*** 思う ***

  32.戦後68年も経ったのに   (13.08)

  31.麻生副総理・財務/金融大臣のとんでもない論理(13.07)

  30.データの日付(13.07)

  29.国民総所得・首相的外れ発言(13.06)

  28.脳が変わる生き方(13.06)

  27.なぜ気になる?たった一人の悪い評価(13.05)

  26.冗談じゃないぞ「アベノミクス」(12.12)

  25.山田方谷「理財論」に学べ(12.12)

  24.プリンター・インク(12.09)

  23.”半クエ”(12.09)

  22.”なので”(12.09)

  21.高速道事故増加(12.08)

  20.ドア指はさみ防止(12.05)

  19.俳句の「二つの四季」(12.04)

  18.FT−Bh(次世代トヨタハイブリッドカー)(12.04)

  17.ウエストクッション (12.03)

  16.プリウスに乗ってみて (12.04)

  15.車の泥よけ(マッドガード) (12.02)

  14.甘い日本のゴルフプロ (12.01)

  13.オウムの戦略か? (12.01)

  12.埼玉のヒーロー & 三偉人 (11.12)

  11.開高 健 (11.11)

  10.TTPを再考する (11.11)

  09.また、新聞を替えた (11.10)

  08.地上の太陽・核融合発電 (11.08) 

  07.福島原発の惨状 (11.06) 

  06.安全な技術は無い (11.05) 

  05.南西諸島の安全 (11.02) 

  04.以て瞑すべし (11.01) 

  03.大リーガーのツバ吐き (11.01) 

  02.韓国の台頭 (10.10) 

  01.新聞を替えた (10.10)



























































  32.戦後68年も経ったのに (2013.08.17)

 1945年8月15日に先の大戦は終った。今日は2013.8.17日だから戦後69年目になる。その年の8月に
 生まれた僕も68歳になったが、"戦争は終わった"の 実感は無い。既に戦争は終わっていたし山村
 だったし、まだ幼児だったので戦後体験は分からない。既に人生を終えた同年代人の方も多くい
 るほどの年月が経過したが、未だにアメリカ軍は3.7万人も駐留し続けているし、近隣諸国との終
 戦処理は完了したとは言い難い。

 戦後70年も経とうというのに、日本ではまだ戦争は”終わらない”状況が続いている。駐留米軍は
 3.7万人、土地は3.8万kuでほぼ国土の1%を占有して様々な軋轢を起こしている。アジア近隣諸
 国への謝罪や近隣諸国との領土問題もいつまでも続いている。靖国問題も一向に解決しない。

 毎年この時期だけ、これらの問題が論じられるが、秋口になるともう忘れられて年々棚上げにし、
 先延ばしにされ続けてきた。

 文芸評論家の加藤典洋はこう言う。
 「戦後が終わらないのは、日本が過去の侵略をアジア諸国に謝れず、アメリカが原爆投下を日本に
  謝れないからであり、その二つのトラウマがあるからである。アジアへの謝罪は世代を経るにつ
  れ、いよいよ謝れなくなっていて、「歴史を忘れた民族に未来は無い」とサッカー場で抗議され
  るのである。アメリカが原爆投下で謝罪するにはまだ時間が掛かる。日本は原爆投下のアメリカ
  を赦すのか赦さないのかどう赦すのかまでを含め、きちんと考えるべきである」

 68回目の終戦記念式典で、安倍首相は歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者に対する加
 害責任に明確には触れず、「歴史に謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を胸に刻みつつ国の未来を切り
 拓く」と述べた。その一方で「あなた方の犠牲の上に平和と繁栄がある。片時たりとも忘れない」
 と感謝の念を示し「世界の恒久平和に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう全力を尽
 くす」と述べた。しかし韓国のサッカーファンに言われるように「歴史を忘れた民族に未来は無い」
 のではなかろうか。何かにつけて官邸の「右傾化」の言動が目立ち、しかもそれがアジア以外の諸
 国からも指摘され始めているのは憂慮すべき事態である。

 先の大戦で死を強いられた人々は、現に事実として「犬死に」の状態におかれている。それはあの
 無責任な指導層によって死に至らされ、まさしく犬死にの状態に捨て置かれていること、それが問
 題なのだと白井聡(文化学園大助教)は言う。

 「3.11の福島原発事故を巡って生じているすべてが、強烈な既視感を催させるからである。事故発
  生経緯、不誠実な情報提供、責任の不追及、なし崩しの政策回帰、これら全てが、あの敗戦から
  本質的には何も学んでいない(戦争死は無駄だった)という事実を突き付けている。事故処理計
  画が破綻したのは、東電、国の「無責任の体系」そのもので、その体制で事故処理を計画しても
  末路は見えている。これは68年前と全く同じものが反復されており、自らの致命的失敗を犯しな
  がらも責任追及を恐れてこれを認めず、そのために状況をさらに悪化させるという行動様式を温
  存している。この病根がある限り、あの死者達は犬死に留まり続ける。閣僚が靖国参拝しようが
  しまいがそんなことは全く関係ない。そしてこの状態を作り出し、容認しているのは我々自身な
  のである。死者達を救い出すには、それを倒し破壊するしかない」

  東大の加藤陽子教授は、戦争が起こされたの真の原因と国の説明の異なりを取り上げてこう言う。
  
  「1931年に起こった満州事変では、これを計画した石原莞爾関東軍参謀は、将来の対米、対ソ連
   のために中国東北部を軍事占有する目的で行動した。中国ナショナリズムの高揚に対し、日本
   の満蒙権益を守るために満州事変が起こされたと思われがちだがそうではなかった。条約でも
   秘密議定書でもなく、単なる会議録中の発言を根拠として、中国が条約や議定書を守らないと
   喧伝して満州での武力発動を進めて行った。竹島、尖閣問題を考えるとき、こうした満州事変
   での教訓を、日本も中国も韓国も参考とすべきである」
  「為政者だけでなく私たちもまた、現在を捉え、未来を予測する際に、無意識に過去の事例を想
   定しつつ判断を下すものである。だから想起すべき歴史的な事例をいかに豊かに自らの脳中に
   ファイリングしておくか、それが決定的に重要である」

  なんとも滅入る69年目の終戦記念日である。
  前出の加藤は、紀元前6世紀の「バビロンの捕囚」でさえ58年間だったではないか、日本の戦後
  は「現代のバビロンの捕囚」であると言う。正にその通りで、終戦時生まれの我々は何もせず、
  何も出来ずに捕囚のまま生を終える事になるのだろうか。

                        2013.8.16 毎日新聞・論点より
  

    

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  31.麻生副総理・財務/金融大臣のとんでもない論理 (2013.07.10)  麻生副総理・財務大臣・金融担当大臣がまたやった。  2013年4月10日に公表された youtube をまずご覧頂きたい。空いた口が塞がらない・・・。  要旨は以下のようだ。 --------------------------------------------------------------------------------------  日本はこのまま財政赤字を継続すると財政破たんすると、簿記の基本がわかってない財務省の役人  や新聞の連中などが言うが、そんな事は無い。   ・現在900兆の国債残高があるが、借り手は政府で、貸しているのは国民なのだ。国民が銀行に預  けた金は、銀行は利ザヤを稼いではじめて成り立つのでどこかに貸さなければならないが、年間約  30兆円借り手がない状況になっている。これを放置すればデフレになるので、政府が借りている。  つまり国民が毎年約30兆円政府に貸しているのである。 ・その30兆円の国債は全て円で借りている。その94%は国民が、残り6%を外人が円でで買って  いる。つまり100%日本の国債は円建てで買われているのだ。 ・ギリシャの国債は自国民は30%しか買わず、70%は外国人が買っている。しかし信用が無いの  13%の利息を付けないと売れない。それに較べ日本国債の利率は0.9〜1.0%であり、その  差は13〜15倍もある。日本国債はそれほど信用が高い。 ・100%円建ての国債なのだから、満期になっていざというときは「政府が紙幣を印刷して返済す  ればいい、簡単なことだろ。ドル、ユーロで返済するんではないので簡単なんだ」。 ・15年前に武村蔵相が「財政破綻宣言」をしたが、当時500兆円のGDPで国債残高は450兆  円だった。それが現在500兆円のGDPに対し900兆円の国債残高である。金利は3.2%だ  ったものが現在は1.0%である。財政は破綻もせず、金利はこの20年間で1/3以下に下がって  いる。これは日本の経済力が強い証拠である、国民の努力の賜物だ。。 ・郵便貯金にしても、結局は国が保証しているのだから同じ事であり、外人の投資家はそれをよく理  解していて、左のポケットの金を右ポケットに移したものと見ている。為替レートも少し前の1ド  ル240円が今や83〜85円である。円を持っている事が得なので世界のマネーはそうした事を  冷静に見て判断して動いているのである。  ・・・。 ---------------------------------------------------------------------------------------  どうですか、大丈夫ですか、これを見てのけぞりませんでしたか?  また2013年6月17日の時事通信によると、17日の横浜での講演でも 「日本は自国通貨で国債を発行している。お札を刷って返せばいい。簡単だろ」とやって会場をどよ  めかしたと報道された。  youtubeの言動といい、横浜での講演といい、これは本人は冗談ではなく、真面目にそう考えてい  るとしか思えない。これが副総理・財務大臣・金融担当大臣の講演なのである。  「お金を出し過ぎて信用がなくなったら金利は上がる」とも指摘。際限のない通貨発行には否定的  であることも強調し、そのうえで日本の借金は970兆円に膨らんでいるものの、金利は上がってい  ない。「日本が財政破たんの危機ということはない」と言い切った。と時事通信は伝えている。  まず、財政法で禁じられている「財政ファイナンス」を本気で気軽にやればいい等という発言は正  気の沙汰ではない。中央銀行が政府の財政赤字を賄うために資金を提供する(国債を直接引き受け  ることによって資金を調達する)ことは先進諸国はどこも禁じてやってはいない。日銀がいったん  国債の引き受けなどで政府への直接の資金供与をはじめてしまうと、政府の財政規律を失い、通貨  の増発に歯止めが効かなくなり、将来的に「ハイパーインフレ」を招く恐れがあり、財政法第5条  で禁じられている。  それでも安倍内閣では黒田日銀総裁を任命して、事実上の「財政ファイナンスと為替誘導」を進め  ているが、それでも物足りないと日銀法を改正して政府の意のままに金融政策を行おうと企んでい  る。参議院選挙で安定多数を多分占めるだろうし、財政も金融もやりたい放題となろう。無論、念  願の憲法もでしょうがね。総理・副総理とも大変なお方が国の舵取りをなさっておられるものだ!  どうもこうした世間知らず、常識知らずで親や祖父が総理だのというご家庭で純粋培養のようにし  て生育なされた二世、三世の議員の方々には、御用学者ではなくもっとしっかりしたご意見番が付  き添い適宜にアドバイスでもしないと外国からも信用されなくなるのではなかろうか?  皇室の歌会始の「召人」を長年務められている歌人の岡野弘彦さんの現在を詠ったものに次のもの  がある。 <親ゆづり 祖父(おほぢ)ゆづりの政治家(まつりびと) 世に傲り(おご) 国を  ほろぼす 民を亡ぼす> 安倍さん麻生さんなど心して読まれるとよい。  総理は政府は「輪転機」があるから大丈夫とか、副総理は「お札を刷って返せばいい」等の発言を  聞くと、暗澹とした気持ちになってくる。英語にいくら達者であっても喋る中身がこうも幼稚では  聞いた外人もひっくり返ってしまうのではなかろうか?早々に引退なさって得意なクレー射撃でも  やっている方がいいのではないかと思う。もう一人の方は得意なアーチェリーをやって、たまには  ゴルフでもいいいが、ランチで好きなハヤシライスを食べたあと大好物のアイスクリームでもしゃ  ぶっておられる方が、腸の病気を寛解せしめておくに最善だと思いますがねえ!  麻生さん、我が財務省作成の「財務省・我が国の財政について」でもご覧になるべしです。  無論ですが日銀法も今一度読まれる事をお勧めする。特に日銀の独立性をよく読んで欲しい。なお  麻生さんはお札を刷ればいいと仰っているが、銀行券(お札)は日銀でしか刷れず、しかも独立し  ているので麻生さんの権限ではダメなのです。政府管轄下の造幣局なら貨幣(硬貨)は造れますが  現在の所500円が最高額の貨幣なので、1万円、10万円硬貨でも造らないと無理な荒唐無稽な話。  正確には独立行政法人国立印刷局が日本銀行券を印刷し、この印刷物を日銀が製造費用(一万円札  で約40円、全体では約15円)等を支払って購入している。その時点ではまだ印刷物に過ぎず、  金融機関が日本銀行の当座預金口を引き出して、日銀の窓口から日本銀行券を受け取ると初めてお  金になり、法定通貨となる。貨幣も同様である。なお日本銀行券には強制的債務弁済の強制通用力  があるが、貨幣(硬貨)の強制通揚力は額面価格の20倍までに制限されているので、硬貨の支払  で500円硬貨を21枚(10,500円)使おうとすれば支払を拒否されても仕方がない。  仮に、麻生さんの言われるように「お札を刷って返せばいい」としても日銀が紙幣をタダで差し出  す訳ではなく、国債という債券と交換にするわけで、国債は更に積重ねられてしまうのである。日  銀がお札をプレゼントしてくれると本気で思っているなら、麻生さんは複式簿記どころか、小中学  校の社会科の勉強を国語もそうですが、やり直す必要がきっとある。ま、お金などどこからか湧い  来るものだとの感覚なんでしょう、お二人とも。  結局は税金でコツコツ返して行くしか無いわけである。若しくは政府財産を切り売りするか、商売  をして稼ぐしかないが政府にそんな事は出来るはずはない。最後の手段はデフォルト(債務 不履  行)かハイパーインフレという禁じ手はあるが、これは国民に塗炭の苦しみを強いるものであり、  決してそうならないようにするべきである。       → この頁の最初に戻る
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 検索エンジンで物事を調べるのが当たり前のWeb社会になってきたが、その時に困る事がある。そ


