***『09年02月エジプトの旅』***


<目次>
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が小さい場合は写真表示に時間が掛かります。(タイトルバー表示が運動中)

はじめに

一日目・成田→イスタンブール→カイロ

二日目・カイロ→アレキサンドリア

三日目・アレキサンドリア→カイロ→アスワン

四日目・アスワン→アブ・シンベル

五日目・アブ・シンベル→アスワン

六日目・アスワン→コム・オンボ→エドフ→ルクソール

七日目・ルクソール→カイロ

八日目・カイロ

九日目・カイロ→イスタンブール→成田

おわりに







<はじめに>

世界四大文明の発祥の地の一つであるエジプトは、予てから訪ねて見たい地であった。
紀元前5,000年頃まで遡るこの文明は多くの遺跡を残しており、なお現代でもその時代
の様子がを文字で解読出来、遺物で確認できる点に興味が尽きない。

エジプトのあらゆる所で出会う ラムセス2世。
エジプトの北部から南部まで、至る所にラムセス2世の名前や建造物が残されている。

アブ・シンベル神殿の4体の巨像の内の2つ



カイロ考古学博物館のラムセス2世のミイラ 

ここでは写真は厳禁で、入り口で写真機は預けるようになっている。
この写真はだから借り物です。
でも写真を取った御仁がいて、猛烈に叱責され相当な罰金を払わされていた。
しかも日本のご婦人だよ、事前に注意されていたにも関わらずです・・・
3200年も前のミイラは、今尚エネルギーを発散し続けている様にも見える。









映画「十戒」のユル・ブリンナー演じる ラムセス2世
1958年公開の「十戒」のビデオを見直してご覧なさい、そうだよ、あのチャールトン・ヘストン
演じるモーゼが海を割って逃げる映画ですよ!





ラムセス2世
彼は身長180cm以上、90歳まで生き、500人の妃と150人を越える子供がいたとか?
実物のミイラがあり、象形文字が沢山残されているので、事実に近いのでしょう。
彫刻で見る限り、ユル・ブリンナー顔負けのハンサムだ。ミイラは見る影もないが!



下記の2点は、エジプト旅行前後にお勧め出来るものです。

☆ お勧めHP →吉村作治エジプト博物館

☆ お勧めの本→太陽の王・ラムセス(クリスチャン・ジャック著、角川文庫全5冊)

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<主な訪問先>
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アレキサンドリア  カイロ  アスワン  アブ・シンベル  コム・オンボ
エドフ   ルクソール(旧テ−べ)   イスタンブール(トルコ)     _


Googleの地図で見られる様に、エジプトはナイルの流域と河口のデルタにのみ発達している。
国土の94%は砂漠で、ナイル流域とその河口のデルタに人々は暮らしている(人口7,600万人)。



ナイル川は世界最長の川で6,695kmもある(2位はアマゾン川。)
スーダン、エチオピア等9か国に渡って流れていて、エジプト流域は1,500kmほどに過ぎない。
草木が殆ど無いエジプトにこれほどの大河が流れているのは、上流のエチオピア高原やビ
クトリア湖から水が絶えず供給されるからだ。











<一日目・成田→イスタンブール→カイロ>

14:25成田国際空港発のトルコ航空機は佐渡島上空からシベリア、モンゴル、旧ロシア諸国を飛び
続け、黒海でやっと高度を下げて20:45(現地時間)にトルコのイスタンブールに到着した。

ここで乗り継いで、エジプトのカイロに到着したのは2:10、ホテルに入ったのは深夜の3:30だった。


乗り継ぎは、トルコのイスタンブールで、飛行機はトルコ航空だ









成田を出た機は一気に北上し、佐渡島上空を通過してシベリアへ向かう。
そのころ飲み物のサービスがあるが、
イスラムの国では、豚肉と飲酒は原則禁止だ。









ハバロフクスク、イルクーツク、ミヌシンクスを通過し、やがてウラル山脈の南端をかすめて
黒海に入り、ボスポラス海峡の西側にあるイスタンブール空港に到着する。







機内の様子

帰りの機内での事だが、どこかの農協の団体のおじさんの一人が、酒に酔っていたのだろう、トルコ
人のスチュワーデスに”Oh my frend" と親しげにやったものだ。彼女はきっと彼に向き直り、”私は
貴方だけの友達ではない、乗客全員に等しくサービスを提供しているのだ”と英語でまくし立てられ、
理解できたか知らないが、剣幕に圧倒されその後シュンとしておとなしくなった。

















