について説明を受ける。考古学者のショウは"エンジニア"なる宇宙
   人が存在し、それが人類誕生の謎を解く鍵を握っていると信じている。しかし、調査ミッショ
   ンの責任者であるメレディス・ヴィッカースは、万が一エンジニアと遭遇しても一切コンタク
   トを取らず、ただちに自分に報告するように命令する。プロメテウスは地表の建造物近くに着
   陸し、調査チームは宇宙服をつけて構造の内部に入る。どうした訳か、その遺跡のような構造
   物の中は地球と同じ空気が充満していて、宇宙服のヘルメットを取っても普通に呼吸が出来る。
 
   構造体の内部で、エンジニアたちが走って逃げて行くホログラム映像が再生され、その先で無
   数のエンジニアたちの死体が見つかる。続いて円筒系の入れ物が無数に置かれた部屋が発見さ
   れアンドロイドのデイヴィッドがその一つをこっそり持ち帰る。急な嵐が接近し、調査隊は一
   時撤退を余儀なくされるが、生物学者と地質学者ら二人が構造物の中に取り残される。二人は
   液体の中から現れた奇妙な生物(蛇のような、イカのような)を観察している内に襲われて口
   の中に入り込まれ死んでしまう。
 
   プロメテウスに戻ったショウは、持ち帰ったエンジニアの頭部からDNA型を分析し、人間と
   一致していることを発見して人類の起源であると確信する。アンドロイドのデイヴィッドは円
   筒の中から黒い液体を採取し、その正体を確かめるためホロウェイの飲み物に混入する。その
   晩ショウとホロウェイは自室で交わる。
   
   プロメテウスの船長は、この場所はもともとエンジニア達の星ではなく、彼らが作りだした生
   物兵器をテストするための試験場だったのではないかという仮説をショウと話し合う。 
   構造体に取り残された二人の科学者を救出するため、遺跡の内部に戻った調査隊は生物学者の
   死体を発見する。デイヴィッドはエンジニアの宇宙船の操縦室を発見し操縦法を学習する。冷
   凍休眠中の操縦室の巨人エンジニアを目覚めさせると、巨人はアンドロイドのデイヴィッドを
   いとも簡単に首と胴体を引きちぎる。人造人間のデイヴィッドはそれでも生き続ける。(この
   辺たり、「エイリアン」と同じ光景である)

   調査隊は黒い液体によって急速に体調が悪化した考古学者のホロウェイをベースに連れ戻そう
   とするが、感染を恐れた責任者のヴィッカーズはホロウェイを火炎放射器で焼き殺す。ショウ
   がパートナーであるホロウェイを失ったショックから目覚めると、デイヴィッドによって体内
   スキャンにかけられ、謎の幼体に寄生されていることを理由に隔離されそうになる。
 
   ショウはぎりぎりのところで隔離から脱出し、全自動手術装置を使って自らに帝王切開術を施
   して自分の腹の中の異様な生き物を手術機械で取り出し、手術カプセルに閉じ込める。帝王切
   開という大手術にも拘わらず、注射1本で直ぐに大活躍するのだが、あまりにも現実離れして
   いる。

   宇宙船「プロメテウス」を建造した大企業のオーナーも実はこの船に乗っていて、彼の目的は
   人類の起源の探索等ではなく、己の不死の方法を見つけ永遠の命を得る事だった。

    

   「プロメテウス」の船長は、エンジニアの宇宙船で眠りから覚めた巨人が遺跡と思われた巨大
   な宇宙船を起動させ地球へ黒い液体を拡散させようとしていると、頭だけになったアンドロイ
   ドから告げられ、宇宙船に体当たりして墜落させる。墜落した宇宙船から脱出したエンジニア
   が復讐を始め、帝王切開直後のショウが戦うのだが、このあたりもう支離滅裂、ショウのお腹
   にいた「ヘビの様な、イカの様な異様な生物」をカプセルから開放して巨人と戦わせる。そし
   てついにその異様な生物がエンジニアを倒し、その口から体内に入っていく。
   
   首と胴体が引きちがれたアンドロイドのデイヴィッドが、ショウにもとの体に戻すよう依頼し、
   元の体に戻ったデイヴィッドの助けを借りてショウがエンジニアの宇宙船を使って彼らの住む
   世界へ旅立つと決めるところで映画は終わる。ところが更に巨人エンジニアの胸を割ってあの
   お馴染みの「エイリアン」が出てくる。次作を予想させる終わり方だ。
   
   人類は猿から進化したのではなく、神が造ったのである。DNAがばら撒かれて人類が誕生し
   たのでは?と暗示しているようである。      
   どうもここまで荒唐無稽、支離滅裂なら、もう3D映像を楽しむ他はない。

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   今年の秋は見たい映画がめじろ押しおしだ!
   「ウエイバックー脱出6500km」...「脱出記(ヴィレッジブックス)」との相違点。
   「のぼうの城」・・・「水の城」や「のぼうの城」の本をどう描いているか興味あり!
   「踊る大捜査線」・・・最終版だそうだ。
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       (写真は映画プロメテウスの予告編から拝借)


    プロメテウスが人間に火を与えた。その結果、ゼウスの怒りを買い、コーカ
        サスの山の岩に鎖でつながれ、永遠にはげ鷹に腹を引き裂かれ、肝臓をつい
        ばまれ続ける、という最も過酷な刑に処された。後にヘラクレスにより助け
        られた。(写真はTIME LINEさんから拝借したギリシャ神話の絵)
    
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11. マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙 (12.03)

     
   左が本物のサッチャーさん、右はメリル・ストリープが演じるサッチャーさんである。
   本物はWikipediaから、もう一つは同映画のオフィシャルサイトからの借り物である。

   容姿のそっくりさもさることながら、アカデミー賞主演女優賞を取った事が頷けるメリル・ス
   トリープの好演であった。彼女の他の映画で喋る米語ではなく、まさに聞き覚えのある伝統の
   英語であった。メイキャップ賞も併せ受賞しているが、2012年で86歳になったサッチャーさん
   を62歳のメリル・ストリープが見事なまでのメイキャップを扮して演じている。

   映画は認知症に陥ったサッチャーの回顧録の形で進むのだが、実に良くできた映画である。認
   知症が進んだとされる2008年頃のメイクも演技も大したものだが、1979年の選挙で大勝して首
   相となってからの10年間、労働党議員やマスコミの強者共の男を向こうに回しての迫真の演技
   はアカデミー賞主演女優賞に値するものである。

   新自由主義にもとづく経済の立て直しと、小さな政府による民営化の推進や、規制緩和、付加
   価値税の引き上げ等を強引に進めた。そうした経済政策をおこなっても経済は好転しなかった
   が、リフレーション政策によって立ち直った。また、アルゼンチンとのフォークランド紛争で
   は強行な姿勢を見せて勝利を勝ち取り国民の支持を得て、より一層の保守的、急進的経済改革
   を進めた。EUとの統合には慎重姿勢を崩さず、通貨統合には最後まで加わらなかった。

   その後、所得の多寡に関係なく同額の「人頭税」導入を1990年に実施した。これは国民の大多
   数の反対にあいわずか3年で廃止された。独り独善性がひどくなって保守党内部からも批判さ
   れ、1990年の選挙では4度目の選挙での勝ち目がなくなって首相、保守党党首の座を降りるこ
   とになり、後続のメージャーに首相の座を譲った。この人頭税は国税でなく地方税として課し
   たもので、あらゆる公共サービスは結局は税金で賄われているので、受益者負担の原則からす
   るとこれを等しく全員が負担するのは正論とも思える。しかしこれは如何にも税の逆進性が大
   きく低所得者にはたまったものではない。新自由主義の究極の結論が「人頭税」ではいかがな
   ものでしょうか?

   かって我が日本でも小泉内閣の竹中大臣がこの「人頭税」を理想と公言して憚らなかったこと
   を忘れてはならない。小泉・竹中改革で所得格差は拡大し(竹中氏は平準化したと今でも言っ
   ているが?)経済的困難等を理由に毎年3万人を超える自殺者が出る社会や極めて低所得の若
   者が急増するという格差社会にしてしまった事などに、どう答えるのであろうか・・・。

   話はそれてしまったが、保守の性が政権末期に噴出したサッチャー政権は寂しい終末を迎えた。
   だが、EUに深入りしなかった事が幸いして欧州危機では痛手は負わなくて済んでいることは
   サッチャーの先見性が奏功したのではなかろうが、英国にとっては皮肉な結果である。

   家庭を顧みなかった、見るほどの余裕がなかったためであろうが、家庭の問題での苦悩は大き
   かった。ここ10年ほどは夫の死も認識できないほどの病状らしい。あの「鉄の女」と呼ばれた
   面影はもうそこには無いのである。その辺りもメリル・ストリープは見事に演じ切っている。
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10.はやぶさ―遥かなる帰還(12.02)
   
   「はやぶさ」の映画が3本も作られた。11.10月の竹内結子主演の映画「はやぶさ」、12.02月
   公開の渡辺謙主演のはやぶさ―遥かなる帰還―」そして12年03月公開予定の藤原竜也主演の3
   D映画「おかえり、はやぶさ」である。
   
   感動的な成功の事態だがいくらなんでも3本は多すぎると思うが、どうしたことだろう?
   で、今回は「はやぶさ―遥かなる帰還」を観た。3本の中では、一番全うらしいからである。

   
   (写真はJAXA HPの壁紙で、科学衛星ミッション、左から「はやぶさ」「あかり」「ひので」)

   幾多の試練は潜ってきたものの、成功した話であるから安心して見ていられる映画である。ハ
   ラハラ、ドキドキは感は無い。優勝した石川遼のゴルフのVTRを観るようなものである。

   それでも、良く出来ていて、NASAの1/10の予算で作るところや、小さな町工場の技術力
   の高さを描いていたり、ひたむきで世界に誇れる技術者を擁していることを丁寧に撮っている。
   相手は金属の塊で無機質な機械だが、一度コンピュター制御の命令を入れると支持通りに動き
   実行してくれる。僕も会社勤めしていた時には、技術系の言語ではなくCOBOLという事務処理
   言語で徹夜しながら長い命令を入れて思った通りの動作をしてくれた時の感動は知っているが、
   それが3億kmも地球から離れた広大な砂漠の一粒の砂ほどの機械相手にプログラム命令を送
   信しそれが15分ほども掛かってやっと到着している様を見て、ホント感動した。

   科学エンジンの燃料漏れで制御不能に陥った「はやぶさ」をイオンエンジンの燃料噴射で制御
   したり、通信途絶になった「はやぶさ」に1ビット通信を粘り強く行なって通信を回復する。
   4基のイオンエンジンがすべて停止するという異常事態にも、それを想定していて回路や部材
   を打ち上げ前に取り付けていたため、停止したイオンエンジンが回復するという離れ業で切り
   抜ける。映画の冒頭その部品がアップで映されるが、詳しくない人には何の事が分からないだ
   ろう。
   1ビット通信:人工衛星等に異常が生じ通信が困難となった時に行われる通信手段で、機体の
          状態を把握する問いかけをイエス、ノーの回答を電波のオン、オフで行うもの。

   
   (写真はJAXA HPの壁紙で、糸川英夫氏に因んで命名された太陽系の小惑星イトカワ)

   このピーナッツ型の小惑星平均半径が約160メートル、長径500メートルあまりしかない小天体。

   音楽は辻井伸行が担当しているが、盲目の彼は宇宙の世界がまるで見えるかの様な音を創って
   いて、これがいい。

   
   この写真もJAXA HPの壁紙であるが、イトカワのカメラが捉えた最後の地球の姿を伝送して来た
   もの。つまり機械のハヤブサに大気圏で燃え尽きる前に地球の姿を見せさせるようコマンドを
   送って撮らせた写真の一枚。
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09.猿の惑星:創世記(11.10)
   
   ピエール・ブール(Pierre Boulle 1912-1994)の猿の惑星:創世記を観てきた。
   この作品も今回で7作目となる。一作目は43年前の1968年(S43年)公開だった。

   1968年 猿の惑星
   1970年 続・猿の惑星
   1971年 新・猿の惑星
   1972年 猿の惑星・征服
   1973年 最後の猿の惑星
   2001年 PLANET OF THE APES/猿の惑星
   2011年 猿の惑星:創世記

   
   (DVD猿の惑星から拝借)

   1968年の最初の「猿の惑星」には正直驚いた。特に結末でその惑星が地球であったこと、渚に
   ニューヨークの自由の女神が傾いて埋も掛かっていた映像には心底驚かされた。その後の「続」
   だの「新」だの、「最後」には殆ど惹かれるものは無かった。ただ興業本位の映画に成り下が
   って行った。
   
   
   (猿の惑星:創世記予告編より拝借)

   今回の「創世記」は猿のVFXが素晴らしく、実に見事な猿の映像となっていて、俳優アンディ・
   サーキス演ずるチンパンジーは本物の猿そのものの様な出来栄えである。言葉は殆ど喋らない
   が見事に感情を表現している。

   これは新作シリーズの1作目だそうだが、今後どう展開するのか楽しみではある。以前と同じ
   轍だけは踏まないよう願うものだ。
   作者のピエール・ブールは既に故人であり、原作からは離れた展開になるのであろう。映画の
   エンディングが、病原菌に感染したパイロットが世界各国に菌をばら撒き、それが世界中に伝
   染することを暗示させるものであったことから、知恵を持った猿と奢れる人間が次第に交代す
   る様子を映画化するのだろう?

   コンピュターグラフィックの進歩には、前回「トランスフォーマー」や「アバター」等でも驚
   かされたが、全く素晴らしいものがある。登場する猿は全て本物ではないというから凄い。

   フランス人ピエール・ブールは、第2次大戦の時にインドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジ
   ア)で現地人を動物の猿の如く使っていたが、日本軍(有色人種)に捕虜となった事が信じが
   たく、白人(人類)がカラー(猿)に支配などされる「猿の惑星」の発想を得たのだろう。彼
   は他に「戦場にかける橋」も書いている。これも映画化されたが、文化程度の低い有色人種で
   ある日本軍による虐待等も見下げる様子で書いていて、「猿の惑星」で猿から受ける酷い仕打
   ちに同様の描写が度々登場する。

   今回の「猿の惑星:創世記」は無論彼の死後に原作から離れて脚色したものだろうが、第二作
   第三作とシリーズで続ける意図がエンディングに現れている。
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08.トランスフォーマー(11.08)
   

 
   
        (写真は映画「トランスフォーマー」のオフィシャルサイト予告偏の一部)

   なんとも凄まじい映像の映画である!
   トランスフォーマー・シリーズの第三弾で最終版なのだそうだ。3D映画であり、専用の眼鏡
   を掛けて観るものである。

   8月1日、小学1年生の孫を連れて観て来た。孫は第1弾、2弾をDVDで何度も観ていて良く知
   っていてあれこれ解説してくれる。
     
   トランスフォーマーとはさまざまな物体に姿形を変えられる金属生命体の事であり、通常は自
   動車になっていることが多く、いざという時に巨大な人間型ロボットに変型するのである。そ
   のトランスフォーマーにも悪玉と善玉がいて、地球征服を目論む悪玉に対して人間と善玉が連
   携してまことに凄絶な戦いを展開し、最後は悪玉をやっつけるというお話である。
   
   「Transformers 3 Dark of the Moon」が正式な映画名であり、”月の裏側”の副題が付いてい
   るように、1969年のアポロ11号による月面着陸の際の秘密のミッションが、宇宙からやって来
   たトランスフォーマーの宇宙船の調査だったという設定になっている。(詳細はトランスフォ
   ーマーダークサイド・ムーン / ハヤカワ文庫を参照下さい)

   3時間近くの長編映画であるが、その殆どが戦闘や格闘の連続で、コンピュターグラフィックも
   ここまで来たかというべき凄まじさの3D映画である。なぜだか全てGM製自動車が、ロボット
   に変身する様をCGで映像化したのは山口圭二氏である。監督はマイケル・ベイ、総指揮はス
   ティーブン・スピルバーグ。

   子供騙し、孫騙し?の映画だろうと高を括って観たが、内容は兎も角、そのあまりにも激しく
   過激で、ど迫力のある映像の連続には驚かされた。CG技術もここまで来たか!という感じだ。
   こんな事が出来るならもう映像化出来ないものなど無くなるのではとさえ思わされた。高層ビ
   ルの破壊シーンでは9.11を連想させる映像もあり、高層ビルが倒壊する際の内部はこうなるの
   か、と妙に感心させられもした。アメリカ映画お得意の戦闘シーンでは軍の協力もあったらし
   く、様々な新型の兵器や飛行機等がふんだんに登場する。また、1986年1月に発生したスペー
   スシャトル・チャレンジャーの空中爆発事故そっくりの映像もあり、事故に遭遇された関係者
   には酷い場面であろう。
  
   ま、騙されたと思って、お孫さんをだしにして、あなたも一見されては如何・・・・。

   

   
        (写真は映画「トランスフォーマー」のオフィシャルサイト予告偏の一部)
      トランスフォーマーはもともと玩具のトミーの製品です。  
      Wikipediaのトランスフォーマー
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07.最後の忠臣蔵(11.01)
   

 
    
        (写真は映画「最後の忠臣蔵」のオフィシャルサイトよりの借り物)

    正月も過ぎ、時間も出来たので映画を観に行った。
   「最後の忠臣蔵」である。

   これは2004年にNHKの金曜時代劇で連続6回で放送されたものの映画版である。TVではジェーム
   ス三木の脚本である。このTVでは寺坂吉右衛門が主人公であったが、映画では瀬尾孫左衛門を
   主人公として杉田成道監督が映像化している。
  
    寺坂吉右衛門も瀬尾孫左衛門も討ち入りに加わらなかった卑怯者としての認識が一般的であ
   るが、原作者の池宮彰一郎は寺坂吉右衛門は討ち入りに加わり現場を駆け巡って伝令などの任
   務を果たし、大石内蔵助に「生き証人として赤穂浪士が成したことを後世に伝え、浪士の遺族
   の相談相手になれ」と語らしている。

    瀬尾孫左衛門については討ち入りの前夜に内蔵助の隠し子を守れという極秘の使命を受けて
   戦線を離脱したとする。こうした密使説は永遠の謎であろうが、平成元年、赤穂市が赤穂市史
   として「忠臣蔵」を公刊し、その中で、寺坂吉右衛門を逃亡者と断じ義士は四十六人であると
   断定してしまった。これは後の平成四年に赤穂市長が「義士は四十七士」であるとする見解を、
   市議会本会議で表明することで決着を付けたが、市史の訂正はせず追録の中での表示に止めた
   ことなどから、新しい史実が出てこない限りは決着はつかないだろう、と言われている。
    
    映画「最後の忠臣蔵」については、Gooの映画解説のあらすじが簡潔にまとまっているのでそ
   のまま転載しよう。
 
        
   『赤穂浪士の中に、討入り後の使命を与えられた二人の生き残りがいた。一人は討入り後、切
   腹の列に加わることを許されず、大石内蔵助から「真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよ」
   との密命を受けた寺坂吉右衛門。そしてもう一人は、討入り前夜に忽然と姿を消した瀬尾孫左
   衛門である。孫左衛門は、まもなく生まれてくる内蔵助の隠し子を守り抜くという極秘の使命
   を内蔵助本人から直々に受けていた……。

    討入りから16年間、名誉の死を許されなかった二人は、それぞれの使命を果たすためだけに
   懸命に生きてきた。吉右衛門は赤穂浪士の遺族を捜して全国を渡り歩き、遂に最後の一人にた
   どり着く。一方、孫左衛門は武士の身分までも捨て素性を隠し、可音と名付けた内蔵助の忘れ
   形見を密かに育てあげる。やがて凛とした気品を備えた美しい娘に成長した可音は、天下の豪
   商・茶屋四郎次郎の嫡男・修一郎に見初められる。可音を名家に嫁がせれば、孫左衛門の使命
   もまた終わるのだった。

    そんな中、かつては厚い友情で結ばれ、主君のために命を捧げようと誓い合った二人が再会
   する。かたや命惜しさに逃げた裏切り者、かたや英雄になれなかった死に損ないとして。だが、
   孫左衛門の口から真実が明かされることはなかった。そしてとうとう可音の嫁ぐ日がやってく
   る。世は移り変わり、今では内蔵助の名誉は回復していたが、その存在すら隠してきた可音の
   お供は、孫左衛門ただ一人。ところが夕暮れを行く寂しい輿入れに、最初に吉右衛門が、続い
   て元赤穂の家臣たちが続々と現れ、お供を申し入れる。いつしか行列は、忠義の炎を松明にし
   て掲げる男たちの大行列へと変わっていく。それはたった一人で背負ってきた重き使命が、全
   ての家臣の喜びの使命へと変わる瞬間であった。だが遂に使命を果たした孫左衛門だったが、
   彼にはまだなすべきことが残っていた……。』


    これは池宮彰一郎の同名小説を映画化したもので、瀬尾孫左衛門を役所広司が寺坂吉右衛門
   を佐藤浩市が好演している。可音を演じた桜庭ななみも実にいい。
   歳と共に涙腺が緩んできたのだろう、それとも長沼六男のカメラがいいのか美しい映像もふん
   だんにあって見ていて涙が止まらなかった。映画はやはり美しくなければならない……。
   
    長沼六男の絵には多くの作品に日本の美しい風景が描かれ、それを見るだけでも満足させら
   れる。長沼の沈まぬ太陽、武士の一分、たそがれ清兵衛等々然りである。
   TV、映画共原作者が同じなのだから当たり前なのだが、武士道の良さが画面からほとばしり出
   てくる。
    TVの演出者であった重光亨彦は「かつて武士は自らに高い道徳律を課していた。疑いをかけ
   られただけで腹を切る厳しさを持っていた。武士道である。その武士道が日本人を美しくして
   きたのだ。大石内蔵助が生きることを命じた寺坂吉右衛門と瀬尾孫左衛門。この二人の生きざ
   まを是非ご覧いただきたい。希望が湧いてきます。原作を読んで涙し、脚本を読んでまた涙、
   そしてそれを演出する、まさにディレクター冥利に尽きます。」と語っている。また彼はこう
   も言っている 
   「電車の中で化粧をする猿がいる。ケータイをみながら横断歩道を渡る猿がいる。
   人の気持ちの分らぬ猿が多すぎる。人間はどこにいる。 美しく生きる日本人はもういないのか。
   そんな寂しい気分の時にこの「最後の忠臣蔵」はピッタリです。」 同感である!
 
