<トルコ・TURKEY>

    <アブダビ経由トルコへ> 
    <トロイ> 
    <エフェソス> 
    <パムッカレ、コンヤ> 
    <カッパドキア> 
    <ボアズカレ、ハットウシャシュ> 
    <アンカラからイスタンブールへ> 


 

 トルコは黒海、地中海そしてエーゲ海に突き出したアナトリア半島の全てとその付け根も含む広大
 な国土を持つ国である。
 上の写真の緑に覆われている部分がほぼトルコ国土であり、面積は78万km2とほぼ日本の倍の大きさ
 である。人口は約75百万人であり、人口密度は日本よりはるかに少ない。
 半島なのだが、我ら狭い国土に住む日本人にとってはまことに広大な大陸の様に思える。
 ほぼ中心に白く見えるのはトゥズ湖で、東西50km,南北80kmにも及ぶ巨大な塩湖でありここで
 取れる塩でトルコ全体の七割の塩を賄っている。この塩湖は機上からも確認出来る。

 今回は2012.5.13〜5.22の日程で、イスタンブール周辺、エーゲ海沿岸、中央アナトリアの主要遺跡
 や観光地を見て回った。全てバスで移動し、その距離は2,485kmに及んだ。

 

 トルコと言うと、何となく軽視しがちで、欧米に較べてマイナーな海外旅行のような気がするが、以
 前エジプト旅行の際にイスタンブールを少し観光した事はあり、今回もそう乗り気ではなく、また期
 待もかけてはいなかった。
 
 ところがである、今回トルコのほんの一部ではあるが、その遺跡や観光地を回ってみてトルコに対す
 る認識を一変せざるを得なかった。「トルコ風呂」「トルコ石」「ベリーダンス」程度しか連想出来
 なかったが、その知識の浅さに恥じざるを得ない。

 日本ではまだ縄文時代でお粗末な竪穴住居に居住していたころ、ここトルコではヒッタイト王国があ
 り、鉄器を利用して高度な文明を開花させていた。ボアズカレのハットゥシャシュのヒッタイト遺跡
 や、エフェソスのエフェソス遺跡の凄さには圧倒される思いであった。クリスチャン・ジャックが書
 いた「ラムセス」(全5巻・角川文庫)によるとヒッタイトの首都ハットゥシャシュは随分と酷い土
 地で、ヒッタイト人は狡猾であると酷く悪く書かれている。しかし実際に来てみると肥沃な土地でも
 あり、人々は穏やかだ。ここで発掘された貴重な品々は他の遺跡同様、ドイツやイギリス等に持ち去
 られている。
 
 親日的なトルコとよく言われる。1887年、オスマントルコの軍艦エルトゥールル号が日本親善訪問の
 帰路、和歌山県沖で沈没したが日本の献身的な救助活動が行われトルコの人々が好印象を抱いたこと。
 さらに長年のトルコの宿敵であったロシアを日本が破ったことで、東郷平八郎や乃木希典に対して尊
 敬の念を抱いたことなどがその原因と言われる。

 根源的なところでは、トルコ人はもともとは中央アジアの匈奴やフン族、マジャール人等の遊牧民で
 あったものが西進し現在のアナトリア半島に定住したもので、遠い昔の先祖は日本と同じ民族であっ
 た事にもよるのだろう。彼らのお尻に蒙古斑があるかどうかは、見なかったので判りませんが?
 現在のトルコ人は、チェスケス人、ギリシャ人、アルメニア人、クルド人等との混血が進んでいて蒙
 古班はあまりないかもしれませんが・・・。
 現地ガイドさんに、あなたはアジア人、ヨーロッパ人と訪ねたところ”両方”です、との回答でした。
 見た目はヨーロッパ人のようでしたがね。
 
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 それでは「10日間のトルコ」を順に振り返ってみよう。



 * アブダビ経由トルコ・イスタンブールへ

 成田空港を遅れて飛び立ったエティハド航空(アラブ首長国連邦国営)は下の様な航路で飛行する。
 12時間15分のフライトだ。
 
















 アラブ首長国連邦の首都アブダビ空港
 バナナ状の管制塔が印象的だ。

 
















 こんな灼熱の砂漠でも、空港内はギンギンに空調が冷やしてあり、ブランド店が構えている。

 
















 ここから東北130kmの地にドバイがある。
 ここドバイにはドバイ政府が保有するエミレーツ航空がある。ここの女性客室乗務員は美人揃いで
 あるらしい。決してエティハド航空のそれが不美人と言うわけではないが・・・。

 ヤシの木を擬した人工島が個性的だ。

 
 (google−earthより借用)
















 空港待合室にあるラクダの置物、ここを集合場所として再集合しイスタンブール行きの飛行機に乗った。

 
















 アブダビ空港

 
















 
















 僅かに緑があるのは、散水区域だけだ。

 
















 飛び立つと眼下に僅かばかりの住宅がある。緑は殆ど無い、砂漠だ。
 こんな所に住めるものなのか?