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<二日目・カイロ→アレキサンドリア>

カイロのホテル
 









なんだか薄曇のような、春霞のような大気が街中を覆っている。
後で気づいたが、どうもこれは砂のなせる業らしい。

 


それにしてもアラビア文字は不可解だ!

話はそれるが、このアラビア語を理解する小池百合子さんはどうやって
これをマスターしたのだろうか? その点だけは尊敬出来る。

関西大を中退してカイロ大学を卒業し、アラビア語の通訳が出来ると言う。
政治家としては、細川→小沢→二階→小泉→安倍→中川と「政界渡り鳥」
で信用が置けないが、初の女性首相との声もある?まさかネ?













ホテル前の朝の風景











ロバの馬車が走ったり、日本の40年程前のようなトラックが走ったりと、
雑然、混沌、騒然、無秩序が展開されている。







カイロ市内をバスで少し行くと、いきなりピラミッドが出現し面食らう。
本当に、ビルの間から見えてくるのだ!













7段目位の所から中に入り、相当な急勾配を中腰で登り、大回廊を50mほど更に登って
最後に王の玄室に入る事が出来る。

一日に300人限定での入場制限があるが、玄室は密室で大勢が入ると酸欠の一歩手前の
状態になるように感じる。
幽玄の世界に浸るまもなく、早々に退出。













エジプトのカラスは背中がグレーだよ













ピラミッドは丘の上にあり、その下にゴルフ場があった。

メナハウス・オベロイゴルフクラブでパー68の5,265ヤードの短いコース。
エジプトには11箇所しかゴルフ場はないそうですが、これで十分なのだそうです。
日本にはなんと2,500を越えるコルフ場がある。(米国は7,000を越える)













ピラミッドは近寄ってみるとデコボコ











真ん中のカフラー王の頂上部は綺麗になっているが、かっては全てがこのように
つるつるだったそうだが崩壊してデコボコになるのだそうだ。高さも低くなっている。













見晴らしの丘では、
クフ王、カフラー王、そしてメンカウラー王の3つのピラミッドが一望できる。

ここではラクダに乗る事が出来る。ラクダが立ち上がるとき、急勾配となって
しっかり捕まっていないと落ちそうになる。その高いこと、馬よりも遥かに高い。
その辺を多少回るだけだが、坂を下りる時がまた落とされそうで怖い、怖い。













サイタマからやってきたという脳天気なおじさん、おばさん達・・・

























スフィンクスはカフラー王のピラミッドを守護するために造られた。













後ろはこうなっている。













正体不明の木の花、先端の方に赤い花が咲いていて、黒い実のようなものも見える。
多分コーラルツリー(デイゴ)の一種だろう。













西欧では朝顔が一般に高い位置に設定されているが、ここエジプトでも同様で相当高い。
僕はやっとこさ届いたね!













このレストランで昼食。













エジプトでは鳩料理が有名ですが、その食用鳩はこの円錐形の鳩小屋の中で飼育されている。













これはなんの木なのどろうか?幹に刺が生えていて痛そう。




後で調べると、トックリノキだった。ハイビスカスの様な花が咲く。



カイロからアレキサンドリアへの道















アレキサンドリアの外れ













ナイルが地中海に注ぐ寸前の沼地













待望の?鳩料理。骨が多くて食べるのが大変・・・





















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<三日目・アレキサンドリア→カイロ→アスワン>


エジプトに来て、一番驚いたのが道路だ。とにかく信号が殆ど無い。
しかし車はやたらと多い、しかも路上駐車は当たり前で、中には路上駐車に
車のカバーが掛けてあり駐車場として保管している。

下の写真は地中海を望むホテルの窓から撮ったものだが、早朝は車が少ない
からいいものの、夜などひっきりなしにびゅんびゅん飛ばす車を避けて横断
するのだ!見ているだけでヒヤヒヤする。

カイロ市内のひっきりなしの車を縫って横断する様をよく観察していると、
やはり軽い接触は起きている。でも、そのまま行ってしまう。なんと大らかな!