    この映画はワーナー・ブラザーズが製作・配給するものであるせいで、エンターテイメント
   性が求められるからなのか、吉右衛門と孫左衛門の斬り合いのシーンや孫左衛門の壮絶な切腹
   シーンが出て来て、特に切腹シーンはあまりにリアルで不要であった。特に竹林や茅葺き家屋
   等の優しくて美しい画面を観ていた眼には残酷すぎるように思えてならない。

    TVでは寺坂吉右衛門と許嫁の篠との恋模様が描かれるが、映画では瀬尾孫左衛門を慕う可音
   の思いが近松門左衛門の曽根崎心中の人形浄瑠璃を挿入しながら効果的に描かれる。

    寺坂吉右衛門は83歳という高齢まで生き延び、東京都港区内の麻布曹渓寺に遂道退身信士の
   戒名で眠っている。瀬尾孫左衛門は大石の隠し子可音の輿入れを見届け、大石から授けられた
   裃を纏い自害して果てる。
 
    話しは逸れるが、忠臣蔵発生の大元である浅野長矩は寛文7年(1667年)に江戸鉄砲洲の浅野
   家上屋敷で誕生し、15歳で初めて赤穂に国入りしている。東京育ちのボンが田舎町の播州赤穂に
   来たようなものである。時に大石内蔵助はまだ25歳の若造であった。それ以降参勤交代で赤穂と
   江戸を往来した。元禄7年(1694年)に備中松山藩の水谷家が改易になったのを受けて、その居
   城である松山城の城請取役に任じられた。これを受けて長矩は、元禄7年総勢3500名からなる軍
   勢を率いて赤穂を発ち、備中松山へと赴いた。改易と云えども城請取は下手をすると戦いになる
   かもしれないのである。
    無事長矩は水谷家家老鶴見内蔵助より同城を無血で受け取った。長矩は開城の翌日には早速赤
   穂への帰途についている。長矩にとって赤穂も相当の田舎であるが、備中松山はさらに山深い田
   舎であり長居は出来なかった事だろう。僕の田舎はこの備中松山がある高梁(旧松山)よりも更
   に田舎である。
    長矩は、名代として筆頭家老大石良雄を松山城に在番させ、翌年に安藤重博が新城主として入
   城するまでの1年9か月の間、浅野家が松山城を管理することになった。今も松山城への登攀途中
   には、大石が休憩のため腰をかけた石が残されている。松山城は430mの臥牛山頂にあり、相当の
   急坂を登らなければならず、江戸育ちの長矩はその天守閣までは登らなかったのではなかろうか?
   代わりに大石が城までの登坂を行い、途中で疲れて腰掛けた石がいわれとして残っているのだろ
   う。
    長矩は、それから7年後元禄14年(1701年)に江戸城松の廊下で刃傷に及び切腹させられるので
   ある。翌元禄15年12月14日に吉良邸討ち入りとなって主君の仇を討つのであるが、この最後の忠
   臣蔵はそれから16年後の享保3年(1718年)の物語なのである。

    
    (写真は映画「最後の忠臣蔵」のオフィシャルサイトよりの借り物)
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06.楽太郎改め六代目三遊亭円楽襲名披露興行 (10.04)
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05.Disaster panic movie 「2012」(09.12)
   

 
    
          
   ローランド・エメリッヒ監督お得意のパニック映画「2012」が公開されている。前2作
   「インディペンデンス・デイ」「デイ・アフター・トゥモロー」にも増してCGを駆使した
   SF大作である。

   パニック映画の内容は荒唐無稽なものが大半で、評価出来うるものは少ないが、壮大な画面
   が大音響と共に映し出され、CGを使うとこんな事まで映像化出来るのか、と言った点に興
   味がそそられる。
   この映画のビジュアルエフェクトチームを率いているのが、デジタルドメイン社の坂口亮さ
   んであるのも驚きだ。彼はまだ31歳の若さであり、ビジュアルエフェクトの功績で2008年に
   はアカデミー賞科学技術賞を受賞している。

   物語はインドの地下3000mを越える深い鉱山の中で、太陽の異常な活動によって生じたニュー
   トリノが地球のマグマを高温化していることを発見する物理学者の活躍から始まる。普通、ニ
   ュートリノは超新星から飛来するものが多く、ノーベル賞を受賞された小柴さんのスーパーカ
   ミオカンデでの観測がよく知られている。小柴氏のニュートリノの話は度々聞く機会があり、
   氏のノーベル賞受賞に際してはある会合で直筆のサインも頂いて大切に保管している。

   この映画の様に、ニュートリノが煮えたぎる水槽の中で光り輝く事はまずありえなく、ときた
   ま光電管が宇宙から飛んで来たニュートリノを捕らえて微かに光る程度のものであろう。
   映画では3年程の間に、異常な量のニュートリノが飛来して地球のマグマを高熱化してマント
   ルを押し上げ、地殻を構成するプレートをづらして巨大地震や火山の噴火、津波等を引き起こ
   し現在人類が生存している殆どの地域を壊滅させると言うものである。結果地軸がずれて現在
   の北極と南極の位置も変わってしまうという物凄い設定である。

   最後には、現代のノアの箱舟らしき巨大な船に、僅かな選ばれた人だけを乗せて彼等だけが助
   かるというもので、その箱舟はネパール近くの中国の高地に6艘ほど建造されていて、エベレ
   スト近くまで押し寄せる津波によって船出する荒唐無稽ぶりではあるが、CG技術の効果には
   目を見張るものがある。坂口亮氏の腕の振るい所だったのだろう。

   3時間もの間、地震、地割れ、火山噴火、津波、ビルや家屋の崩壊、豪華客船や航空母艦等の
   転覆、自動車や飛行機による危機一髪の脱出等々を、ポップコーンを頬張りながら体験して見
   ては如何でしょうか、貴方!


     →Wikipediaパニック映画


    →2012オフィシャルサイト



    
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04.沈まぬ太陽  (09.10.27)

     

     (写真は「沈まぬ太陽」HPの壁紙)
  
 
  山崎豊子の「沈まぬ太陽」が映画化され、09.10.24から公開されている。3時間22分の長編で途
  中10分間の休憩がある大作である。小説ではもう10年以上も前に読んで、特にその御巣鷹山篇で
  は事故の酷たらしさに、読み進むうち涙が止まらなかった。映画でも墜落時の機内の様子や墜落
  現場、遺体置き場となった藤岡市民体育館等のシーンは極めて生々しく、映画でも涙無くしては
  見られない。

  Wikipediaは「 フラッグ・キャリアの腐敗と、単独機の事故として史上最悪の死者を出した日航
  機墜落事故を主題に、人の生命に直結する航空会社の社会倫理を表現したとする作品である」と
  書いている。

 
  名前は国民航空と変えてあるが、日本航空やその登場人物等は実在のものが多く、現実とフィク
  ションの区別が付かなくなる。この航空会社は如何に多くの政・官・民が寄って集って食い物に
  したことかがよく判る。いまだに8つもの組合があって、経営者と従業員との一体感はなく、モ
  ラルは低く生産性も当然ながら低い。「親方日の丸」体質は一向に改まる兆しはない。経営危機
  に陥る度に政府に財政依頼をし、税金が投入され続けている。山崎豊子さんが警鐘をならした事
  柄には、殆ど改善がなされてないように見受けられる。 


  この映画の主人公恩地のモデルは、元日航社員の小倉寛太郎さんである。小説や映画の中のよう
  に日航機墜落事故の遺族係りをやった訳ではないが、己の信念を通したために、会社幹部から疎
  まれて海外僻地勤務を強られたことや、日航再建のために鐘紡から来た伊藤会長の元で働いた事
  は事実である。時の中曽根総理が元大本営参謀瀬島氏を介して伊藤氏を引き抜き日航の再建に当
  たらせたことも事実である。金丸副総理、三塚(橋本?)運輸大臣等もそっくりそのままである。

 
  伊藤氏は日本航空を立て直すために腐心するが 、利権を守ろうとする社内外の圧力によりわずか
  469日の期間でその座を追われることになる。この辺りも史実そのものである。伊藤会長が日航を
  去ると小倉氏は再びアフリカへ飛ばされ、定年退職後は、アフリカ研究家等として活躍し「サバ
  ンナクラブ」を発足させ、事務局長を務めた。後に肺がんとなり2002年10月72歳の生涯を閉じた。

 
  日本航空自体は民営化されたものの、JRや郵便局等と同じで旧態依然とした国依存体質は抜け切
  らずまたぞろ経営危機に落ち入って国に財政支援を仰いでいる。これは企業だけが悪いのではな
  く、この企業を長年食い物にした政界、官界、業界が悪いのである。経営陣の多くは官からの天
  下りで、従業員はその多くが縁故入社であり、数多い組合は反目ばかりして自己の利益の追求に
  余念がない。正社員本人や家族への優待制度は世間の常識を逸脱したものであきれるばかりであ
  り、OBへの年給等も一般社会通念を遥かに越えた額となっている。パイロットの待遇も破格で
  ある。こうした放漫経営が同社の経営改善を阻害している要因の一つだろう。
  
  また、日航ホテルは各地にあるが、何故航空会社がホテル経営をしなければならないのか理由が
  分からない。航空会社は安全以外のサービスは不要なのだ。現在同社は航空事業以外で21社も
  の関連企業を有しており、商社や人材派遣まで手広くやっている。

  客室乗務員の作り笑顔や飲食物のサービス等は最小限でいい。スチュワーデスさんがさっとカー
  テンを引いたその中を垣間見た時全く別人のような人々であった。最も接客業は全て同じだろう
  が・・・。
  最近LCCとか、バジェットエアライン等とよばれる低コスト航空会社が航空業界に進出してい
  るが、これは余計なサービスを一切無くしているからであり、この方式で安全面を徹底したもの
  が大手航空会社の生き残る唯一の道ではなかろうかと僕は思う。
 
  このリンクは恩地元のモデルと言われる小倉氏の公演内容である。
   →小倉氏の1999年東大駒場祭における講演 


  この小説や映画で僕が一番影響を受けたのは、恩地の活躍ではなく、日航機墜落事故そのもので
  ある。今度の映画で墜落直前の機内の様子が再現されているが、残された記録や証言で多分あの
  ようであったろうと想像され胸が詰まる想いである。小説でも想像はしていて、飛行機に乗る時
  は毎回その怖さを押し殺していたが映像で見せられるとその恐怖は更に強まる。離着陸時はいつ
  も本当に怖い。


  この事故については、様々な情報がNET上に溢れていて直視出来ない酷いものもある。航空事故に
  遭遇するとこうなることを覚悟するには見ておいてもいい。
  以下の2つのサイトは見るに値する記録である。

  →Wikipediaの事故の記載  

  →日航機墜落事故証言(落合由美さん)  



  この落合さんの証言によると、墜落から暫くは何人かは生存していた事は確かである。米軍の横
  田では墜落地点も把握していて、日本側に救助を申し出たが、日本のさる筋から拒否された事が
  報じられて一時問題となった。日本側は墜落地点も把握出来ておらず、その不手際さを指摘され
  るのを恐れてからか日本側が救助を始めたのは翌朝からである。その間多くの助かる命が亡くな
  ったことに米軍の救助を断った連中はなんと言い訳ができるのだろうか。

  「多くの報道で「御巣鷹山に墜落」と伝えられていたが、実際に墜落した場所は「高天原山(た
  かまがはらやま)に属する尾根」であり、御巣鷹山に墜落したというのは誤り。報道により「御
  巣鷹」の名前があまりに浸透してしまったこともあってか、後に上野村村長によって「御巣鷹の
  尾根」と命名された。」(Wikipedia)このように墜落地点の山の名前さえ把握していなかった。

  
     
  
  日本航空は小説や映画に描かれた恩地のように、安全航行を目指して真面目に働いている人が
  大半だろうと思うが、いまだに不可思議なことがまかり通っている会社と思わざるを得ない。
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03.硫黄島  (06.11.06)

     
  (写真は借り物です)

           
  クリント・イーストウッド監督の映画『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』の2本の映画
  がある。前者は既に公開されているのでご覧になった方もおられる事だろう。一方は米国サイド
  から、もう一方は日本側から”硫黄島”の戦争を描いたものだ。

  今から61年前、私が生まれたその年、1945年2月16日〜3月26日までここ硫黄島で激
  戦が展開され日本軍21,800人の内20,129人もの戦死者を出し、米軍も61,000
  人中6,821人が戦死した。日本軍は栗林中将、米軍はホランド・スミス中将がそれぞれ指揮
  者であった。米軍の圧倒的な物量作戦で地形が変わるほどの火力攻撃を受けたが、日本軍は地下
  に籠って徹底した抗戦を展開した。NHKの番組で生存者が重い口を開いて、言語を絶する地獄
  絵の様相が展開されたと話される言葉が胸に突き刺さる。

  地下豪は火炎放射器で焼かれ、手榴弾を投げ込まれ、生き埋めにされ、海水を注入され、油を注
  ぎ込まれて火をつけられ・・・とあらん限りの殺戮が行われたが、尚2千名以上が洞窟奥深く生き延
  びていて、投降は最後まで禁じられていた。食べ物が無くなり、最後は炭を食べたとまで証言さ
  れていた。

  抵抗は8月15日の終戦まで継続され、最後の2名が収容されたのは1949年1月1日の事だ
  と言う。かくも無残で非人道的な事がわずか61年前まで行われていたのである。その源は戦前
  の軍事教育にある。決して負けても敵の捕虜となるなと教えて実践したのである。いかにこの大
  戦が無謀であったかは、今でこそ誰でも批判できるが、当時は国民全体が正しい事だと信じてい
  たのだ。大新聞もこぞって戦争協力をしているし、反対などは言える雰囲気ではなかったのだろ
  う。そこで、教育基本法を改正するのだと言う。まさか戦前の教育を再び、とまでは一気には行
  かないのだろうが、方向はそちらを向いている。

  先の大戦の反省を被虐史観だとして、東京裁判は受け入れられないとする右寄り思想の政治家の
  発言が最近増えている。”ジーパンを穿いた岸信介”さんだって総理になるまではどちらかとい
  えば、この靖国肯定派、先の大戦の肯定派ではなかったか。

  しかし日本は戦後の処理を本当に誤ってしまった。いや、きちんと未だにやっていないのである。
  この硫黄島だけでも、万を超える英霊の遺骨が洞窟の奥に眠っていると言う。靖国に参拝するな
  ら、せめて遺骨だけでも回収した後にしては如何であろうか?米軍は今でもベトナムでも行方不
  明者の調査を継続している、これは戦争に送り出した国の最低限の責務ではないか。北朝鮮問題
  でも、正確には戦争は終結していない事にもその遠因があるのではないか。北朝鮮が核とミサイ
  ルを開発したとなると、日本も核武装すべきだとか、核・ミサイル基地を攻撃するべしなどとま
  くし立てる政治家がまたゾロ出て来た。

  今は観光では硫黄島には行けないが、サイパン、グアムなど英霊の遺骨が眠っている海や島へ観
  光に浮かれて出かける人々は、解禁されればここ”硫黄島”観光にもきっと欣喜雀躍行くのであ
  ろう、ホント感心させられるばかりである、この無邪気な人々には!
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02.UNITED 93  (06.08.17)

     

           
  02年にベルリン国際映画祭で「千と千尋の神隠し」で金熊賞を宮崎 駿監督と同時受賞したPaul Gr
  eengrass監督の「UNITED 93」を観て来た。02年の受賞作品は「Bloody Sunday」でこれは劇場
  未公開の作品である。どちらもノンフクションをドキュメンタリータッチで撮ったものである。

  先週(06年08月)に英国で旅客機爆破計画で20数名の容疑者が逮捕されたばかりで、生々しい感
  じで映画を見る事になった。そう、これはあの9.11の米国同時多発テロによる旅客機のハイジャックと
  墜落まで僅か30数分間の出来事を追ったものである。

  テロリストがコーランを読経するシーンから映画は始まり、いつもの様に管制が行われ、飛行機が離陸して
  ニューアーク空港からサンフランシスコまで5時間ほどの空の旅が始まるのだけれども、ファーストクラスに乗り合わせ
  た4人のテロリストが文字どうりの必死の覚悟で何人かの乗客やパイロットを殺害し、機を奪って操縦し重
  要な建物に突入しようとするものである。この機は出発が遅れた事もあり、すでに他の3機は貿
  易センタービルやペンタゴンに突入した情報が携帯電話などで乗客にも伝わり、座して死を待つよりも
  テロリストに抵抗して機を奪い返そうとする様子が描かれている。その間、管制官や米軍などのこの
  「未曾有の大惨事」に対する大混乱の対処の仕方がやや批判気味に撮られている。

  米国ではテロリストに立ち向かった乗客はヒーローとされているが、交信記録やボイスレコーダーにはそうした
  録音は無かったらしい。ただ、目的の建造物への突入は出来ていないのは事実である。機が飛
  行不能の状態になり、乗客達が地上の肉親へ携帯TEL等で必死にメッセージを送ったのは事実である。
  日本でも日航機の御巣鷹山墜落で同様の状況下で肉親にメモが残されているのと同じである。
  9.11に実際に航空管制に従事していた人や軍関係者も同じスタッフが撮影に協力したとある。誠に真
  迫の画像になっている。米国では公開が早すぎるとの抗議運動も一部起こったようである。貿易
  センタービルの倒壊を扱った映画も他に公開されている。

  普通の映画と異なり、ヒーローが大活躍するものでもなく、大半が機内と管制室及び軍の司令室だけ
  の映画であり、テロリストを特段悪の権化としては描かれていない点が監督の見事さであろうか。
  「Bloody Sunday」のDVD版でもあれば見てみたい気がする。
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01.日本沈没・日本消滅  (06.07.24)

     

           
  33年振りに映画「日本沈没」の映画がリメイクされて上映されている。小松左京の小説の映画化
  である。33年も前だったか?と言う気がするほど月日の経つのは早いものだ。映画そのものは、
  以前に較べてCGや特撮が多少向上した位で特段に見るべきものは無い。核爆弾相当の高性能爆
  弾で太平洋プレートを爆破して日本沈没を救うラストだが、本当に可能なら将来の巨大地震が回
  避できるのだが・・・。

  大画面で音響タップリに楽しむには映画館が良い程度で、直ぐDVDが出るだろうから、それを見れ
  ば充分な映画である。
  見るべきなのは、海洋研究開発機構の地球深部探査船「ちきゅう」と「しんかい6500」である。
  前者は海底下7,000mまで掘削が可能で、マントルや地震発生場所までを探る事が出来る能力があ
  る。また同所には35.61テラ(1秒間に35.61兆回)の演算をするスパコンがあり、「地球シュミレ
  ーター」の計算を行っている。これは米国が驚きを隠さない性能で、必死にこれを上回るスパコ
  ンの開発を行った。日本も次世代スパコン計画で同所と理化学研究所が共同で更なる能力のもの
  を開発中である。これは核実験や、自動車の衝突実験をスパコン上で実施可能なものである。

  韓国のキム・スンホの小説「ニッポン消滅」を最近読んだ。これは「ガイア仮説」に基づく日本
  の沈没をテーマにした小説で、日本が天皇制のもと再軍備をし、しかも超小型の核兵器やアンド
  ロイド(日本得意のロボット技術による人造人間兵器)等日本が得意な小型化とIT化の装備を
  して米国を敵に回して戦争をし、オーストラリアを占領して日本人が移住しようとする物語であ
  る。主人公が韓国人で北極の地下深くに降りて行って「ガイア」と掛け合うと言うものであるが、
  終末のこのくだりは、まあ、置いといて、日本の再軍備や中国、ロシアとの交渉などの部分は、
  今日の政治情勢と合わせ見て興味深く読むことが出来る。韓国の人々は歴史的経緯から日本人を
  嫌うものだと思うが、この「ニッポン消滅」も日本など消滅すればいいのに!と思う気持ちが意
  識の奥の方にあるのだろうが、登場人物は軍人を除いて比較的冷静に書かれていると思われる。
  北朝鮮にしろ、韓国にしろ彼らにはやはり中国と日本は(ロシアもか)極めて大きな存在であり、
  その対処の仕方に苦慮している事も読み取れる。

  James E. Lovelockの「ガイア仮説」は『生物の持つ特徴の一つとされる恒常性という特質を地球
  が持ち、生物相と、物理的・化学的環境が相互に作用する複雑な組織を通じて、自らを調節し維
  持している』を仮説として説明している。

  『今の環境問題は所詮人間が人間自身の文明を破壊する程度の問題であり、地球という惑星の存
  続にはなんら脅威を与えない。よって、地球を守ろうなどとエコロジスト達が叫んでいるのは大
  きな誤りであり人間の力の過信である。ここまできたら人類が絶滅しかけるのは逃れようがない
  ことだ』としている。

  近年の異常気象や地震・火山の噴火・巨大津波・大洪水・巨大台風などを見ているとまさに『ガ
  イア仮説』そのものではないかとも思えてくる。アモイ像で知られるイースター島は、『18世紀
  から19世紀にかけて、住民らが奴隷として連れ出されたり、外部から持ち込まれた天然痘が猛威
  を振るったりした結果、島の人口は激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれた。』のが人口激
  減の真相らしいが、「ニッポン消滅」では、外界と遮断された孤島で人口が増えすぎると、人間
  は動植物を根絶するまで取りつくし、最後にはお互いが殺しあって食い合って人口が減少したと
  している。これもガイア仮説の通りだと言う。

  人類の進む方向に警鐘を鳴らしている小説でもある。荒唐無稽な部分を除けば、この小説は、そ
  う読めるのである。小松左京の「日本沈没」は確か、プレートテクトニクス理論(1968年にテユ
  ゾー・ウイルソンにより提唱)で日本が沈没するものだったと記憶するが、早晩北米プレートが
  跳ね上がって南海・東海・関東大地震が日本列島を襲う事は確実なのである。これも”ガイア”
  のなせる業なのではなかろうか?とも思えて来る。今年も洪水で早くも多くの被害が出ている。
  ヨーロッパは異常な高温に見舞われ、北極地方の氷は随分と溶け出していると言う。

  ガイア(ギリシャ神話の「大地の女神」)を持ち出さなくても、人類が行った行き過ぎた行為に
  対して、自然がそれを元に戻したり修正していると思えば当然の事なのだろう、天災ではなく人
  災が多いのである。一見天災に見えても、実はその基は人類の行為が基で発生している事ばかり
  なのである。地震は別だろうけれども・・・。貴兄、貴姉はどう思う?

  寺岡克哉さんがこれに関連した地球環境の事を書かれている。
  参考までにURLを掲載します。これは「生命の肯定」と言う本ですが、寺岡さんは地球環境につ
  いても色々なお考えをお持ちです。

   →生命の肯定 
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04.2020年東京オリンピック   (13.09)
   

   2020年の東京オリンピックは2013.9.7に日本での開催に決まった。多くの日本人はTVで決定
   の瞬間を見て喜んだ事だろう。最初にラジオで落選と聞いて、やっぱりダメだったかと一度は
   落胆したものだ。これは手持ち株がオリンピック効果で上がる事を期待していたからだが・・・。

   その後TVで日本開催の瞬間を何回も何回も見せられた。
   猪瀬知事のスピーチにはハラハラ、辟易したが、その他の招致委員のスピーチには感心した。
   取り分け水野氏が良かった。安倍首相の原発を完全にコントロールしているという発言には唖
   然とするばかりであった。誰もが、あそこまで世界に向けて言い切って良いのだろうかと思っ
   た事だろう。

   膨大な費用や予想される災害・テロの恐れのほかに、真夏の開催時期の問題が大きい。米国の
   商業の都合によって7月下旬から8月末に決まったのだという。「アメリカのスポーツスケジ
   ュールは、6月中旬にバスケットNBAファイナル、7月中旬にプロ野球のメジャーリーグオール
   スター、このあと7月下旬から8月末までスッポリ空き、9月上旬にアメリカンフットボールNFL
   開幕となっている。真夏でスッポリ空いたところへ東京五輪開催をはめた形だ」と報じられて
   いる。

   屋内の競技は冷房装置があるからいいだろう。しかし屋外の競技もオリンピックには沢山ある
   のである。取り分けマラソン等の長距離走、競歩、自転車、トライアスロン、サッカー等はど
   うなるのだろうか。気温35度とか40度、湿度70〜80%でこれらの競技が可能なのだろ
   か。死力を尽くしたオリンピック競技なのである。

   マラソンはスタート時間を午前7時30分頃にするとか、木陰を多くしたりミスト噴霧を増やし
   たりする計画があるそうだが、オリンピックスタジアムをスタートし、東京ドーム−皇居−
   日比谷公園−銀座−東京駅−秋葉原−浅草で折り返し、同じ道を戻るコースでどれほどの対策
   が出来るものだろうか?

