【マチュピチュ】 →画面右下の(zoom in)や(full page)アイコンで大画面となります。 元に戻るには(Esc-key)です。 今回の南米の旅を思い付いたときから気に掛っていたのが、スペインを中心とする中南米への言語を絶する 虐殺と収奪である。ヨーロッパは中南米で3,300万人もの虐殺を行い、180〜200トンの金や17,000〜18,000ト ンもの銀を収奪したとの推計がある。ヨーロッパから持ち込まれた病気で中南米の人口が1/10までに減少した との推計もある。 2年前の早春にスペイン、ポルトガルを旅行したとき、博物館や美術館、とりわけ教会にふんだんに金銀 を用いたものがあり、それらは悉くマヤ、アステカ、インカ文明から収奪したものだったのであった。 フランシスコ・ピサロは、インカ帝国の最後の皇帝アタワルパが幽閉されている部屋一杯の金と二杯分の 銀を釈放条件として実行させたにも関わらず処刑してしまったとも言われている。この大量の金、銀が西欧 に持ち込まれ、のちに産業革命の引き金となっていくのである。 その疲弊度も見たいと思う旅であったが、あまりにも圧倒的な自然と卓抜な建築技術や屈託なきインディオ の末裔を見ていると、西欧人の蛮行などもうどうでも良いと言う気持ちにさせられた。 マチュピチュ/動画 画面をクリック下さい リマからクスコまでは1時間20分。高原の盆地のクスコに到着する。標高は3,400mと富士山九合目と同じ である。空港到着と同時に通常富士山で売っているものの2倍ほども大きい酸素ボンベが配られた。後々 これが役にたつのである。 クスコの空港でペルーの歌手ジャンポールシュトラウス(Jean Paul Strauss)さんが現地の報道人に取り 囲まれていた。同じ飛行機だったようだ。帰国後同行の武井さんに名前を教わった。マチュピチュからの 帰りに、対向車が互いに譲らず長時間待たされたが、その時も前の車にもジャンポールシュトラウスが乗 っていた。 クスコは前日大雨が降ったとかで道はドロンコ、建物はみな薄汚れていて、これはひどいところだと観念 したが、一歩ホテルに入ると結構小奇麗で安心した。空港前はどうやら道路工事中でぬかるんでいたよう であった。道は石畳が多く、車はひどく揺れる。 → クスコ市街観光(Blogへリンク) クスコからマチュピチュは、本来はペルー鉄道で行くらしいのだが、ウルバンバ川が氾濫して鉄道が破壊 されており復旧作業が進められていた。従って我々はクスコから小型のバス2台に分乗してオリャンタンポ の近くのピスカクーチョ駅まで行き、そこで鉄道に乗り換えてマチュピチュへ向かった。 クスコからオリャンタンポへバスは一気に高原を駆け降りる。 周りのアンデスの山々は白雪を被っている。 山間の小さなピスカクーチョ駅とアグアスカリエンテス駅との間が復旧工事が完成していて、この間を折り 返し運転している。 この鄙びた小さな駅に仮の待合室や駐車場が設けられて、観光客でごった返している。見上げれば天をつく 高峰が聳えている。 列車は展望出来るように天井の一部が透明になっている。 このウルバンバ川はアマゾン川の源流の一つとなっていて、ペルーを発し遠くブラジルへと流れ下っている。 ペルー鉄道は下の写真のアグアスカリエンテス駅に到着すると、ここから九十九折の道をマチュピチュへと 登っていくのである。 アグアスとは水のことで、カリエンテスとは熱いとの意味だそうであり、従ってアグアスカリエンテスとは 温泉を意味し、温泉旅館が何軒もある。 この辺りはウルバンバ渓谷であり、急峻な山塊が川に迫っていて、この駅の眼前もこのような光景である。 オリャンタンポあたりから下流には道路がなく、ペルー鉄道の単線がやっとのことで通じているだけだが、 アグアスカリエンテスに到着すると何台ものバスが待っている。これはバスを分解して列車で運び込み、現 地で再度組み立てたそうである。このバスが我々をあの「マチュピチュ」まで運び上げてくれる。 やっと終点に到着し、入場券を購入して入る。ここがそのゲートです。 ゲートの向こうには、ほらあの光景が見え隠れする。 ここからは、写真を眺めて頂くだけです。言葉が出ない。 Google-Earth等でもこのマチュピチュは見られますが、やはり自分の足で登ったアングル でしか見られない光景です・・・・・・。 もし貴方が高齢なら元気な内に行かれた方がいい。車椅子で南米に来られている日本人の 方がおられたが、残念ながらこの上までは階段や山道がありむりだったのでしょうか? 画像をクリックすると拡大画像となります。この画像は是非大画面でどうぞ 元に戻るには画面最上段のブラウザの戻る(←)ボタン、又は(Alt + left(←))を押して下さい。 マチュピチュの写真の正面に必ず写る高い山がワイナピチュ山(2,750m)で一日限定400人が登山可だ。 その背後にマチュピチュ山(3,050m)が聳えている。(上の写真の雲が掛かっている山) マチュピチュの遺跡はその間にあり、標高は2,000m〜2,300mである。だから両山の中間の鞍部の様なと ころに築かれている。 マチュピチュの証明書。この遺跡は大勢の人が管理していて、その人件費も必要なのだろう入場料は 高く約5,000円もする。だからかこんな立派な証明書が貰える。 右はポインセチュア 雀のようなよく囀る鳥と線路脇に無数に咲くインパチェンス。 駅とバス乗り場の間には、みやげ物を売る店が犇いている。ここで土産ものを色々と購入した。 値切ると、最初はダメダと言うが、他所へ行くふりを見せると、日本語で”おねえさん、おね えさん”と半値程まで値段を下げてくる。 全体の案内図 帰りの列車は豪華列車で、飲食なども無料で色々と出た。 1911年アメリカのハイラム・ビンガムが偶然にも見つけたこのインカのスペイン人による侵略を 受けなかった遺跡こそは、子や孫にも見せたいものの一つである。 どうもアングロ・サクソン系の人、それもご婦人に奇妙な行動をとられる方が時々おられる。 エジプトのツタンカーメンの墳墓でも、地中の棺おけの側で微動だにせずに一心不乱に瞑想を しているように見受けられた。今回マチュピチュでも、この標高2,280mの山から裸足で徒歩で 下山していった。日本のどこだったか忘れたが、神秘的な場所で瞑想を続ける姿を見かけた記 憶がある。これらがすべてアングロ・サクソン系のご婦人だった。何か神秘的なものへのあこ がれ、一体化願望の行動なのだろうか?どの民族よりも近代科学技術を早く手に入れて、世界 を征服してしまった彼等はオリエンタル、エジプト、インカ等の科学技術だけではおし測れな いものへの畏怖や憧れがあるのだろうか? →【マチュピチュ】の最初へ戻る →【南米の旅】の最初へ戻る → HPの最初に戻る