アレキサンダーがBC332年に築いたアレキサンドリアの町。











カイトベイの要塞、ペルシャやギルシャと対抗した。
ここにはエジプトからも多くの観光客が集まる。













カイロからでも来たのだろうか、元気な子供達













海岸近辺はヨーロッパ的で綺麗だが、少し中に入ると汚く貧しい。













エジプトのタクシーは黄色と黒のツートンカラー













埃だらけの路面電車も走っている













この辺りは無残だ















このあと、キリスト教徒の共同墓地であるカタコンベへ行ったが、写真撮影禁止で
絵はない。

地下に礼拝堂や墓がある。
これは絵葉書の写真













ポンペイの柱















この花崗岩の柱は、800kmも上流のアスワンから切り出されてナイルを運ばれて
来たもので、400本もあったが391年にキリスト教徒により破壊された。













おだやかなスフィンクスが守っている













国立博物館
その前庭には琉球朝顔が咲いていた











収蔵品の数々



















ミイラの内蔵を入れる壺















路面電車













これが今後もしばしば出て来るエジプト料理の昼食















馬車も走っている、後ろ姿は現地ガイドの一人













  昼食を取ったレストラン













おっと、アレキサンドリアと言えば、この方なくしては失礼だろう。
そう、クレオパトラだ。

映画で描かれるほどの美人ではなかったようだ。



左はカエサス(シーザー)、右は部下だったアントニウス。
二人ともクレオパトラの誘惑に負けた。

<










カイロへバスで引き返した、カイロ市内に入るとピラミッドが見えてくる。













香水店でお買い物、写真には鏡に写った筆者のカメラが写っている。
ここで香水を購入。













カイロ駅からナイルエキスプレスでアスワンへ向かう。













駅やその周辺の汚いこと、列車なんて10年ほど洗っていないような外観。
駅で待っている間に2度も停電、そう言えばカイロ到着の夜もホテルが停電。
珍しい事ではないそうな!











しかし、エジプトの鉄道の歴史は古く、日本で新橋・横浜を初めて鉄道が
走ること10数年前に敷設されたのだそうです。
それ以来発達、改善されなかったのでしょう?
















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<四日目・アスワン→アブシンベル>


ナイルエキスプレスと名前は立派だが、設備はお粗末だ。水は出ないし、食事も不味い。
トイレは垂れ流しで、昔の日本の国鉄と同じで不衛生。中は外観ほどは汚くなかったので
やや救われた。

2段ベッドの上段で目覚めると列車はナイルに沿って進んでいた。緑はナイルの側にしかなく
狭いところは数10メートル、最大で15kmだそうだ。畑にはナツメヤシ、サトウキビ、麦、
クローバ、多少の野菜等が植えられている。そのほかは砂漠、草木1本もない山、道路、時
折人家、そして小さな街だ。













終点の少し手前のアスワン駅に、カイロから12時間ほど掛かって着いた。













アスワンの駅前













1902年完成のアスワンダム















1964年完成のアスワンハイダム













このダムは巨大で、堤長3,600m、高さ111mのロックフィルダムだ。
この結果できたナセル湖は長さ550km、面積は5,250 km2で、隣国スーダンまで及ぶ、
まるで瀬戸内海のようだ。琵琶湖の7倍以上だとか。















カイロからアスワンまで来ないと花崗岩が無く、神殿、ピラミッドの花崗岩の石材はここから
切り出してナイルの増水期に運ばれた。カイロまでは900kmもある。
ここには切りかけのオベリスクがある。













アスワンからアブ・シンベルへはコンボイ(convoy護送)方式でしか通行できない。
観光バスもトラックも前後を武装警官の車両に守られ、バスには武装警官が2名 
も搭乗するものものしさだ。