   運動会は秋晴れの青空の下でやってこそのものであり、熱中症に怯え乍ら真夏の炎天下でやる
   ものでは断じて無い。アメリカの放送局の都合でこの時期に開くのが条件なら、日本などのよ
   うな低緯度、高温多湿都市はそもそも立候補すべきでは無かったのである。放送権料に頼らざ
   るを得ないようなオリンピックの開催形態におとしめたIOCなど再構築すべきである。

   10年以内に30%の発生確率が想定されている首都直下地震はどうだろうか。南海・東南海
   東海地震はどうか。もし首都直下地震が発生したらどうなるだろうか。「東京都の被害想定で
   は、M7・3の東京湾北部地震が発生した場合、死者は最悪9700人、全壊建物は30万棟
   を超す」とされている。招致委員会が国際オリンピック委員会に提出した文書は首都直下地震
   には触れず、「地震や津波による大会中断のリスクは低い」とまったく呑気なものである。

   だが、「海底トンネルやレインボーブリッジなどの橋で都心側とつながる臨海副都心。震度5
   強以上の揺れがあれば安全点検のために交通網が止まるなど、「孤島」となる可能性がある。
   港、江東、品川の3区にまたがる臨海副都心には、避難所は学校、区民センター、スポーツセ
   ンターなど計6カ所(約7600人収容)で、いずれも区民向けだ。大イベントになると何万
   人となり十分な収容を確保できていないのが現状である。

   オリンピックスの長所、短所はこのようだとされている。
    長所
    ・経済効果(東京招致委は3兆円と試算) 
    ・観光客が増える(招致委は大会中1010万人と試算) 
    ・スポーツを楽しむ文化の広がり 
    ・首都のインフラ整備促進 

    短所
    ・東京への一極集中、地方との格差拡大 
    ・福祉政策や教育政策が後回しになる可能性 
    ・資材高騰による被災地の復興事業への悪影響 
    ・首都直下地震など大災害の際の安全性 
    
    これに上記の真夏の酷暑下での屋外競技を短所に加えるべきだろう。
 
...........................................................................................
                                     (13.08)  
   
   2020年東京オリンピックの招致活動が東京都や国によって活発に行われている。その招致につ
   いては賛否両論も盛んに展開されている。2013年9月7日には開催地が決定される。

   オリンピックは2020年7月24日〜8月9日、パラリンピックは8月25〜9月6日の開催になっている。
   しかし今年もそうだったし、昨年もそうだったが、この時期の戸外の気温は30℃を大きく超え
   る。甲子園の夏の高校野球を想像すると凡その検討がつくが、ああした状況下で極限の競技を
   行えるものであろうか、甚だ疑問である。

   屋内競技はいいとしても、屋外で行われる競技も多い。この時期は夕方や夜になっても熱帯夜
   で気温が下がらないことが多い。選手はもちろんだが、観客も熱中症等になる心配が高い。
   陸上は霞ヶ丘陸上競技場、テニスは有明テニスの森、トライアスロンはお台場海浜公園と言っ
   た具合に東京でも特に気温の高い都心で行われる競技が多い。

   10月頃の爽やかな秋晴れのもとに開催するのであれば応援したくもなるが、熱中症対策をしな
   がらの競技と観戦などはしたいとも思わない。
   
   開催反対の意見で多いのが、東日本大震災での復興、とくに福島原発事故の処理が未解決のい
   ま開催に手を挙げるべきではないとするものである。遠く外国から来訪される方には、福島も
   東京も狭い日本では同様な地域に見えるであろうし、福島原発では汚染水の海洋への垂れ流し
   対策さえも出来ていない。廃炉のメドさえ立っていないし、故郷を追われた人々は避難先に居
   座され続けている。

   更に、杞憂なのが巨大地震の来襲である。東京直下型、関東大震災、東海・東南海・南海地震
   の発生確率が7年後の2020年では今日よりも更に高まるであろう。そのどれか一つでももし起き
   たら、それがオリンピック開催中であったら、選手や観客はどう非難することが出来るのだろ
   うか。外国の方を無事に帰国させられるのであろうか。道路や橋梁、建物等の老朽化が進んで
   いる中で、想像を絶する大惨事が起きはしないだろうか?

   招致費用だけでも75億円も掛かるという。大会運営予算は3,000億円で、もし赤字になれば政府
   による財政保証もされているらしいが、それは国家財政の充当である。設備、インフラ整備に
   は5兆円ほども掛かるというが、上記大震災復興や予想される巨大地震対策にそれらの金は回す
   べきではなかろうか。

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03. マリナーズ:アスレチック開幕戦 (12.03)

    

   2012年のMLB開幕戦が3月28日に東京ドームで開催された。日本でのMLB開幕戦は2008年
   以来4年目である。

   過去3回のMLB開幕戦が日本で行われた。いづれも2戦だがどの対戦も一勝一敗となっている。
   2000年 カブス    :メッツ    サミー・ソーサ、バレンタイン監督(メッツ)
   2004年 ヤンキース  :デビルレイズ 松井
   2008年 レッドソックス:アスレチック 松阪、岡島

   今回は マリナーズ  :アスレチック イチローがなんと言っても注目の的である。
   
   マリナーズ:アスレチック開幕戦は2003年にも開催が予定されていたが、イラク戦争の影響で
   中止されていて、当時イチロー目当てで入場券を購入していたが、払い戻しとなった経緯があ
   る。今回はやっとお目当てのイチローの勇姿を見ることが出来た。

      
      
      さて、その大本命のイチローだが、5打数4安打の大活躍であった。9回終了後に同点のまま
      球場を後にしたので、11回表のイチローのタイムリーは見ていなかった、残念!
      
    

   きっと悪い冗談だと思いたいが、巨人の渡辺会長がウエルカムレセプションで将来イチローに
   巨人の監督になるよう頼み、即座に断られたとの報道がある。とんでもない事だと思う。金さ
   え積めば道具としての選手や監督は自由になると思っているようだが、老害もいいとこである。

   話はそれるが、
   朝日新聞に桁外れの契約金問題で報道されて、少しは反省しているのかと思いきや、全くであ
   る。この体質は死ぬまで変わらないだろう。渡辺氏は終戦の1945年に東大に入学し、46年には
   共産党に入党している。1950年に読売新聞に入って政治記者となり大野伴睦の番記者となり、
   大野に可愛がられて政治家とのパイプを太くして行った。中曽根康弘や児玉誉士夫等との交友
   も大野の名前を借りて深めて行き、1968年にワシントン支局へ渡米し1972年に帰国してからは
   政治部で力を発揮し1991年には社長に上り詰めた経緯がある。
   

   MLBの試合は日本のプロ野球とは随分と違う、笛や太鼓、トランペット等で騒々しい応援は
   なくて、スピーカーから適時に短い応援の音楽が流れるだけの応援は心地よい。日本のような
   大応援旗を掲げた応援団主導の鳴り物入りの応援は、静かに応援している者に取っては迷惑な
   だけである。

   今回は2011.3.11の大震災の後だけに、震災関連のイベントが種々行われた。被災地での野球
   教室や開幕戦への野球少年の招待とか、試合開始に先立って津波被害に遭った3つのケースの
   復活物語をジータ等の有名選手等が語り映像で映すとか、被害地支援者が始球式に参加した。

   杉良太郎が羽織袴で国家独唱も行った。米国国歌は神奈川在住のMay J.が歌うことにな
   っていたそうだが、どうも軍服らしきものを着ていてMay J.ではなかったように思う。

   2012グループスMLB開幕戦

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02.甘い日本のゴルフプロ                

   (Tadd Fujikawa Zimbio HPより借用)
  

  2012年のソニー・オープンはジョンソン・ワグナーが13アンダーで優勝したが、日本から参戦し
  た丸山茂樹、小田孔明、高山忠洋、武藤俊憲、石川遼、松山英樹のうち、最高は小田孔明の通算
  イーブンパーの59位タイであった。いづれもスポンサー推薦で出ただけで、たいした準備もな
  く実力もなく勝てる程世界は甘くない。結局「調整不足」だったと惨敗を振り返るだけであった。
  今田竜二は米国ツアーでの実力で出場したが、71位と振るわなかった。

  日系5世のTadd Fujikawaは対照的に素晴らしかった。
  身長155センチと極めて小柄であるが、ドライバーショットの平均飛距離は290ヤードである。
  あの小さいと思った田中秀道でさえ166センチなのだから実に小兵である。ある紹介記事はこう
  書いている。
  「最初に注目を浴びたのは2006年の「全米オープン」。予選会を見事に突破し、同大会の最年少
  出場記録(15歳6ヶ月)を樹立。さらに2007年のPGAツアー第2戦「ソニーオープン」では予選を
  突破して20位タイ。同年2月に地元ハワイで行われた男子の大会「パールオープン」では、並居
  るツアープロを差し置いて優勝を飾り、世界中に衝撃を与えた。日系アメリカ人で155センチと
  小柄な体躯、豪快なプレーと相反する愛嬌を持ち合わせ、日本でも人気は高まりつつある。2007
  年は日本ツアーにも出場し、高校在学中にプロ転向を宣言した。」
  
  しかし、08、09年とハワイの地元大会を2連覇したものの、本土の米ツアーでは好成績が出せな
  かった。特に09年に父親が麻薬密売で逮捕され、服役してからは消息を断ってしまった。しかし
  本土のジョージア州に移り住んで練習を積み、今回のソニー・オープンの出場に漕ぎ着け、7ア
  ンダーの19位に入った。賞金は69,025ドルで、これだけで昨年の年間獲得を上回った。

  在米ゴルフジャーナリストの舩越 園子さんが書いている通り、ゴルフに対する姿勢が日本人が
  甘く、これでは勝てる訳はない。優勝したジョンソン・ワグナーにしろ、大健闘したFujikawaに
  しろ万全の準備をして大会に望んでいるではないか。石川は大会直前に現地入りして10時間もの
  猛練習をしたと伝えられるが、一度にそれほど打ち込んでも体を損ねるだけで身に付く訳がない
  ではないか。松山も予選落ちしてから観光には興味ないとして練習したらしいが、負け惜しみと
  しか思えない。正月をどう過ごしたかが問題であり、毎日の練習の積み重ねが大事なのではなか
  ろうか。

  韓国人の世界でのゴルフの活躍は目を見張らされるが、彼らの不退転の決意たるや日本人のチャ
  ラチャラした姿勢の対極にある。彼らの姿勢を凌駕しないと今年もまた後塵を拝する事必至であ
  る。特に、日本の女子トーナメントなど上位は常に韓国女子によって占められているではないか。
  男子も賞金王は韓国人であり、シニアさえも彼らに負けている。米国の女子プロでは余りの韓国
  勢の多さ(1/4が韓国人)にたまりかねて、視聴率の低下のため、対策が検討されているという。
  例えば、長距離を不得意とする韓国人対策としてコース距離を伸ばすなどしているのだそうだ。
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01.「大リーガーのツバ吐き」                     2011年01月17日

   不愉快極まわらない事の一つに、大リーガー選手のツバ吐きがある。必要以上に放映されるN
  HKの大リーグ中継で、しばしば大リーガー選手のツバ吐きがアップで映る。打席に入ってクチ
  ャクチャやっていると思ったら、ところ構わずペッツペッツとやる。

   集中するだの、緊張緩和するだのとご託を並べるが、要はマナーがなっていないだけ、自分本
  位だけの野蛮な礼儀知らずの行為である。イチローや松井がペッペとやりますか、日本選手はそ
  んな事はしません。ところが、何をどう勘違いしたのか、血迷ったのか、日本の野球かサッカー
  で極く一部の選手が大リーガーの真似をしてペッペとやっている者がいるという。あきれた奴だ。
  所栓野蛮な行為を格好いいとでも思ったのか知らないが、とんでも無い輩だ。

   大リーガーの選手は途方も無い高給を取っている者が多いが、マナーに関しては誠にお粗末で
  である。野球が上手いだけでチヤホヤされ、上等な生活をしている。だからマナー等零の選手が
  実に多い。試合終了後のダッグアウト等はまるでブタ小屋同然の汚さだそうだ。ツバや紙屑やヒ
  マワリの種の殻や紙コップや噛みタバコ、ガム等が一面に散らばっているそうだ。
   ダッグアウトを汚すのは当然で、それを清掃するために清掃員がいると思っているようだ。

   欧米では一般的に、勿論我が日本でもですが、ツバや啖等を公の場で吐くなどは許されないと
  思うし、見聞したこともない。
   それが大リーガー選手に限っておおっぴらにやって、誰も咎めない、NHKのTV中継でも平
  然とアップで中継なさり、何のコメントもない。他のスポーツではこんな事は知っている限りな
  い。無論あって良いハズもない。
    
     ほとんどが定位置、バッターボックス近辺やダッグアウト付近が多いので、吐かれた唾はいづ
    れに空中に舞い上がり、土中に染み込みスライディングでもすれば、いづれ己の体中に入り込む
    ことだろう。もし、細菌でも含まれていれば感染するかもしれない。
     まさに『天に唾する』行為そのものだ。
    
     NHKだってクチャクチャやっている選手がいたら場面を切り替えたらどうだろう。プレーの
    瞬間に唾吐く馬鹿はいないのだから、その時に映せばいいのではないか?高い受信料を払ってま
    で不愉快なものは見たくないものである。
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29.子殺し               1412
   子殺し




28.TVコメンテイターの薄口化               1404

  毎日新聞の2014年4月2日朝刊に「TVから消えた辛口コメンテイター」の特集が載っている。そ
  れによると、辛口コメンテイターとして知られたなかにし礼、古賀茂明、森本卓郎、鳥越俊太郎
  久米宏、田原総一郎等がTVから姿を消しつつあるという。故筑紫哲也も辛口のコメントで鳴ら
  していた。

  どうも安倍首相が民放の社長と面会し、番組改変後の出演者を誰にするかの指示が出ているらし
  い。むろん首相本人はもとより、彼を取り巻く右寄りのブレーンからの指示であろう。これでは
  NHK会長の人事と同様であり、日本のTVを自らの都合の良い報道しか行わないものにするも
  のではなかろうか。TVの影響は相当に大であり、これを用いて世論の操作を行おうとするもの
  としか思えない。

  毎日は、逢坂巌氏が言う世論と政治を動かす「テレポリティクス」時代(1980〜1990年代)は終
  わったとする。おとなしい「薄口」のTVに魅力はないのではないかと悲観的だ。ただ、元NH
  K記者の池上彰はどこからも批判されないコメントを見事に発揮していて天才的だと、永卓郎に
    言わしめている。
    
    重大で深刻なニュースが発生しても「困ったものですね」で片づけるキャスターやコメンテイタ
    ーばかりの民放や、上の意向を伺いながらのNHKの放送を見せられては堪ったものではない。

  記事ではタモリ、明石家さんま、ビートたけし等もトレンドでは無いとしているが、彼らはお笑
  いであり同一に論ずべきではなかろう。

     
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27.三度目のリフォーム                       1312

  我が家は埼玉の志木にある「志木ニュータウン」のマンションである。この団地は1979年に鹿島
  建設が建設したもので、敷地面積は35万u、戸数3000戸以上もある大規模マンション群である。
  建設当時は住民の年齢も若い人が多かったが、建設から30年を越える経年とともに住民も高齢化
  し、新規に入居して来る若人も少なく”ニュータウン”とは呼べない街になってしまった。

  かく言う自身も60歳で定年退職し、70歳も目前にした歳になってしまった。同年代の御同輩がこ
  の団地の住人には多く、毎日同じようなキャップを被って近くの柳瀬川土手をややうつむき加減
  に行きつ戻りつしたり、図書館で時間を持て余している。

  築30年も経つと、マンションにもあちらこちらが痛んでくる。外壁は2度、排水管も何度か更新が
  行われた。今年は汚水排水管の大規模な取り替え工事が数か月に亘って行われた。僕は1985年4月
  にこのマンションに入居して28年も経つ。あちこちが老朽化して来て過去に二度リフォームは行っ
  たが、それでも全ては完了していなかったので、今回三度目のリフォームを行った。

  狭い洋間二つを一つにまとめて広くし、他に、和室と風呂、トイレを改修した。
  
  和室
  和室の押し入れを改良し、天井や畳などを更新した。

    
 

  洋間 
  2間あった洋間を一つに統合した。
 
    
    
 


  トイレと風呂
  トイレはLIXIL(INAX)のサティス、風呂はTOTOのサザナである。
  トイレは自動で蓋が開き、便器の中に照明があるのがよい。
  風呂は床が柔らかい「ほっカラリ床」と「エアインシャワー」が秀逸である。
    

  ガスふろ給湯器
  ノーリツGT

    



  業者は上福岡のライファふじみ野さんにお願いした。
  担当のショップマネージャーの長峰さんは大工、水道、ガス、電気などの業者と上手く連携して
  段取り良く工事を進めて見事に施工された。

  TVのアンテナはベランダのパラボラアンテナでBSとCSを受けて南側2部屋へ供給し、地上波デジ
  タルはマンション共同アンテナから受けていたが、パラボラアンテナからの電波を3分配して北
  側の部屋までBSとCSのアンテナを延長して引いた。

  →パソコンでもTVを視聴しているが、NECのVALUSTAR−VN770/J(2013年春モデル)でBSとCSを視
   聴聴するには電源供給機能が無いので、いづれかのTVの電源(待機電源で可)を入れておく必
   要がある。または電源供給器を設置しなければならない。(地上波デジタル視聴には電源供給
   器は不要である)普通のTVならこうしたものは不要だが、電源供給がアンテナに必要な場合が
   あるのだ。
   maspro社カタログ参照
   
............................................................................................
  マンション暮らしは、いや戸建でもそうだろうが、快適に住み続けるにはリフォームは必須だろ
  う。住宅の数は既に需要を上回って7軒に1建は空家になっているそうである(2012年現在)。だ
    から新築をどんどん作るよりも、既存のものの耐久性や耐震性を高めたりして長持ちさせた方が
    良いに決まっている。特に西洋では何百年も住宅は利用しているし、日本でも一寸前までは100
    年を越えて住む家が、特に田舎では普通だった。
  マンションでも、住む家族構成に合わせて間取りを変更したり、水回り等を維持管理すれば、耐
  震性があれば100年近くは住み続けられるのではなかろうか。

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26.高速道路事故増加                       1208

  NEXCO東日本によると、
  「管内の高速道路の死亡事故は、2007年以降2010年まで連続で減少して来たが、2010年の年間49
  名(事故率0.1人/億台キロ)と比べて2011年は59名(事故率0.16人/億台キロ)と増加に転じた。
  そして、2012年は6月までに44人(事故率0.27人/億台キロ)と激増している。
 
  この死亡事故人数には、関越自動車道で7人が死亡したバス事故も含まれているが、それを除い
  ても増加しており、同社としても対応に苦慮していると言う。死亡事故でとくに増えているのが、
  「高速道路上で人をはねてしまう」「停止車両への衝突事故」の2つ。本来自動車・二輪車しか
  走っていない高速道路上だが、車両が故障した際や事故などを起こした際に、高速道路本線上を
  歩き、後続車両にはねられ死亡した人は半年で10名になる。また、渋滞後尾や事故・故障車に衝
  突する・されるなどして死亡した人は17名になる。
 
  NEXCO東日本としては、「高速道路本線上を歩き回らない」「事故・故障などで停止する際は、
  三角停止板を必ず使う」などの注意喚起を行っていく。
 
 
   
  

  と2012年7月26日の定例記者会見で発表した。

  そして今日12年8月3日にも新潟県小千谷で追い越し車線に停車中のトラックにワゴン車が追突炎
  上して5人が亡くなった。前日の2日午前4時10分ごろにも宮城県白石市斎川の東北自動車道
  下り線で、千葉県成田市のバス会社「クルージングワールド」の夜行バスが中型トラックに追突
  しバスの乗客35人と運転手、トラックに乗っていた2人の計38人が病院に搬送され、乗客
  28人を含む31人が軽傷を負ったばかりである。バス事故は関越自動車道で7人が死亡した事故
  と同種類のものである。

  いづれも決められたルールを守り、安全対策を行なっていれば防げたものである。どうも高速道
  上での安全ルールが周知徹底されていないか、知らないかである。かく言う僕自身も高速道はよ
  く利用するが、もし事故が発生したらどう対処してよいかまことに心もとない。だから運転もし
  ないで高速道を利用する人にとっては、どうしてよいか全く対処の仕方が分からないだろう。
 
  バス事故は、小泉・竹中改革と称する間違えた規制緩和による労働強化で”居眠り運転”が原因
  であり、小千谷のワゴン車追突事故はパンクで追い越し車線停車が三角停止板や発煙筒を焚いな
  い。パンク程度で追い越し車線に停止しないでなぜ左の走行車線に寄せて停車しなかったのか?
  ホイールベースやタイヤが多少傷んでも走行車線までなら寄せられるはずである。停車から衝突
  まで15分も経過しているのである。トラックの運転手は携帯で事故報告や救助依頼をしたので
  あろうが、その前にやるべき事があるではないか?高速道の追い越し車線に車を放置することが
  どれほど危険なことか全く解っていない。そんな者に高速道を運転さすべきではないのである。
  しかし現実は、全くの放任である。

  また、NEXCO東日本の言うように、高速道路本線上を歩き後続車両にはねられケースが多い。こ
  れも当然のことで、特に夜間に高速道路を人が歩くのは反射するものが何もなく自殺行為そのも
  のである。村上春樹の「1Q84」の小説で、ハイヒールを履いた女性が首都高を歩いて非常階
  段から地上に降りられるのは、渋滞で車が止まっているから出来る芸当なのである。

  誰でも安易に高速道を利用するが、もし事故が起きた時にはどうするべきか、NEXCOが先導して
  国民全体に徹底すべきである。否、一組織に任せずに法律で規制すべきである。

   

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25.がれきの広域処理   (12.03)

   東日本大震災で発生したがれきの広域処理が大きな問題となっている。がれきの広域処理とは
   全国の廃棄物処理施設で、被災地で処理しきれない災害廃棄物を処理する事であるが、今回の
   東日本大震災で発生したがれきの推計量は岩手、宮城、福島の3県で2,253万トンと言われて
   いて、その内岩手が57万トンを、宮城が344万トンを広域処理希望としている。福島は広域処
   理については希望していない。このがれきの広域処理を巡って様々な意見が出ている。

   2012年3月16日の朝日新聞は「がれき拒む社会」と題してこの問題を取り上げている。
   黒岩祐治神奈川県知事は「それでも私は受け入れる」として言っている。震災後に作られた基
   準の焼却灰1キロ当たり8千ベクレル以下の基準は信用してもらえないが、震災前からある1キロ
   当たり100ベクレルの原発廃棄物再利用基準内なら、県民の理解が得られるとして受け入れを推
   進する立場である。TV出身らしく、メディアの力を借りて推進する意向である。

   山内知也神戸大大学院教授は「西日本に運ぶのは間違い」として、汚染されていない西日本に
   わざわざ東日本の放射性物質を運んできて、日本全体を汚染地域にするのは、日本の将来を考
   え被曝する人を一人でも少なくし、汚染されていない土地を残すのは重要だとする。がれきに
   ついた放射性物質」は微量でも燃焼で濃縮され、汚染灰が出たり排ガスによる拡散も問題であ
   るとする。被災地に高性能フィルター付きの大型焼却炉を建設し、発電設備も備えたものとす
   ればがれき処理後も木材などのバイオマス発電が行える他、地元にお金も落ちて雇用対策にも
   なると、放射線計測科学者らしい事を言う。

   文芸評論家の加藤典洋は「不信が生む自己防衛」として、反対住民はボランティア等での協力
   はするががれきを受け入れて取り返しの付かない事態を恐れているからで、地域エゴではない
   とする。国民の不安を受け止めない効率優先の政府のやり方への国民の自己防衛のボイコット
   運動、抵抗だとする。政府、省庁はこの大災害復興を効率的に進めようと「政治」でなく「行
   政」として進めているからで、国民はあきらめを含んだ不信に陥っているとする。

   加藤はその著「3.11死に神につきとばされる(岩波書店)」で村上春樹が2011年にスペインの
   カタルーニャで原発批判を言及したキーワードの「効率」優先を文芸評論家らしくここでそれ
   を用いて政府・行政の対応をあげている。

   では、どうすればいいのだろうか?