 
















 
















 アブダビからイスタンブールへの飛行ルート。
 イラクのチグリス・ユーフラテス川沿いに北上し、シリアを避けてトルコ東部へ向けて飛行する。
 眼下に眼を凝らしても、四大文明発生の地の痕跡も見えない。

 今シリアでは民主化の運動が起きて政状は誠に不安定。

 
















 客室乗務員はトルコ人、黒人もいる。

 
















 トルコ東部の湖沼地帯
 窓ガラスの反射光が白く映っている。
 
















 アジアとヨーロッパの境にあるトルコ、そのトルコ最大の都市はイスタンブールであり約1,200万
 人ほども住んでいる。かってはBC 130年頃ローマ時代にはビザンチウムと呼ばれていたが、330年
 ビザンチン帝国が首都をここに定めてコンスタンティノープルと改名した。1453年にオスマントル
 コのメフメット2世がビザンチン帝国のこの都を攻め滅ぼしてイスタンブールと再度改名した。

 イスタンブールはボスポラス海峡を挟んでアジアサイドとヨーロッパサイドに別れていて、ヨーロ
 ッパサイドは金角湾で旧市街と新市街に分けられている。ブルーモスク、アヤ・ソフィヤそしてエ
 ジプト・バザールやグランドバザール等はヨーロッパサイドの旧市街にある。

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 機中泊の眠れぬ夜を過ごした翌日、つまり二日目の13時頃やっとイスタンブールに到着し、早速観
 光が始まった。

 イスタンブール観光

 まずはブルーモスク、そしてトプカプ宮殿そしてグランドバザールである。
 この辺りは「エジプト旅行」にも載せています。

  → エジプト旅行からの帰り/イスタンブール

 ブルーモスク
 ここは今も礼拝されていて、靴を脱いで中に入ることになる。

 



 
















 ここの天井は圧倒的迫力で迫ってくる。
 



 
















 アヤ・ソフィア
 ローマ帝国時代はキリスト教の、オスマントルコ帝国時はイスラム教の聖堂となった。
 現在はビザンチン帝国時代の博物館として修復されている。

 




 ピンク色のマロニエの花が咲いている。
 





 トプカプ宮殿の表敬の門

 




 その門の前に杉とイチジクの木が合体して生えている。

 




  宮殿からヨーロッパサイドの新市街方面を眺める。

 




 ボスフォラス海峡に架かる橋が微かに見える。

 




 




 
















 右サイドがアジアで、左がヨーロッパだ。
 
 




 グランド・バザール入り口

 


 グランド・バザール内部。4000もの店があるという。

 




 色々注意を受けて、いざ買い物だ!
 
 




 やっと足を伸ばして寝られるホテルに到着。
 グランドジェバヒルホテル

 
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 * トロイ、エイドレミット


 イスタンブールのホテルを出て、内海であるマルマラ海に沿って西へギリシャ方面に走るとマルマ
 ラ海とエーゲ海の間にダーダネルス海峡がある。
 その海峡をバス毎フェリーに乗り込んで、僅か20分程度で渡る。

 




 
















 トロイの遺跡である。
 この木場は誰もが見た事があるだろう。
 
 


 中はこのようになっていて、40,50人なら入れるかもしれない。ただ武具を持って大勢が入る
 のは難しいだろう。あくまでも神話の世界の話としておきたい。

 現代では「トロイの木馬」は正体を偽ってコンピュータへ侵入し、データ消去やファイルの外部流
 出や他のコンピュータの攻撃などの破壊活動を行う、プログラムとして有名である。

 




 このトロイ遺跡は大層古く、BC3000年〜4000年もの昔からの遺跡で、9層にも重なった遺跡である。
  
 




 




 古い層のレンガは朽ち果てている。

 