砂漠道路を走っていると蜃気楼が現れる、水が流れたり、島が出現する。













アブシンベルに着いて緑や水を見つけるとホッとする。













これらの植物はみなナセル湖の水を引いて育てている。地中のパイプが見え隠れする。















宿泊したアブ・シンベルのホテル

部屋に入ると、壁にヤモリがいて、妻は大騒ぎ!一晩中電気をつけて眠るはめに・・・













ホテルからはナイル湖が見渡せる。















ナセル湖の水位上昇により多くの遺跡が沈没したが、このアブ・シンベル神殿は
ユネスコによって1968年に少し高台に移築されて水没を免れた。















この神殿は、夜にライトアップされ、光と音のショーが行われる。
日本人が多いときは日本語でもやるそうだ、当日はドイツ語だった。
そのときは、レシーバで日本語で聞く事が出来る。これには訳があって
移築時に日本とドイツの資金援助が大きかったのだそうだ。













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<五日目・アブ・シンベル→アスワン>

早朝に起きだして、日の出の朝日に輝く神殿を見学。

















ここアブ・シンベルには飛行場があり、アスワンと45分で結んでいる。











アブ・シンベルの遺跡、ラムセス2世のものが多い。
このラムセス2世の生涯を描いた「太陽の王ラムセス」は青山出版、角川文庫から出ている。

















アブ・シンベルの遺跡には大神殿と小神殿があり、これは小神殿の方だ。













この神殿の回りは、要所に武装警官が沢山配置されて警護している。テロリスト対策だ。













この地方はヌビア地方と呼ばれヌビア人が住んでいる。
ヌビア人はより色が黒く、友好的で性格も大人しい。この黄色い壁の家はヌビア人の家だ。













この二人はヌビア人。
ヌビア人は旅人が来ると温かくもてなすそうだ。砂漠では互助の精神がないと生きて生けな
いからだ。

また、ヌビア人は仇討ちの風習があり、執拗に何年掛かっても実行するのだそうだ。
仇を討たないと回りから認められないからだそうだ。日本の武家社会と同じだ。

結婚は部族内で行い、エジプト人等との結婚はほとんど無いそうで、もし結婚しな
いで娘を妊娠させたらまず殺される(現地ガイドさん)そうだ。お気をつけて! 













アブ・シンベルの観光が終わって、再度アスワンまで砂漠道路を引き返す。













→砂漠道路の動画は画面をクリック下さい。

アスワンに帰る途中、砂漠道路の終点で、砂漠の砂を採取してペットボトルに詰め込んだ。
本当にサラサラで綺麗な砂です。よろしければお分けしますよ、有料で。
帰国時カイロ空港で検査に引っかかって没収の方もいた。

昼食はナイルの中洲の島のレストランで摂った。
モロヘイヤスープ、ケバブ、コフタ、レンズ豆等













このマンゴーとオレンジのジュースは旨いそうです。















エジプト紙幣の汚い事!汚れてしわくちゃで、とても財布に入れられたものではない。
パピルスのような紙を7000年も昔に発明した民族にしては、どうした事か?
これはまだきれいなほうだ!













食事の後は、ファルーカと呼ばれる帆船に乗って、ヌビア人の歌と踊りで盛り上がった。



















→ ナイル・ファルーカの動画は画面をクリック下さい。

大木の上の方に赤い花が咲いている、名前は不詳。















アスワンのバザールで買い物。
雑貨、衣類、香辛料などが多い。やや汚い、いいや相当汚い。
















ここの香辛料売り場で少し購入。












盛んに声を掛けられる。
”ワン・ダラー、ワン・ダラー””バザールでござーる””やまもとやま”
”安よ、安いよ”、でも大体定価の3倍位ふっけけているようだ!















この魚の漬物の様なものは、一寸すごいナ!
肉は、貧弱な枝肉をぶら下げて売っているが、とても手はだせそうもない代物!

料理で出て来る肉の不味いのなんて、パサパサしていていけませんな!
現地のガイドさんはこの魚が好物だそうだ。
ま、日本でもクサヤとか鮒寿司があるもんな!

