   福島は208万トンのがれきを発生しているが、現在のところ広域処理は希望していない。希望
   したところで、放射性物質を多く含んだがれきは受け入れるはずが無いと端から諦めているの
   ろう。

   放射線計測科学者の山内が言うのだから、素人が考えるよりは真実に近いのだろうが、微量で
   も放射性物質を含んだがれきをわざわざ遠くに西日本まで運ぶことはなかろう。やはり東日本
   でこれは処理すべきである。

   村上春樹は二度に渡って核の被害を受けたが、原子爆弾という人類史上唯一の大被害を受けて
   核に対する拒否感を何故忘れてしまったかというと、「効率」のためだと断言する。原発は効
   率的であり、利益が上がるシステムだとされ、いつの間にかそれが当然のようになり、それに
   異を唱える者は「非現実的な夢想家」のレッテルが貼られたとする。だから「効率」や「便宜」
   という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進ん
   でいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないとする。

   加藤の言うように、政府・省庁が求める「効率」だけでこの「がれきの広域処理」をしてはな
   らないのです。がれきを受け入れる自治体に助成金を出すのでは、政治不信が増大するだけに
   終わる。山内の言うように、大型の高性能フィルターと発電設備の付いた大型焼却炉を被
      災地に近いところに建設して処理するしかないのではなかろうか。
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24.地震・津波・噴火   (12.02.)
   1995.1.17の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)を境にして日本列島の地殻は活動期に入った
   のだろうか。あの巨大津波を齎した2011.3.11の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、そ
   の後の相次ぐ余震の他、日本各地で大きな地震が継続して起こっている。

   南海、東南海、東海そして首都直下地震などの巨大地震が、過去の発生間隔から推察してすで
   に発生する危険期間に入っているとの情報が流れている。今回の3.11の被害の甚大さに驚いて
   地震学者が過去を再調査してみたところ、有史以前からの周期で巨大な地震や津波、噴火が起
   きていたらしいとの研究結果が発表され始めている。

   それに加えて、首都圏では立川断層が東京北西部の人口密集地を貫いて走っていて、断層の真
   上に人家やビル、鉄道、道路等がたくさん構築されているため、一度この断層が動けば甚大な
   被害が想定されている。活動周期は5,000年で、直近は1,400年前に活動したので、当分は大丈
   夫と言われているが、マグニチュドはM7.1 - 7.3程度と想定されていて、もしこれが動けば我
   がマンションも相当な揺れに見舞われ被害が出る事だろう。

   日本列島の地殻が活動期に入ったことに伴い、桜島、霧島山(新燃岳)の火山活動が最近は増
   え、特に桜島の噴火が活発で1914年(大正3年)の大噴火から100年が経過しようとしていて、
   大噴火の予兆かもしれない。不気味なのは富士山の動向である。富士五湖の水位が異常に上昇
   したり、震度5クラスの地震がしばしば富士山周辺で発生している。富士山はれっきとした活火
   山であり、1707年の宝永4年の大噴火から400年経過していて地下のマグマが相当蓄積されてき
   ているのではなかろうか。また日本列島の地殻は活動期化に伴うマグマの供給量を増やしてい
   るのだろう。様々な異変を富士山の近くに住む人々が告げている。もし富士山が爆発すれば、
   その被害は宝永の爆発時の江戸の被害から想定して、人口や産業、交通網等の集積度からして
   比較にならぬ程のものとなり、首都東京はほぼ機能マヒの状態になると言われている。それも
   巨大地震発生後に噴火の可能性が高いことから、地震・津波で大打撃を受けた身に致命的な打
   撃となるのである。

   これらの災害が首都圏を襲ったら、3.11の比どころではなく被害想定額は政府の想定額112兆円
   ははるかに超えたものとなり、東日本大震災の復興資金でさえもその殆どを国債に頼っていて、
   国の債務残高が1,000兆円を超えた状況に首都復旧資金を賄える余力等考えられず国債は完全に
   破綻するしかなかろう。

   こうした状況下で、我が国の政治はそうした身の毛もよだつ様な災害に対して何らなす術もな
   く、政権獲得だけを目的とする無味乾燥な争いだけを演じている。

   防災科学技術研究所のモニタをご覧頂いて、日本の地震の多さを実感下さい。
   「Tenki.jp」のサイトには天気予報の他、地震、津波、火山情報を見られるタブがあります。

   強震モニタ 

   Tenki.jp 

   地震発生時のモニタ

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23.開かずの踏切   (12.01.18)
   
   (Googleのストリートビューより拝借)
   
   社会保険中央総合に用事があって、志木の自宅から車で谷原から明治通り、新明治通りと進み
   下落合駅前を左折して西武新宿線の踏切を朝の8:30分に渡ろうとした時の事である。

   西武新宿線は高田の馬場駅を出ると、左に大きく曲がって西に進路をとる。その最初の停車駅
   が下落合駅である。無論、各駅停車の駅でありその駅に隣接して踏切がある。上の写真の直ぐ
   左手が下落合駅である。写真はラッシュ時ではないのであろう、全く混雑もなく、渋滞もして
   いない。


   この駅の朝8時代の運転間隔は上りが4分、下りが5分である。その他に、特急やら急行、準
   急等の通過列車が走り抜ける。従って殆ど遮断機は降りたままで、遮断機が僅かに上がった合
   間を縫って人、自転車、車、バスが我先に通り抜ける。その全くひどい時間帯にぶつかったの
   である。

   各駅停車駅の駅の傍が踏切だから、駅に停車するために列車はスピードを落とす、そして駅か
   ら出た列車はスピードが出ない。だから遮断機が降りている時間がとても長くなる。8:30頃に
   この踏切の手前に来て、やっと渡ったのは8:55分頃であった。20分も通過出来ないと人や車が
   どんどん増えて来てUターンも出来なくなるのである。目の前を何本もの列車が通過するのを
   我慢しながら待つしかないのである。

   ATC装置が機能しているのだろうか、列車が通りすぎても次の列車が遮断機が降りる距離に
   いて停車しているのだろう一向に遮断機は上がらない。待ちきれなくなった人々が何人も遮断
   機を押し上げて横断していく、自転車さえも踏切を横断して行く。しかしこれは危ない、各駅
   停車だけならスピードを落しているのでまだ良いものの、通過列車は相当のスピードで通過し
   ていく。少しでもタイミングを誤ると必ず撥ねられるだろう。

   事実、この下落合駅近くでの人身事故は頻発している。西武鉄道はかくも危険な踏切をなぜ改
   善しないのだろうか?道路を管理している自治体もなぜ放置したままにしているのであろうか?
   この先、どれほどの人が犠牲になるのかと思うとやり切れなくなる。
   こうした踏切は他にも数多くあることだろう。事故が予見されるような踏切は直ぐにでも改善
   すべきである。

   とにかく朝のラッシュ時には、車でこの踏切は絶対に通らないようにしようと、別のルートを
   探している。新目白通りの中落合二丁目の立体交差点を右折して山の手通りに入り、約1km
   走って上落合二丁目交差点を左折すると早稲田通りに出るので、このルートを利用しよう。
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22.オームの戦略? (12.01)               
   (警視庁提供)

  写真の様な疲れた46歳の男が、12年の大晦日、23時35分に警視庁に出頭し、その場では「悪質な
  いたづら」と警備の警官に門前払いされ、丸の内署に再度名乗りでて逮捕された、との報道がな
  された。

  平田信容疑者である。1995年に警視庁が特別手配をして17年の逃亡生活であった。高橋克也、菊
  池直子容疑者も同時に手配されたが平田容疑者以外の2名は未だ逃亡中である。駅の掲示板や警
  察にこの三名の手配写真が今でも貼られているのを、誰もが見たはずである。

  朝日新聞の12年1月3日の記事によると、出頭の理由は「国松長官事件が時効となり、間違った逮
  捕はあり得なくなったので、早く出頭したかったが遅れてしまった。3.11大震災で不条理なこと
  を多く見て、自分の立場を改めて考え、11年中に出頭したかった」と説明し、「教祖松本死刑囚
  の死刑執行は当然だとし、いまではオウム真理教も松本死刑囚も信仰していない」とのコメント
  が書かれている。

  しかし、11年12月で教団関連事件の全裁判は終結して、松本死刑囚を始めとするオウム関連の死
  刑囚の執行が始められると見られていた矢先の平田容疑者の出頭である。検察当局には死刑執行
  を遅らせるためのものではないかとの見方があるとも報じられている。

  平田が自己の意志で出頭したとは考えづらい。サリンを作る能力のある集団である。逮捕後に死
  刑になることは考慮した上で、如何に長く生き延びるかも考えた上での行動であろう。オウム支
  援の法曹関係者がいたかもしれず、法律に詳しい信徒や幹部がいたかもしれない。「共犯者がい
  る場合は、共犯者を含めたすべての裁判が終了するまでは死刑の執行は見送られるのが通常であ
  る。共犯者の裁判での証言や、執行後に冤罪である事が判明するかもしれないからである」平田
  は地下鉄サリン事件事件や松本サリン事件には関与していなくて、目黒公証役場事務長拉致事件
  に関わっているが、警察庁長官銃撃事件への関与をもし証言でもしようものなら、裁判はとめど
  もなく長引き、それでも死刑執行をすべきとの国民世論の雰囲気となれば、サリン事件にも関与
  をした高橋、菊池容疑者を今回の平田の出頭のようなカードとして切ってくるのではなかろうか。

  多分これはオウムの戦略なのであろう、松本死刑囚は現在56歳であるが、これで平田容疑者の裁
  判が始まって結審するまでまた10年近く掛ることであろう。更にまだ逃亡中の高橋、菊池容疑者
  の逃亡を手助けしてできるだけ先に伸ばし、地下鉄サリン事件事件に関与していた両名が逮捕又
  は出頭しても、その裁判が再審請求まで含めて終わるまでには10年以上掛ることは容易に予想で
  きるから、オウム関連死刑囚への執行はどう早くみても20年以上先になることだろう。

  となると、松本死刑囚は80歳近くになっており、あの不摂生の健康状態では多分自然死してしま
  うだろ。これはオウムの事件を起こす前から立てた戦略ではなかろうか。そうした事をオウムの
  生き残りや名前を変えた教団は、戦術としてこれから小出しに実行するのではなかろうか?
  それとも、法務省の体面を保持し、国民の理解を得るためと称して、13人の死刑囚のうち、松本
  死刑囚の執行を取り敢えずおこなってしまうのであろうか。

   警視庁・オウム真理教関係特別手配被疑者 (500万円の懸賞金が掛かっている)
   
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21.中国地溝油と食の安全      (11.12.23)
   やっと朝日新聞がこの問題を取り上げた。あまりにもショックが大きから、中国当局から止め
   られていたのではないかと思われた中国の地溝油問題をやっと朝日新聞が11.12.12の朝刊一面
   とニ面で取り上げた。
   一面の記事は以下の通りである。

   朝日新聞の広州の林望局長の記事の概要はこうだ。
   「10年ほど前から重慶、西安、福州など各地で報じられ、消費者を不安に陥れた疑惑の一端
   が11年9月、公安省の捜査で裏付けられた。
   寧海県郊外の新興住宅地に近い畑の一角で地溝油は作られていて、警察が地溝油を作っていた
   大釜は持ち去ったものの、竈の跡が残っていて、現場を地元の農夫の案内で訪れてみると異臭
   がし、残りかすが残った大きなかめがあったそうである。油を作っていた本人は警察に勾留さ
   れたが、現在は自宅に戻っているという。建築用の油と聞かされて作ったものでやましい事は
   なにもないという。
   、
   寧海県で農業をしていた夫婦は深夜、ホテルやレストランを回り、調理室につながる排水溝の
   ゴミを集め、釜で4時間ほど煮詰め、浮いてくる油をすくい取って地溝油を作ったという。
   これらの油は山東省済南のバイオディーゼル工場に運ばれて不純物を取り除き、河南省鄭州の
   業者が食用油の容器に入れて販売した。周辺の四つ星ホテルなどにも納められたという。警察
   は工場経営者らを逮捕したが、経営者は月平均500トン前後を生産し、25万元(約300
   万円)ほどの利益を上げていた。」
   ( 2011.12.11朝日新聞参照)

   更に同日の朝刊二面で「食の安全よりカネ」と題して
   使用禁止の農薬を使用した大根や、病気で死んだ豚から作ったベーコンのルポを載せている。
   「稼ぐためなら何も怖がらないし、売った相手のことも考えなくなる」との現地の報告をして
   いる。他方、市民にも自衛の動きが出ていて、値段は通常の5倍、10倍もするが日本人の立ち上
   げた有機農場や、近郊の有機農場が栽培する野菜等を購入し始めているという。しかし経済力
   の無いものは、そうした安全なものの購入は叶わない。中国政府も食の安全に対しての対策に
   乗り出し、食品安全法を施行したり、安全委を設けて監督強化や悪質な業者の検挙を強化する
   等し始めた。

    →この 地溝油については、10.3月に取り上げているので参考にされたい。

   もう中国については、何でも有りの状況になりつつある。
   この地溝油に限らず、「高速鉄道の事故と事故隠し」「通学バスへの詰め込み輸送」「女児ひ
   き逃げと非救助」「使用禁止農薬による野菜栽培」・・・。
   何が起きても少々の事ではもう驚かないでおこう、でないとこの国は理解不可能である。

   地溝油は四つ星ホテルにも納められていたと言うから、それ以下のホテルに泊まる団体ツアー
   旅行ではきっと利用されていた事だろう。この地溝油や農薬たっぷりの野菜を利用した料理を
   知らず知らずの内に食べさせられた事だろうが、それにもまして、調理場の猥雑で汚い事この
   上もない。日本でも中華料理場は清潔とは言い難いが、何かの拍子に調理場を覗いた時に、こ
   んな所で調理しているのかと、暫くは食欲が失せたものだ。
   中国は、資本主義国以上に金の亡者ばかりの国になっていくような気がしてならない。



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20.3.11地震発生時の模様      (11.08.06)

  3.11東関東大震災が発生した時点(2011.3.11 14:46:30〜14:51:29)間の震度の広がり状況を、
  防災科学技術研究所が提供している。
  3.11地震 

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19.吉浜に学べ  (11.06.26)

  三陸町吉浜
  これはGoogleマップの吉浜の3.11震災後の上空写真であるが、左下の海岸低地には建物が殆んど
  見られない。大半が田畑になっている。これが今回の津波から人々を救った。津波は県道250号
  線の間際まで迫った。

  
  (写真はGoogleマップより借用)

  キッピンアワビ『吉浜乾鮑』で有名な岩手県大船渡市三陸町の吉浜は、3.11の東日本大災害での
  大津波の被害を免れた。それは1896年の明治三陸津波で甚大な被害を受け、復興に際し、「また
  必ず大津波が来る」と確信していた当時の村長らが、高台への集落移転を推進したからである。

  
  
  吉浜の440戸の殆んどが標高20m以上の高台に移転していて、3.11の大津波の被害を免れたので
  ある。低い土地に建っていた3戸は津波にすくわれたが、その殆んどが無事であった。これは貴
  重な事実である。津波に襲われ惨状を呈しているところは、かってその昔やはり津波に襲われた
  場所なのである。「これより下に家を建てるべからず」という先人の石碑を無視して、もしくは
  忘却して家を建てたところは殆んどが津波にさらわれてしまっている。
  
  宮古市・田老の防潮堤を乗り越えた津波
  
  (写真はGoogleマップより借用、津波はこの堤防を乗り越えた)

  「万里の長城」と言われる10mもの高さを誇る宮古市・田老の防潮堤も津波は越えて行ったので
  ある。津波に対する対策は高台に家を建てるしかないのである。明治の貴重な決断と実行力が平
  成の大惨事を救ったのである。何十年か後には必ずこうした大津波は襲ってくるのである。

  2011.6.26の中央防災会議の津波対策の中間報告によれば、津波対策は@50〜150年周期で発生す
  る従来型に対しては防潮堤等で対処し、A3.11のような最大クラスに対しては避難強化で対処す
  るとした。(2011.6.27毎日新聞)

  しかしこれでは救われない。@の従来型には防潮堤のかさ上げや強化だろうし、Aの1000〜2000
  年に一度の最大クラスには避難強化なのだそうだ。「周知徹底」「教育訓練」「管理の強化」は
  失敗学では上の三つを「効果の薄い三大失敗対策」と福島原発事故調査検証委員会の委員長とな
  った畑村洋太郎さんは述べている。

  三陸地方では、大きなエネルギーが放出されプレートのヒズミは解消されたので、今後50〜150年
  はきっと大きな津波はこないだろう、そうして10年も経つと皆安心して@の防潮堤の強化に安住
  する事だろう。ましてAの1000〜2000年の最大クラスの地震については避難強化をしたところで
  30年も待たずにすっかり忘れてしまうのである。畑村さんの言う様に「効果の薄い三大失敗対策」
  の典型である。

  だから唯一の根本的対策は、明治の吉浜の村長が計画し実行した”高台への集落移転”しか無い
  のである。そのために膨大な経費や住民説得の努力等が必要な事は仕方が無いのである。

  大船渡消防署の元三陸分署長の木村正継さんは言う。「高さ7メートルの防波堤も幅30メート
  ルの松林もみんな流された。でも集落は無事だった」「何十億円も掛けて大きな防波堤を造るよ
  り、もし小さな集落で土地さえあれば、孫子のために少しずつでも高い土地に移転していった方
  がいいさ」と。(静岡新聞2011.3.20【現場から】「高所移転」集落救う 岩手・大船渡より)

  名取市閖上(ゆりあげ)パノラマ写真(MSN産経フォトより)


  この吉浜の『吉浜乾鮑』(キッピンアワビ)は江戸の昔から珍重され、世界一の高級食材として
  知られている。キッピンとは吉浜を中国語で読んだものであり、ことのほか中国料理ではここの
  乾鮑を珍重する。乾鮑など食べた事もないが、これでまた当分『吉浜乾鮑』などにはお目にかか
  る事もなくなる事だろう。

  「吉浜乾鮑(キッピンカンボウ・又はキッピンアワビ)

  

  それでもいつの日か、吉浜が復興し『吉浜乾鮑』が生産されるようになれば、当地を訪れて買い
  求めてみたいものだ、買えるものなら!(写真のもので7,000円位か?)

  下記は震災前に吉浜漁業協同組合が作成していたHPである。
  吉浜漁業協同組合HP
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18.非現実的な夢想家  (11.06.17)

  

  作家の村上春樹氏がスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で「非現実的な夢想家」と題したスピ
  ーチを行って話題となっている。
  (カタルーニャ国際賞はスペインのカタルーニャ州政府が1989年に設けた賞で、文化と科学、人
  文科学の分野で活躍した人が選ばれ、受賞者には賞金8万ユーロと、地元出身のアントニ・タピ
  エスさんの彫刻「鍵と文字」が贈られる。オリンピックが開催されたバルセロナはカタルーニャ
  州都であり、この賞もバルセロナで授与された)

  スピーチを読むなり、聞けば判るように、原発に対する厳しい批判となっている。「効率」のた
  めに原発を国策として推進しまって、今回のような取り返しのつかない事態を引き起こしてしま
  った悔やんでいる。「非現実的な夢想家」とは、原発推進者達が原発反対者に対して、この電気
  で成り立っている社会で電気が不足したらどうするんですか?それでもいいんですかと揶揄する
  言葉である。電気がなければおよそ現代生活は成り立たないのが現実であるからだ。

  原爆投下と言う悲惨な経験をした我々は、「持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原発に
  代わる有効なエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった」とし、それが広島、長崎の犠牲
  者に対する集合的責任の取り方となったはずで、そうした倫理と規範を世界にアピールすべきで
  あったと述べる。

  だからわれわれは再生するに当たってその足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ厄災
  の犬たちに追いつかせてはならず、力強い足取りで前進する「非現実的な夢想家」たらねばなら
  ないと結ぶ。

  毎日jp「村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチ」

  YouTube「村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチ動画} 

  池田信夫blogの村上スピーチ批評

  日本の原発の推進の原点は、中曽根康弘氏、正力松太郎氏だろう。中曽根氏は敗戦の1945年に既に
  原発の必要性を思っていたと回顧していて、1954年には2.5億円の原子力予算を通している。その
  後は読売の正力松太郎氏を初代原子力委員会委員長として原発政策を推進して行った。どうもこ
  れらの人物は原発だけに留まらず、日本の核武装をも念頭にいれているフシがあり、原子力の平
  和利用目的だけではないようにも思える。彼らが係わる連中には核武装による再軍備を主張する
  輩が見え隠れする。

  東京大学工学部原子力工学科は1960年に創設された。以来ここから数多の原子力関係者が生まれ
  ていて、日本の原子力発電の推進を支えてきた。大学、役所、電力会社で原子力関係の中枢はそ
  の殆んどがその卒業生で占められている。
  その一期生で唯一反原発のスタンスを取っているのが、立命館名誉教授の安斎育郎である。しか
  しこうした行動は、当然のように厄介者扱いをされてしまうのである。この辺りが戦争に闇雲に
  突き進んでしまった戦前の意識構造と同じで、反対意見には耳を貸さない恐ろしさなのである。

  村上氏は唯一の被爆国となった日本としては、「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」
  と述べるとともに、「私たち日本人自身がみずからの手で過ちを犯し、みずからの国土を汚し、
  私たち自身の生活を破壊している」のであるとしている。

  最高裁判所での反原発訴訟も、国策に沿って司法判断が下されて悉く退けられてしまうのである。
  どだい裁判官に核のなんたるかを判断する能力があるとも思えず、行政のチェックも出来るとも
  思われない。

  村上春樹氏の言う倫理と規範によって「非現実的な夢想家」として前進するしかないのではなか
  ろうか。
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17.福島原発の惨状                        2011年06月21日

  福島原発事故の惨状は拡大する一方で、全く収まる気配が無い。

  6月19日現在話題となっている汚染水の浄化も、フランスや米国に多額の金を払って導入した装
  置も運転後直ぐに停止してしまって、汚染水が溢れ出す期日がいよいよ迫っている。

  そうした状況下で、11年06月20日の毎日新聞の「風知草」の記事を読むと真に腹立たしくなる。
  反原発で知られる京大の小出先生によると、「東電の発表を見る限りでは、1号機には水が無い
  とのデータが出ているが、もしそうならドロドロに溶けた核燃料が圧力容器、格納容器の底を破
  ってその下にあるコンクリートの土台にめり込んで、地下へ沈みつつある恐れがあり、一刻も早
  く地下ダムを築いて地下水に到達するのを防ぎ、海洋流出を食い止めねばならない」とする。