 



 
 「夏草の寂しく揺れるトロイかな」

 
















 トロイから今晩宿泊するエイドレミットまでは僅か95kmであるが、相当な山路を行く。
 このアドリナというホテルは温泉である。 

 




 こちらの温泉は水着で入る。早速、水着とキャップを購入した。

  

















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 * エフェソス、パムッカレ

 温泉で英気を養った翌日、エーゲ海を右手に見ながらエフェソスへ向かう。

 




 エーゲ海の海は紺碧で、レスビアンで有名なギリシアのレスボス島も遠望される。 

 
















 この手の安いツアーには、旅行会社と契約している販売店立ち寄りが何回も必ずあるが、買う興味
 のない店に連行されるのは辛いものだ。
 この店はトルコ石の店だ。

 




 仕方がないので、近辺の草花でも撮ろうか。

  




 
















 アルテミス神殿跡
 1本の円柱と遺跡の廃墟が残る。かつては古代世界の7不思議の1つとされた神殿跡(規模が壮大
 なため不思議の一つとされていた)。紀元後の356年の火災やその後の戦乱などで廃墟となり石材も
 他の建築物として転用された。

 遺跡のてっぺんにコウノトリが巣を掛けていた。子育てが終わるとアフリカへ帰るのだそうだ。
 

 





 エフェソスで昼食


 チョップシシの昼食。チョップシシとは牛肉を串に刺して焼き鳥風に焼いたもので、最上段に脂身
 が刺してあります。牛肉だけだとパサつくからだそうです。
 それにしても牛肉の小さいこと、細切れ肉のよう!

  




 食堂の裏庭は綺麗に整備されている。

  



 ここには古い機関車などが展示されている。

 
















 エフェソス遺跡

 とにかく驚かされる。ギリシャ様式の遺跡が辺り一面にゴロゴロしているのである。図書館、市場
 広場、野外劇場、浴場、トイレ跡などの遺跡が小高い山間に散乱している。

 エフェスは紀元前11世紀に古代ギリシャにより建設された。
 それもそのはずで、トルコのこのエーゲ海沿岸一帯はギリシャからエーゲ海を隔てて僅か300kmほど
 しか離れていないのである。

 



 見上げると、山肌のあちらこちらに遺跡が顔を覗かしている。ちょっと掘るとざくざく出てきそうだ。 

 
















 流暢な日本語を喋るトルコ人ガイドさんの説明は受けたが、あまり覚えていない。このガイドさん
 は一見ヨーロッパ人的に見えるが、「あなたはアジア人ですか、ヨーロッパ人ですか?」と質問し
 たところ「両方です」との返事であった。どうも母方がヨーロッパで父親がアジアであるらしい。
 このようにこの地はアジアとヨーロッパの接点であり、人種的にも融合が進んでいる地域である。

 
















 この小音楽堂の座席数は1400名ほどもある。欧米の観光客も多い。

 




 クレディア通り:両側は商店街跡、先端にセルスス図書館が少し見える。

 
















 この石組みなどはインカのそれに匹敵するような精巧さである。

 



 



 
















 山の上の方にも未発掘の遺跡が覗いている。

 




 この柱なども典型的なギリシャ様式である。

 




 ここに豊穣と多産の神「アルミテス」女神があったそうで、博物館に展示されている。

 




 メミウスの碑:ローマの独裁官スラと息子ガイウス、孫のメミウスと三代にわたるエフェスの支配
 者を祭っている。

 


 


 
















 勝利の女神 ニーケー(NIKE)。英語ではナイキと読み、スポーツのナイキ社のマークはこの女
 神の羽からデザインを採用している。

 ホンダのオートバイもニーケの女神の羽をエンブレムに利用している。
 
 




 ポリオの泉
 エフェス市民の水がめとなっていた貯水槽

 




 ドミティアヌス神殿
 ローマ皇帝ドミティアヌスが自身を祭るために建造

 




 
















 ヘラクレスの門、石柱に獅子の毛皮をまとっているのがヘラクレス。観光客が両手を広げている。

 




 トラヤヌスの泉、皇帝トラヤヌスに捧げられた泉

 
















 クレディア通り
 ここは富裕者の通りだそうで、路にはモザイク模様のタイルが敷かれている。

 



 



 ハドリアヌス神殿

 




 アーチ中央が女神ティケ

 
















 公衆トイレの跡、下に水が流れている水栓トイレ。トルコ観光地のトイレは大体1トルコ・リラの
 有料が多い。このトイレの方が清潔だったろう!
 冬はトイレが冷たかったので、奴隷が座って事前に暖めてから、主人が用を足したとか?