ナイル河畔のいいホテルなんですが、部屋のTVは白黒。

















ホテルからナイルを望む















一日に5回、コーランが大音量で流され、熱心にお祈りをする。
そう言えば、駅の構内にもお祈りする場所があった。













夕食の一部、ナイル河畔のレストラントだったが、まことに不味いものばかり。
多分、お金を出せばもっと旨いものもきっとあるんだろうが・・・



















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<六日目・アスワン→コム・オンボ→エドフ→ルクソール>

現地ガイドのHesham(ヒシャム)さん。日本語が達者、大阪外国語大へ3年間留学だそうだ。
彼は実に日本の事を良く知っていて、しかも歴史にも詳しい。
エジプト滞在中彼が全部ガイドしたのですが、全部暗記して日本語でペラペラ喋る。
父親はトルコ人だそうだ、カイロ郊外の砂漠の新興住宅街に住んでいるとか。
大学の講師もやっているらしい。













アスワンからバスでコム・オンブに向かう。

コム・オンボ神殿
2つの出入り口を持つ神殿















列柱にはレリーフがビッシリと彫り込まれ、かすかな色彩も残る。

















見事なレリーフ



















神殿の奥からナイルが見通せる。













お産のスタイルのレリーフ













ナイル・メーター
ナイル川の水位を読んで、作物の出来具合等を予測した。













鰐のミイラ













遊覧船、ルクソールから来るものだ。













コム・オンボを後にして、東岸にあるエドフに向かう。













ロバの荷車に乗った愛想のいい子供達。













貧弱な家並みや商店が続く。


















どこでも、神殿などの出口付近にはこうした店が並ぶ。













巨大な塔門が残るホルス神殿













神殿の門













ハヤブサのホルス神像













柱、壁、天井にレリーフ、ヒエログリフ(象形文字)がビッシリ。

































再度バスに乗ってルクソール(テーベ)に向かう。
道路の側には、ナイルから引いた運河が延々と伸びている。















やっとルクソールへ到着し、日本食にありついた
日本食レストランで、鮨も出すらしいのだが、日本人スタッフは居ない。
天麩羅と味噌汁とご飯が出た。器はひどかったが、中身は旨かった。

















昼食のあとはカルナック神殿へ行く。
駐車場には沢山のバス













各国の観光客が多い













入り口には聖獣羊の頭のスフィンクスがずらりと並んでいる。
巾113m、高さ43mと巨大な門



















ここも壁面にはレリーフが描かれている。

















しかし、何と言ってもここの大列柱は凄い!































天井部分には微かに彩色が残っている。















この円柱の存在感はどうだ!















オベリスクの数々、ハトシェプスト女王のものもある。

















オベリスクの頂上はこうなっている。













裏の方にもこうした遺跡がゴロゴロしている。















この人相の良くない警官はけしからん、チップを要求するのだ!
チップと言えば、この国はなにかにつけてチップを要求する。
トイレは勿論、ちょっとした事にもすぐ手を出す。政治が良くないのだ。















これもラムセス2世像、食傷気味だ。















天井に刻まれた模様













全体図









カルナック神殿を後にしてナイル河畔のホテルへ向かう。

暮色のナイル















ホテルのレストランでバイキングの夕食





















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<七日目・ルクソール→カイロ>

バイキング形式の朝食











ホテル併設のプール、遊覧船もここから乗船。











宿泊したホテル











今朝方風が強く吹いて、砂漠の砂を舞い上げたのだろう、黄砂に襲われた日本の風景のようだ。

















2日目にアレキサンドリアへ行く途中に出会ったトゲのある木



アスワンとルクソール間には、このようなクルーズ船が沢山行き来している。
だいたい4日間のクルーズで300ドルが相場。















今日は西岸の遺跡巡り観光だ。
最初に出会ったメムノンの巨像











ここは発掘が続いていて、まだまだ色々出てきそう。











物売りの子供











王家の谷
山の頂上がピラミッドの形















この乗り物で谷の奥へ進む













現在発掘された墓の全体











ラムセス2世の息子の墓











発掘現場
作業がのろのろと行われている。



























ツタンカーメンの墓
この墓はこじんまりとしているが、保存状態は良好で、
中には棺とミイラが置かれている。
カメラは持ち込み禁止。
カイロの博物館に多くの遺物が展示されている。