  30.データの日付                                 (13年7月9日)

 検索エンジンで物事を調べるのが当たり前のWeb社会になってきたが、その時に困る事がある。そ
 れはヒットして表示されたものに日付が無いものが多いのである。これでは折角調べてもそれが何
 時の時点のものか判らずデータの価値が無くなるものも多い。

 刻々と変移する為替や株価とか列車や飛行機・船等の運航状況や、気象状況等については日付・時
 刻は必須であって、それらにデータの時刻が無ければ全くのゴミデータである。
 その他のものでも、日付・時刻の付いていないデータは何時現在の事を表示しているのかわからず
 データの価値は半減してしまう。地図のデータ等も最終更新日時の無いものは見ても役に立たない。

 SNSのサイトについては、大概日付・時刻が自動で付与されるので、投稿者が入力しなくてもよ
 いので、内容は兎も角、いつの時点のものかが判るので評価できる。Wikipediaなどでは、記事の
 最下段に「最終更新日時」が載っているのでこれも、内容は兎も角、利用価値がある。

 GoogleやYahooで検索しても、データの日付が無いものは、例え日付は不要と思われる辞書での言
 葉調べ等であっても何時時点のデータであるのかわからなければ良くない。
 個人が書き込んでいるデータは日付の無いものが多い。俳句や川柳の投稿等でも日付は必須である。
 
 


    
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  29.国民総所得(GNI : Gross National Incomes)首相的外れ発言   (13年6月)

    

 安倍首相が13年6月5日政府の成長戦略の発表で、「一人当たり国民総所得(GNI)を10年後に現
 在の水準から150万円以上増やす」と宣言したそうです。そしてそのあと、8日の街頭演説ではこう
 も言ったそうです。「10年間で国民の平均の所得を150万円増やす」と、さらに「10年間で平均年
 収を150万円増やす」と。

 経済のイロハをやった方は百も承知でしょうが、
 
 国民総所得(GNI)は国民総生産(GNP: Gross National Product)と同一のものであるが、
 最近は国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)が経済指標として一般に使われる。この
 GDPに「海外からの所得の純受取(海外からの所得の受け入れを加え、海外への所得の支払い
 を差し引いた)」を加えたものがGNIである。日本は近年海外に巨額の投資を行っていて、海
 外からの利子、配当、収益が大きく、GNIがGDPよりも大きくなっていて、このGNIを経
 済指標とするよう政府は提言している。

 安倍首相は「国家戦略特区」を作って2020年までに海外からの対日直接投資残を現在の2倍にし
 日本のGDPを増やす計画だそうだ。しかし街頭演説では一人当たりGNIを150万円増やすと言
 う。GDPは日本の中での経済規模であるが、GNIはそのGDPに日本の外で稼いだものを加え
 外資企業が日本で稼いだものを減じるのであるが、外国での付加価値の方が大きいのでGNIは
 GDPよりも大きくなる。それを人口で割って一人当たりGNIが増えたと言っても、計算上だけ
 の事であって平均年収が150万円増やすこと等には決してならない。2011年の名目GNIは凡そ
 488兆円だが、その内訳の雇用者報酬(給料に相当)は245兆円で約50%しかない。つまり残りの
 半分は企業所得とか減価償却費などであるので、労働分配率を上げるなら兎も角、現状の企業所得
 の中の給与にまわす部分を増やさない限り「10年間で平均年収を150万円増やす」こと等にはなら
 ないのである。企業の内部留保や一部大金持ちに恩恵があることぐらいだろう。

 アベノミクスもこの手のものに他ならず、株価や円為替相場は以前の状態に逆戻りし始めている。
 それでも選挙目当てで、大胆な財政出動や日銀とつるんだ通貨バラマキや法人税減税等によって何
 とか参院選に勝利して、念願の憲法改定、自衛軍の創設等の右傾化政策の実施に向かわんとしてい
 るように思える。しかし、海外特に米国内では覚めた目で日本の右傾化を警戒し始めている。

 参考までに世界のGDPはこのようになっている。(1$=100円で計算して、数字は名目数値)
 世界のGDPランク(2012年)  米国1,570兆円、中国822兆円、日本596兆円、ドイツ340兆円
 一人当たりGDPランク   米国11位、日本13位、中国87位、ドイツ21位
 

 2013年6月15日の毎日新聞で、浜矩子先生は「国民総所得150万円アップ」的外れの首相発言と題し
 て「矢を放つことことが好きな安倍氏だが、的が定まっていず、そのことに気づいていないのか」
 と激しく糾弾している。
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  28.脳が変わる生き方                       13年6月

    

 このサイトの「思う」の27.に「なぜ気になる?たった一人の悪い評価」の事を少しのせまし
 たが、そこでは生物が生き残る脳のメカニズミとして、危機回避、損失回避等の悪いニュースを
 いち早く察知して対処するという事でした。

 今回、脳科学者の茂木健一郎さんが「脳が変わる生き方(PHP文庫)」を出された。そこには脳の
 ことについて様々な事が書かれている。
 そのは要旨次の様である。

 人間の脳の働きを変え、人間を変える最大の要因は「感動する」ことで、人間を変える劇薬となる。

 1. 人はどこまでも変われる

  ・脳には、私たちが変わることを支える力が備わっている。

  ・偶有性(どうなるかわからない)こそが、脳を生かす鍵である。
   <偶有性とは事物の本質的でない性質。その性質の有無が,事物の何であるかに影響しないよ
    うな性質(哲学)>

  ・苦手な脳はない、学ぶ方法を見つけていないだけで、英語や数学が苦手なのはその学習方法を
   まだ知らないだけ。

  ・人生で大事なのは「偶有性の海」に飛び込む事で、異質な何かが来たとき、古い自分を守らず、
   それに挑戦するべきである。

  ・脳は無限に成長する。

  ・人間が変わる一番の方法は感動で、感動したときどれだけ自分という楽器を大きく鳴らせるか
   で、人の器が決まる。

  ・涙は、脳が処理できないほどの情報を受けと取って、オーバーフローしているのである。
  
  ・脳は利他的にできていている。孔子の「七十従心」は無意識も美しくなるという、人間の理想。

  ・「釈迦の無記」とは、肝心なことは、敢えて言わないこと。本音を言ってしまうと多様性を喪
   失し、まがまがしいものが現れる。

  ・弱点を隠そうとすると、回りが重苦しくなる。皆に言ってしまうとお互いに楽となる。弱点を
   ユーモラスに表現すればよい。
 

 2.脳の中に多様性を育む

  ・脳の個性は、本人にもわからない。人生は、それを発見する果てしない旅である。

  ・森の生態系には多様性があるが、人間の文明は無菌状態であり、一つの原理しかない無菌状態
   は脳にとって不幸なことである。

  ・森の中では、たった一つで完結している生物は無い。脳は1000億個の神経細胞すべての役割が
   違い、制御不可能なものである。

  ・異質な人と接することは、自他を映す鏡である脳の「ミラーニューロン」を活性化する。人と
   の繋がりは生態系だから、そのネットワークは、多様性がある方がより成長する。

