<西安>
紀元前17世紀頃、殷王朝がここ西安の地に豊邑(ほうゆう)という名の都を造った。爾来今日まで
この地は、西方へ続くシルクロードの起点として秦、漢、随、唐等の都として長安と名前を変えて
繁栄した。特に7世紀の唐代には世界各国の人々が訪れる国際都市であった。
日本からも遣唐使が派遣され、先進の唐の文化、技術、農業等の多くを学んだ。
明の時代以降は、この地は西安と呼ばれるようになって今日に至っている。
日本からの飛行機は、上海浦東空港に寄港したのち、国内線に乗り換えて西安に向かう。
成田から上海までは約1,800km,上海から西安までは約1,200kmの距離である。
<上海浦東空港>
1999年に開港したハブ空港で、4,000m滑走路3本があり、更に2本増設中。ターミナルビルも3
番目を建設中で、完成時には年間8,000万人の収容力を持つ。
成田と羽田を併せても太刀打ち出来ないほどの規模だ。成田も羽田も世界的には中途半端なものだ。
韓国、タイ、シンガポール等にも成田などを遥かに凌ぐハブ空港があり、羽田、成田、関空等はア
ジアの地方空港に過ぎないほどに、航空行政の立ち遅れで地盤沈下してしまった。
ホテルは西安紫金山凱思特大酒店
道路の直ぐ向こうに旧市街を取り囲む城壁が見えている。
ホテルは21階建ての大きいものだが、中クラスだと感じられる。国内用であり、ワンクラス上のホ
テルにするべきだった!設備、食事、サービスどれをとってもです。
ホテルのロビーに飾られている天体観測器。
中国の4大発明は紙・羅針盤・印刷・火薬と凄い、オリンピックでやっていたね!
日本の発明は人力車程度のものか? それも車(リヤカー)の部分は外国のモノダシ・・・。
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さあ、念願の兵馬俑と始皇帝陵の見学だ。
西安は漢代に長安と呼ばれていて、唐代には世界最大の100万人の都市であったが、食料供給がネ
ックとなって唐以降は首都となることはなかった。
西安を、この暑い中わざわざ訪れた目的は、何と言っても”兵馬俑”である。中国では
万里の長城、兵馬俑、桂林、九寨溝は何としてもこの目で確かめたいもので、今回はそ
の一つである”兵馬俑”の見学である。
下のスライドショーにそれを纏めてみた。画面中央の矢印をクリック下さい。
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<華清池>
始皇帝陵にほど近い驪山(りざん・海抜 620m)の麓にあり、温泉が湧く。
古く唐の玄宗が楊貴妃のために冬の離宮を建てた場所である。
現地ガイドさんの説明によると、西安は自然災害の殆どない場所なのだそうだ。
地震、洪水、台風は無く住みやすいところであるらしい。
地震が無いためか、高層ビルも鉄筋を少し入れただけの”積み木”であり、一度地震があれば
ひとたまりもないであろう簡素なものである。20階ほどの高層でも壁などはレンガを盛んに積
んでいる。でも、温泉があることは地震だって起きるにでしょうに?
現在は、驪山に向かってロープウェイが設けられている。
・毛沢東の手書きの長恨歌が門を入って少し行ったところにある。
「長恨歌(ちょうごんか)は、中国唐の詩人、白居易によって作られた長編の漢詩で、玄宗皇帝
と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な影響を与えた」と紹介されて
いる。毛沢東の書体は「毛書」と呼ばれ、能書家としても毛沢東は有名である。書など全く無知
であるが、いかにも自信を持ってのびやかに書いているのは判る。
楊貴妃の白亜のオブジェや、楊貴妃や玄宗皇帝の入った大きな風呂がある。温泉だろう。
蓮の花びらを模した楊貴妃の風呂。中にはコインが沢山投げ込まれている。
玄宗皇帝のプールほどもある風呂。
・西安事件
1928年6月の関東軍による鉄道爆破事件で父である張作霖を殺された張学良は、1936年ここ西安で
蒋介石が共産党軍討伐にばかり力を入れ、抗日戦争に消極的であったことから、西安のこの地に
滞在していた蒋介石を監禁した場所でもある。
蒋介石が張学良によって拘束されたのは、この建物の背後の山中辺り。
西安事件の後、共産党の周恩来は挙国一致の抗日政策に転換するとの蒋氏の了解の下、蒋氏を釈放
するよう調停。この結果、1937年7月盧溝橋事件で日中戦争が拡大した後、国民党は内戦を停止し
抗日民族統戦線を成立させた。張学良は蒋介石によって事件後、軍事裁判にかけられて1986年まで
約50年自由を奪われていた。中国では新中国誕生につながる転機となったので、張学良を「愛国者」
と称賛している。後に張学良はハワイ・ホノルルに移住し2001年100歳で老衰のため死去した。
華清池の門前の楊貴妃と玄宗の像
いかにも中国らしい街灯
<興慶宮公園>
唐の玄宗皇帝が楊貴妃と暮らした興慶宮の跡地に造られた公園。
阿倍仲麻呂の記念碑
阿倍仲麻呂は奈良時代の遣唐使で、719年に唐に渡り科挙に合格して高官になった。日本への帰国
を図るも暴風雨で遭難し帰国が叶わなかった。帰国しなかったことから、天皇の命令に背いたと
して日本では評価されなかった。770年に73歳で西安で逝去。
周りの松は日本が寄贈したものだ。
公園にはギボウシが咲いていた
2011西安世界園芸博覧会が開催されていて、そのマスコットがあちこちに設置されている。
中国は国威発揚もあるのだろう、オリンピック、万博、花博と忙しい。
<陝西(せんせい)省歴史博物館>
周、秦、漢、唐など陝西地方の歴史博物館で、北京の故宮博物館についで中国第二の博物館。
歴史博物館の入り口
玄関を入ると巨大な獅子が鎮座している
兵馬俑の何体かはここにも陳列されている
兵の顔写真であるが、全て表情が異なる。
日本の埴輪は、3世紀後半から6世紀後半にかけて造られたもので、この兵馬俑よりも時代はずっと
後であるが、制作技術はまことに遅れている。中国はあらゆる面で技術・文化先進大国だったのだ。
馬や壁画、人形等の巧みさはどうだ!