ツタンカーメンの墳墓から出てきた至宝の数々、
これらはカイロの博物館に展示されている。















































王家の谷の手前にある貴族の墓群











ここはあの忌まわしいルクソール事件が起きたハトシェプスト女王葬祭殿である。1997年11月17日午前
9時頃、イスラム原理主義のテロリスト6人が、無差別射撃で観光客を襲撃し日本人観光客等61名を殺害
した。日本人は新婚さん7名と老夫婦2名、添乗員1名の計10名が殺害され、他にスイス人、ドイツ人51
名が殺害される惨劇だった。犯人は銃乱射の後、銃弾が尽きると短剣で殺害し、犯行後タクシーやバス
を強奪して逃亡を図ったが、住民や警官隊に行く手を阻まれ、最終的には全員射殺された。日本人はJT
Bの「エジプト・ギリシャ10日間ツアー」客だった。

事件の背景は、エジプトの重要な観光収入をテロによって激減させ、もって政府に打撃を与えて政府へ
の不満をあおって政府を転覆せしめて、イスラム原理主義政権樹立を目論むものであった。

この事件後、観光客は激減し、エジプト政府は観光収入の大きな減収に見舞われた。そのため、イスラ
ム原理主義者の掃討作戦を実施し、主要な観光地の警備を強化した。アスワンからアブシンベル間のコ
ンボイ(convoy護送)はこうした背景がある。しかし、2005年末に実施された人民議会選挙で、非合法の
ムスリム同胞団(穏健なイスラム原理主義組織)系の議員が大量に当選し、人民議会(454議席)の約2
割にあたる88議席を獲得しているなど、エジプトの政治は安定している訳ではない。高い失業率、貧富
の差の拡大、一日2ドルの収入しかない貧困層が全体の4割もある事等がそれらの背景にあるのではな
かろうか?











神殿は巨大な岩山を背景に壮大に展開している。













柱や壁に古代エジプトのレリーフが描かれている。



























神殿からナイル方面を望む













ナイルを渡って再度東岸に帰る













ここで昼食を摂る。
昨晩かなり風が吹いたせいか、空は晴れているのに黄色いっぽい。
食卓を手で触ると砂がうっすらと積もっている、ナイフやフォーク
も砂が付いているではないか!でもこちらの人は気にも掛けない。















いただけないのは、このムバラク大統領のど派手な看板である。
1981年にサダト大統領暗殺の後を受け、28年の長きに渡って政権
を維持しているが、例外にもれず政権の腐敗が進行しているようだ。













ルクソール神殿
ここでもラムセス2世が迎えてくれる。





























スフィンクスがズラッと参道に並んでいる、これがカルナック神殿
まで続いていたそうだ。















大列柱廊













ツタンカーメン坐像













アメンヘテプ3世の中庭











キリスト教支配時代にはイスラムノレリーフはシックイで覆われた。













巨大な第一塔門











ライトアップされた神殿













ルクソールからカイロへ戻る。
ルクソール空港



















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<八日目・カイロ>

今日はエジプトの最終日、カイロにあるエジプト考古博物館見学だ。
ホテルの正面にあるアパート、15階ほどだろうが、鉄筋で積み上げただけ。
大きな地震がきたら持たないだろう、素人目にも実に危なかしい積み木細工。

















ホテルのロビー、こちらは鉄骨造り?で大丈夫かな?











ホテルから博物館までの風景
表通りはまあまあだが、一歩路地を入ると混沌、乱雑、猥雑。





















エジプト考古博物館
入り口でカメラを預ける。











その一部

















昼食はナイル河畔のレストランで摂る。













昼食後はハン・ハリーリバザールでの買い物タイム。

帰国後の2/22この場所で爆弾が爆発し、仏人1人が死亡し、22人の
けが人が出た。現政権を倒そうとするイスラム原理主義者の仕業だ
ろう。1997年のルクソール事件、2005年、2006年以来の死亡事件だ。
まだ、テロは根絶されていないのだ。

駐車は道の両側が普通、割り込みは当然、車を縫って道路横断・・・
とにかくメチャクチャ!