  ・優れた業績を残す人は、教養に多様性がある。脳のアーカイブに多様性があるほど、創造性は
   豊かになる。

  ・負荷が喜びになるメカニズミを悟った人は伸びる。苦しいが嬉しいという「脳の快楽原理」に
   精通することが、人生の勝負を決める。

  ・自分の欠点を客観化して、ユーモアを持って表現する英米人の叡智に学ぶべきことがある。
 
  ・演劇には、どんな人にも配役があり、人生も同様である。
 

 3.他人を鏡として自分を知る

  ・脳について考えるときに大事なのは、「自分と他人の関係」という視点を持つこと。

  ・落第や失敗は、できなかったこととの対照であり、自分の強みや個性がわかるチャンスである。

  ・失敗を後悔することは、未来を変えるためのシュミレーション。

  ・自分と強烈に異なる人との出会いこそ、ミラーニューロンの働きを通じて、切実に自分を知る
   きっかけとなる。

  ・色々な人の意見を聞き、最後は自分で決めることが大切。

  ・他人と向かい合うときは、いかに自分という楽器を鳴らすかという真剣勝負。自分と遠いもの
   と接して、自分という楽器を共鳴させようとすることが、人生を豊かにする。

  ・他者について、実際に何を言うかは、良いことから悪い事まであるが「聖なる選択」である。
 
  ・他人には、自分には見えていない陰の部分があると知りつつ接することである。

  ・何があるか判らない状況に対応するために、不安や恐怖の感情が進化してきた。


 4.人生を質入れしない

  ・生きるということは「人生の質入れ」をしない限り、ある特定の目的には回収されえない。
 
  ・仏陀は「涅槃とは何か」と問われ続け、ずっと答えずに、最後に見せた。完全な涅槃は、生き
   てるうちは得られない。

  ・「人生の目的はこれである」というどんな説も、生きることの間尺に合わない。

  ・どんな立派な哲学ができても、優れた科学の研究が出来ても一番大事なことは生きるというこ
   との現場にしかない。
 
  ・他人の心は絶対に理解できるものではなく、分かったことにしているだけ。

  ・アイコンタクトの要諦はチラリズムである。ドーパミンが出るのは、「見るか見ないか」とい
   う不確実性があるから。

  ・人生の偶有性は、他人というミステリアスな存在によって、生き生きと回復される。
 
  ・おばさん、おじさんであるというのは、年齢の事ではなく「無意識の垂れ流し」をする人の事。

  ・何を言い、何を言わないか峻別しないのは、化粧もせずに、または白粉を適当に塗って街に出
   るくらい、恥ずかしいこと。


 5.脳に空白をつくる

  ・リアルタイムで情報を処理するだけでなく、自分の内側にあるものを大切に育む時間、ロマンテ
     ィック・アイロニーが大事である。
     
  ・脳は様々な経験を使いまわす。子供の頃に蝶を追った経験が、生き方のヒントの訪れを常に待
   っている。

  ・一目惚れのとき、脳の偏桃体が、大脳新皮質よりも0.1秒早く反応している。

  ・落語には情けない人々が登場するが、笑という奇跡がある。この「下から目線」を持つ人は逆
   境にも強い。

  ・人生で何が起こるかわからないという偶有性を楽しめたら、怖いものはない。

  ・他人と比較した劣等感が、人生の偶有性を楽しむ一番の邪魔であり劣等感を捨て去ることである。

  ・大切な人がいないという事と、現れたということの対比の味わいが大切で、脳が夢見る力を育む。

  ・自分がいる世界に合わせることは必要だが、適応しきったらお終いになる。いかに揺らいでい
   るところを残すかである。

  ・脳にはオープンエンドの性質があり、「自分はこうだ」と決めつけなければいつまでも発展する。
 
  ・人生で重要な決断に迫られたら2秒で決める。答えなど無い。

  ・脳は、出力してみないと、内部にどんな考えがあるかわからない。出力してみることです。

  ・スタープレーヤーになる前の、ダメと思われていた頃のイチローに身を置いてみることが大事。
   落語の「下から目線」


 6.子供の遊びのように学ぶ

  ・人生の素晴らしいところは、どんな職業につこうが、どんな工夫を重ねていようが、そこに偶
   有性があること。

  ・偶有性の中で学ぶには。「ないものねだり」はだめ。所与の制約を引き受ける覚悟が必要。

  ・人生の終わりが近づくと、いつ死が訪れるかという、偶有性が意識され、生きる事を輝かせる。

  ・才能や境遇に恵まれていなくても、工夫の余地はある。恵まれた人の偶有性と質は変わらない。

  ・強化学習において、通過儀礼になるようなトライを繰り返していると、非常に遠くまで行ける。

  ・職業などの研鑽で遠くまで行ったとしても、偉くなったと思ってはいけない。幾つになっても
   砂場で遊んだようなドキドキ感が大事。

  ・少年のときの体験を手つかづのまま持っていられたら、独創的な仕事に繋がる。

  ・故郷と和解できて、いつも変わらずに自分の中にあると気づいた、人生は宝物をくれる。

  ・人生がどうなるかわからないことを楽しめていたら、その人は偶有性をうまく生かしている。

  ・偶有性を楽しんでいる最も高度なレベルは、気づいたら日が暮れているような、子供の無我夢
   中の遊びの様な状態である。


 7.人生をいかに生きるか

  ・脳が直面する問題には、正解のないものがある。いかに生きるべきかという問題は、まさに正
     解がないということ。
     
 ・人間の脳は、抽象的な問題を解くためにできているのでない。知性は常に、現場の具体性におい
  て働く。

  ・人の心がわかるとは、共感能力以上の何かです。見た目と一致しない、あるいはポーカーフェ
   イスの人の心を想像することは、動物にはできない。

  ・目に見えない、人の心がわかるには、総合的な学問が必要。学問の究極の目的は、人の心がわ
   かること。

  ・人間は他人のために何かをするときにも、喜びを感じ、脳にドーパミンが出る。自分勝手な人
   は、一身上のことだけを喜びにする、ドーパミンのモノカルチャー。

  ・いかに生きるかを教えてくれる学問こそが、本当の学問である。人の心がわかることは、本当
   の意味で、学問が出来るということ。

  ・最終的に人を感化するのは、人格です。知識やテクニックで取り繕っても、結局は人格がミラ
   ーニューロンに働きかけ、人は変わっていく。

  ・人間は、名誉も財産も不要、一人の人格者のもとに、自然に皆が集まってくる。

  ・現代は見た目優先ですが、最後は人格です。自分の人格をある種の作品として磨く。これを心
   がけたら、人間は本当に心楽しい人生を送れる。


  この本のコピペですが、どうです、脳が変わり、人間が変わりそうですか?
  詳しくは本をどうぞ、確か700円位の文庫本です。


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  27.なぜ気になる?たった一人の悪い評価                       13年05月

    

 2013.5.12の毎日新聞の「新・心のサプリ」欄に海原純子さんが面白い投稿をされていた。
 「職場に一人いやな人がいる。あの一人さえいなければどんないいいか」「近所のあの一人ために
 気分が悪い」ということがよくある。

 なぜたった一人のために心を囚われ、引っかかって気にしてしまうのだろうか?なぜ人間関係の完
 璧主義を目指してしまうのだろうか?という謎に、嫌悪感の研究をで知られる心理学者のポール・
 ロジンの次の研究を紹介している。

 ロジンによると、「マイナスはプラスを圧倒する、という。つまり、脳は怒った顔を大勢のニコニ
 コ顔の中から優先的に見つけだすメカニズムをもっているのだ。人間に限らず動物の脳には、悪い
 ニュースを優先的にみつけ出し処理する能力が組み込まれていて、これが生物が生き延びるための
 危機回避のメカニズムになっている。」という。

 更に別研究者は、「人間は悪い感情、悪い評価をよい評価よりずっと詳しく検討する。悪い印象は
 良い印象よりずっと容易に形成され」、しかもなかなか取り消せないという。

 だから、たった一人に言われた悪口や悪い評価がずっと気になるのは、自分の心が狭い訳ではなく
 人間が生き延びるための脳のメカニズムであり、危機回避、損失回避の仕組みなのである。

 だから一人の悪口や一つの悪いことに気づきつつ、それが気になるのは「脳のメカニズム」である
 と客観的に捉えて、他の良い事に目をむけ、自分の心のベクトルを変える事によって、論理的にい
 やない気分を」乗り越えられるだろうと結論付ける。

 「だから、そうした事態に遭遇したなら、危機回避、損失回避の脳のメカニズムと思ってあまり気に
 しないことだ。」と海原さんは仰る。

 一人だけ異論を述べるものがよく居るものだが、そして多数決で大勢に従ってものごとは大体片づ
 けられるものの、後々までその異論が尾を引くものである。そして多数決で決まった事は気にもし
 ないものである。ところがその異論に対してはずっと気にして何らかの対処法を知らずしらず取っ
 ているものである。逆に考えると、注目を集める手段の一つとして、大勢に逆らう意見を極端では
 ないがないがある程度許容される範囲内で主張するのは、有効であるのではないかな?

------------------------------------------------------------------------------------------
 ところで、海原純子さんは医者であり、歌手でもある多彩な能力の持ち主である。
   海原純子さんのHPはこちら


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  26.冗談じゃないぞ「アベノミクス」                       12年12月
     

 第2次安倍政権になって、またぞろ「アベノミクス」なるものが実施される。
 --------------------------------------------------------------------------------------
 ・物価目標を2パーセントに設定し、日銀法の改正も視野に入れて大胆な金融緩和を行う。 
 ・財務省、日本銀行、および民間が参加する外債ファンドを創設し、外債購入の方策を検討する。 
 ・緊急経済対策を断行し、補正予算と新年度予算を合わせて切れ目なく経済政策を実行する。 
 ・「日本経済再生・産業競争力強化法」を制定し製造業の復活を目指す。 
 ・日本の立地競争力低下による産業の海外流出を防ぐため、イノベーション基盤の強化や法人税の
  引き下げなどを行う。 
 ・メタンハイドレートやレアアース泥などの海洋資源の開発に集中投資する。 
 --------------------------------------------------------------------------------------
 「アベノミクス」はおおよそ上記のものを云うとWikipediaに載っている。 

 12年12月28日の朝日朝刊には「もろ刃のアベノミクス」と大きく報じている。公共投資や金融緩
 和で目先の景気を底上げし、円安で輸出を増やして時間を稼ぎながら目標を決めて、集中的に成
 長分野で規制緩和する成長戦略を進めて、新しい産業や市場を作ると云うのである。

 景気を託す「三本の矢」として@積極的な公共事業 A大胆な金融政策 B企業の投資を呼び込
 む成長戦略 をあげている。しかし課題は、時間稼ぎの間に成長戦略が乗軌化するかであり、失
 敗すれば国の借金だけが更に膨張し、過度のインフレに陥る恐れがあると解説している。


