* 屋久島の杉と台風 *  

 屋久島へは鹿児島空港で飛行機を乗り継いで行くのが早い。04年8月26日木曜日
鹿児島空港は快晴であった。鹿児島空港を飛び立った小型のプロペラ機が鹿児島
上空をすぎて水平飛行に入ると、その眼下はもう開聞岳上空である。
 それから20分程度も飛行すると、もう機首を下げ始め、アッと言う間に着陸
してしまう。屋久島の小瀬田にある小規模な空港は、それはこじんまりとしたも
ので、日に5便程度しか飛び立たない。
日産マーチのレンタカーを借りて、信号機の殆ど無い島周回道路を40分程走 ると平内地区に「望海苑・岡田」と言う民宿がある。聞けば、関西からの移住だ そうだ。この地区の多くは東京や大阪からの移住者が多いとの事。この民宿の主 人は大阪の方で料理をされていた方らしい。料理は従って当然うまい。奥さんも 関西人らしく合理的である。民宿の前は大海原、背後は急峻な山塊が迫っている。 この平内を先に進み、島の最南端を過ぎた辺りに「大川(おおご)の滝」がある。  屋久島の北端を境にして東が太平洋、西が東シナ海となる。台風の通り道でも 有る。台風16号は奄美大島と屋久島の間を北上し、つまり太平洋側から東シナ 海に少しばかり入って極めて遅い15km程度でのろのろと進み、鹿児島の薩摩半 島へ上陸したのである。暴風域が半径200Kmを越え、940hpの特大の怪物で あった。27〜29日の3日に渡って強風、暴風が吹き荒れ、横殴りの雨が叩き 付けた。
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「大川の滝」の近くには「フルーツガーデン」があり園内の案内をして呉れる。
 「千尋の滝」(せんひろ)は「モッチョム岳」の近くにあり、巨大な花崗岩が  両面に広がる滝である。



 「ヤクスギランド」が安房(あんぼう)から車で40分登った山中にある。
 安房は屋久杉の切り出し港がある処で、昭和45年頃までは盛んに屋久杉の伐
採と貯木、加工がこの近辺で行われていた。現在は世界遺産に登録されているの
で、伐採等は勿論行われない。江戸時代の残材である土埋木を利用した木工品作
りが行われている。島の人口も多い時は約2.6万人あったが、現在は半減して
いて約1.4万人である。

 「ヤクスギランド」から車で更に20分山奥に入ると「紀元杉」がある。これ
も大層な巨木で幹の周りを見学用デッキと階段が取り巻いている。道路に猿が居
て、果敢にも車のフロントガラスに登って来て餌を要求する。
  
   
  翌朝は4時30分にレンタカーで民宿を出て、いよいよ縄文杉を目指して登山を
開始する。今回は荒川登山口入り口の道路が崩壊し、屋久杉自然館に車を置いて、バ
スで登山口へ向かう。ここからトロッコ軌道を2時間程歩く。鹿にも何度か遭遇した。
 
 途中、鉄橋が幾つもあり、巨丸の岩石が川にゴロゴロしている。これは山から落ち
て来たもので、この直径10m位の巨岩が水に流されて角がとれ丸くなるそうで、そ
のかけらが海岸に小石となって河口から広がっているとのタクシーの運転手さんの説
明だった。

「屋久島自体が巨大な花崗岩から出来ており、約14,000年前頃に地中のマグマ
が冷えて固まって花崗岩となりそれが隆起して海底の堆積岩を突き破り1,500m
から2,000mもの高さまで達したとされている。火山島ではないので、温泉は少
ない。島の中心は花崗岩で、海岸に僅かばかりの平地があって、そこは堆積岩である
が少しばかりの農業が行われている。人家はすべて海岸近くの平地にある。」
 これらは、後に台風に閉じ込められて、停電しクーラーも無い薄暗い部屋で読んだ
民宿の本に記載されていた。
 
 大株歩道入口からはトロッコ軌道を離れていよいよ登山開始となる。
最初はハードな道が15分程続いて「翁杉」に到着し、更に5分で「ウイルソン株」
にたどり着く。台風16号の影響で雨も相当降って来たが、鬱蒼たる樹木が頭上を
覆っているので、雨に直接当たることは殆ど無い。
 
 この辺りまで来ると、木道が7割方整備されており相当登り易くなる。
さらに1時間程登ると「大王杉」にやっとの思いで到着する。もう限界かなと思うが
折角きたのだからと黙々と歩を進める。途中、下山の人に聞くとあと1時間強かな!
との返事。うんざりしながらも歩を進め、あと30分で着きますよ!との下山者の声
に励まされ、もう少し、もう少しと頑張る。
 