 

  


 セルスス図書館 
 アレキサンドリア、ベルガマと並んで、ギリシャの三大図書館とされる。
 
 



 図書館の彫刻も素晴らしい

 





 
















 広大な野外劇場、紀元前3世紀に完成されたとされる2万5千名収容の大劇場跡。

 



 パノラマ写真ではこうなる。

 


 
















 アルカディアーネ通り
 古代の港へ向かうための道路。幅11m 長さ500mもある。 
 ここも何故衰退したかというと、トロイと同じように海面が後退してしまったからだという。
 かってはこの道路の先まで海があったのだそうだ。クレオパトラやシーザーも通ったとか?

 




 発掘はこのように進んではいるが、遅々としたものだ。

 どうもヒッタイト時代、ペルシャ時代、ローマ時代、ビザンチン時代に築かれた遺跡は、11世紀に
 中央アジアからやってきて現代のトルコの基礎を築いたトルコ人にはあまり関心が無いのかも知れ
 ない。オスマン・トルコ以降には関心、興味は大いにあるようであるが・・・。
 
 テュルク系民族(Turk)は、かって主に中央アジアを中心に広大な地域住むテュルク語を話す遊牧
 民であったが、現在ではアナトリア半島に定住するトルコ人のことで、13世紀初頭からの蒙古の
 勢力拡大につれて次第に西進し現在のこの地に落ち着いた。蒙古は日本への元寇(1274年の文永の
 役、1281年の弘安の役)に際しても、高句麗を属国にして多くの高句麗兵を日本侵攻の為に利用し
 たが、ヨーロッパ侵攻に際しても同様に征服地のトルコ兵を多く徴用している。

 元寇に際しては日本は神風(台風)によって救われたと言われている。ヨーロッパでは東欧諸国が
 蹂躙され多大な、信じられないほど残虐な侵攻がなされ(ブルガリア、キエフ、ハンガリー、ポー
 ランド、オーストリア等)、ヨーロッパ全土が蒙古帝国に陥るほどの勢いであったが、その寸前
 1240年にオゴタイ・ハンの死去により救われたとされている。または遊牧民の蒙古には鬱蒼と茂る
 ヨーロッパの森は魅力がなかったのではないかとも推察されている。
 
 ここトルコでは、アナトリア半島の西側1/3ほどが辛うじて蒙古の侵攻から免れた地域である。そう
 いう歴史的経緯や宗教的関係があるからだろうか、どうもトルコの人々はギリシャ、ローマ時代の
 ように前史にこの地を支配し、高度な文明を花開かせたものには冷淡なのかも知れない。

 




 




 やはりここでも土産物屋が沢山あって、”3個千円”をやっている。 

 

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*パムッカレ、コンヤ


 パムッカレのホテル「サーマルホテルパム」は高台にあり、温泉が自噴している。
 このプールも温泉で、自噴した温泉が直接流れ出る露天風呂と、室内の温泉プールがあり、やはり
 海水パンツを穿いて入った。

  
















 ここは石灰棚を見上げる公園からの景色

 




 石灰の白、湖、空が見事である。

 




 湖には鴨と小鴨、そして沢山の魚が泳いでいる。

 
















 石灰棚

 



 先ほどの湖を上から見下ろす。

 




 ヒエラポリス遺跡の全体

 




 ヒエラポリス遺跡の一部

 
















 石灰棚の動画。通常はもっと水(温泉)が溢れているそうだが、今日は水は少なかった。




 コンヤへ向けて410kmのロングドライブ、途中ここでトルコ風ピザの昼食。 

     



 山には残雪が残っていた。この街道の両側にはサクランボが行けども行けども植えられている。
 背後は「王様の山」だとか、トルコの最高峰はイラン国境に近くにあるアララト山で5,137mも
 ある。ここにあの「ノアの方舟」が流れ着いたのだそうだ。

 