ここには北京原人を遡る原人の骨も展示されていて、世界文明誕生の地であることも強調している。
115万年前のものと書かれている。(北京原人は70万年前だからその45万年前のものだ)
藍田(らんでん)原人
夕食は火鍋料理だった。
給仕のお姉さまが、流暢な日本語で酒だの、薬だの言葉巧みにまたぞろ販売を始めるではないか!
我が家も「冬虫夏草」やらなにやら買うハメになってしまった。台湾でも高価な茶を買わされた
ものだが。
<大唐芙蓉園>
夕方のラッシュ時には交通が渋滞する。交通ルールはひどいもので、信号も少ないせいもあるんだ
ろうが、平気で道路を横断する、割り込む。中型のバスで移動したのだが、東京のタクシー並の運
転をする。よくまあ事故をしないものだ。
WHOによると中国の交通事故死者は2007年に22万人だそうだ。現在は更に増加していることだろう。
交通インフラや交通教育、取締が未整備の状態で車だけが爆発的に増加すれば必然的にそうなるだ
ろう。先進各国もそうした事はお構い無く、大量の自動車を売り込んで事故増大などは知らん顔だ。
特に悪質なのが、電動バイクであり、電池節約の為だろうがライトを消して音もなく暗闇から現れ
るのでは避けられない。エジプトの道路も怖かったが、ここ西安の交通マナーの悪さはヒドイ!
2005年4月にオープンした唐代の皇室の庭園式文化のレプリカを建てたテーマパーク。
広大な土地に唐代の建築物のレプリカが建設されている。
紫云楼(しうんろう)、簡体字は判らない、日本流に書けば紫雲楼。
台湾・香港・マカオでは繁体字が使用されている。
水幕映画 芙蓉湖から噴水で水幕を作り、それに映画を映す。現代版西遊記のような映画だった。
芙蓉湖のライトアップが見事
造花の中に電球が仕込まれている。昼間はきれいでもないが夜は見事!
大雁塔の夜景、やや右に傾いている。
大勢の若者が夜遅くまで集まっている。西安は日本なら京都のようなところで、多くの大学があり
若者の町なのだそうだ。(ちなみに北京は東京、上海は大阪だそうだ)
南門夜景
<陝西省美術博物館>
いや〜、驚いたね!
ここは共産党の一党独裁の社会主義国なのかな?と思わせられる光景に出くわした。
立派な円形の建物である。何かしら行事があるのだろう、紅い横断幕やら、幟やら飾られている。
ブラスバンドが演奏している。
そうだ、90年前の1921年7月1日は中国共産党結成の記念日なのである。
2010年時点で中国の共産党員は7799万5千人と世界最大の政党である。
言うまでもなく、共産党一党独裁で共産主義の実現を最終目的としている国なのだ。
1976年の毛沢東の死去に伴い、旧来の毛沢東の革命路線から1978年のケ小平による改革開放路線に
よる経済発展路線に変更された。1992年には社会主義市場経済制度を取り入れてからGDPの目覚し
い発展を遂げ、2011年には世界第二の経済大国に上り詰めた。
やたら日本語が流暢で、温厚な感じのする説明員が丁寧に作品を説明する。
美術品鑑賞眼を持たない僕には、はア〜とかほオ〜とか感心する他はないのだが・・・。
なかなか良い出来栄えだとは思う。
ところがです、当初は理解できなかったのだが、そこは工芸品店だったのだ。
美術博物館のある一室が店となっていて、先ほどの説明員が陳列物を棚から取り出して触っても
いいと言い出す。更に値段も言い出す。品物は国が保証する一級品で、東京の高島屋で買うと
同じものが10倍もします、と来た。
値段は5万以上のものが殆んどで、皆が買い渋っていると、いつの間にやら5〜6名の日本語の達者
な販売員(館員だそうだが)がどんどん値引きをしたり、おまけを付けるなどと熱心なセールス
を展開する。その手口は以前会社で営業マン教育で習ったセールス手法そのものだ。
誰かが結構高価な物を購入されていたようだが、40分近くもそうしたセールスが続いた。よく聞
いて見ると、国立の博物館美術館等は独立採算制となっていて、こうした販売による収益を上げ
なければならないのだそうだ。だから家族の為に懸命に売るのだそうだ。
これを聞いて日本の同様の施設の人に聞かせてやりたい気分であった。日本でも国立大学や研究
機関が独立行政法人化されたと聞くが、資本主義国日本ならこれ位はやるべきではないかと、日
本の公的従業員の日頃の勤務態度を見ていると思ったネ。
ここの館員(販売員)のサービスは徹底していて、バス乗り場まで誘導してくれて、日本の旅館
を去るときのように見送りまでしてくれるのです。
日本の同様の施設の館員様方よ、少しは見倣った方がいいのでは?