  だがダム建設費が1,000億円掛かりこれを公表すれば東電の株価がさらに下落するので、株主総
  会を乗りきれないと言うのだそうだ。小出先生は一刻をも争う事態だと懸念されているのに、東
  電は株価や株主総会を優先させるのだそうだ。この期に及んでいまだに何が大切かの判断が出来
  ない経営者達のようだ。

  原発沖合の魚介類からは、既に汚染されたものも見つかっていて、漁獲は停止されており、これ
  が地下水を通して本格的に海洋汚染が始まるとその被害の甚大さは、その規模や期間においても
  とてつもない状況になるのではないか。地上での汚染で避難地域にはチェルノブイリと同様に30
  年経っても人が住めなくなるのではないかと言われているが、海洋汚染が広がれば更に被害が拡
  大するのである。
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16.震災と原発  (11.05.08)

  かねて原発震災が危惧されていた浜岡原発がやっと停止する方向に動き出した。

 ・福島原発は未だに制御不能の危機状況であり、周辺住民が避難している実態が続いている。今、
  東海地震、もしくは南海・東南海連動地震が発生して地震なり津波なりで福島と同様の事態にな
  れば、首都圏は壊滅状態になり、ひいては日本全体の壊滅に繋がりかねないと、識者は声を高め
  ている。

 ・評論家の西部邁は、知識の前提や枠組み外での予期しない事態が発生したら「技術知」はお手上
  げで、危機に対処が可能かに思える人間組織を支える「実践知」も常に間違いを起す可謬的なも
  のであり、『技術が安全なはずはない』と断言している。(2011.4.20毎日新聞)
  真正保守を名乗り、改憲や徴兵制、核武装そして防衛費の増大を主張する西部は、雑誌「表現者」
  36号(2011.5.1)で「日本の国難を問い未来を考える」で緊急メッセージを発している。

 ・元東大学長の有馬朗人は、スマトラ沖大地震の大津波で20万以上の死者を出した事を教訓に出来
  なかった。今回の津波も想定外とせざるを得ない、自然界に「想定外」は当然あるという。あら
  ゆる事を想定する事自体が不可能だとする。地球温暖化対策やエネルギー自給率確保のために原
  発は必要で、科学技術で自然災害を防ぐべきだとする。(2011.5.6毎日新聞)

 ・神戸大名誉教授の石橋克彦は、この浜岡原発について1970年代から”原発震災”を警告し続けて
  いるが(この原発震災は石橋が言い出したもの)、浜岡をもっと早く停めていれば、原発行政も
  見直されて福島の惨事も防げたかも知れない、と悔やむ。

 ・日本の敗戦後の原発推進のレールを敷いたのは、大勲位こと中曽根康弘である。彼は敗戦後直ぐ
  に資源・エンルギーの無い日本が立ち直るには原発しかないとして、その推進予算を確保して原
  発行政を推進したその人である。

 ・原発を停止するとすれば、いつもの事だが原発に従事していた地元の人々の生活保証や、地元自
  治体の財源の過半を占める原研関連の交付金問題が停止の反対理由として取り上げられる。しか
  し、そもそも交付金等を当てにして身の丈以上の予算を組む事事態が間違っているのであり、地
  元の給与水準や福利厚生を凌駕するものを甘受しながら原研で働くことが異常なのではなかろう
  か?一般に企業が工場を閉めたり、移転したりするのは致し方がないのである。

 ・東日本大震災で100億と生涯に渡る役員報酬全額の寄付を申し出た孫正義氏は、今回の福島原発に
  ついても強い感心を示し、様々な対応策を示して実践し始めている。孫は在日3世であるが、現
  在は日本国籍を持っている、ご存知ソフトバンクの社長である。彼が復興と原発に関する記者会
  見を行った記録(2011.4.23)があるのでご覧戴きたい。106分と長いので時間のあるときにどうぞ。

 →これらを見ると、経団連あたりにたむろしている大企業の経営者とは異なる思考と行動力を持っ
  て震災復興や原発問題に対処していようとしていて、真摯な姿勢が見て取れる。

  自由報道協会主催 孫 正義 記者会見USTREAM中継

 →更に田原総一郎との170分もの記録(2011.4.3)もこちらにある。
  田原総一郎×孫 正義 対談 〜東日本大震災について〜」


  先月ドイツへ遊びで行って来たが、かの地では直ぐ隣がウクライナでチェルノブイルの記憶が生
  々しいのか、ルフトハンザ機は福島の近くである成田には飛びたがらない。国内では原発を廃止
  する国策を決めてしまった。自然電力である風力・太陽光発電が多くの場所に設置されているし、
  設置しようとしている。日本もこれを見習ったり、マイクロ発電等での対応やスマートグリッド
  送電等の他、核分裂の原発よりも安全性等に優れる核融合の原発の開発に注力すべきではないか。

 →リアルタイムで地震の発生状況と放射線の測定値を伝えるサイトはこちら。
  いづれもustreamが行っているもので、放射線は各地の測定値を見る事が出来る。
 
  独立行政法人防災科学技術研究所が強震モニタ(地表)
  独立行政法人防災科学技術研究所が強震モニタ(地中)

  ガイガーカウンター 埼玉県 久喜
  
  
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15.原発震災  (11.04.05)
  今、世界の耳目は”FUKUSIMA”に集まっている。

  無論のこと”東日本大災害”とその援助救援に世界が手を差し伸べている事は有り難いことで、
  ニューヨークやパリ、ソウルのシンボルタワーに赤や白のライトを照らして復興を願ってくれ
  ている事には感謝すべきである。
  その一方で、冷徹な観察眼と警戒感で”FUKUSIMA”を見ている事もまた、事実であろう。
  
  戦後生まれの僕には遠い昔話のように聞こえ、幾ら教えられても身近な事として感じなかった
  ”大本営発表”が今まさに実行されているのだという。政府・東電・保安院の”FUKUSIMA”に
  関する発表がそれに似ているのだと言う人々がいる。それは前の大戦時に”大本営発表”によ
  によって踊らされ、敗戦によって塗炭の苦しみを経験した人々である。都合の良い情報のみを
  流し、そうでない情報は徹底的に取締り、隠蔽して世論を導いたものであるからである。名だ
  たる大新聞や言論機関までが国民を開戦へと導き、やがてとてつもない犠牲を強いる結果とな
  ったのだった。いま又、同じ轍を踏もうとしている。

  絶対安全だとの”原発安全神話”を政・官・学・業で作り上げ、温暖化や資源の切り札として
  原発の推進が強引に推し進められて来たのである。反対運動はあったが、今もあるが、それら
  は異端として切り捨てられてきたのである。東電社長・会長を経て後に経団連会長を務めた平
  岩外四氏が進められていた国際経済政策調査会(PSG政策研究会)に10年程も通った事がある
  が、平岩氏が原発の強力な推進者だった事もあり、そこでも原発の安全神話が語られNHK
  や著名な新聞社も参加しているが原発への一欠片の疑問も発しられる事はなかった。現在同会
  は小柴昌俊氏が会長で理事長は岡崎久彦氏が努め主に加速器科学の推進を行っている。僕が行
  っていた頃は椎名素夫氏が理事長であった。
  
  原発安全神話に基づいて世論が形成され、政治家が予算を付け、官僚がその執行を行い、学者
  がその権威付けを行って、業者が建設と運行を行うのである。その小さな地域や自治体は原発
  に組み込まれて反対運動など出来ないのである、たとえ不安はあっても。昭和10年代の開戦に
  向かう前夜と同じであると識者は言う。

  原発震災とは、地震学者の石橋克彦氏が警告を発して名付けたものであり、作家の広瀬隆氏も
  現在これを最も危険で恐れるものだとしている。その原発震災が発生し現在も被害は拡大中で
  ある”FUKUSIMA”は現在コントロール不能となってしまっている。放射性物質を含んだ大量の
  水や空気が外部に漏れ出してしまった。止水の為に叡智を絞った努力が”セメントや新聞紙や
  オガクズ”の投入、”カーテンによる空気や水の遮蔽”なのだそうだ。見かねてフランスのア
  レバ社CEOやGEの社長も来日し技術援助を申し出ている。米軍の放射能専門部隊も来日す
  る。現在のところ打つ手は殆んど効果は出ていない。

  
  『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』(ダイヤモンド社)を書かれた広瀬隆さんへの
  インタービューです。1時間17分と少々長いですが、原発や地震について実に驚愕すべき事柄を
  述べられているので、是非下記URLをクリックして見て戴きたい。

    (videonewscom さんが投稿された「予言されていた"原発震災"/広瀬隆氏インタビュー ビデオ」)
    
  原発震災ー広瀬隆氏インタビュー 

  福島原発への対策があまりにもお粗末なので、せめてヨウ素が半減するまで外国へ一時避難し
  ます?ルフトハンザ機でドイツに行きますが、ドイツはチェルノブイルの事故の経験から放射
  能に極めて敏感で、成田での滞在を可能なかぎり少なくするため給油は韓国で行うので、成田
  の出発時間が大幅に変わってしまった。また日本へ派遣されたドイツ救援隊は”FUKUSIMA”の
  制御不能が伝えられるや、さっさと本国へ帰投してしまった。ドイツ本国では原発は全て廃止
  に向けて進められている。

  死の灰や密かに降りても桃は咲く

  

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14.原発震災は想定されていた(11.03.29)

  11.3.29毎日新聞に福岡記者が書いている「すべて想定されていた」は驚愕の事実である。
  神戸大の石橋克彦氏が97年10月に岩波書店の「科学」に掲載した論文「原発災害-破滅をさけるた
  めに」に現在福島原発で発生して進展していることそのものを警告して警鐘を鳴らしていたので
  ある。
  @最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高である海抜6m以上を越える事はないというが、
   1605年の東海・東南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もあ
   りうる。
  A外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態が
   おこりかねない。
  B炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器
   や原子炉建屋が破壊される。
  C4基全てが同時に事故を起すこともありうるし(中略)、爆発事故が使用済み燃料貯蔵プールに
   波及すれば、ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大になるという推測もある。
  
  これは浜岡原発を想定して書かれたものだろうが、今回の福島原発の災害と全く同じではないか。

  05年の衆議院の公聴会でも同様の警告をしたにも関わらず、電力会社や原研専門家は「ありえな
  い」として警告を無視し、メディアや政治家がくみしなかっただけなのだとしている。

  石橋氏は専門家の立場で、日本列島は地震の静穏期を終えて活動記に入りつつあり、西日本でも
  今世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震が必ず起こると更に警告している。なかでも静岡御前崎
  の浜岡原発でもし原発災害が起これば、静岡、神奈川は無論の事、首都も喪失し、日本全体が衰
  亡にむかうとの警告を発している。
  
  これらは詳細に以下に書かれているので参照されたい。

(2011年東北地方太平洋沖地震による「原発震災」について)
  その中で特に3点について特にアップされているので、是非合わせお読み頂きたい。

「原発震災−破滅を避けるために」


「原発に頼れない地震列島」


「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難−技術的防災から国土政策・社会経済システムの根本的変革へ−」


  
  (google-earthより)
  日本列島は実に不安定なプレートに乗っかっているかが良く分かる。
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13.東北関東大震災は「天罰」か?(11.03.27)

  石原前東京知事の記者会見
  天罰発言(youtube)
  東京都の石原慎太郎知事は11.3.14日、東日本大震災への国民の対応について記者団に問われ、
  持論の「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは
  自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と語
  った後に「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をう
  まく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。積年にたまった日本人のあかをね。
  やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」と述べた。
  この後に開いた記者会見で「天罰」の意味について「日本に対する天罰だ」と釈明。「大きな反
  省の一つのよすがになるんじゃないか。それしなかったら犠牲者たちは浮かばれない」と話した。
  
  僕は普段彼の仰る事を正当とは思わないのだが、今回のこの発言は至極真っ当だと思った。とこ
  ろがあろうことに、3.15日に再度記者会見を開いて「発言を撤回し、深くおわびいたします」と
  謝罪した。なんの事は無い、おそらく選挙を考慮して回りからせっつかれて、いやいやながら発
  言を撤回し謝罪したのであろう。これこそ正に”ポピュリズム(大衆迎合)”そのものではない
  か。まったくの体たらくである、節操もあったものではない。

  
  (被災後のDIGITALGLOBEの写真)


  
  (被災前のgoogle-earthの写真)

  今回の震災は正に「天罰」なのである。地震はそのプレートテクトニクス理論が正しければ、何
  年か毎に発生するのは避けられず、また津波も大きな地震が海底で発生すれば必ず発生するもの
  である。原発事故も海外の例をひくでもなく、絶対安全などありえないのに、安全神話や温暖化
  対策に便乗して原子力発電を総発電量の40〜50%に引き上げる政策が決められている。費用対効
  果の面で言えば一見正当と思われそうだが、一旦制御不能の事態が起きるとその被害の費用は莫
  大なものとなるのである。東電一企業の責任範囲を超えて、その費用負担は国民の税金となるの
  である。

  869年[平安時代の貞観(じょうがん)]11年)に発生した巨大地震では今回と同規模の津波の記録
  もあったそうで、それを問う意見には貸す耳を政府も東電も持たなかったとも言われている。

  今回の惨状を目の当たりにして、関東以西の原発の津波対策が泥縄式に立てられつつあるらしい
  が、津波対策だけで済む問題ではないはずである。世界最先端を自負するロボット技術を有して
  いるのなら、踊りや見世物等の世間受けするロボット開発をするのではなく、放射能汚染された
  現場で活躍出来るものを造ったら如何なものだろうか?

  津波に関しては、「この碑より先には家を建てるべからず」との先祖の願いを無視して家を建て
  街を造ったことへの「天罰」である。このことは石原氏の言う通りではないか。
  阪神大震災後には建築基準が見直され、建物の崩壊基準は強化されたが、超高層は今だ大地震の
  洗礼は受けて居ないのである。確かに神戸では超高層に被害はなかったのを災害直後に確認した
  が、東京や大阪、名古屋等の軟弱地盤や埋立地に林立する超高層が無傷で済むとは素人目ながら
  到底思えない。倒壊は免れたとしても、落下物や内部設置物で甚大な被害が出る事はシミュレー
  ションで判明しているではないか。
  地盤の良くない所では、せいぜい10〜20階程度のビルを限度として再開発を進めるべきである。
  特に住宅としては超高層など必要がない。ホテル等で利用したければ、特別に高い災害時費用等
  も負担して利用したい人だけが利用すればよい。

  法律で縛るしか手はないのである。今回の津波が及んだ範囲には原則住居建築は禁止するべきと
  する法改正をしなければ救いようがないではないか。どうしても経済活動上の建物が必要ならば
  鉄骨鉄筋の5階以上の建物だけとし、50〜100m範囲内に30m以上の避難所建設を義務付けるべき
  である。田老町のような堤防でも防げない津波が必ず来襲するのだから。それでもここ当分はま
  ず今回の様な津波は来ないので、こうした事は多分実施されず、この大惨事はきっと忘れ去られ
  て同じ轍を踏む事になるのだろう。

  それにつけても、今回の大災害で政治家の活躍を殆んど見聞きしないのはどうした事だろうか?
  失策続きで余命幾ばくもなかった政府の活動は報道されているが、この期に及んでの野党の非協
  力的な態度は一体何なのだろうか。与野党一致してこの大災害に対応しなくて何時活躍するのか。
  何万もの人命が失われ、何十万もの人々が命辛辛避難生活をしていると言うのに、あいも変わら
  ず党利党略の倒閣活動しかしていないではないか。政治を己の利益の為にしか行わないのであれ
  ば、そうした方々はさっさと国会から引退すべきであろう。

  著名人の寄付やらボランティアは聞くが、政治家先生方は一体何をされているのだろうか。歴代
  の首相経験者や閣僚経験者、党首の方々等はどうされているのだろうか、不思議でならない。

  地震後の津波被害や原発被害は全くの人災で、正に「天罰」である。

  

  しかし、こう書いてみたものの僕もやはり「天罰」と言うには忍びなく、無節操ではありますが
  被災者の皆様にはこの言葉は使えません。撤回し深くお詫びいたします。

    陸奥に今年こそ早まれ桜花
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12.巨大地震と大津波 (11.03)
  
  (写真は新sより)
  東日本大震災 (11.03.11)
  M8.8という巨大地震が起き、10mを超える津波が太平洋東北地方の海岸を襲った。
  TV・ラジオでその惨状を繰り返し見聞きすると言葉も無い。

  11日の3時40分頃、炬燵に入って2008年に放映された「篤姫」の再放送を見ていた時である。TV
  画面に突然「巨大地震発生、まもなく強い揺れが来ます」との表示が出た。まあ、大した事はな
  いだろうと、多少は身構えるもそのまま「篤姫」を見続けていると、微かに揺れが来た、そして
  それが段々と強くなるではないか。いつもなら減衰する揺れがとてつもない揺れになり、戸棚は
  ガチャガチャ鳴り出し、飾り物は棚から落ち、造り付けのタンスの引き出しは外に飛び出し、風
  呂桶に張っていた水は半分以上飛び出してしまい、観葉植物の鉢は倒壊するなど、立ってはいら
  れない逼迫した状況となった。

  2〜3分だったのだろうが、とても長時間揺れていたように思った。我が家は14階建てのマンシ
  ョンの最上階で、地盤が良くない立地であるせいかとにかくよく揺れるのである。前に8階建て
  の棟があり、その屋上に10mほどの避雷針が建っているが、それが左右に大きくしなりながら揺
  れていた。揺れている間は殆んど何も出来なかったが、取り敢えず玄関のドアを少し開けに行っ
  た。被害は造り付けの本棚が倒壊して飛び出した引き出しの上にのしかかったために、引き出し
  が破損し、本棚や引き出しが損傷した程度で済んだ。

  地震発生と同時に停電となり、それは翌日の3時過ぎまで続いた。水道もやがて出なくなったが、
  ガスだけは利用できた。階段を駆け下りてコンビニへ電池を買いに走り、ラジオの地震情報を聞
  きながらロウソクの光で食事を済ませ早めに床に付いた。しかしそのご何回も余震だろうが揺れ
  続け、とても寝付ける状態にはならなかった。ラジオによると震源域が段々と関東に近づいて来
  て、その都度相当の揺れが来て、夜中の12時頃にはずっと揺れが継続しているのでは、と思わせ
  るほどであった。

  2時、3時頃になると群馬県や長野県、新潟県でも大きな地震が発生しだして、悉くその揺れが伝
  わり実に不気味な夜であった。以下に書いている「東海・南海・東南海」や「首都直下」地震を
  惹起するのではなかろうかと、生きた心地はなかったものである。免震や制震構造の建物に引っ
  越せるものなら、直ぐにも越したいと思った。

  今、12日14:30だが、盛んに余震が起きる。1時間置き程度にゆらゆら揺れている。TVはどのチャ
  ンネルも地震と津波、そして原研の放射能漏れのニュースを流し続けている。

  今回の東日本大震災はM8.8と日本史上最大の地震とされているが、1707年10月28日宝永
  地震:東海・東南海地震と南海地震が同時に発生したM8.6はそれに次ぐ巨大地震であった。その
  年富士山が大爆発したのである。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余。土佐を中心に大津波が襲った。
  と記録されている。この3地震同時発生があれば今回の東北地方太平洋沖地震をはるかに上回る
  被害が想定される。宝永時代よりも堤防は何倍も強固で高く、建築物は頑丈に作られてはいよう
  が今回の津波を見れば、そのようなものは易々と破壊してしまうのであることが判る。当時より
  も遥かに人口密度は高く、海岸近くに人々は家を建ててしまっているのである。

  今回、福島原発の放射能漏れが大問題になっているが、3地震同時発生時にもし今回と同様の事故
  が起これば、何百万もの人々に放射能汚染の恐れさえ加わる事になろう。

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                                                  (中央防災会議資料)
   東海(遠州灘沖)・南海(土佐湾沖・紀伊水道沖)・東南海(熊野灘沖)地震又はそれらが連
  動した超巨大地震が近年中に起こるとを想定して、2010年の防災の日に防災訓練が行われた。

   この地震が連動して起きた場合の被害想定は死者24,700人、全壊建物94万棟、被害額81兆円に
  登ると中央防災会議は想定している。更にこれに触発されて首都圏直下地震がもし加わるならば
  更に死者1.1万人、全壊建物85万棟、被害額112兆円が加わる事になる。日本の工業生産の大部分
  を生産している太平洋ベルト地帯は壊滅的被害を被ることになる。
     中央防災会議
    
   東海、南海、東南海地震では地震そのものの被害よりも、その後に襲ってくる津波の被害が大
  きいであろう。10〜20mもの津波が来襲することも想定されている。仮に10mの津波が東京湾に
  押し寄せて来たとすれば、東京のゼロメートル地帯は無論のこと、ウオーターフロントと持ては
  やされた地区は悉く冠水するであろうし、多摩川、隅田川、荒川を遡上する津波は埼玉、多摩地
  区の奥深くまで侵入するに違いない。我が家は埼玉の志木であるが、海抜は6〜8mの低地である。
  ここはかっては東京湾が入り込んでいた所で、近くには貝塚さえある。だから津波が来るかもし
  れないのである。川口や浦和なぞ海抜5m以下の所は海面下になるやもしれないのである。

   津波の最大のものは、明和8年(1771年)の沖縄八重山地震・明和の大津波である。なんと85.4
  mもの津波が来襲したとの記録が残っている。八重山群島では人口の48%が死亡・行方不明になっ
  たと記録されている。
   八重山地震・明和の大津波

   近くでは1993年7月12日午後10時17分、マグニチュード7.8の大地震が突然襲った奥尻島である。
  その直後、16.8mの津波が来襲して死者230名、行方不明者29名もの惨事となった。
   北海道南西沖地震

   東海、南海、東南海地震は90年〜150年毎(1361年以前は約200年毎)に発生していて、直近は敗
  戦直後の1946年(昭和21年)の南海地震M8.0、死者1,330人、全壊11,591棟である。四国の太平洋沿
  岸には4〜6mの津波が押し寄せている。その2年前の1944年(昭和19年)には東南海地震M7.9が発
  生して1,223名が死者又は行方不明となり、全壊17.599棟、流失3,129棟の惨事となった。当時は戦
  時下であり詳細な記録は残っていないが熊野灘では6〜8mもの津波が来たと記録されている。
   東海、南海、東南海連動型地震

   東海地震は過去の発生間隔からして直ぐにでも起きる可能性があると、ここ20〜30年言われ続け
  ているがいまだに発生していない。新幹線で東海地方を通る度にどうか東海地震よ起きないでくれ
  と、出張で東京・大阪を往復する度にいつも祈っていたなあ!
   しかし今度は南海や東南海が発生し、それにつられて東海が起きるのではないかとも言われてい
  る。東海、東南海発生から65〜66年経過したが、こちらはまだプレートの歪が溜まりきってはいな
  いようで、周期的には今世紀末後半か世紀末頃が危険なのではなかろうか?我々や戦後の団塊世代
  は遭遇する者は殆んど居ないだろう。でも子や孫は必ず遭遇するのである。

   いづれにしても巨大地震と大津波が太平洋ベルト地帯を襲う事は間違いないことで、これを免れ
  る事は出来ない。大都市には超高層ビルが随分と増えた。これは巨大地震の洗礼を受けたことはま
  だ無い。東京、名古屋、大阪いづれの大都市も沖積平野の上に立地していて、M8とかの地震になる
  と高層階では3mほどの振幅を受けるシュミレーションがある。倒壊しないまでもガラスや備品等が
  下界に降り注ぐのではないかと恐れられている。特に軟弱地盤に建てられたタワーマンションは大
  勢の住民が生活しているのでその被害は察して余りある。
   津波

  首都直下型地震被害予想
   そうなると193兆円を超える経済的被害を受けるだろうと言われているが、現在日本の財政赤字は
  1124兆円にも達していて、さらに猛烈な勢いで増え続けている。
  ( リアムタイム財政赤字カウンター)

   1,400兆円の国民資産があるので、財政赤字がそれを超えるまでは国家破綻はしないのではない
  かと楽観的見方もあるが、国家予算の内その半分以上を赤字国債で賄わざるを得ない財政状況では、
  民主党であれ、自民党であれ誰が政権を握って国家運営をしようが財政赤字は膨張一途である。
  政権維持の為には財政の健全化や規模縮小は出来ないし、しようとしないであろうからアルゼンチ
  ンやロシア、ギリシャ、アイスランド等のように国家破綻をしてリセットするしかない。無論その
  際は低所得層ほど塗炭の苦しみに喘ぐことになる。

   このような状況下で、約200兆円もの経済被害が発生したならば国家は完全に崩壊してしまう恐れ
  が予想される。経済的被害や混乱は、地震や津波で生き残った人々にその後の生活水準を著しく低
  下させざるを得なくなる。

   巨大地震や津波を戦後生まれの我々は、まだ殆んど経験していないのであり、阪神淡路震災の数
  倍、数十倍の規模の被害に立ち向かわねばならないのである。新宿の高層ビルで勤務していた時に
  震度3,4程度であってもビルがギシギシユラユラと長時間揺れて肝を冷やした経験が何度かある
  が、その何十倍ものエネルギーを以て来襲する巨大地震なら一体どうなるのであろうか?更に津波
  が東京をもし襲えば、地下鉄やビルの地階は水没して大概地下に収められている機械類はその機能
  を停止するであろうし、復旧は工業地帯が被災したならば容易ではなかろう。

   鉄道や高速道路は寸断され、物資の輸送は出来なくなる。頼りの情報通信であるインターネット
  さえ光ケーブルが切断されれば利用できなくなる恐れがある。せいぜい電池式のラジオや携帯電話
  が辛うじて利用出来る程度ではなかろうか?