 このアララト山の「ノアの方舟」については、紀元前3世紀頃から現在に至るまでその痕跡探しが
 続けられていて、最近のものでは『2010年4月27日アララト山の山頂付近(標高およそ4000メート
 地点)で、方舟の木片を発見。炭素年代測定を行ったところ、ノアの方舟がさまよったとされる
 今から4800年前と同時期のものであることが確認。発見された構造物はいくつかの部屋らしきもの
 に分かれていたことから、普通の住居の残がいなどではあり得ないと結論。(標高3500メートル以
 上で人の住まいが発見されたことは過去にない事由による)』(Wikipediaによる)と諸説ある。

 アララト山はこの様な山である。(Google-Eerthより)

 

















 コンヤ市内のメブラーナ博物館

 



 
















 コンヤのデデマンホテルに宿泊
 ホテルの前に大きなスーパーがあり、果物等買う。
 メロンが安かったので購入しホテルで食べる。

  




 久し振りにホテルでちゃんとした夕食を食べる。美味!?
 トルコ料理はフランス料理、中国料理と並び称される世界三大料理なんだそうだが?

 

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*カッパドキア


 カッパドキアを創りだした火山
 これは3,268mのハッサン山

 




 こちらは3,916mのエルジエス山

 
















 コンヤからカッパドキアに向かう途中でスルタンハーヌ(隊商宿)を見学。

 


 
 これは近くの民家だが、太陽熱温水器とドラム缶ほどもあるタンクが設置されている。それと煙突
 があるこれはどこに行っても同じであった。台湾では煙突は無かったが温水器があった。

 
















 ここはトルコ絨毯工房。
 実に巧みな日本語を喋る説明員(公務員だそうだ)兼販売員がいて、少々高額な絨毯を買わされる
 ハメになった。

  




これが20日後に我が家に届いた絨毯。確かに裏にサインしたものでした。

 






 昼食は洞窟レストランで摂った。

 



 これがその内部客席

 




 民族音楽を演奏していた。

 




 昔、日本の農家は大抵こうして鶏を離し飼いしていたものだ。

 
















 カイマクル地下都市
 1.5万人ものキリスト教徒がイスラム教徒からの迫害を逃れて地下に隠れ住んだ。

 




 




 狭くて低い通路に何度頭をブツケタ事か!

 




 外には土産物売家がづらリ、皆ここで土産を”カイマクル”! 

 
















 ウチサールの塔

 



 
















 パジャバーの奇岩
 お馴染みの異様な風景を沢山撮った。

 



 



 



 



 



 



 



 



 
 


 
















 クルチュラル谷

 




 ローズ・バレー 

 




 デヴレントのラクダ岩
 世界中何処へ行っても、あの岩は「亀石です、鶴です、龍です・・・」の類のこじつけが必ずあり
 それを観光の目玉にしているものである。例外は台湾・故宮博物館の「翠玉白菜」と「肉形石」で
 しょう、人の手が加えられてはいるが自然物を生かした点では秀逸である。

 


 チューする岩

 



 三姉妹

 
















 地下の陶器工房
 このアインシュタイン似のおじさんは、有名な陶芸家らしいのです。
  様々な陶器を展示販売している。

  



  


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*ボアズカレ、ハットゥシャシュ

 ボアズカレから古代ヒッタイトの首都であったハットゥシャシュに入った。
 紀元前18世紀というから相当に古い。

 石の先端にわずかにライオンの顔が残る。

 



 何に使われたのだろうか?

  



 神殿の跡

 
















 正面の新しい城壁は復元されたもので、日本の援助で作られた。
 上部の三角の模様が特徴的である。

 




 寺院の説明書き

 






   



 謎の青い石。触るとご利益があるとか・・・。

 




 ライオンの門

 





 



 王の門

 




 
















 地元の小学生だろうか?見学に来ていた。

 
















 ヤズルカヤ遺跡
 ここは谷間になっていて幾分保存状態が良い。
 左右の岩に神々が彫られている。

 



 



 12人の黄泉の国神の行進

 



 息子を抱くトゥトゥハリヤ4世

 



   

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*アンカラ、再びイスタンブール


 アンカラはトルコの首都である。人口は370万ほどで、イスタンブールに次ぐ第二の都市。

 アンカラ城塞

 




 城塞の反対側には丘の上まで家が並ぶ。

 




 城塞の近くには酷いバラック状の家も沢山ある。

  
















 アンカラで泊まったエセンボアホテルとその前にある巨大なサッカー選手の像
 土曜日だったからか、結婚式があって、ホテルの宴会場で賑やかな(うるさい)披露宴が夜遅くま
 で繰り広げられ閉口した。