 株式市場での金融緩和による円安関連株や、公共事業を見越した建設関連株の高騰が生じている
 ことを、早くもその成果が出たなどと自慢げに話す者もいる。しかし、いかにも経済政策を急ぐ
 訳は、夏の参院戦や消費税上げの対策であり、選挙に勝って衆参で安定した議席を確保し、消費
 税Upさえ叶えば、あとは好きな様に政治を進められると目論んでいるとしか思えない。憲法改
 正による「美しい国」実現が本当のやりたい事なのだろう。

 しかし、我が細々とした年金暮らしの身になって考えると、インフレ、増税、いづれもが生活を
 脅かすものであり、減らされる一方の年金だけが便りの身では、更に倹約した生活を強いられる
 ものである。物価は2%、消費税も3〜5%も上げられるとそれは即消費を切り詰めるしかない
 のである。医療費負担も早くも2割負担を公言する閣僚もいるが、更に厳しい生活になるだろう。

 1991年3月からの経済停滞、失われた20年は、間違った経済政策故に生じたとする説がある。
 デフレ不況だと云うのである。受給ギャップで需要が不足しているのに、財政健全化とか構造改
 革と称して不十分な政府支出しか行われず、スパイラル的に景気が悪化したとする説である。デ
 フレはインフレに比べて決して起こしてはならず、生産が減少し、雇用も減少し、景気が後退し
 失われた年月となるとするものである。確かに、ケインズ政策もニューディール政策も政府の役
 割を増して、つまり大きな政府のもとに成功したのではある。
 
 中野剛志(新エネルギー・産業技術総合開発機構)は以下の表の様に主張する。
 

  従って、失われた20年の間に行われた政策は、経済に対しては正反対なものであって、デフレ
  を助長し経済を縮小・停滞せしめるものであったと云う。そして日本の様に国債の90%を自国で
  所有している限り国家破綻など起こりえず、デフレ克服には積極的な財政出動をするべきだと云
  う。
  
  アベ政権はまさかこうした意見を鵜呑みにした訳ではなかろうが、1000兆円を越える国債を抱え
  その利払いだけで経常支出の相当の割合(平成23年度で23.3%)を割かねば成らない国家財政が
  更にその比率を高めてよいものだろうか?まさか大インフレを起こして、その比率の縮小を期す
  るなんて計算してなんていないでしょうな!
  
  山田方谷の云う「天下の事を 制する者は 事の外に立ちて 事の内に屈せず」となさねば、更にこ
  の国は混迷を深めるだけにならないだろうか。戦後55年体制下で政府自民党は悉く「事の内」の
  政治を推し進めてきて、今日の惨状を招き、今次選挙で大勝したことをいいことに、またぞろ先
  祖帰りをした政治を進めてはならないのである。
  
  
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  25.山田方谷「理財論」に学べ 12年12月       義を明らかにして   利を計らず   それ善く   天下の事を   制する者は   事の外に立ちて   事の内に屈せず   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   NHKの大河ドラマ「雲中の飛龍・山田方谷」放送の要望  100万人署名活動をやっています。「山田方谷マニアックス」からご署名をお願いします。  <昭和39年高梁高等学校卒業生の「雲中の飛龍 山田方谷」実現を求める全国100万人署名運動   の呼びかけ人としてお願いします> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    自民党が12年12月の総選挙で大幅に議席を伸ばし、組閣前から大風呂敷を広げている。自民294、  公明31を足すと325議席となって、参議院で法案が否決されても衆議院で再可決すれば法案は成立  する320議席以上を獲得したのである。こうなると”ねじれ”も役立たず自民・公明の思うがまま  に法案を多少の抵抗はあっても通す事が出来るのである。自民党は大敗した前回の総選挙時よりも  得票数が減ったにも拘わらずこうした結果になるということは、選挙制度に問題があるからだ。  そこで早速、自民の立党の基本理念である憲法改正を目論見始めた。自衛隊を"自衛軍"に改名して  名実ともに日本の再軍備化の準備に入った。集団的自衛権を堂々と行使し、隣国との領土紛争にそ  れら軍を出動させて中国、朝鮮との戦闘も辞さずの構えである。憲法を改正し、九条第二項の「交  戦権」を盛ると安倍総裁は断言した。交戦権の無い軍隊など確かに無意味なものであるからだろう。  岸、佐藤、そして父君のなし得なかった悲願達成が叶うと上ずった声で断じていた。米国の日本統  治のための憲法を改正して我が国独自の自主憲法を制定するという悲願達成にやっとたどり着ける  と云うことなのだろう。  しかし、戦後70年近くもこの与えられた「平和憲法」の元、日本の軍隊が他国の人を一人たりとも  殺す事の無かった事実は、世界の中での日本のプレゼンスからしてみると驚異の事実である。戦後  生まれの僕にとっては、それが当たり前の事だったのである。戦後の昭和29年生まれの安倍晋三に  とっても当たり前の事だったはずであるが、安倍寛、岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎、岸信夫等の  政治家一族に生まれ、成蹊大学を出て南カルフォルニア大学で政治学を少し齧った後中退して帰国  して神戸製鋼に3年務めたあと父安倍晋三の秘書を経て、父の急死のあと山口の父の地盤を継いで  政治家になった彼は、次第に国家主義的考えに向かったのだろう。    そして経済政策である。赤字国債を発行して大型補正予算を組んで「列島強靭化」と称し、かって  自民党が得意とした公共工事を全国各地でバラマキ、金融面では政府の言いなりになる日銀総裁を  選任して超緩和金融政策として大量の日銀券を市中にバラマいてハイパー・インフレをも誘発しか  ねない金融政策に着手するらしい。(あのアベノミクスは勘弁願いたいものだ)  また、あの経済財政諮問会議を復活させて、政府に都合の良い御用学者や財界のトップの意見のみ  を取り入れて限られた政治家が各役所に指示する方針らしい。あの小泉政権時の竹中的市場原理的  経済政策が復活するらしい。市場原理万能を信奉する政策は、市場原理で勝ち抜いた者には心地良  い世界であろうが、落ちこぼれた者には地獄である。敗者、弱者を救済出来る社会体制を整えない  でこうした施策を進めてなんとする。  大量の非正規社員や低所得層を生み出し、経済弱者を多く輩出して何の政治であるか?どれだけ世  の中が荒み、でれだけ多くの自殺者が出たことだろうか。バス交通事故の惨事やタクシー業界の混  乱など無秩序な規制緩和が因縁で生じたものがなんと多い事か。少々話が横に逸れた、元に戻そう。  今こそ先人の知恵を借りるときなのである。  上杉鷹山を凌ぐと言われた「山田方谷」のこの言葉を噛み締める時である。 それ善く 天下の事を 制する者は 事の外に立ちて 事の内に屈せず  PHPに載っていた山田方谷の「理財論」の一部を紹介すると以下の如くである。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  為政者は全般を見通す識見を持って大局的立場に立て。一事に係らわって全般を見落とすな。  財政改革といえば、財政の窮乏という、数字の増減、即ち収入の増加と支出の削減をいかにするか  ということのみにとらわれてしまい、その他のこと(哲学)は財政再建の名のもとに片隅に追いや  られてしまいがちになる。  風紀やモラルが荒廃し、教育水準が低下し、社会が閉塞した状態では、いくら財政のそろばん勘定  があっていても長続きはしない。  あとで大きな反動が返ってきて、前よりも一層悪い状態に陥ってしまう。  厳しい倹約と緊縮財政だけでは、経済が、社会が萎縮してしまう。額に汗して働く国民が報われ、  豊かになるよう、いかにして経済に社会に活力を与えていくかということに心を砕かなければいけ  ない。つまり、国民を富ませ、幸福にさせ、活力のある社会をつくることが必要なのである。  国民の立場に立って財政・税制等の社会制度を考えるということである。そうすれば、自然と財政  は豊かになる。  第一に、財政改革や事業の再生のためには、「財の内」に屈せず「財の外」に立って、理財の枝葉  に走らず、金銭の増減のみにこだわらないことが必要であるとしている。  方谷は、藩の財政について次のように指摘している。  理財の制度・方策は綿密度を増し、歳出削減の努力も10年を超える期間で実施している。しかし、  藩の困窮は深刻化する一方であり、借財も増加する一途である。  その理由は何か。知識・方策・綿密度が足りないのではない。平穏と安易な中で、財務の困窮だけ  に心配事を集中し、必要な施策を放置してしまったためである。風俗が軽薄化し、汚職が広がり、  文教が荒れ、庶民の生活が困窮しても施策を講じない。なぜならば、財政当事者は「財源がないの  で、手が及ばない」と主張する。国政の基本が乱れているのでは、いくら金銭の増減にこだわって  も財政は再生されない。理財のテクニックの高度化が困窮度を深める。理財にのみ走る政治家は、  こまごまと理財のことばかりに気をつかい、国の困窮・衰亡を招いてしまう。財政改革には、超然  と財の外に立って、経国(国の経営)を確立しなければならない。  方谷が指摘したことは、数値コントロールに依存し矮小化された今日の財政構造改革の問題点その  ものである。今日の利益誘導型の政治家や官僚は、「財の内」の存在となっている。少なくとも財  政構造改革を推し進めるには、リーダーシップを取るべき政治家がマッチポンプ型の利益誘導から  脱却し、「財の外」に位置することが必要である。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  まさに先人に学ぶべしではないか?    → この頁の最初に戻る
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  24.プリンターインク                       1212
 
  年賀状の時期になるとプリンターやインク売り場が急に賑わい出す。パソコンで年賀状を多くの
  人が作成するからである。
  年賀状作成ソフトは有料・無料取り混ぜて沢山あるが、日本郵政の「はがきデザインキット」が
  無料でなかなか良い。

  宛先印刷や、文面の作成は同上のもので十分であるが、いざ印刷する段になるとしばしばインク
  が少なくなっていたり切れていたりするものである。そこでインクの購入に行く事になるが、こ
  のインクが滅法高価である。

  これはプリンター・メーカーの販売戦略で、プリンター本体の値段を抑える代わりにインクを高
  くして利益の確保を図っているからである。例えば5色セットのインクの値段が本体価格の1/3
  とか1/4ほどもするのである。

  そこで勢い安いインクを探すのであるが、メーカーの純正品ではなくてもちゃんと印刷できれば
  いいので、ネットで安いものを探して購入することになる。純正品の1/2〜1/3で購入出来る。
  

  注意点
  @インク補充方式の場合
   注意して作業しないとインクがあちらこちらに付くことになる。保存もインク漏れに十分対処
   する必要がある。

  A古いカートリッジに補充済のものを取り付ける場合 (互換インクカートリッジ)
   機種対応ICチップ付きであるか、残量検知機能に対応しているかの確認が必要。
   カートリッジを充填したときに、プリンターが認識しないときは電源を切って再度電源を入れる。
   カートリッジを取り出して接点をティッシュ等で拭く。
   残量検知機能がなくてまたは正常に働かなくて、”カートリッジが正しく認識されません”など
   と表示されれば新しいものに交換する。