<青龍寺>
空海、円行等が仏教を修学した寺。
弘法大師・空海は恵果和尚から密教の教えを受けた。(遣唐使として804年に渡唐し806年に帰国)
この寺は日本人が訪れる程度で、閑散としている。
空海の記念物が沢山ある。
庭には、日本から送られた桜が沢山植えられている。
四国88箇所霊場周りの第零番目の寺だそうだ。
ここでもである。見学が終了すると線香だの、空海の本だのと販売が始まった。
やや食傷気味だ!ケ小平さんの「開放政策」は実によく行き渡っている。
毛沢東の時代の挨拶は”ご飯食べましたか?”だったそうで、それが現在は”ニイハオ”なんだ
そうです。食べられることは達成されたのだろう。
<西安鐘鼓楼>
かって鐘や太鼓で時を告げた。
回族の通り
アジア特有の匂いと汚さか?
雑貨屋
胡桃を売っている店が多い。
<書院門古文化街>
筆や硯、墨などを売る屋台が多い。
博物館・美術館等で売っているものが、何分の1の値段で売っている。
扇子を10元(約140円)に値切って買ったら、たちまち壊れた、没法子(メイファーズ)。
<南の城門>
南の城門近辺の風景
城壁の上からの城内の眺め
城外には高層ビルも建てられている。
城壁の上はこんなに広くて、総延長13kmある。
マラソンやサイクリングも行われる。
南門(永寧門)の上にある楼閣
南門付近風景
<大雁塔・大慈恩寺>
三蔵法師玄奘がインドから仏像や仏教の経典を持ち帰って収めた寺。
この七層の塔はそれらを納めるために建立された。
ピサの斜塔のように左に傾いている。最上階まで登れる。
ここにお経が収められている。
玄奘を祀ってある。
<餃子>
一時、地溝油が問題になって、これじゃ当分中国旅行はやめようとなったのだが、
今は全く心配しなくていいのだろうか?同行者は誰も口にはしなかったが・・・。
様々な種類の餃子が出てきたが、殆どが蒸したもので皮が厚くて旨くは感じ無かった。
日本で一般的な焼き餃子はこちらでは好まれない。焼き餃子は昨日の残りの餃子を焼いて食べ
るからである。
陝西歌舞大劇院で唐風歌舞を、餃子尽くしを食べながら観る。(撮影許可のもと)
<華清宮> オープニング・ショウです。
動画です、画面の中央の矢印をクリックして下さい。
<白チョマ舞>
<白チョマ舞>の動画、画面の中央の矢印をクリックして下さい。
ナツメ割り(チャルメラ独奏)
虹の羽衣舞
アヒルの喧嘩、虎の歯軋り
観鳥蝉取
金剛の仮面
疫病や邪悪を追い払う舞
ピクニック歌
春鴬のさえずり
<大唐の典礼音楽>
<大唐の典礼音楽>の動画、画面の中央の矢印をクリックして下さい。
僅か2日間の西安の旅であった。流石にかっての中国の諸王朝の都だけあって歴史的建造物等は
多く、2〜3日ではとても無理で、1週間でも回りきれない。
最近の中国の動きを見ていると、社会主義的市場経済が行過ぎて、本来の共産主義の狙いである
平等から大きく乖離してしまっている。2010年の世界銀行の調査によると貧富の格差を示すジニ
係数が0.47と警戒水準を越えてしまっている。全世帯の1%が全体の富の41%を専有している。
日本も威張れたものではなく、小泉改革による市場原理主義の推進の結果ジニ係数が0.4に迫り
つあるらしい。そういえば我が家の家計は貧困の一途を辿っているなあ!
ケ小平の改革開放路線は成功し、毛沢東の時代に比べると著しい経済発展を遂げたが、その「先
富論」の歪が大きく現れて来ているように思われてならなかった。
<終わり>
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