「大王杉」を過ぎて暫く進むと「夫婦杉」が出て来る。この辺りで標高1,200m。
 

  最後の力を振り絞って木道や岩や巨大な根をよじ登ると、やがて霧の向こうに「縄
文杉」を保護するための見学デッキ用の階段が見えてくる。見学者が根を踏んで杉が
衰弱しないように、幹の周りに近付けないようにしてある。この辺りで約1,300
mの標高。
 兎に角、感激しながらまずデジカメにその巨木を納める。あらゆる角度から撮った。
少し先に休息小屋があり、10人程が休めるようになっている。そこで民宿で用意し
て貰ったおにぎりを食べる。朝、昼ともおにぎりなので、1人前6個もあった。余っ
たので川崎の方から来たと言う学生におにぎりをあげると大層喜んで食べてくれた。

 高塚避難小屋が5分ほど登った処にあり、そこにトイレがある。用を済ませて、再
度「縄文杉」まで引き返し、しっかり目に焼き付け、再度デジカメにも撮って下山を
開始した。
 

  1980年(宝永5年:綱吉の時代)イタリア人宣教師ヨハン・バティスタ・シド
ッティが民宿の近くの小島地区に上陸している。上陸地点に記念碑が道路脇に立って
いる。海岸近くには小さな教会もある。
  キリスト教に関する知識は無いので良く分からないが、同宣教師が捕縛され江戸に
連行されて新井白石の尋問を受け、それが元で日本の洋学勃興を導き出す先駆的業績
となった事にはいたく興味を持った。結局シドッティは日本での布教活動は出来ず、
獄中死している。アーメン。

シドッティ神父については下記URLが参考になる。

http://www.pauline.or.jp/history/history08.html

http://www.asahi-net.or.jp/~dr4t-ogw/sayuri/txt_acta/sido.htm


 「台風16号」に遭遇  ・・・ 下図は16号の経路である。  
  

  26日のニュースで、気象庁の発表は
  ”台風の中心気圧は930ヘクト・パスカル、中心付近の最大風速は50メートル、中心から半径
 200キロ以内では、風速25メートル以上の暴風が吹いている。29日から30日にかけて奄美
  諸島から西日本に接近する恐れがあり、同庁では暴風、高波、高潮に警戒するよう呼びかけている。”
  となっていた。 


	
  8月27日に縄文杉登山から下山し、5時半頃は尾之間温泉に入っていたころは台風の影響はさ
  程無かった。6時半過ぎに民宿で多すぎるほどのご馳走を食べていた頃ものんびりと構えていた。
  ところが、夜半から風雨が強くなり、朝起きると(28日)既に強風域に入ったことをTVがやっ
  ていた。当初屋久島から鹿児島へ高速船(トッピー)で渡る予定だったが、これら船舶は悉く欠航
  となってしまった。急遽飛行機のキャンセル待ちに切り替えたが、28日13時30分の便で予約
  が出来た。風雨をついて空港についてみると、当日の便は朝から全便欠航で一機も飛んでいなかっ
  た。
   足を断たれた旅行者が唯一航行の予定がある飛行機に望みを託して空港に来ており、当然キャン
 セル待ちは増加するばかりであった。もともと50〜60人乗りでしかないのに、キャンセル待ち
  が150人にも達しており乗れるハズはないのではあったが・・・。
   祈る思いで待っていると、風雨をついて北の空から機影が見えた。皆大喜びしたのも束の間、無
 情にも着陸出来ないとのアナウンスと共に鹿児島に引き返してしまった。屋久島空港には飛行機は
  無く、飛来したものに乗り込むしかないのである。空港と言ってもバスターミナル程度のもので、
  給油施設も無いそうである。仕方がないので、元の民宿まで引き返し、そこで台風の通過を待つこ
  とにした。
 
   28日・29日9時(殆ど動かない)奄美大島の南東100km近辺にあった台風16号の暴風圏
 は半径200km以上もあり、気圧は940ヘクトパスカルと強大で、それから2日間は外にも出
  られない程の暴風雨であった。やがて停電となり、クーラーは止まり、雨戸は閉められ暗闇でごう
  ごうと言う音に怯えて過ごすハメになった。頼りは通勤時に聞いているポケットラジオだけで、電
  波が弱いのか辛うじて聞き取れるだけだった。
   29日早朝はたしかオリンピックの男子マラソンがあり、日本人はトップ集団にはおらず、先頭
 のブラジル人にトラブルが何か生じたのを聞きながら、睡魔が恐怖に勝った。翌30日も相変わら
  ず強風であったが、昼前には雨戸が開いてやっと明るくなった。電気も来てTVもクーラーもやっ
  と使えるようになった。
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