   上の写真のような互換インクカートリッジなら1,800円前後で送料無料で購入可能である。
   経験からすると、お薦めはAのものである。
   ネットで探せば沢山あり、インク専門店 やこまもの本舗等で探せる。


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  23.”半疑問形”                           1209

  会話の途中、疑問文ではないのに語尾を上げる話し方のことを半疑問形と言うのだそうである。
  略して「半クエ」だそうだ。この略し方も甚だ疑問ではあるが。

  「半疑問形」とか「半クエ」とか言われる「語尾を上げて疑問符をつける話し方」が、下火にな
  ったとは言えまだ耳にする事がある。周りにはそうした話方をする人はいないから、TV・ラジ
  オで見聞きする言葉である。

  具体的には、
  「ですから?このやり方が自分の今までの経験では?最適で最高だと?思う・・・」
  の?のところの語尾を上げて話をするのである。

  こうした話し方は、「自分の言葉に対し自分で肯定して相手からの攻撃をあらかじめ防御してい
  ると考えられます。 間違った事が許せず、自分が否定される事を極端に嫌うため弱みを見せたく
  ない深層心理から来ています。」と分析する人がいる。、

  「自分しか知らないことまで、疑問形にする。話相手の反応をいちいち確かめながら、慎重に自
  己を表現していくと言えば聞こえがいいが、端的に言えば、自己の主張をことごとく相対化する
  手法である。だから、はっきりと言うべき事柄まで「?」をつけると、実に無責任に聞こえる。」
  と断定する意見もある。

  何はともあれ、耳障りな話し方であり、特に”助詞直前一旦息継ぎ”でしゃべられたりすると、
  自己防御だけでなく、自己陶酔であって、鼻持ちならないのである。
  ついでに当たり散らせば、話の中や文中にやたら外国語を入れ人がいるが、ちゃんとした日本語
  さえも話せたり、書けていないのに何故外国語の単語を挿入するのか判らない。これも「半疑問
  形」の利用に通じるものがある。
  日本語ではどうしても表現出来ない言葉があるのなら、その理由を明確に表示するべきである。

 

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  22.”なので”

  最近、「・・・です。なので・・・」
  という言葉をテレビやラジオで良く耳にする。特に若い女性や、誠につまらないコメントをする
  テレビのコメンテイターと称する人達がこの”なので”をやたら連発する。

  大辞林第三版では、
  〔助動詞 「だ」 の連体形または形容動詞の連体形語尾 「な」 に、原因・理由を表す接続助詞
  「ので」 の付いたもの〕・・・から。・・・あるので。 「雨なので中止にした」「静かなので
  読書に適している」
  と解説している。まあ、このように接続助詞として使うものならいいと思う。

  ところが、独立した接続詞として
  「私ダイエットしているんです。なので、スイーツは食べないんです」
  のように、文頭になのでを使っているのは違和感があり、間違っていると思う。

  接続詞として独立している「だから」は断定的で強い印象を与えるので、「なので」のソフトな
  語感のほうが若者に好まれているのだという見方もあるそうで、若者言葉として、他人との衝突
  を極力避けようとする曖昧表現や婉曲表現の1つとして利用されているとする説もある。

  同じ接続詞で「ならば」が受け入れられているのだから、将来は「なので」も普遍的になるので
  はないかと指摘する向きもある。更に「だから」「なのに」「でも」「だって」も「なので」と
  同じく語源は「だ」の活用形であり、いづれ定着するとの意見もある。

  しかし僕は断固としてこの”なので”を文頭に使うには違和感を感じる。

  →他にも、「ら」抜き言葉とか違和感のある言葉が、影響の大きいテレビ、ラジオで堂々と使わ
   れる憂慮すべき事態である。


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  21.高速道事故増加                       1208

  NEXCO東日本によると、
  「管内の高速道路の死亡事故は、2007年以降2010年まで連続で減少して来たが、2010年の年間49
  名(事故率0.1人/億台キロ)と比べて2011年は59名(事故率0.16人/億台キロ)と増加に転じた。
  そして、2012年は6月までに44人(事故率0.27人/億台キロ)と激増している。
 
  この死亡事故人数には、関越自動車道で7人が死亡したバス事故も含まれているが、それを除い
  ても増加しており、同社としても対応に苦慮していると言う。死亡事故でとくに増えているのが、
  「高速道路上で人をはねてしまう」「停止車両への衝突事故」の2つ。本来自動車・二輪車しか
  走っていない高速道路上だが、車両が故障した際や事故などを起こした際に、高速道路本線上を
  歩き、後続車両にはねられ死亡した人は半年で10名になる。また、渋滞後尾や事故・故障車に衝
  突する・されるなどして死亡した人は17名になる。
 
  NEXCO東日本としては、「高速道路本線上を歩き回らない」「事故・故障などで停止する際は、
  三角停止板を必ず使う」などの注意喚起を行っていく。
 
 
   
  

  と2012年7月26日の定例記者会見で発表した。

  そして今日12年8月3日にも新潟県小千谷で追い越し車線に停車中のトラックにワゴン車が追突炎
  上して5人が亡くなった。前日の2日午前4時10分ごろにも宮城県白石市斎川の東北自動車道
  下り線で、千葉県成田市のバス会社「クルージングワールド」の夜行バスが中型トラックに追突
  しバスの乗客35人と運転手、トラックに乗っていた2人の計38人が病院に搬送され、乗客
  28人を含む31人が軽傷を負ったばかりである。バス事故は関越自動車道で7人が死亡した事故
  と同種類のものである。

  いづれも決められたルールを守り、安全対策を行なっていれば防げたものである。どうも高速道
  上での安全ルールが周知徹底されていないか、知らないかである。かく言う僕自身も高速道はよ
  く利用するが、もし事故が発生したらどう対処してよいかまことに心もとない。だから運転もし
  ないで高速道を利用する人にとっては、どうしてよいか全く対処の仕方が分からないだろう。
 
  バス事故は、小泉・竹中改革と称する間違えた規制緩和による労働強化で”居眠り運転”が原因
  であり、小千谷のワゴン車追突事故はパンクで追い越し車線停車が三角停止板や発煙筒を焚いな
  い。パンク程度で追い越し車線に停止しないでなぜ左の走行車線に寄せて停車しなかったのか?
  ホイールベースやタイヤが多少傷んでも走行車線までなら寄せられるはずである。停車から衝突
  まで15分も経過しているのである。トラックの運転手は携帯で事故報告や救助依頼をしたので
  あろうが、その前にやるべき事があるではないか?高速道の追い越し車線に車を放置することが
  どれほど危険なことか全く解っていない。そんな者に高速道を運転さすべきではないのである。
  しかし現実は、全くの放任である。

  また、NEXCO東日本の言うように、高速道路本線上を歩き後続車両にはねられケースが多い。こ
  れも当然のことで、特に夜間に高速道路を人が歩くのは反射するものが何もなく自殺行為そのも
  のである。村上春樹の「1Q84」の小説で、ハイヒールを履いた女性が首都高を歩いて非常階
  段から地上に降りられるのは、渋滞で車が止まっているから出来る芸当なのである。

  誰でも安易に高速道を利用するが、もし事故が起きた時にはどうするべきか、NEXCOが先導して
  国民全体に徹底すべきである。否、一組織に任せずに法律で規制すべきである。

   

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  20.ドア指はさみ防止

  孫が遊びに来て家の中を走り回る。時にはドアを開け閉めして遊ぶ。最近はドアが引き戸式では
  なくて前後に開閉式のものが多くて、ドアを開ける取り付け部とドア板の間に大きな隙間が出来、
  そこに指を入れたままドアを締めると大怪我をしかねない状況になっている。

  先日どこかTVを見ていたらその簡単な防止をやっていた。調べてみると消費者庁のHPに掲載
  されていた。ドア指はさみ防止以外のものも掲載されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  
  牛乳パックを利用するものが手軽なので作ってみた。
  孫が帰れば取り外せるよう、至極簡単なもので、ガムテープも簡単に剥せる粘着力の弱い薄緑色
  のものを利用した。

   

 
  市販品も種々あって、下の様なものから蛇腹形式のものまである。値段も2000円前後である。
  長い間使うならこれらを購入して取り付けた方がよいだろう。可愛い孫の手を守るために!

 
     

  「ドア指はさみ防止」でネット検索すれば様々な情報が得られる。
  先ずは百円ショップを覗いてみよう。

  →しかしメーカーは、この種の事故は多く発生しているのだから、最初から防止装置付きの物を
   作るべきなのではなかろうか

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  19.俳句の「二つの四季」

  誠に恥ずかしながら写真俳句というのをここ4〜5年やっている。全く句の体をなしていない程
  の酷さだが、”写真俳句”の”写真”で”句”をカバーしながらよたよたと続けている。五七五
  の短い文章に季語を入れなければならず、その季語が生活実感としばしばズレているのを感じる。

     

  俳句には「無季俳句」もあるが、大抵は季語を入れるのが普通である。季語は季節毎に分類され
  た「俳句歳時記」に纏められていて、生活や動植物の言葉を季節で分類したものだ。

   @伝統的な季語では 春は立春から立夏まで / 立春は 2月5日頃
             夏は立夏から立秋まで / 立夏は 5月7日頃
             秋は立秋から立冬まで / 立秋は 8月7日頃
             冬は立冬から立春まで / 立冬は11月7日頃
           を決めている。

   A新感覚的季語では 春は 3月〜 5月
             夏は 6月〜 8月
             秋は 9月〜11月
             冬は12月〜 2月
           としている。

  このように@の伝統的な季語はAの新感覚的季語より約1か月早い。これは明治37年(1904年)
  に「俳句新歳時記」で@の区分けにしたからだという。日本で太陽暦(グレゴリオ暦)が採用
  されたのは明治5年(1872年)で、それ以来生活実感と暦のズレが生じているのだ。生活実感
  よりも約1か月暦が先行するのである。

  立春(2月5日頃)と言われても、その頃は真冬の厳冬期であるし、立秋(8月7日頃)も真夏
  の太陽が照りつけている頃である。そこで上のAのような新感覚的季語が設けられている。
  @は「日本の歳時記」(小学館)、Aは「現代俳句歳時記」(学研)が代表例である。
  
  Aの新感覚的季語は金子兜太さんが1999年出した本が元になっている。この方が確かに生活実感
  に合ったものになっている。

  僕はAの「現代俳句歳時記」の方がピッタリ来るが、季語を移すことで、長い間に積み重ねられ
  て来た言葉の意味が変わる恐れがあるとさる。「朝顔」は秋の季語とされているがこれは夏に咲
  くけれども、花の姿に秋の気配を感じているからとの解釈や、去りゆく季節の中に、次の季節の
  気配を探るのが日本文化の粋だ、等とも言われる。

  歳時記に縛られすぎず、作者が感じた季節の情景が伝わる句であるべきだと、朝日新聞の宇佐美
  貴子さんが2012年4月30日の「文化」欄に記事を書いている。
  (本稿は宇佐美貴子さんの記事を参照させて頂いている)

  伝統的な季語 

  新感覚的季語

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  18.FT−Bh(次世代トヨタハイブリッドカー)

  トヨタ自動車は12年3月6日、スイスで開幕したジュネーブモーターショー12において、コンセプ
  トカーの『FT-Bh』を初公開した。それがこの写真である。なんとも凄いデザインの車だ!
     