   だから、必ず来襲するこの大被害を少しでも軽減し、人的・経済的被害を軽減するために対策を
  講じる事が出来るよう国家財政を健全化して、そうした対策に費用を充当しなければならないので
  ある。2020年まで今のような財政支出状況を継続すれば国家が持たないとは、大方の識者の見方で
  ある。民主党のていたらくに乗じて仮に自民党に政権が戻ったとしても、55年体制の復活に他なら
  ず、彼らは政権維持とかっての利権確保だけしか眼中にないので、またゾロ赤字財政タラ流しの政
  策で財政破綻の時期を早めるだけである。

   GNPは世界2位でなくてもよいのである、高い経済成長をせざるを得ない中国やインドにその座
  を早く明け渡せばいいのである。中国などは自転車操業どころか一輪車操業にも似た大層不安定な
  政治経済環境下にあり、とにかく闇雲に走り続けなければ転倒してしまう恐れのある状況下なので
  ある。我が日本経済も成長が永遠に続く訳でもないのであって、少子高齢化で人口の減少社会に突
  入したのであるから、その環境下で安心と安全でそこそこの生活が出来る社会の構築を目指して貰
  いたいものである。その生活の基板を根底から覆す恐れのある地震・津波対策が必須なのである。

  
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11.チリ・サンホセ鉱山落盤事故 (10.10.13)

   33人の救出が世界各国のメディアで大々的に報じられている。

  これは10.10.13のyoutubeに投稿された”最初に救出された鉱夫”の動画。

   
  
   世界各国から2,000人を越える報道人が詰めかけているのだそうだ。
  日本のTVでも現場中継を延々とやっていた。

   しかし、こうした救出劇はいくら報道してもそれはもの珍しさ、好奇心、多少の同情をさそ
  うくらいのもので、事の本質には全くふれていず、無責任な視聴率稼ぎでしかない。

   南北4,630kmにも及ぶ細長いチリの北部一帯は砂漠地帯で雨は殆ど降らない。今回事故の起き
  たコピアポ辺りの産業は鉱業のみである。ここでは鉱業に頼らざるを得ないのである。チリの
  銅の産出量は年間約540万トンであり世界全体の約40%弱にも及ぶ。(2位は米国の120万トン、3位は
  ペルーの100万トン)
   なかでもEscondida(エスコンディーダ)鉱山からの生産がチリの銅生産量全体の約23%を占
  める巨大鉱山である。この鉱山は日本の三菱グループや日鉱金属が出資した豪州の鉱山会社によ
  って1990年から生産されたている。
  
  写真は標高3,000mを超えるアタカマ高原にあるエスコンディーダ鉱山(Wikipediaより借用)

  

   ここは露天掘りで、しかも規模の大きな鉱山で今回のような落盤事故等は起きない。安全管理
  も相応のものがあるのであろう。しかし零細な鉱山が沢山あり、1〜2人でやっているような零細
  なものまである。

  「南米チリの砂漠から」さんのHPにその様子が掲載されている。
   → 「南米チリの砂漠から」


   レアメタルの一つであるレアアースは中国が独占的に生産していて、尖閣諸島問題でこの禁輸
  をちらつかせて日本に圧力を中国がかけてきた。チリは今後、高出力電池で主流になるリチウム
  資源の世界全体の生産量の40%弱を占めている資源国であり、レアメタル産出国である。

   中国は世界一の外貨準備保有国であるが、その巨額の外貨準備を利用して世界中の希少資源の
  獲得を進めている。急成長を続けている中国のエレクトロニクス産業に欠かせない資源であるか
  らである。それに対抗して日本でも世界第二の外貨準備を利用して海外の資源獲得を進めるべし
  との機運がたかまりつつある。特に、中国にレアアースで脅かされて以来、産業界にその機運が
  高まっている。

   こうした工業国の資源獲得競争を背景に、チリなどの資源産出国は相当な無理をして、つまり
  安全管理は二の次にして鉱物の産出に励んでいるのである。しかも中小の零細な鉱山ほど安全管
  理はおざなりになっている。こうした背景が今回の事故の背景にある。今回の救出で、最後の救
  出者となったリーダーであるルイス・ウルスア氏は、こうした事故が二度と起きないよう出迎え
  のピニエラ大統領に直訴している。

   今回は救出できたからと言って、その救出劇のみが過剰に報道されて美談化されているが、他
  の鉱山では従来と同様に劣悪な環境化下で今も働いている人々が居る事を忘れてはならない。
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10.「韓国の台頭」                          2010年10月15日

   韓国が近年各分野で台頭してきている。
  スポーツの分野では、オリンピックで日本を上回るメダルを取っている。2010年バンクーバー
  オリンピックでは韓国金メダル3個、銀2個であるに対し、日本は銀1、銅1でしかない。フィ
  ギュアーでのキムヨナの圧倒的な強さや、スピードスケート、ショートトラックでの活躍は記憶
  に新しいところである。

   サッカーでは日本はどうしても韓国に勝てない。野球も前回のWBCで薄氷を踏むおもいでや
  っと勝てたばかりである。ゴルフに到っては、男女共に韓国勢に圧倒的に負けてしまっている。
  特に女子の米国LPGAでの韓国女子の活躍は凄いとしか言いようがない。男子の日本のPGA
  での韓国選手選手は常に上位に何人もいるし、日本のLPGAは韓国女子のために開催されてい
  る感さえある。
  
   鉄鋼ではPoscoに新日鉄が抜かれ、造船は遠の昔に追い抜かれている。電機ではサムスン
  電子やLG電子が日本のメーカーを世界各地で駆逐しつつある。自動車でも現代や起亜の追い上
  げが激しい。

   映画やTVでは”韓流”が大流行で、特に昼のBS−TV番組などはどのチャンネルを回して
  も韓国物ばかりである。NHKでさえ韓国物を流している。

   スポーツは、明らかに韓国選手はハングリー精神が強烈であり、特にゴルフ等は家族ぐるみで、
  英才教育を行っていて、国内ツアーが小さく海外に頼るしかない。背水の陣を張っているのであ
  る。オリンピックでは政府による選手への手厚い援護があるほか、サムソン等の財閥の支援が大
  きい。

   韓国企業の世界進出は、ウオン安が基本的には追い風になっているし、韓国政府がEUや米国
  とFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)を締結し、関税無しで世界市場への進出を
  強烈に後押ししている。我日本は、国内政争に忙しく完全に韓国に遅れてしまった。

   しかしながら、韓国の台頭が地に足が着いた確実なものかというと、かなり無理をしているふ
  しがある。あまりにも過激なのである。貿易依存度も日本よりも遥かに高く、貿易が好調な内は
  よいが、少しでも低調になるとたちまち韓国経済に大打撃を与える要素となる。

   韓国の国家予算は2008年で約16.7兆円であり、その1.3倍もの対外債務を有している。東京都
  の2010年の予算規模が約12.4兆円である事を考えると、経済規模も国家予算規模もまだ小さく、
  何かに躓くと通貨不安に陥ったりする恐れは多分にある。
 
   人口は約4600万人であるが、日本以上に出生率が低く、将来人口減はさけられそうにない。更
  に北朝鮮との併合などがあろうものなら、北朝鮮の2400万人の人々を養うだけでも相当の負担が
  掛かってくる。西ドイツが東ドイツ救済で今尚大きな負担を負い続けていることを見るとその大
  変さが判ろうというものである。

   物事を極めてラディカルに進める気質を持っているが、あまり激しないで周りとの協調を図り
  ながら地道にやっていかないと長続きがしないのではなかろうか?
   それにしても目を見張らされる”台頭”ぶりではある。


   
   (韓国の国花)
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09.「新聞を替えた」                         2010年10月15日

   新聞を替えた。
  朝日新聞から毎日新聞へである。
  郵便受けから取り出して手にすると、その厚みが2割方薄くなっている。
  それは広告の量が随分違うからである。

   朝日や読売はやたらと広告が沢山掲載されている。頁をめくっていると一頁まるまる広告のも
  のも頻繁にある。だからそれらは殆ど読むこともなく読み飛ばすことになる。よほどの関心のあ
  る広告以外まず一頁まるまるの広告など読まない、見ない。

   それからおり込み広告の量も朝日、読売の方が断然多い。だから土曜日などの配達新聞の量は
  相当なものである。
   僕はおり込み広告はかなり良く見る。スーパーの安売り、自動車、電器製品等の広告は本当に
  良く見る。見終わった後は、その広告で四角い箱を造り折りたたんで仕舞っておき、ごみ廃棄時
  にそれを箱状に戻して利用する。ベターホームの料理教室ではこれを野菜などの不要部分を捨て
  る際のゴミ箱替わりにして利用している。
   僕も、土曜などは大量に折り込まれている紙質の上等な大型の広告紙を利用して、この箱を沢
  山造る。ダイソンの掃除機には紙パックが付かない構造なので、この広告で作った紙箱をゴミ捨
  て用に必ず利用する。これがすこぶる便利なのである。

   さて、新聞の内容だが、紙面の少ない毎日でもその内容は朝日や読売に比べて決して遜色はな
  い。否、読み応えのある記事が結構多い。ただ朝日の文芸欄は量・質共に他社を相当凌駕してい
  る事は否めない。
   個人の興味の問題だが、生活欄で朝日は情報機器やIT、パソコン等のハード、ソフト面で新し
  い記事を多く掲載してくれるので、その情報を随分利用してきたが、毎日はそちら方面が弱い。
  日経には、「日経PC21」という月刊紙があり、これは朝日や読売の比ではない。

   特に読売の販売促進方針は凄まじく、部数を伸ばす為なら何事も厭わない姿勢がある。毎日は
  そちらには力点を置いていないのだろう。広告を取る活動も少ないのだろう。でも記事内容にお
  いては問題はなく、新聞を替えても何の問題もなかった。
  販売部数が少ないせいか、販売店も小さいのだろう。夕刊などはかなり年配のおじいさんが自転
  車でよたよたと新聞を配って回る。目が良くないのか、覚えられないのか配達先の名前を何度も
  確認しながらやたら時間をかけて郵便受けに入れて行く。そのため夕刊は4時半頃にならないと届
  かない。朝日や読売はバイクや自動車で大量に持ち込んで、元気一杯のお兄さんが勢いよく手際
  よく配って回るのだが・・・。

   
   
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08.エジプト旅行バス事故 (10.06.27)


   『2010年6月25日午後4時20分頃、エジプトのアスワンとアブシンベルを結ぶ砂漠道路で、JTB
  主催のツアー旅行の貸し切り観光バスが事故に巻き込まれた。対向車線のバンが車線をはみ出し
  てきたため避けようとハンドルを切ったが避けきれず、接触して横転した。この事故で現地ガイ
  ドの男性が意識不明の重態となり、日本人11人を含む13人が重軽傷を負った。』との報道があっ
  た。

  バスはアスワンからアブシンベルに向かっていたもので、当日はシート・ベルトの付いた車
  両が何らかの都合で準備されず、シート・ベルトを着用しないでの走行であったようだ。
  

  道路はこのような直線道路で、アスワンを出発すると周りには何もない砂漠を一直線に走る。

  




  蜃気楼が出るほどの砂漠道路である。
  川も海も無いのに水や島が砂上に現れる。

    

   テロを警戒して、前後を軍、警察車両で固めコンボイ方式で定時にしか走らない仕組みである。
  しかも各車両には軍人、警察官が同乗するものものしさである。これでテロは防げるようである
  が、交通事故は防げなかったようだ。恐らく時速100km以上の猛スピードで走っているので、シー
  トベルトは着用するべきだった。今回は、どうした事かシートベルト無しの車両だったらしいが
  これはやはり旅行会社の落ち度であると思われる。周りには何も無い砂漠だが、コンボイのため
  最後尾車両で無い限り事故を起しても別の車両が救助してくれるだろうが、それにしても灼熱の
  砂漠に投げ出されたのでは、生きた心地がしないだろう。

   この動画は2009年2月の旅行時に撮影したものである。

   JTBのツアーは1997年11月17日ルクソール事件で日本人11名が死亡するという大惨事にも遭遇し
  ている。最近、阪急交通社も立て続けにバス事故を起している。ツアー旅行ではバスでの長距離
  移動が大概組み込まれているものだが、防御方法としては、事故の少ない旅行社を選ぶか、せい
  ぜいシートベルトをしっかりする位しか手はない。国内外を問わず、旅行ではある程度の危険は
  覚悟しなければならないのだろう。
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07.地溝油(再生食用油) (10.03.30)→(10.07.10)

     

  ”嘘だろう!”と、思わず叫びたくなるほどのショックなTV報道が2010.03.30のTV朝日の
  スーパーモーニングであった。

  ≪2010年3月17日、中国広播網のニュース配信によると、中国政府の調査で中国人は下水道の汚水
   や生ごみや残飯などを原料に作られる『リサイクル食用油』=「下水再生油」を年間300万tも食
   べているという。しかもその下水再生油の毒性はヒ素の100倍だというのだ。≫

   その名前が地溝油なのだそうだ。そこでネットで早速調べて見ると沢山載っているではないか。
  比較的信用の置けるものが「日経ビジネスオンライン」のこの記事だろう。
  北村豊=住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリストのレポートが「日経ビジネスオンライン」
  サイトに掲載されている。

 →  下水から作る「再生食用油」

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  下水から作る「再生食用油」を根絶せよ!
  中国全土で年間200万〜300万トンが調理に使われている
  北村 豊 【プロフィール】
  中国再生食用油発がん性物質判別回収屋台
  2010年3月17日付で全国紙「中国青年報」が報じた“囲剿地溝油(下水溝油を包囲殲滅する)”
  という表題の記事は、中国全土に大きな反響を巻き起こした。この記事は“地溝油(下水溝油)”
  について、湖北省武漢市にある武漢工業学院“食品科学与工程学院(食品科学・工学部)”の教
  授で、全国糧油標準化委員会油料・油脂ワーキングチームのチーム長である何東平にインタビュ
  ーしたものであった。 

  ところで、“地溝油”とは何か。筆者は2006年12月15日付の本リポートで「え!中国では下水溝
  から食用油が作られる?」という“地溝油”に関する記事を掲載したが、“地溝油”とは調理場
  から排出された食用油が下水溝に溜まった物を意味する。 

  筆者は北京と広州で駐在経験を持つので、家では妻が本場で習得した中華料理を作ることが多く、
  必然的に食用油の使用量も多い。調理鍋や食器に残った油は洗い流されて庭にあるマンホール
  (汚水槽)に流れ込み、そこで固形分や油分が沈殿し、上澄み液が浄化槽へと送り出される。筆
  者はこのマンホールを年に数回清掃するのだが、マンホールの中は腐敗臭に満ち、不気味な薄桃
  色の物質がマンホール内にこびり付いたり、漂ったりしている。筆者の清掃作業はこの気持ち悪
  い物質を取り除くことなのだが、これこそが正に“地溝油”なのである。 


  “地溝油”で生計を立てている人が多数存在

  “地溝油”は一般に飲食店の厨房から排出されて下水溝に溜まったものだが、中国にはこの“地
  溝油”で生計を立てている人々が多数存在する。下水溝から汲み集められた“地溝油”は、一昼
  夜かけて濾過された後、加熱、沈殿、分離といった複数の工程を経て、無臭の「再生食用油」へ
  と変身を遂げる。この「再生食用油」は低価格で飲食業者に販売され、それが飲食店で調理に使
  われているというのである。 

  同記事が報じた何東平教授の発言の要旨は次の通り: 

  [1] 自分の推計では、中国では年間に200〜300万トンの「再生食用油」が使われている。 
  [2] 中国人が調理に使用する動植物油の消費総量は年間で約2250万トンであるから、「再生食
     用油」の使用量はほぼ10%に相当する。従い、レストランなどで外食を10回すれば、その
     うちの1回は「再生食用油」を使った料理に当たる勘定になる。 
  [3] 医学的研究によれば、「再生食用油」に含まれる最も危険な成分は発がん性物質のアフラ
     トキシンであり、その毒性はヒ素の100倍にも及ぶ。 

  同記事によれば、昨年9月の新学期が始まった早々に、武漢工業大学の食品科学・工学部の4年生
  9人は、武漢市における“地溝油”の状況を調査する課題を与えられた。彼らは古着を着て、軍手
  を付けて、毎日のようにレストランやホテル周辺の下水溝に蹲(うずくま)って“地溝油”のサ
  ンプルを採集した。折よく季節は秋から冬にかけてで、気温が低いために“地溝油”は半凝固の
  状態となり、臭いも夏場ほどひどくなかったが、学生たちにとっては苦しい作業であった。そう
  した実地調査を経て判明したことは次の通りである: 

  [1] 武漢市内には“地溝油”の回収業者が多数存在している。彼らはスコップ1本を持ち、電動
     自転車の荷車に小型のドラム缶数個を載せて、早朝のまだ暗い中に出動し、懐中電灯で下
     水溝を照らしながら“地溝油”を回収している。 
  [2] 彼ら業者の工場は秘密の地下作業場であり、1トンの「再生食用油」を抽出するための原価
     は300元(約4000円)に過ぎない。「再生食用油」は食用油の市場価格の半額で販売される
     ので、「再生食用油」の業者は毎月1万元(約13万5000円)を稼ぐことも可能である。こう
     した業者は見栄えは悪いが、下手なホワイトカラーよりも収入が良い。 
  [3] 武漢市では、軽食の屋台でさえも毎日1軒当り15キログラム前後の厨房ゴミを出す。彼らの
     計算では、武漢市内には大小の飲食店が6万軒以上あるので、飲食店業界が毎日産出する厨
     房ゴミは25.2万トン、排出される使用済みの廃棄油は12.6万トンに及んでいる。 
  [4] “地溝油”の回収は暴利をむさぼることができるので、個々の回収地点を独占するグループ
     による勢力図が出来上がっており、業界内の回収地点の獲得競争は激しい。 

  学生たちが採集した“地溝油”のサンプルを分析した結果は、“地溝油”には長期的に摂取すると
  人体に影響を与える各種成分が含まれていた。医学的研究によれば、“地溝油”の長期摂取は、発
  育不全、腸炎、肝臓・心臓・腎臓のむくみ、脂肪肝などを発症させる危険性があるというものであ
  った。 

  しかし、無臭で濁りのない「再生食用油」と純粋な食用油を区別することは難しく、「再生食用油」
  を「食用油」に混ぜて販売すれば、たとえそれを分析しても「再生食用油」の混入を判別すること
  は極めて困難なのが実情である。 

  この業界に身を置く人たちは誰もが“油●油 神仙愁(油に油を混ぜれば、仙人さえも悩ませる。
  ●=サンズイ+参)”という言葉を知っているという。氾濫する「再生食用油」を取り締まろうに
  も、製品が一度市場に流れ込んだ後は手を拱(こまね)いて見ているしかなく、製造元の工場を摘
  発するしか方策がないのが現状である。 

  何東平教授の計算によれば、1万人が毎日1トンの食品ゴミを排出するとして、これらに洗浄、蒸留、
  脱色、脱臭などの加工を施すと130キログラムの「再生食用油」を作り出すことができるのだという。
  これを市場で普通の食用油の半額で販売するとして計算すると、国内の「再生食用油」の年間総利
  益は15〜20億元(約200〜270億円)に達するのである。 

  無料で回収した“地溝油”にわずかな経費をかけて加工し、「再生食用油」を生産して販売すれば、
  濡れ手に粟の利益が生み出されるなら、誰もが参入したくなるのは至極当然のこと。このような拝
  金主義に毒された人々には他人の健康を気遣う思いやりの心は無いばかりか、罪悪感も皆無である。 


  「再生食用油」を簡便に判別する方法

  2007年10月5日付の武漢紙「長江日報」は、武漢工業学院の修士課程の女子学生である王楽が実施し
  た“地溝油”に関する調査に関するインタビュー記事を報じた。この調査は食品に含まれる「再生
  食用油」を簡便に判別する方法を開発するためのものであり、王楽は研究のヒントをつかむために
  “地溝油”回収業者への接触を試みたのである。 

  2006年11月初旬、連日深夜に大学近くの飲食店街で“地溝油”の回収人を探し続けた王楽は、ホテ
  ル従業員の協力を受けて、8日目にして漸く回収人の“阿天”に接触することに成功し、その話を聞
  くことができた。阿天から聴取した話の概要は次の通り: 

  [1] 阿天は毎日ホテルやレストランの下水溝から脂っこい浮遊物、残飯を回収して簡単な加工を行
     って油脂を取り出す、これが“地溝油”である。それをさらに加工して「再生油」を製造する。
     (注:阿天は「再生食用油」とは言っていない) 
  [2] 阿天は金を出してホテルの下水溝の独占権を確保しており、通常は小型ドラム缶で4本、ホテ
     ルが繁盛している時は5〜6本を毎日回収している。 
  [3] “地溝油”の回収と言うと、人は馬鹿にするが、年収は20万元(約270万円)ほどにはなる。
     この業界では雑役夫でも毎月2500元(約3万4000円)ほどの賃金を稼ぐ。 
  [4] 阿天が作った「再生油」はよその土地に出荷しており、トラックではなく、列車で輸送してい
     る。多い時には列車で1回に600トンを送り出したこともあった。 
  [5] 全国各地で“地溝油”から再生油を生産している業者の8割は江蘇省出身者で、自分も江蘇省
     出身である。他人は自分たちを卑しいという目で見るが、自分たちは何も恥ずかしいと思って
     いない。 
  [6] 生産した「再生油」は化学工業企業に販売しており、石鹸やグルセリンの原料とされる他、バ
     イオディーゼルの原料ともなる。 