西洋の都市に必ずある広場の像











モスク
09/02月のテロはこの広場で発生した。















日本人と見れば、必ず”ワン・ダラー”攻勢。

















貴金属類も多く売っている。















路地は狭く、大勢がひしめきあっている。



















交通マナーはゼロ。















夜はナイル・ディナー・クルーズに行った。
バイキング形式の食事、ここの食べ物は不味くなかった。











船上からの景色











妖しげなダンス















 → 魅惑のダンスの動画は画面クリック下さい。


















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<九日目・カイロ→イスタンブール→成田>

未明の3:30にカイロ空港を飛び立ったトルコ航空1143便は、豪雨の中をトルコ
イスタンブール空港に6時前に舞い降りた。

まずはホテルで一休みし、朝食を摂ってひと眠りした。
ここイスタンブールは、特にボスポラス海峡の西側でヨーロッパサイドなのだ
からか、街は清潔で綺麗だ。建物の色彩も優れている。エジプトが酷すぎた。



















降り止まぬ雨の中を、ブルーモスク(世界遺産)へと向かった。













ここのモスクは実に巨大だ!











青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルー モスクと呼ばれる。











流石に、偶像は全くないし、描かれてもいない。











ブルーモスクのあとはその反対側にあるアヤソフィアへ向かった。















ここは当初キリスト教の教会だったが、オスマントルコ支配下では
モスクとなったこともある、ここも世界遺産だ。
だから、キリストの絵画もある。

















イスラムのものもある。













この穴に親指を差し込んで一回転すると、願いが叶うとか?















海の向こうはアジアだ















ここにはパリから走ってきたオリエント急行の終着駅がある。











最後の買い物











アーケードの両側にエジプシャンバザールがある。

















エジプトのバザールに比べれば、「エジプシャンバザール」だけれども、
格段に清潔だ。















入り口からすぐの左にあるこの店は、立教大学を出た日本人を妻とする方が
経営している。(右の男性)
早口の日本語で、巧みに商売をなさる。















ボスポラス海峡には、日本の技術で2本の橋が掛けられている。
さらに現在トンネルが大成建設によって建設中。













この狭い海峡を沢山の船が通っている。











17:50トルコ航空で成田に向かい、12:30頃無事到着。時差が7時間なので飛行時間
は約12時間だ。

空港近くの駐車場で車を受け取り、家路へ急いだ。






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おわりに

強行スケジュールのエジプト旅行を終えて、このHPを作成していると訪問した
各地、各場所が思い出される。

それにしても帰国直後の09/02/22に発生したハン・ハリーリバザールでの爆弾テ
ロには驚かされた。あの爆弾が仕掛けられたベンチに僕は座ったのではないか!
のほほんと買い物をしていた頃、きっと犯人達は下調べであの場所にきていたに
ちがいなかろう!

1997年のルクソールの大惨事の後も、イスラム原理主義を信奉するテロリスト達
は地下に潜入し、2005年、2006年とテロを行って観光客を死傷させており、今回
も仏人が1名亡くなっている。

テロリスト達の強い思いを改めて感じざるを得ない。振り返れば、現ムバラク大
統領は1981年にサダト大統領暗殺の後を受けて大統領になり既に29年である。
今や、まるでファラオ(古代エジプトの王様)のような振る舞いなのだそうだと、
現地のHesham(ヒシャム)ガイドさんが言われたのを聞いた。
長期政権の弊害があちらこちらに鬱積しているようだ、次男を世襲で大統領に据
える構えも見せているらしい。

ムバラクは就任当初はソビエト寄りであったが、近年は米国・イスラエル寄りと
なったのが、イスラム原理主義者と相容れない関係になった原因であり、今の体
制が続く限りテロ活動は継続されるだろう。エジプトに入って、ギョッとしたのは
至るところにいる警官が拳銃ではなく、銃を持っている事である。治安の不安定
さを感じざるを得ない。

これからエジプトに観光に行かれる皆さん、旅行会社は決して治安の事は十分な
説明はしませんので、それ相応の覚悟をしていらして下さい。それだけの価値が
ある遺跡・遺物は確かにありますから・・・。


   <終り>
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