  ガソリン1リットルあたり60キロを走れるトヨタの次世代ハイブリッド車の試作車    
  欧州複合モード燃費では47.62km/Lとなっている。
 
     

  FT−Bhとは「フューチャー・トヨタ・Bセグメント・ハイブリッド」の略だそうだ。

   
  
  全長3985×全幅1695×全高1400mm、ホイールベース2570mm。空気抵抗係数を示すCd値は0.235
  (アクアは全長3985×全幅1695×全高1445mm、ホイールベース2550mm。Cd値は、0.28)  
  1.0リットルの2気筒ガソリン・アトキンソンサイクルにモーター、リチウムイオンバッテリ
  ーを搭載し、高張力鋼板の使用により786kgの軽量仕様。
  

  ガソリン1リットルあたり60キロを走れるトヨタの次世代ハイブリッド車の試作車    
  (記事・写真共 YOMIURI online&RESPONSEを参照)

  2012年4月12日 読売新聞の報道によると、トヨタは次世代のHV車としてガソリン1リットルで
  60km走る車を開発中らしい。アクアが11年末に35.4km/L(JC08モード)として発
  売されたばかりである。アクアは1.5Lの排気量だが、次世代の車は1Lのエンジンと電池を更
  に小型軽量化したもので、車体重量も更に減らし空気抵抗も減じて60km/Lの燃費を出すという。
  発売は2010年の後半となる見込み。

  アクアの場合も4〜5年前に朝日新聞にプリウスを上回る燃費の車を開発中として報道され、ほ
  ぼその記事通りの発売となり燃費もプリウスを凌いだものとなったが、今回もきっとそうなる事
  だろう。公表値が60km・Lならその7掛けで40km/L以上の実燃費は期待出来る。
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  17.ウエストクッション                

     

  写真のようなウエストクッションを最近使い出した。これがなかなかいいのである。腰痛持ちの
  為車を運転する時はもともと同様なクッションを使ってはいたのだが、これが横ずれをしたりし
  今一歩の製品であった。ネットで探していたらこのようなクッションに出会ったので紹介しよう。

  今回、車を買い換えたこともあり、何か良いクッションはないかと探していた所、たまたまこれ
  に出会ったので早速取り寄せてみた訳である。
  これは埼玉の秩父にある優光商会さんが製造しているものであった。送付されて来た納品書を見
  ると『埼玉県ベンチャー企業優良製品コンテスト』に入賞した製品と書かれていて、僕も埼玉在
  住だから一寸嬉しくなった次第である。「映画・はやぶさ」でも日本の町工場の優秀さが描かれ
  ていて感心したものだが、東大阪の町工場が作った人工衛星といい、大田区の町工場が作った痛
  くない注射針といい、そうした事例は沢山ある。

  現在、巷間には安いだけの中国製品が溢れている。たしかに安いのだがデザインや縫製が雑で、
  使い捨てのものならいいのだろうが、安全や体を任すものについてはどうもいけない。日本の指
  導やチェック、検査のもとに作られているものは多少の我慢ができるが、中国製品は一般的に信
  用出来ない。秩父の片田舎で地道だが、丁寧に作られているこれらのものの方が、多少の値段の
  開きはあっても断然良いのである。無論、同社に限らず日本の小さな工場で丁寧に作られている
  ものを日本人はもっと利用すべきである。

  話はそれるが、中国の食品の驚くべき実態が報道されている。スーパー等では日本製に較べて数
  分の1の値段で売られている中国食品は、どのような作り方をされているのだろうか?一部であ
  って欲しいと願われるが、鳥肌が立つほどショッキングなものも多数ある。ウィキペディアのこ
  の記事を一度ひもといて御覧なさい。中国産食品の安全性

  さて、車での利用だけではなく、長時間座って向きあうパソコンの椅子や、テレビをソファーに
  寄りかかって見る時のために、更に2個購入した。友人にも進めて彼も購入した。同社はこの他
  にも様々なクッション類を作っているようである。
  
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  16.トヨタプリウスに乗ってみて                

    (2012.03)
     

  プリウスに買い換えて、半月ほど経過した。まだそれほど走った訳ではないが、高速も走ってみ
  ての感想である。それにしてもプリウスは沢山走っているなあ!

  川越のウチダオートという店で、従来乗っていた日産のプリメーラからプリメーラに乗り換えて
  志木の自宅まで帰ってきた。従来はイグニッションキーを回して、セルスタートが特有の音を発
  しエンジンが掛かるが、このHV車はまるで違う。パワースイッチを押すと無音で「REDY」
  ランプが付き、それでスタートできる状態となる。シフトレバーは電子式で指先で軽く動かすよ
  うになっている。

  Dレンジにシフトし、アクセルペダルを踏み込むと車は音もなく発進する。走行モードに三種類
  あって、燃費節約の「エコドライブモード」で走ると、重い感じがして以前の車のアクセル感で
  得られた加速感は無い。試しに「パワーモード」にシフトしてみると、以前のプリメーラと同様
  な運転感覚が戻って来る。当然ながらエンジン負荷が感じられる。モーターだけで走る「EVモ
  ード」は文字通り電気自動車感覚である。西武系のゴルフ場ではカートに電気自動車が使われて
  いるが、これを運転するのと同じ感覚である。日産の「リーフ」は多分これだろう。PHV車で
  は電気だけで26km程も走るという。これはニッケル水素電池とリチウムイオン電池の差だろう。

  プリウスを選定した最大の理由が燃費であるが、2012.2.28の朝日の「記者有論」に中川記者が
  低燃費車の燃費について書いている。「メーカーが発表するカタログ値と実燃費は倍ほども開き
  があるので、実態とかけ離れた数値競争はやめるべきだと提言している。業界が率先して、一定
  の努力で届く程度の燃費基準を考案し、ユーザーに燃費の改善方法を分かりやすく訴えることこ
  そ、本当のエコにつながる」と言っている。


  プリウスSで言えば、10.15モード燃費は35.5km/L、JC08モードは30.4km/Lとされているが、
  実燃費は約20km/Lである。これは都内の環八を抜けて川崎まで往復した実績である。近所の
  スーパー等へのちょい乗りでは19km程度の実燃費となる。当初のプリウスの宣伝燃費は38km
  であったからその半分であるが、これは最初から予想していたので驚かない。

  高速走行であるが、130〜140kmまでなら普通に走り、特にエンジン音が気になる事もない。今
  日では100kmをそう越えて飛ばす車も少ないし、エコドライブを皆が心がけるせいか高速走行
  でもプリウスは問題は無い。

  HV車という事もあるのだろうが、説明書の頁がやたら多くて512頁もあり、ナビやオーディオ
  の説明書も350頁もある。特に後者の説明書は理解するのが大変である。
  オーディオではUSB接続でUSBメモリにCDやネット、ラジオから音楽をダウンロードして
  おいてそれをかけると数千曲の音楽が楽しめる。かさばるCD等は持ち運ばなくてもよく、US
  Bスティック1本を持って車に乗り込めば十分だ。いづれモーターが回転する機械式のCD装置
  等は無くなるだろう。ナビも最新の道路状況なら携帯のナビの方が優れているのでDVDやHD
  装置式のものはSDカードやUSBメモリに駆逐される事だろう。また、インターネットとのや
  り取りによるナビや音楽、映像が主流になるだろう。

  プリウスは他に、ワゴンタイプのαや、プラグインHVのPHVが発売されている。
  マツダのスカイアクティブエンジンは従来型エンジンだが圧縮比を高めてHV並の燃費が出ると
  メーカーは謳っている。またヨーロッパでは乗用車によく載せられているディーゼルエンジンも
  燃費がよくてトルクが強いという。ならば、スカイアクティブやディーゼルエンジンとHVを
  組み合わせたPHVが電気自動車(EV)や燃料電池自動車に至るまでの最強の組み合わせでは
  なかろうか?こうした車を作らないと、またぞろ韓国のメーカーにやられてしまうに違いない。
  日本のメーカーよ、頑張れ!


  
  プリウスα


  
  プリウスPHV


  2012年4月18〜19日に新東名を通って約750kmほど高速走行してみた。およそ時速100kmで走って
  燃費は約24kmであった。JC08モードの公表値が30.4kmだからその0.78掛けであった。

  下記参照
  新東名で行く瀬戸・多治見
  FT−Bh





  (写真は全てトヨタのHPから借用している)
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  15.車の泥よけ(Mudgard)                

     
     前輪                      後輪

  トヨタのプリウスに日産のプリメーラから車を買い換えた。今のプリウスは3代目で2009年から
  販売されている。プリメーラ購入時にも初代のプリウスや本田のフィットも検討したが当時はま
  だ両者とも購入がためらわれた。

  今回もトヨタのアクア(ビッツのハイブリッド版)を検討したが、人気が高く納車までに5か月
  ほども掛るとのディーラーの説明を聞き、モデル車に乗ってみてやや荷物室が小さいのでこれも
  やめた。結局はウチダオートという新古車、未使用車業者をネットで探してそこで購入した。
  ここでは各メーカーの新車を大層安価に購入出来、しかもメーカー保証が正規ディラーでの購入
  と同様に受けられる。

  しかも取得税、重量税が無料で、カーナビ、オーディオ、ETC、バックカメラ、フロアマット
  サイドバイザー等のいわゆるディーラー・オプションで後付する備品をほぼ付けた状態で販売
  している。アフターサービスも希望すれば正規ディラーと同様にやってくれる。

  さて、肝心のマッドガード(泥よけ)であるが、なぜだかこのプリウスには無いのである。最
    近プリウスは新車販売台数がトップだけあってしばしば見かけるけれども、マッドガードのある
  ものは見たことがない。そのはずで、日本で販売されているプリウスにはマッドガードは付けな
  いのだそうだ。だから部品として日本には無いのである。

  しかし、長年車に乗っている者ならお判りの通り、マッドガードの効用は大層大きいのである。
  道路上の小石やアスファルト、泥から車体を守ってくれるのである。道路が完璧に整備された
  道路しか走らないのであれば、それは必要無いかも知れないが、多少とも田舎道や山道、そし
  て道路工事中の悪路を走るのであれば必要なものである。

  そこで、これもネットで探してみると米国製品のプリウス用マッドガードが見つかった。早速取
  り寄せて上のウチダオートさんに英文の取付説明書とマッドガード部品を預けておいて、納入時
  までに取り付けて貰った訳である。 (値段13,600円でした)

  だから、プリウスの3代目ZVW300をお見かけになって、マッドガードを付けているシルバーメタ
  リックのプリウスだったら、僕の車かもしれませんよ!