  王楽は「再生油」を小さな食品の工場や屋台にも販売しているのではないのかと阿天に質問したが、
  これに対して阿天は、「そうした所にも販売しているかもしれない。この業界は政府のどの部門から
  も統一的な管理を受けていないし、業者があまりにも多くて管理できないのが実態だ」と答えたという。 

  なお、王楽は特殊な試験紙を使って再生食用油を判別するの簡便な方法を開発することに成功したが、
  それは調理した後の食品に直接に使用することができず、その実用化にはまだ時間がかかると述べて
  いた。それから2年を経過した上述の何王平のインタビューでも再生食用油の判別は困難と述べている
  ことから、その実用化はまだ実現していないようである。 


  園児たちの「腸間膜リンパ肥大」の原因に

  ところで、2008年10月16日付の香港紙「苹果日報(Apple Daily)」は、浙江省慈渓市の許山鎮にある
  「体芸幼稚園」で233名の園児が集団で「腸間膜リンパ肥大」を発症する事件が起こったと報じた。中
  国では北京オリンピックが終了した翌月の9月には、最終的に30万人の乳幼児が健康被害を受けたメラ
  ミン入り粉ミルク事件が発生したばかりで、この事件に園児の親たちは恐慌を来たしたのだった。 

  その後の調べで、園児たちが腸間膜リンパ肥大を発症した原因は、同幼稚園が“地溝油”を原料として
  生産された「再生食用油」を使って園児用の給食を作っていたのと、食堂の劣悪な衛生状態に起因する
  ものであることが判明したのだった。事件の発生後、偶然にも食堂に入った父兄が白濁した「再生食用
  油」を発見すると同時に、ゴキブリが走り、ハエが飛び回る衛生状態に驚きの声を上げたのであった。 

  慈渓市政府は速やかに調査団を派遣して検査を行ったが、その結果は幼稚園が使用した食用油は規格に
  合致しているとの判定であった。この判定に異を唱える父兄が連日座り込みを行ったことで、事件は中
  央政府の知るところとなったのである。この事件がその後どのように決着したかは定かでないが、低級
  な飲食店のみならず、幼稚園までが「再生食用油」を使用していたことは由々しき事態と言わざるを得
  ない。 


  自身の前言を撤回した教授の不可解

  さて、3月18日、国家食品薬品監督局は『2010年飲食サービス食品安全調整作業実施方案』を発表して、
  取締まりを強化し、飲食店が由来不明の食用油を購入したり、再生食用油を購入・使用した場合は、そ
  の使用を禁止するとともに、事態が重大と判断されたら、飲食サービス業の営業許可証を取り上げる旨
  を宣言した。 

  一方、翌19日には“地溝油”問題の発信源となった何東平教授が記者会見を行い、政府の関係部門は早
  急に廃棄油脂の回収を行うための規則を制定するよう呼びかけを行った。ところが、同教授はこの記者
  会見の席上で3月17日付の「中国青年報」が報じた自身の発言を次のように否定したのだった: 

  (1) 自分が全国の“地溝油”の状況を調査したという事実はない。 
  (2) 全国で300万トンもの再生食用油が使われていると述べたことはない。 
  (3) “地溝油”から作られた「再生食用油」は不健康なものであるが、人々が毎日レストランで再生
     食用油を使った食事を摂ることはあり得ないので、そこに含まれるアフラトキシンがヒ素の100
     倍の毒性を持つという表現は誇大である。 

  何東平教授は何故に自身の前言を撤回する発言を行ったのか。その理由は不明だが、背景には何東平教
  授の発言が巻き起こした全国的な混乱に対して国家食品薬品監督局が遺憾の意を表明した可能性が覗える。 

  一方、何東平教授は政府関係部門に対して、レストランゴミを集めて処理することで、“地溝油”をそ
  の根源から防止することを提唱している。それを実践するために、同教授はその他の研究者との協力の
  下で、今年から武漢市を構成する武昌、漢口、漢陽の3地区にそれぞれレストランゴミの処理場を建設し、
  ゴミ処理と同時に毎日25トンのバイオディーゼルと40万立方メートルのメタンガスを生産することを計
  画しているのだという。 


  どんなに美味でも遠慮せざるを得なくなる

  中国の庶民が朝食に食べる屋台の“油条(揚げパン)”や“煎餅(薄焼き)”、街角のレストランで食
  べる“鍋貼(焼き餃子)”や“肉包子(肉饅頭)”、夕飯に食べる“水煮魚(魚をラー油で煮込んだ四
  川料理)”。どれをとっても中国を代表する美味しい食べ物だが、これらに「再生食用油」が使われて
  いるとすれば、興ざめも甚だしく、どんなに美味でも遠慮せざるを得なくなる。 

  何事も命あっての物種である。中国政府は再生食用油を徹底的に取締まり、飲食業界から根絶すること
  に努力を傾注して欲しい。どこのレストランでも屋台でも、庶民が安心して食事を楽しめる日が少しで
  も早く来ることを、本場の中華料理をこよなく愛する筆者は願っている。 

(北村豊=住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト) 

(注)本コラムの内容は筆者個人の見解に基づいており、住友商事株式会社 及び 株式会社 住友商事総合
  研究所の見解を示すものではありません。 

   どうですか、読んでいる途中で気分が悪くなりませんでしたか?
  日本でも、あの吉兆で残り料理の使いまわしがありましたし、韓国でも同様な事があると報道され
  ました。その時もいい気分はしなかったものですが、こちらの方はケタはずれに嫌悪すべき事態で
  すし、こんな事があっていいはずがありません。どうも中国はケ小平が敷いた経済発展の方向を履
  き違えて拝金主義、それも資本主義よりも性質の悪い方向に向かって猛烈にダッシュしているよう
  な気がしてなりません。

  ≪2010年3月18日、中国国家食品薬品監督局は『2010年飲食サービス食品安全調整作業実施方案』を
   発表して、取締まりを強化し、飲食店が由来不明の食用油を購入したり、再生食用油を購入・使
   用した場合は、その使用を禁止するとともに、事態が重大と判断されたら、飲食サービス業の営
   業許可証を取り上げる旨を宣言した。≫ 

    とされているが、中国へ旅行した我々はその厨房をチェックする事も出来ないのである。いくら中
    華料理が旨いからと言って、信用出来るわけがない。これでは当分の間、中国旅行には行きたくな
    い・・・・・。格安のパック旅行、よく利用するのだけれども、は飛び切り安いレストランやホテルを利
    用しているのだろうから・・・・・・。

   10.05.03の「テレビ朝日・ビートたけしのTVタックル」の「絶好調で一人勝ち中国の光と影!?」
  でもこの問題をやっていた。張景子なる中国人が、「この油で作ったものがまた美味しいんですよ
  ー!私も食欲に負けて食べますよ」と仰っているではありませんか!?この辺りが実態なのだろう
  か・・・・。
   
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   旅行社へ筆者が問い合わせた結果のメール回答を参考のため掲載します。
   ・阪急交通社 お客様相談室
    弊社では、現地法人会社を通じて状況の調査をいたしております。今後も、お客様の安全のた
    めの努力を重ねて参ります。

   ・日本旅行 お客様相談室
    弊社といたしましては、中国ご滞在中の食品等の安全性確保に関しましては以下の対応を行っ
    ております。
    @政府関係当局はホテル、レストラン等に対し定期的な検査を入れています。弊社では、これ
     らの検査にパスをした業者のみを旅行行程中で使用することを徹底しております。
    A自由行動中の食事、また、間食などでは、屋台等の食事や生水を飲まないようにガイドから
     ご案内しています。
    以上、ご報告申し上げます。
    なお「旅行者全体への回答」につきましては弊社としてはいたしかねますことをご理解願います。

   ・近畿日本ツーリスト(旅行に関する意見を受け付ける部署へのメールでの質問に対して)
    電話による、安全性を確保している旨の、回答があった。

   旅行会社の回答内容は予め予想していたものであり、当然ながら無難な回答ばかりである。やはり
   不安・疑問が払拭できないのは、日本政府、マスコミのこの問題に対するダンマリ、無視である。
   やはり地溝油の利用が多そうな都市部への旅行は僕は差し控えておきます。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   大紀天JAPAN(2010.3.19)記事

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06.皇室典範改定  (06.09.19)

     

           
   親王誕生で皇室典範改定の動きが無くなった感がある。改定派は、現典範では男系男子のみが
  天皇継承としている限り危機は継続するので、女系でも天皇継承が可能であるようにすべきとす
  る。他方、肯定派は戦後民間に移行した11宮家の中には男系男子がいるのでこれを宮家復帰させ
  て天皇継承が可能なようにすべきである。連綿と続いた日本独自の伝統を、我らの世代で絶やし
  てはならない、日本人のアイデンティティが失われる、とする。
  
  何れにしても、今回の親王の誕生で少なくも40〜50年は大丈夫だから、じっくり時間をかけ
  て議論すればよいのではないか?王道教育の問題はあるものの。

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05.建築構造計算偽装事件 (05.11.28)

     
           
  これは姉歯だけの事か? ほかにも、大同小異の所謂”手抜き”の類が横行してはいないか?こ
  れは近未来に必ず発生すると言われる関東大地震が来てみないと分からない。近年凄い勢いで建
  設されているマンション、簡易ホテル等の類には姉歯事件ほどの悪質なものは無いとしても、類
  似の”手抜き”に相当するものは相当に蔓延っていると思った方が良い。  近年の建築の価格
  下落は凄まじく、見積の40%程度まで下げるのは常識にさえなっている。

  では、そこまで下げた価格で請け負った建築業者はどうやって利益を捻出するのか。建築は多重
  層の下請けから成り立っており、そのしわ寄せは下方へ行かざるを得ない訳で、最下層の請負業
  者だって生活が掛かっているので、利益を出す為なら必ず”何かをする”しかないわけである。
  赤字で仕事を継続的に出来ない事は、資本主義社会の根本である。  割安でマンションを購入
  したり、簡易ホテルを建設した者は、その金銭的メリットで人命を賭した事になりかねないので
  ある。建築確認申請と言うチェック機能も天下りした役人が骨抜きにしたケースが多く、ただで
  さえ危ない構築物は巨大地震などに耐えられるとは思えない。しかも、地盤等に考慮した設計や
  施工が、価格のみの安値競争のために、殆ど当初の計画通りに行われる事がないのが実情であろ
  う。 

  神戸の震災を現地で見た者なら、ビルが横転したり、潰れたり、傾いたりといくらでもあった。
  これらを自分の目で見た者は、この報道があって皆愕然としたハズである。声も出ない。関東大
  震災が発生すれば、神戸より遥かに地盤の脆弱な関東ローム層や海岸、河川近くの埋立地などの
  ビルはひとたまりもないものも多数出よう。否、構造計算がしっかりして、施工が万全であって
  も危ないと思われるのにである・・・。  誰がこのような社会にしてしまったのか・・・。それは他
  ならぬ己自身である。

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04.箍(たが)が緩んだ (05.04.28)
           
  「箍が緩んだ」としか思えない事故や出来事が頻発している。社会全体の「箍」が緩んだのであ
  る。JRの列車事故、JALの諸々の小事故、安易な殺人事件、放火。”振り込め詐欺”のよう
  な社会経済犯罪。どうしてこんな社会になってしまったのうか?

  家庭も、企業も、学校も、勿論政治や宗教にすらおいてその殆どで「箍が緩んでいる」のである。
  一度緩んだ「箍」を締め直すのは倍層の努力が必要で、もう元には戻らないものもある。しかし、
  次世代にこのままこれら「負の遺産」を無責任に残す訳にはいかないのですぞ、諸兄、諸姉!

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03.近隣諸国との軋轢 (05.04.08)

     

           
  韓国との竹島、中国との尖閣諸島、ソビエトとの北方領土、いづれもが膠着状態で身動きが取れ
  なくなっている。戦後60年、終戦の昭和20生まれの私が今年で60歳となりますが、これらの問題
  はかくも長きに渡って解決しない。努力はしているのでしょうが、領土問題等は解決に本当に長
  い道のりがかかるものなんだ。

  中国、韓国とは過去の侵略戦争の後遺症があって、靖国問題や歴史教科書への記載問題がからみ
  これは当分解決しそうもない。生きている内に解決するか知らん。尖閣諸島や竹島は海洋資源、
  領海域の問題があり、出来れば中庸的解決が見えるが、北方領土はこれは終戦時のドサクサに紛
  れてソビエトが侵攻して領有したものであるらしく、これは返還を強く求めるべきものであろう。
 
  今年も椿が見事に咲いた。

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02.Livedoor vs フジ (05.02.21)

     

           
  政・財・官、寄って集って「ホリエモン(どうしてこんな名前がついた)」叩き。
  そんなにイジメると判官贔屓で、ホリエモンの思うつぼではなかろうか?
  ライブドア側が増資差し止め仮処分申請をして長引けば、何が出てくるか判らず
  フジ側も無傷では済まないのでは・・・。
  兎に角両者の株が下がり続けている。


  埼玉の里に白鳥が飛来し、梅がほころぶ、今年も春が近い。 

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01.統治の崩壊 Collapse of governance (05.02.21)

     

           
  ガバナンスの崩壊が起きていると言う。
  それも、社会全体でそうだと言う。
  政治でも、企業でも、学校でも、そう言われれば
  あらゆるところで統治が崩れている。
  枚挙にいとまが無い。
  どうも、日本の至るところで、社会全体が崩れかかっている。
  (05.02.24朝日夕刊の論壇時評)

  初孫が生まれた。

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14.Amazon、楽天での不正取引結末  (18.11) 

   青天の霹靂である。2018年の8月に突然、楽天から下のような請求がメールで送られてきた。

   

   これまでAmazonでは様々なものをネットで購入し、商品もちゃんと届いて、支払いもちゃんと
   済ませて来た。しかし、今回は利用覚えもなければ、購入連絡メールもない。Amazonサイトの
   購入実績も無いのである。しかも楽天カード決済など利用したことも無い(カードは何かの
   購入時にカードがあれば安くなるかの理由で作成して保有はしていた)のである。

   とんでもない思いで、そこからAmazonに連絡したところ、たどたどしい日本語を喋る外人が出
   て話が通じない。やっと日本人が出たら楽天に連絡しなさいと言う。そこからの顛末は以下の
   通りで、なんとか2か月程経って返金は完了したものの、何故こうなったのかは、Amazonのセ
   キュリティ上の都合で言えないとの一点張り。楽天はAmazonからの支払請求を実施しただけで
   他人事の感であった。

   Amazon・楽天利用覚えのない請求結末

   こうした事例は枚挙に暇がないのだろうが、安易にネットで買い物をしているとこうした事も
   起きるのである。自分で解決不可なときは国民生活センター・消費者生活センター等に相談し
   よう。

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13.ワイドFM(FM補完放送)  (15.11) 

   2015.12.7日13:00からワイドFM、正式にはFM補完放送が始まる。既に試験放送は始まって
   いるので聞かれた方もいるだろう。

   「この放送は、難聴対策や災害対策のために従来のFM放送用の周波数(76MHz〜90MHz)に加え
   て新たに90MHz〜95MHzを用いてAM番組を放送することです。」とされている。
   このSONYのサイト在京3局のサイトが詳しい。

   現在所有するラジオはいづれもFMの周波数は90MHzまでしかなく、これらのラジオでは聞く事
   が出来ない。上のソニーのサイトではワイドFM対応の製品をしっかりアピールしている。
   

   現在発売されているワイドFM対応ラジオはこちら→ワイドFM対応ラジオ
   現在のam放送で音質は我慢しながら、次にラジオ購入時にでも対応しようかな。



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12.4代目プリウス  (15.09) 

   
TOYOTA、米国ラスベガスで新型プリウスを初披露

                                       (写真は「最新自動車情報2015」サイト)
                                       
   
   

   4代目プリウスが写真のようにモデルチェンジして15.11月頃発売されるようだ。電池をリチ
   ウムイオンに換え、車体も軽くして燃費は40Km/L(JC08モード)を越えるという。




   僕は現在3代目のプリウスに12.2月から乗っている。これの燃費が最近すこぶるいい。30kmを
   越えて走るのである。それもクラーを入れて走っての実燃費である。大体25km〜30kmは走る。
   本欄の「10.タイヤ交換で燃費向上」にも書いたが、タイヤ交換やエコ運転のおかげだろう。

   

   今年はいよいよ高齢運転者マークを付けて走る年齢となった。これで堂々と更にゆっくりした
   エコ運転が出来るようになる。次の信号を見ながらアクセルペダルを離して慣性走行を行うこ
   とを心がけよう。発進も大型車並みの加速に留めよう。そうすれば、1回の給油で1000kmほど
   も走れるのである。プリウスの燃料タンクは40Lだからそうなるのである。我が家から下関IC
   までが高速道で大体1,018kmだから満タンにすればそこまで走れる事になる。東北道を走って
   青森東ICまでなら715kmだから給油は全く不要である。


   上の写真のプリウスが下のような高齢運転者マークを付けてゆっくり走っていたら、きっと僕
   と思って決して煽ったりしないでネ!

   



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11.FCV(燃料電池車)  (14.12)

   
   

  上が14.12月に発売となったトヨタのMIRAI(ミライ)、下が15年に発売予定の本田の燃料電池車
  である。
  FCVはFuel Cell Vechileの略で「燃料・電池・車」であり、搭載した水素を空中の酸素と反
  応させて発電してモーターを回し駆動する自動車である。水素と酸素が化学反応して出てくるの
  は水であるから環境に適合した自動車とも言われる。既に実用化されている電気自動車も走行時
  には環境を汚す事は無い点では同じであるが、燃料電池車も電気自動車も燃料の水素を作成する
  段階や電気を作る時に環境汚染をしている点ではおなじである。

  FCVのメリットとしては
  ・電気自動車のように充電する必要がない
  ・地球温暖化の原因となる二酸化炭素を走行時排出しない
  ・ガソリン車と比べてエネルギー効率が高い
  ・発電しても騒音を発生しない
  ・走行時に排出するのは水だけなので、環境に優しい
  ・補助電源を併用することで始動性や応答性が高い
  ・普通車だけではなくバス(燃料電池バス、将来はトラックも)も既に開発されている
  ・一酸化炭素や浮遊粒子状物質(PM)などの有害なガスを走行時排出しない
  ・燃料となる水素は、ガスや石油やバイオマスなどから製造できる

  デメリット・問題点
  ・燃料電池そのものの価格が高い
  ・水素の貯蔵や搬送に高いコストがかかる
  ・水素を補給するための水素ステーションの整備が求められる
  ・水素を生成する際に多くの電気を必要とし、一酸化炭素や二酸化炭素浮遊粒子状物質を出す
  ・水素は無色・無臭で漏れていても気付かず、爆発の危険性がある


  しかし、このような剥き出しの高圧水素タンクで爆発は本当に大丈夫なのだろうか?
  ミライの底の部分
   


  問題点に対する対策
  ・水素タンクそのものが頑丈にできている。
  ・専用のセンサーが水素の漏れを感知した場合、水素タンクのバルブを閉めることによって水素
   の供給を自動的に止める。
  ・万が一、専用のセンサーが作動せず、水素の供給が自動的に止まらない場合、車体内の水素濃
   度が高まらないよう、車外に放出できる
  ・事故による車両炎上などによって水素タンクが炎に包まれてしまった場合、水素タンク内の圧
   力が高まって爆発を起こさないよう、水素タンクに取り付けられた溶栓弁から、水素を外部に
   放出できるようにしてある。
  などの対策が書かれているが実証された訳ではない。


  今回発売される燃料電池車のトヨタのミライの航続距離は約650km、本田は700km超である。
  従来の内燃機関装置が不要で、発電装置とモーターがあればいいので車体の軽量化なども可能だ
  から航続距離はもっと伸びようが、水素ステーションが高価で容易には増設されない。

  大前研一氏もこの燃料電池車について懐疑的であるとのコメントをPRESIDENT 2014年9月15日号
  に載せている。「大前研一の日本のカラクリ」

  僕も燃料電池車はまだ少し早い気がする。大前氏が指摘する問題も心配だし、水素ステーション
  がガソリンスタンド並みに出来るとは思われない。ハイブリッド車や電気自動車でいいのではな
  いだろうか?僕の乗っているプリウスはガソリン車の2倍ほどの燃費で走れる。これがPHVな
  ら3倍ほどの燃費(L当たり30〜50km)も出すであろう。大前氏の言うようにもう少し水素の
  特性を完全に制御出来る状態での普及が望まれる。安倍首相の言う「原発はunder contorol」と
  の発言は世界の誰も信じる者はいないだろう。


  電気自動車の性能が、電池の性能の改良と車体の軽量化で急速に向上している。アメリカのテス
  ラモーターの「モデルS」が14年日本でも発売された。こちらは航続距離500kmを誇る電気自
  動車である。価格は500〜600万円である。下はテスラの「モデルS」

    

  このテスラが第三世代車として300万円台のものを開発中だとの報道もある。燃料電池車に比べ
  電気自動車の方が事故時などには対策が立てやすい。燃料電池車は燃料の水素に対する制御技術
  が確立されているとは言えず、事故時に大参事を引き起こす恐れが高い。

    

  日産のリーフや三菱のi-Miveなどの電気自動車は航続距離はリーフが約200km、i-Miveが120〜
  180kmでまだまだの感がある。電気を作る段階で化石燃料や原子力利用には問題が多いが、それ
  をクリアすれば電気自動車でいいように思える。ゴルフ場の常用カートでもガソリン車に比べて
  電気自動車が遥かに優れた性能を持っていることは日頃実感することである。


  燃料電池車と電気自動車の比較

  燃料電池車は究極のエコカーか?