  




 

















 イスタンブールまで450kmのロングドライブ。
 途中ドライブインで休憩、子供が親しげに寄って来る。        トルコには猫が多い。
 
  



 いろいろな菓子類を売っている。                  これは柘榴の花。

  



 大穀倉地帯でもある。                       何処に行っても尖塔のあるモスクがある
  



  
















 これは相当高いビルだが、構造がいけない。ラーメン構造なのだろうが、鉄筋が細く少ない。
 これでは耐震にならないだろう?地震が来る毎に何万も死ぬというのに、これではダメだ。

 5階建ての家が沢山あるが、殆どが同じ構造である。間口は狭いから多少の耐震性はあるのだ
 ろうが、壁はレンガを積み上げただけで、肝心の柱や梁は頼りない細い鉄筋が僅かばかり入っ
 ているだけで、震度6でも危ないと素人目にも分かる。せめて一階部分は壁構造にするとか、
 鉄筋・鉄骨で補強すべきである。

 
















 チャムルジャの丘

 



 アジアサイドにあるイスタンブールで一番高い所。(標高267m)
 チャムルジャの丘で結婚式を挙げるカップルも多く、今日も花嫁が居た。
 よく見ると車は韓国の現代だ。
  


 
















 ボスフォラス大橋を通ってヨーロッパサイドに帰る。

 イスタンブールには黄色いタクシーが沢山走っている。イタリアのFIATが大半だが、
 韓国のKIAも幾らか走っている。日本車はトヨタと日産がチラホラである。
 ここでも韓国の現代が大きな販売店を構えていた。まだ車は少ないようですが。
 いづれ韓国車が席捲してくるだろう。

 




 ヨーロッパサイドの新市街と旧市街を結ぶ金角湾に架かるガラタ橋の上は釣り人で満員。 
 小さいアジを沢山釣っていた。

 
















 エジプシャン・バザール

  




  




 
















 魚市場

  




 魚市場から道路一本を中に入ると、狭い通路の両側に魚料理店がづらり並ぶ。

  


 魚料理を食わせる店で鯖料理を食べた。
 そう言えば、鯖サンドがトルコでは有名で、最終日朝食は鯖サンドだった。鯖が半身まるごとフラ
 ンスパンに挟んであり、これにかぶりつくのである。イケます!

 
















 最後のホテル、ラマダプラザ

  



 ボスフォラス海峡のクルージングはこの船を借り切りでやる。

 




 




 




 
















 ボスフォラス橋。

 




 




 




 
















 船内はこうなっていて、土産物も売っている。
 皆、上甲板に出て景色に夢中。一人添乗員さんが予定チェック中でした。

 



 ルメリ・ヒサール。僅か4か月で1452年にメフメット二世が建築した要塞。

 




 第二ボスフォラス大橋。日本のODAで建設。 

 




 
















 若狭湾伊根の舟屋のように、船を家に引きこむ造りのものもある。

 




 乙女の塔

 
















 ボスフォラス海峡クルージング動画






















 最後にイズニックタイルで有名な、エジプシャン・バザールの直ぐ側にあるリュステム・パシャ・
 モスクを訪れた。規模は小さいがオスマン建築の最高傑作である。

 ブルーモスクは巨大過ぎて見上げるので疲れる、ここのモスクは丁度良い大きさである。
 入り口は金物店があったりして分かりにくい。

 




 




 
















 靴を脱いで中に入ると、イズニックタイルで埋め尽くされたモスクである。

 




 




 
















 このモスクは、リュステムパシャが、彼の奥さんのために建築家マミールスイナンさんに頼んで
 1561年に完成したものですが、今でも当時の美しさがそのまま残っている。

 様々なイズニックタイル。
 帰国後写真をタイルに詳しい知人にお見せすると、「凄いもの」だそうです!

 




 




 
















 




 




 
















 アブダビの空港で乗り継いで、一路成田へ。帰りは気流のせいだろうが早い、早い。
 北京上空だと思っていて、数独の超難関をやっていたらやっと2問解いたところで、
 もう着陸姿勢に入った。

 USAパーキングで車を受け取って、本日開業のスカイツリーを見ながら首都高を走
 ろうと思ったら、雨模様で全く見えず。

 値段の割には、コストパーフォーマンスのいい旅行でした!

  
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