  プリウスに乗ってみた感想等を次回掲載します、車購入予定の方は参考に!   2012.02.14
  
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  14.甘い日本のゴルフプロ                

   (Tadd Fujikawa Zimbio HPより借用)
  

  2012年のソニー・オープンはジョンソン・ワグナーが13アンダーで優勝したが、日本から参戦し
  た丸山茂樹、小田孔明、高山忠洋、武藤俊憲、石川遼、松山英樹のうち、最高は小田孔明の通算
  イーブンパーの59位タイであった。いづれもスポンサー推薦で出ただけで、たいした準備もな
  く実力もなく勝てる程世界は甘くない。結局「調整不足」だったと惨敗を振り返るだけであった。
  今田竜二は米国ツアーでの実力で出場したが、71位と振るわなかった。

  日系5世のTadd Fujikawaは対照的に素晴らしかった。
  身長155センチと極めて小柄であるが、ドライバーショットの平均飛距離は290ヤードである。
  あの小さいと思った田中秀道でさえ166センチなのだから実に小兵である。ある紹介記事はこう
  書いている。
  「最初に注目を浴びたのは2006年の「全米オープン」。予選会を見事に突破し、同大会の最年少
  出場記録(15歳6ヶ月)を樹立。さらに2007年のPGAツアー第2戦「ソニーオープン」では予選を
  突破して20位タイ。同年2月に地元ハワイで行われた男子の大会「パールオープン」では、並居
  るツアープロを差し置いて優勝を飾り、世界中に衝撃を与えた。日系アメリカ人で155センチと
  小柄な体躯、豪快なプレーと相反する愛嬌を持ち合わせ、日本でも人気は高まりつつある。2007
  年は日本ツアーにも出場し、高校在学中にプロ転向を宣言した。」
  
  しかし、08、09年とハワイの地元大会を2連覇したものの、本土の米ツアーでは好成績が出せな
  かった。特に09年に父親が麻薬密売で逮捕され、服役してからは消息を断ってしまった。しかし
  本土のジョージア州に移り住んで練習を積み、今回のソニー・オープンの出場に漕ぎ着け、7ア
  ンダーの19位に入った。賞金は69,025ドルで、これだけで昨年の年間獲得を上回った。

  在米ゴルフジャーナリストの舩越 園子さんが書いている通り、ゴルフに対する姿勢が日本人が
  甘く、これでは勝てる訳はない。優勝したジョンソン・ワグナーにしろ、大健闘したFujikawaに
  しろ万全の準備をして大会に望んでいるではないか。石川は大会直前に現地入りして10時間もの
  猛練習をしたと伝えられるが、一度にそれほど打ち込んでも体を損ねるだけで身に付く訳がない
  ではないか。松山も予選落ちしてから観光には興味ないとして練習したらしいが、負け惜しみと
  しか思えない。正月をどう過ごしたかが問題であり、毎日の練習の積み重ねが大事なのではなか
  ろうか。

  韓国人の世界でのゴルフの活躍は目を見張らされるが、彼らの不退転の決意たるや日本人のチャ
  ラチャラした姿勢の対極にある。彼らの姿勢を凌駕しないと今年もまた後塵を拝する事必至であ
  る。特に、日本の女子トーナメントなど上位は常に韓国女子によって占められているではないか。
  男子も賞金王は韓国人であり、シニアさえも彼らに負けている。米国の女子プロでは余りの韓国
  勢の多さ(1/4が韓国人)にたまりかねて、視聴率の低下のため、対策が検討されているという。
  例えば、長距離を不得意とする韓国人対策としてコース距離を伸ばすなどしているのだそうだ。

  
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  13.オームの戦略?                
   (警視庁提供)

  写真の様な疲れた46歳の男が、12年の大晦日、23時35分に警視庁に出頭し、その場では「悪質な
  いたづら」と警備の警官に門前払いされ、丸の内署に再度名乗りでて逮捕された、との報道がな
  された。

  平田信容疑者である。1995年に警視庁が特別手配をして17年の逃亡生活であった。高橋克也、菊
  池直子容疑者も同時に手配されたが平田容疑者以外の2名は未だ逃亡中である。駅の掲示板や警
  察にこの三名の手配写真が今でも貼られているのを、誰もが見たはずである。

  朝日新聞の12年1月3日の記事によると、出頭の理由は「国松長官事件が時効となり、間違った逮
  捕はあり得なくなったので、早く出頭したかったが遅れてしまった。3.11大震災で不条理なこと
  を多く見て、自分の立場を改めて考え、11年中に出頭したかった」と説明し、「教祖松本死刑囚
  の死刑執行は当然だとし、いまではオウム真理教も松本死刑囚も信仰していない」とのコメント
  が書かれている。

  しかし、11年12月で教団関連事件の全裁判は終結して、松本死刑囚を始めとするオウム関連の死
  刑囚の執行が始められると見られていた矢先の平田容疑者の出頭である。検察当局には死刑執行
  を遅らせるためのものではないかとの見方があるとも報じられている。

  平田が自己の意志で出頭したとは考えづらい。サリンを作る能力のある集団である。逮捕後に死
  刑になることは考慮した上で、如何に長く生き延びるかも考えた上での行動であろう。オウム支
  援の法曹関係者がいたかもしれず、法律に詳しい信徒や幹部がいたかもしれない。「共犯者がい
  る場合は、共犯者を含めたすべての裁判が終了するまでは死刑の執行は見送られるのが通常であ
  る。共犯者の裁判での証言や、執行後に冤罪である事が判明するかもしれないからである」平田
  は地下鉄サリン事件事件や松本サリン事件には関与していなくて、目黒公証役場事務長拉致事件
  に関わっているが、警察庁長官銃撃事件への関与をもし証言でもしようものなら、裁判はとめど
  もなく長引き、それでも死刑執行をすべきとの国民世論の雰囲気となれば、サリン事件にも関与
  をした高橋、菊池容疑者を今回の平田の出頭のようなカードとして切ってくるのではなかろうか。

  多分これはオウムの戦略なのであろう、松本死刑囚は現在56歳であるが、これで平田容疑者の裁
  判が始まって結審するまでまた10年近く掛ることであろう。更にまだ逃亡中の高橋、菊池容疑者
  の逃亡を手助けしてできるだけ先に伸ばし、地下鉄サリン事件事件に関与していた両名が逮捕又
  は出頭しても、その裁判が再審請求まで含めて終わるまでには10年以上掛ることは容易に予想で
  きるから、オウム関連死刑囚への執行はどう早くみても20年以上先になることだろう。

  となると、松本死刑囚は80歳近くになっており、あの不摂生の健康状態では多分自然死してしま
  うだろ。これはオウムの事件を起こす前から立てた戦略ではなかろうか。そうした事をオウムの
  生き残りや名前を変えた教団は、戦術としてこれから小出しに実行するのではなかろうか?
  それとも、法務省の体面を保持し、国民の理解を得るためと称して、13人の死刑囚のうち、松本
  死刑囚の執行を取り敢えずおこなってしまうのであろうか。

   警視庁・オウム真理教関係特別手配被疑者 (500万円の懸賞金が掛かっている)
   
   
  
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  12.埼玉のヒーロー (石川遼、川内優輝)&  埼玉三偉人                

  ”ダサい”とは”ダッテ埼玉”なんでしょうを縮めた言葉だそうで、野暮ったくて洗練されてい
  ないことの形容詞として良く使われている。天下の朝日新聞さえもしばしば平気で使っている。
  
  その埼玉で、今誇れるヒーローが二人誕生した。一人はご存知、石川遼である。彼については情
  報が溢れていて今更言うべきこともないが、2011年の獲得賞金とバーディー取得毎に10万円を加
  算して3.11災害への寄付とし、それが1億3348万円となったそうである。カジノで百億を超える負
  けをして子会社に支払いを押し付け、会社の存亡が危ぶまれているどこかのボンクラ御曹司とは
  まるで違う人格のヒーローである。
  
  (日経新聞の写真より)

  ただ、遼君は今年1勝も出来なくて応援している多くのファンには歯がゆい1年であった。TVに
  映っている姿を見ると、2打は大概フェアーウェイではなく林の中や隣のホールなどから打って
  いる。今季のフェアウエーキープ率は43.13%でプロ入り後ワーストだから如何にドラバーが曲っ
  ているかである。平均飛距離も290.78ヤードと昨年の296.79ヤードから6ヤード落ちている。これ
  は彼のようにドライバーで距離を稼いで攻める選手には辛い出来事だろう。願わくば、しっかり
  した指導者がついてこの金の卵を磨いて世界に通用出来る選手にして欲しいものだ。練習場で父
  親がしたり顔で見守っている光景を見かけるが如何なものだろうか?父親のマネジメントとコー
  チからと離れることが、石川遼を強くする最善の方法であると指摘する声があるので、遼君も決
  心すべきではなかろうかと思われる。


  もう一人は、マラソンの川内優輝選手である。
    11.12.4の福岡国際マラソンでの彼の追い上げをTVで観た方もおおかろうが、まことに賛辞に値す
    る走りであった。優勝は国内一般参加のジョセファト・ダビリ(小森コーポレーション) 2:07:36
    二位は同じく一般参加のジェームス・ムワンギ(NTT) 2:08:38 であった。二人共ケニアの選手。
    川内選手は 2:09:57 で三位であったが、国内選手の中では最高であった。
    
  
    (福岡国際マラソンHPより)
  
  多少ともランニングされる方ならお判りと思うが、一度トップから離されてからの追い上げのい
  かに苦しいものか!それも30kmも走ってからの追い上げである。想像を絶する意思の強さであ
  ろうか?僕も朝3.5km程走るがそれでも3km辺りでもう止めようかといつも思いながら走っている。
  