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10.タイヤ交換で燃費向上  (14.11)

       

  ある時、タイヤが凹んでいるのに気が付いた。殆ど違和感はなかったが、降りてタイヤを見ると
  確かに前輪左のタイヤが少し空気が抜けていた。

  車はプリウスである。12年2月に購入して2年8か月ほど乗ったことになる。走行距離は14,380km
  であり、年間5,000km程度しか走っていない。

  早速近くのイエローハットに持ち込んで見て貰ったところやはりパンクだとの事で、4本まとめて
  交換することにした。値段的にも中位でよいことにし、工賃込みで59,000円であった。
  タイヤの種類はブリジストンのNEXTRY(ネクストリー)で、195/65/R15の規格のものであ
  る。(195はタイヤ幅、65は扁平率、R15はリム径)

  それまでは車購入時に装着されていたヨコハマタイヤであり、種類は判らない。それまでもエコ
  運転をし、平均してL当たり23〜25km走行していたが、このタイヤに交換後30kmを上回
  る燃費になった。高速をよく走るので少し高めの空気圧に設定してもらったが、高速道、市街地
  どちらを走ってもほぼ30km走るようになった。

  新潟の苗場往復320kmで30.2km/L、栃木の益子往復260kmで30.1km/Lであっ
  た。どちらも2/3ほどが高速、1/3が一般道を走行した結果である。

  L当たり5km多く走れるのは大きい。タイヤ交換の際はエコタイヤを検討する価値はある。
  ブリジストンのエコタイヤの頁です←参考までに
  イエローハットではより高性能のミシュランタイヤを勧められたが、値段が高くて見送った。

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09.FC2って何だ?  (13.11)

  2013.11.24号のサンデー毎日に<必読ユーザー2000万人違法動画を見放題「FC2」って何?>
  の記事が載っている。

  同記事によれば、「FC2」という投稿サイトはアクセス数が今や「Yahoo!」「Google」の日本版
  サイトに迫る会員数2,000万のサイトで、米国法人ながら創業者は日本人という謎の企業なのだ
  と書かれている。
  因みに「FC2]を検索すると
  「FC2 -無料ブログ 無料動画 無料ホームページ レンタルサーバー 無料 ...
   FC2は無料ブログ、ホームページ、動画配信、アクセス解析等、楽しいWEB Lifeをお届けする
   総合サービス。国内屈指の実績とシェアを誇る「ブログ」「動画」は初心者からヘビーユー
   ザーまで、幅広くご利用いただいています。」
  と出てくる。
  
  Weblioのサイトでは同社を次のように記載している。
    →fc2の概要

  サンデー毎日の記事や上のWeblioのサイト等でみると、どうやら違法動画のアフィリエイトで稼
  いでいる大阪の謎の企業で、米国ネバダ州に会社があるため日本の法律が及ばず、違法動画を堂
  々と掲載し、為に日本のAV業界が多大の被害を受け同社は提訴されているとなっている。

  FC2の創業者は大阪生野区出身の兄弟で、ナニワのビルゲイツとも呼ばれるパソコンの天才だ
  ったらしい。2013年4月には大阪中之島の「ダイビル本館」の21階を借り切って事務所にしている
  ともサンデー毎日は書いている。

  社名のFC2は「ファンタスティック・クピ・クピ」(Fantastic・Cpi・Cpi)の略だとも、実家の
  花屋の2番目でFlower Company 2としたとの説もある。

  まあ、いづれにしても謎の多い会社であることは確かだが、この会社の無料ホームページとBLOG
  を僕は随分利用させて頂いているので、もしそれらを閉鎖でもされるとそれは大変な目に合う事
  になる。

  兎に角、無料ホームページとBLOGサイトだけはなんとか継続して貰わなければ困るのである。今
  年の12月にはやはり米国のDTIBLOGの無料版が閉鎖されるので、大層な労力を費やして他のBLOG
  への引っ越しをやっと完了したばかりである。勿論このFC2BLOGにも相当のデータの移動を行った。

  無料のホームページやブログを利用している僕のサイト「四季の森空間」は成り立たないのである。
  でも、上記のような法的トラブル等が原因でFC2のサイトは何時突然閉鎖になるかも知れず、そ
  のための対処は行っておかねばならない。

  無料のホームページやブログの比較サイトは以下のものが参考になる。

  無料ホームページ比較
  無料ブログ比較


  ホームページやブログを無料で運営するのは、結構たいへんなものなのである。

   


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08.ドア指はさみ防止  (12.05)

  孫が遊びに来て家の中を走り回る。時にはドアを開け閉めして遊ぶ。最近はドアが引き戸式では
  なくて前後に開閉式のものが多くて、ドアを開ける取り付け部とドア板の間に大きな隙間が出来、
  そこに指を入れたままドアを締めると大怪我をしかねない状況になっている。

  先日どこかTVを見ていたらその簡単な防止をやっていた。調べてみると消費者庁のHPに掲載
  されていた。ドア指はさみ防止以外のものも掲載されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  
  牛乳パックを利用するものが手軽なので作ってみた。
  孫が帰れば取り外せるよう、至極簡単なもので、ガムテープも簡単に剥せる粘着力の弱い薄緑色
  のものを利用した。

   

 
  市販品も種々あって、下の様なものから蛇腹形式のものまである。値段も2000円前後である。
  長い間使うならこれらを購入して取り付けた方がよいだろう。可愛い孫の手を守るために!

 
     

  「ドア指はさみ防止」でネット検索すれば様々な情報が得られる。
  先ずは百円ショップを覗いてみよう。

  →しかしメーカーは、この種の事故は多く発生しているのだから、最初から防止装置付きの物を
   作るべきなのではなかろうか
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07.FT−Bh(次世代トヨタハイブリッドカー) (12/05)

  トヨタ自動車は12年3月6日、スイスで開幕したジュネーブモーターショー12において、コンセプ
  トカーの『FT-Bh』を初公開した。それがこの写真である。なんとも凄いデザインの車だ!
     

  ガソリン1リットルあたり60キロを走れるトヨタの次世代ハイブリッド車の試作車    
  欧州複合モード燃費では47.62km/Lとなっている。
 
     

  FT−Bhとは「フューチャー・トヨタ・Bセグメント・ハイブリッド」の略だそうだ。

   
  
  全長3985×全幅1695×全高1400mm、ホイールベース2570mm。空気抵抗係数を示すCd値は0.235
  (アクアは全長3985×全幅1695×全高1445mm、ホイールベース2550mm。Cd値は、0.28)  
  1.0リットルの2気筒ガソリン・アトキンソンサイクルにモーター、リチウムイオンバッテリ
  ーを搭載し、高張力鋼板の使用により786kgの軽量仕様。
  

  ガソリン1リットルあたり60キロを走れるトヨタの次世代ハイブリッド車の試作車    
  (記事・写真共 YOMIURI online&RESPONSEを参照)

  2012年4月12日 読売新聞の報道によると、トヨタは次世代のHV車としてガソリン1リットルで
  60km走る車を開発中らしい。アクアが11年末に35.4km/L(JC08モード)として発
  売されたばかりである。アクアは1.5Lの排気量だが、次世代の車は1Lのエンジンと電池を更
  に小型軽量化したもので、車体重量も更に減らし空気抵抗も減じて60km/Lの燃費を出すという。
  発売は2010年の後半となる見込み。

  アクアの場合も4〜5年前に朝日新聞にプリウスを上回る燃費の車を開発中として報道され、ほ
  ぼその記事通りの発売となり燃費もプリウスを凌いだものとなったが、今回もきっとそうなる事
  だろう。公表値が60km・Lならその7掛けで40km/L以上の実燃費は期待出来る。
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06.ウエストクッション              (12.05)  

     

  写真のようなウエストクッションを最近使い出した。これがなかなかいいのである。腰痛持ちの
  為車を運転する時はもともと同様なクッションを使ってはいたのだが、これが横ずれをしたりし
  今一歩の製品であった。ネットで探していたらこのようなクッションに出会ったので紹介しよう。

  今回、車を買い換えたこともあり、何か良いクッションはないかと探していた所、たまたまこれ
  に出会ったので早速取り寄せてみた訳である。
  これは埼玉の秩父にある優光商会さんが製造しているものであった。送付されて来た納品書を見
  ると『埼玉県ベンチャー企業優良製品コンテスト』に入賞した製品と書かれていて、僕も埼玉在
  住だから一寸嬉しくなった次第である。「映画・はやぶさ」でも日本の町工場の優秀さが描かれ
  ていて感心したものだが、東大阪の町工場が作った人工衛星といい、大田区の町工場が作った痛
  くない注射針といい、そうした事例は沢山ある。

  現在、巷間には安いだけの中国製品が溢れている。たしかに安いのだがデザインや縫製が雑で、
  使い捨てのものならいいのだろうが、安全や体を任すものについてはどうもいけない。日本の指
  導やチェック、検査のもとに作られているものは多少の我慢ができるが、中国製品は一般的に信
  用出来ない。秩父の片田舎で地道だが、丁寧に作られているこれらのものの方が、多少の値段の
  開きはあっても断然良いのである。無論、同社に限らず日本の小さな工場で丁寧に作られている
  ものを日本人はもっと利用すべきである。

  話はそれるが、中国の食品の驚くべき実態が報道されている。スーパー等では日本製に較べて数
  分の1の値段で売られている中国食品は、どのような作り方をされているのだろうか?一部であ
  って欲しいと願われるが、鳥肌が立つほどショッキングなものも多数ある。ウィキペディアのこ
  の記事を一度ひもといて御覧なさい。中国産食品の安全性

  さて、車での利用だけではなく、長時間座って向きあうパソコンの椅子や、テレビをソファーに
  寄りかかって見る時のために、更に2個購入した。友人にも進めて彼も購入した。同社はこの他
  にも様々なクッション類を作っているようである。
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05.トヨタプリウスに乗ってみて      (12.03)

    (2012.03)
     

  プリウスに買い換えて、半月ほど経過した。まだそれほど走った訳ではないが、高速も走ってみ
  ての感想である。それにしてもプリウスは沢山走っているなあ!

  川越のウチダオートという店で、従来乗っていた日産のプリメーラからプリメーラに乗り換えて
  志木の自宅まで帰ってきた。従来はイグニッションキーを回して、セルスタートが特有の音を発
  しエンジンが掛かるが、このHV車はまるで違う。パワースイッチを押すと無音で「REDY」
  ランプが付き、それでスタートできる状態となる。シフトレバーは電子式で指先で軽く動かすよ
  うになっている。

  Dレンジにシフトし、アクセルペダルを踏み込むと車は音もなく発進する。走行モードに三種類
  あって、燃費節約の「エコドライブモード」で走ると、重い感じがして以前の車のアクセル感で
  得られた加速感は無い。試しに「パワーモード」にシフトしてみると、以前のプリメーラと同様
  な運転感覚が戻って来る。当然ながらエンジン負荷が感じられる。モーターだけで走る「EVモ
  ード」は文字通り電気自動車感覚である。西武系のゴルフ場ではカートに電気自動車が使われて
  いるが、これを運転するのと同じ感覚である。日産の「リーフ」は多分これだろう。PHV車で
  は電気だけで26km程も走るという。これはニッケル水素電池とリチウムイオン電池の差だろう。

  プリウスを選定した最大の理由が燃費であるが、2012.2.28の朝日の「記者有論」に中川記者が
  低燃費車の燃費について書いている。「メーカーが発表するカタログ値と実燃費は倍ほども開き
  があるので、実態とかけ離れた数値競争はやめるべきだと提言している。業界が率先して、一定
  の努力で届く程度の燃費基準を考案し、ユーザーに燃費の改善方法を分かりやすく訴えることこ
  そ、本当のエコにつながる」と言っている。


  プリウスSで言えば、10.15モード燃費は35.5km/L、JC08モードは30.4km/Lとされているが、
  実燃費は約20km/Lである。これは都内の環八を抜けて川崎まで往復した実績である。近所の
  スーパー等へのちょい乗りでは19km程度の実燃費となる。当初のプリウスの宣伝燃費は38km
  であったからその半分であるが、これは最初から予想していたので驚かない。

  高速走行であるが、130〜140kmまでなら普通に走り、特にエンジン音が気になる事もない。今
  日では100kmをそう越えて飛ばす車も少ないし、エコドライブを皆が心がけるせいか高速走行
  でもプリウスは問題は無い。

  HV車という事もあるのだろうが、説明書の頁がやたら多くて512頁もあり、ナビやオーディオ
  の説明書も350頁もある。特に後者の説明書は理解するのが大変である。
  オーディオではUSB接続でUSBメモリにCDやネット、ラジオから音楽をダウンロードして
  おいてそれをかけると数千曲の音楽が楽しめる。かさばるCD等は持ち運ばなくてもよく、US
  Bスティック1本を持って車に乗り込めば十分だ。いづれモーターが回転する機械式のCD装置
  等は無くなるだろう。ナビも最新の道路状況なら携帯のナビの方が優れているのでDVDやHD
  装置式のものはSDカードやUSBメモリに駆逐される事だろう。また、インターネットとのや
  り取りによるナビや音楽、映像が主流になるだろう。

  プリウスは他に、ワゴンタイプのαや、プラグインHVのPHVが発売されている。
  マツダのスカイアクティブエンジンは従来型エンジンだが圧縮比を高めてHV並の燃費が出ると
  メーカーは謳っている。またヨーロッパでは乗用車によく載せられているディーゼルエンジンも
  燃費がよくてトルクが強いという。ならば、スカイアクティブやディーゼルエンジンとHVを
  組み合わせたPHVが電気自動車(EV)や燃料電池自動車に至るまでの最強の組み合わせでは
  なかろうか?こうした車を作らないと、またぞろ韓国のメーカーにやられてしまうに違いない。
  日本のメーカーよ、頑張れ!


  
  プリウスα


  
  プリウスPHV


  2012年4月18〜19日に新東名を通って約750kmほど高速走行してみた。およそ時速100kmで走って
  燃費は約24kmであった。JC08モードの公表値が30.4kmだからその0.78掛けであった。

  下記参照
  新東名で行く瀬戸・多治見
  (写真は全てトヨタのHPから借用している)
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04.車の泥よけ(Mudgard)       (12.01)
     
     前輪                      後輪

  トヨタのプリウスに日産のプリメーラから車を買い換えた。今のプリウスは3代目で2009年から
  販売されている。プリメーラ購入時にも初代のプリウスや本田のフィットも検討したが当時はま
  だ両者とも購入がためらわれた。

  今回もトヨタのアクア(ビッツのハイブリッド版)を検討したが、人気が高く納車までに5か月
  ほども掛るとのディーラーの説明を聞き、モデル車に乗ってみてやや荷物室が小さいのでこれも
  やめた。結局はウチダオートという新古車、未使用車業者をネットで探してそこで購入した。
  ここでは各メーカーの新車を大層安価に購入出来、しかもメーカー保証が正規ディラーでの購入
  と同様に受けられる。

  しかも取得税、重量税が無料で、カーナビ、オーディオ、ETC、バックカメラ、フロアマット
  サイドバイザー等のいわゆるディーラー・オプションで後付する備品をほぼ付けた状態で販売
  している。アフターサービスも希望すれば正規ディラーと同様にやってくれる。

  さて、肝心のマッドガード(泥よけ)であるが、なぜだかこのプリウスには無いのである。
    最近プリウスは新車販売台数がトップだけあってしばしば見かけるけれども、マッドガードのある
  ものは見たことがない。そのはずで、日本で販売されているプリウスにはマッドガードは付けな
  いのだそうだ。だから部品として日本には無いのである。

  しかし、長年車に乗っている者ならお判りの通り、マッドガードの効用は大層大きいのである。
  道路上の小石やアスファルト、泥から車体を守ってくれるのである。道路が完璧に整備された
  道路しか走らないのであれば、それは必要無いかも知れないが、多少とも田舎道や山道、そし
  て道路工事中の悪路を走るのであれば必要なものである。

  そこで、これもネットで探してみると米国製品のプリウス用マッドガードが見つかった。早速取
  り寄せて上のウチダオートさんに英文の取付説明書とマッドガード部品を預けておいて、納入時
  までに取り付けて貰った訳である。 (値段13,600円でした)

  だから、プリウスの3代目ZVW300をお見かけになって、マッドガードを付けているシルバーメタ
  リックのプリウスだったら、僕の車かもしれませんよ!

  プリウスに乗ってみた感想等を次回掲載します、車購入予定の方は参考に!   2012.02.14
  
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03.地上の太陽・核融合発電          2011年08月03日
   
        (JAEA資料より)

  3.11の災害以来、原発の見直し機運が一挙に盛り上がってきて、再生可能エネルギー利用や
  石炭・ガス等を利用した火力発電の見直しがなされ、火力発電が当面の切り札として再利用され
  ている。

  しかしながら、太陽光や風力、潮力、水力、地熱及びバイオ利用等のクリーンエネルギーを除い
  て、石炭にしろガス利用の火力発電にしろ大量のCo2を排出し、温暖化防止には逆行するもので
  ある。節電対策努力や、燃料電池やマイクロ水力発電、スマートグリッド等も推進すべきではあ
  るが、原発の縮小・廃止分をカバー出来るものではなかろう。もし、カバー出来るなら以下は不
  要であり、そうありたいとは思うのだが現実的ではないように思えてならない。

  そこで最後の切り札として期待されているのが核融合発電である。”地上に太陽を”のスローガ
  ンのもと、研究・開発がされてから久しい。その現状はどうなのだろうか?
  
  独立行政法人日本原子力研究開発機構(JAEA)には、その研究開発部門として次の8部門があり
  膨大な税金が投入され続けている。
 
  ○ 安全研究センター
    原子力施設の安全性を追求し、機械工学、材料、廃棄物、リスク評価等、多角的・総合的に研
    究する。
  ○ 先端基礎研究センター
    将来の原子力科学の萌芽となる“未踏分野の開拓”に挑戦する。
  ○ 原子力基礎工学研究部門
    原子力の研究、開発および利用のための基礎基盤を形成し、新たな原子力利用技術を創出する。
  ○ 量子ビーム応用研究部門
    科学技術・産業・医療に革新をもたらす“量子ビームテクノロジー”の研究開発を推進する。
  ○ 核融合研究開発部門
    “地上に太陽を”偏在なく無尽蔵な資源と環境・安全性に優れた核融合エネルギー
       を探求する。
  ○ 次世代原子力システム研究開発部門
    長期的エネルギー安全保障と地球環境問題への対応のため“高速増殖炉サイクル”を確立する。
  ○ 地層処分研究開発部門
    原子力の廃棄物の最終処分に向けて、地層処分技術をより確かなものとするための研究開発を
       行う。
  ○ バックエンド推進部門
    原子力開発および利用に不可欠な“バックエンド対策”を支え、放射性廃棄物の処理・処分、
       施設廃止措置の技術を開発する。
        
   の8つがあげられているが、福島原発の悲惨な状況を見せられては、その研究の殆どが虚しく
   思える。なかで、5番目の 那珂核融合研究開発部門は唯一将来への燭光と思われる一つである。
  
  
  核融合での発電が可能となれば、現在抱えている資源問題、地球温暖化問題等の多くが解決可能と
  なるのである。

   
        (JAEA資料より)

   那珂博士の核融合入門に核融合の大まかな説明があるので、これを参照されたい。
  なかなか良くできた説明である。
  
  燃料は海水から得られるのでほぼ無尽蔵、燃料供給を止めれば反応が止まり暴走しない、核廃棄
  物が低レベルで処理が出来るなど良い事づくめの様な説明が書かれているが、原発事故前ならい
  ざ知らず、全て鵜呑みという訳にはいかないでしょう。
  
  重水素と三重水素の核融合によってヘリウムと中性子が排出されるが、ヘリウムは問題ないとし
  ても、中性子はやはり低レベルの放射性廃棄物の一種であり、火力発電の灰と同等程度の注意が
  必要とされる。我が尊敬するニュートリノでノーベル賞を受賞した小柴昌俊氏によると、中性子
  が発生する核融合も、やはり核分裂の原発が制御出来なかったのであるから、軽々に扱うもので
  は無いと、釘をさされている。3.11までは誰もが洗脳され、原発事故など起らないものだろ
  うと思っていたので、筆者もその通りだと思う。

   <JT−60の模型図>
   
        (JAEA資料より)

  
  日本では「JT−60」が、世界的には「ITER]が核融合の実験炉目指して研究、建設されて
  いて、実用化は30〜40年後とされている核融合発電である。
  やらせ質問などの卑怯な方法で国民を騙して誘導するのではなく、必要な情報を早期に公開し、反
  対者の意見にも耳を傾け、真に人類に有益なエネルギーの開発を進めて貰いたいものだ。この核融
  合関連予算だけでも1兆円に近い税金が使用されている事を関係者は肝に銘じるべきである。

  次ぎの総選挙では原子力利用が争点に成る事は間違いなく、原発の停・廃止、縮小や代替エネルギ
  ー問題が問われようが、その際この「核融合」問題について資源を集中するや否やも是非問われる
  問題ではなかろうか。

  参考: 岡野邦彦氏の「核融合とは」のHP


   
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02.安全な技術は無い            2011年06月21日

  評論家の西部邁は言う。
  『技術が安全なはずはない』
  常に危機を孕みいつも誤謬にさらされている技術知が安全なはずはない、と言う。自動車であれ
  薬品であれ技術の産物に安全ということはないのであって、かくして「文明の被害」が夥しい数
  の交通事故死者等を毎年出していて、第二次大戦後だけでも「文明の被害」に遭った人命は1億
  にのぼるに違いないとする。

  第二次大戦では、世界の戦争犠牲者は約5,200万人(英タイムズ調べ)であるが、それを遥かに凌
  駕する犠牲者が西部の言うところの「文明の被害」で発生しているのである。
  WHOは2011年5月に、世界の交通事故による死者数は年間130万人にも達し、このまま対策を放
  置すれば2020年には年間190万人に達する恐れがあると発表した。なかでも自動車の増加が著しい
  中国とインドが特に多い。中国が22万人、インドが13万人(2007年WHO調べ)である。

  安全なはずはない技術知にだけ頼っていては、巨大な地震や津波や原発震災によって多くの犠牲
  が発生してしまうのである。時速300km近いスピードで走行していた新幹線を安全に止めたのは
  如何に技術が優れていたかである、と技術をまたぞろ礼賛する向きもある。しかしこれは地震発
  生箇所と新幹線に距離があり、地震警報発生から地震波到達に何十秒かの余裕があったための幸
  運であったのである。もし仮に、これが東海地震や首都直下地震であったなら、地震発生から殆
  ど時をおかずして地震波が新幹線を襲い、大惨事に成る事は間違いないのである。急ブレーキを
  掛けても数キロも走ってやっと停止するのだから。

  南海地震、東南海地震、東海地震の同時発生や首都直下地震が発生した時に長期振動や激震に超
  高層ビルは耐えられるのか、躯体がもし持ち応えたとしてもガラスや壁、建物内の什器備品が落
  下したり、エレベータや給排水衛生設備や空調設備は大丈夫なのか?まだ我々は一度も経験した
  事がないのである。高架高速道路は阪神高速の倒壊から改善されたのか?地下街、地下鉄は津波
  対策はなされたのか?

  条件の良かった3.11でさえ、帰宅難民や車が道路を埋め尽くしく、電気は止まり、携帯も掛から
  なかった。ビルが倒壊し、大火災がもし発生したなら帰宅さえ出来ないだろう。

  西部はこうも言う。
  予測不能な危機に何とか対処できるのは、技術知ではなく、人間組織を支えるのは実践知であり
  過去における経験への確かな解釈と未来に対する想像力豊かな洞察でもたらされる、と。しかし
  この実践知でさえも常に可謬的なことを確認しておくべきであるとする。

 
  
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01.CALS/EC                 (05.06.12)
     
 
  CALS/ECは共事業支援統合情報システムと訳される。

  簡単に言うと、公共事業のライフサイクル全般に渡ってIT(情報通信技術)を利用して情報を
  共有し有効利用する事によって、効率的な公共事業を実践しようとするものです。

  ところが、やはり役所です。役所間の連携が不味く、無駄なIT投資を受注者に押し付ける結果
  となっています。例えば、その中の一つの電子入札については、もともとは国土交通省が中心と
  なって開発した「電子入札コア・システム」なるものがあります。入札行為自体はどの役所でも
  同じ形態で行われるのですから、本来これ一つでどの役所でも利用出来る訳ですが、我が「役所」
  だけは特殊事情があるからと独自なシステムを造ったり、上のコア・システムを少しずつ変える
  訳です、勿論税金です。

  そうすると、仕事を貰う為には、企業は夫々の発注者(役所)に合わせてパソコンや通信回線や
  電子証明書を用意するしかなくなる訳です。2010年までには全国津々浦々までこうした事が
  実施される計画になっていますが、”行政改革”を叫ぶならこの辺から改革しては如何なもので
  しょうか。
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