  川内選手は埼玉県庁の職員で、県立春日部高校定時制でフルタイムの仕事をしている。午後0時
  45分から同9時15分まで仕事をしている。練習は午前中にするのだそうだ。昨年の東京マラ
  ソンで2時間8分37秒の自己ベスト記録をマーク、日本人トップとなる3位に入った。その後もレ
  ースを練習代わりに出続け、2011年9月4日の世界陸上大邱大会男子マラソン、同10月30日の第1
  回大阪マラソンにも出場した。そして今回の福岡国際を走った。これらフルマラソンの他、11年
  1月には第16回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会で13kmを、2月には第65回香川丸亀国際ハーフ
  マラソン21kmを、6月には第6回隠岐の島ウルトラマラソン50kmを走り49km付近で昏倒し救急車で
  搬送されている。更に7月には第54回札幌国際ハーフマラソンで21kmを走っている。
  
  全力を尽くして走るためか、ゴール直後は意識朦朧の状態で倒れ込んで酸素吸入をする場面等が
  よく放映される。今回も実業団に入っていなくて多くのハンディがある市民ランナーが、恵まれ
  た環境下で十分な練習を積んでいる招待選手に追いついて抜いていくのは感動的でさえあった。 

  ......................................................................................
  <余談>

  前述の”ダサい”については、日本語俗語辞書では以下のように言っている。
  「ダサいとは古臭い(時代遅れ)、野暮ったい、田舎臭い、かっこ悪いといった意味の形容詞で、
   1970年代から関東の若者を中心に普及した言葉である(一説には1950年代から一部の若者の間
   で隠語的に使われており、1970年代に広く浸透したともいわれる)。1980年代後半に入ると対
   語の『ナウい』が死語となるが、ダサいはそのまま使われ続け、現代に至っている」

  『現代用語の基礎知識』では
  「田舎」を「だしゃ」と読んで、「だしゃい」が「ださい」になったと説明している。しかし
  「田舎」を「だしゃ」と読むことは一般的にはされないからこれは無理がある。
  芸人のタモリが埼玉のことをからかって”ダ埼玉”とやったのが全国に広まったきっかけだろう。
  
  有識者と言われる人々でも、野暮ったい、田舎臭い、かっこ悪い等の形容をなさる時に”ダサイ”
  を使う時がある。まあ本人は現代風に言っているつもりなんだろうが、この言葉が埼玉県の人々
  を傷つけている事をどれだけ知っているのか、いや知っていて使っているなら言語道断である。
  埼玉県ではこうしたイメージ払拭のために、膨大な税金を投与している実態があるのである。

  現在では身体的弱者を示す言葉は極力使わない事になっているが、この”ダサい”も同じもので
  あるはずで、朝日新聞にさる有識者が掲載した文章にこれがあり、抗議をしたが梨の礫であった。

  ......................................................................................


  埼玉の三大偉人としては塙保己一、渋沢栄一、荻野吟子の三人があげられている。
  遼君や川内選手と比ぶべくもないが、近世のこの三偉人は埼玉の誇りである。

  塙保己一
  
    (出典:本庄商工会議所HP)
    
 ・塙保己一(はなわほきいち)は1746年(延享3年)本庄市生まれの盲目の国学者。1937年
  にヘレン・ケラーが来日した際に両親から手本にしろと教えられた保己一の像に対面した。
    保己一は7歳の時失明し、江戸に出て鍼・按摩・灸、琴・三味線手ほどきを受けたが、いっこう
    に上達しなかった。その後学問を志し、文政二年、七十四歳で『群書類従』を完成させた。版木
    17,244枚(約34,000頁)の膨大なもので、この版木を20字×20行の400字詰めに統一させていたが
    これが現在の原稿用紙の始まりである。(渋谷の塙保己一資料館「温故学会」で公開されている)

  「盲目の国学者・塙保己一が古書の散逸を危惧し、41年の年月を掛けて集輯・編纂。幕府や諸大名、
  寺社など多くの機関や人々が協力して、江戸初期までに刊行された史書や文学作品を所収。その
  後の歴史学、国文学等に多大な影響を与え、学術研究に貢献している、今なお非常に貴重な叢書
  である。『群書類従』は1819年(文政2年)完成、正編1270種530巻666冊からなる日本最大の国
  書の叢書である。続編「続群書類従」は2103種1150巻1185冊、編者塙保己一は死去、子の忠宝は
  暗殺、そののち孫の忠韶に編纂が受け継がれ、孫の代の明治44年・1911年に完成した。正編と同
  様、のちの学界に大きな影響を与えた。」とnetに出ている。


  埼玉・児玉町に記念館がある

  
  (Mapion より作成)

  関越自動車道を本庄児玉で降りて、児玉方面に3.6km走って国道254号線を横断し、長浜町交差
  点(JR八高線も交差点を通っている)を左折して530m進むと児玉駅入り口交差点があるので、こ
  れを右折して400m進むと塙保己一記念館に到着する。






  渋沢栄一 
  
    (出典:埼玉県HP)
    
 ・渋沢栄一は1840年(天保11年)深谷市生まれの幕臣で、後に日本経済界の創始者となる。
  三井、三菱、住友財閥等のような財閥を作らなかったことは、公共に対する奉仕の思想が根底
  にある。
  渋沢は備中松山藩の山田方谷の一番弟子の三島中洲から思想の上で大きな影響を受けたのがそ
  の原因の一つだろう。三島は「二松学舎」の創始者で、山田方谷の教えに基づいて日本の伝統
  文化を維持しながら欧米の文化を取り入れる目的でこの学校を設立した。

  栄一は1847年弘化4年7歳のとき従兄尾高惇忠から漢籍を学んでいる。この尾高惇忠は明治5年に 
  富岡製糸場の工場長となっている。1863年 文久3年には高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てる
  が、計画を中止し京都に出奔。栄一はその後徳川慶喜に仕え幕臣となり、1867年にはパリ万博
  使節団として渡仏している。1868年の明治維新でフランスから帰国し、1870年 明治3年 30歳の
  とき 官営富岡製糸場設置主任となる。その後明治政府に仕えるが大久保利通と意見が合わず、
  民に下り以下日本資本主義の父となる働きをする。 

  渋沢栄一は第一国立銀行(現みずほ銀行 )、王子製紙、東京商工会議所、東京証券取引所、三井
  銀行、日本赤十字社、帝国ホテル、帝国劇場、日本郵船、石川島播磨重工、東京ガス、日本郵船
  東京電力、札幌ビール、東京海上等、約500社の会社を設立した。また、田園調布の生みの親
  としても知られている。”ダサい”埼玉人が殺風景な多摩川の河原を田園調布に改造したのだ! 
  田園調布に住んで居るものは”ダサい”等と言う資格が無いであろう。




  荻野吟子 
  
    (出典:国立国会図書館-National Diet Library)

 ・荻野吟子は1851年(嘉永4年)熊谷市に生まれた日本で最初の女医。1870年夫からうつさ
  れた淋病治療のため順天堂医院に入院したが、男性医師に診察される屈辱体験から、女医になっ
  てそうした屈辱に苦しむ女性を救うために女医になることを決意し、様々な障壁を乗り越えて女
  医一号となった。女性運動家としても活躍した。
  何よりも吟子の偉大さは、開業後の成功うんぬんよりも当時は女人禁制とされていた医学校に入
  学を認めさせると共に、開業試験への堅い拒否の扉を開かせ、日本医学界に女性進出の道を切り
  拓いた先駆者としての功績であろう。


  
   埼玉ゆかりの三偉人

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  11.開高 健                
  開高 健が1989年に亡くなってはや22年が経った。そんなにも前だったか、の思いが去来する。
  開高は小説は27冊書いていて、「裸の王様」で芥川賞を受賞し、そのほか「輝ける闇」「玉、砕
  ける」や「耳の物語」等が代表作と言われているが、僕はエッセイやノンフィクション物の方が
  面白いと思う。

  今度「知的な痴的な教養講座」(集英社文庫)を、読み直しているのだが、やはり彼のエッセイ
  集は朱玉である。その第37章「世紀末」でこんなことを書いている。

  「二酸化炭素とフロンガスが地球を温室化して、温度が上昇しているとか騒がれている。やがて
   世界中の気候が変わり、生態系も変化するだろうっていう。ひょっとして21世紀は、世紀の始
   まりごろからもう、世紀末になってしまうのかも知れない。その頃、私はもちろん御舟入りし
   ているだろうが、こうして見ると、人間ちゅうのもあまり利口ではなさそうだな。」

   20年後の現在、彼の予想通り異常気候は常態化し様々な自然災害が世界中で頻発している。彼
   は御舟入りして早々と彼の地に行ってしまった。晩年の写真を見るととても60歳前とは思えな
   い様な老成した顔つきをしている。

   また、この章で漱石を好きになれない、下手糞な小説家だと言っている。特に有名になってか
   らは、無理矢理、自分を難しくしていると喝破している。「我輩は猫である」だけは面白いと
   評価するが、それ以外はダメだという。小宮豊隆、寺田寅彦、獅子文六そして日本国籍を取得
   したドナルド・キーンも漱石は評価しない。
   僕も漱石の小説は何が面白いのかよくわからない。しかしながら、鴎外と並んで明治、大正期
   の文豪とされているのは事実だ。
   







  10.TTPを再考する                      2011年11月xx日
  TPP(環太平洋戦略的経済連携協定 Trans-Pacific Partnership)への参加/非参加を巡って
  議論が白熱化してきた。

  「日本は貿易による所が大きい国なのだから、国際的な潮流に乗るしか生き残る道はないのであ
  る。」と乏しい知識で思っていたが、再度考えてみる。tpp

  1776年にイギリスの古典派経済学者のアダム・スミスが『国富論』で唱えた "laissez-faire(自
  由放任主義)"を起源とする市場原理主義は、競争原理の導入によって社会の効率化を図り、淘
  汰によっていいものを残していくという考え方である。動植物の世界でも優れた遺伝子を残して
  種の保存を図ろうとする営みとして行われている事はご承知の通りである。

  しかしながら、これが行き過ぎると富の偏在を招き、社会に経済格差が広まり経済は行き詰っ
  て大不況に陥り恐慌や戦争に襲われる。これを救ったのが、やはりイギリスの「雇用・利子お
  よび貨幣の一般理論」(1936年)を著したケインズである。彼は『自由放任の終焉』(1926年)
  によって自由放任主義からの脱却を主張した。

  自由競争に任せておけば、見えざる神の手によって全ては効率的で良いものだけが残るという市
  場原理主義は、短期的には小泉改革に象徴されるように国際競争力や企業業績の一時的回復、向
  上を齎したものの、格差の拡大を助長せしめてしまった他に、次のような社会が成り立って行く
  うえでの必要不可欠な要素をも壊してしまいつつある。

  それは伝統や文化などの非経済的側面や、長期的観点での経営資源の運用や知的財産に対する評
  価は蔑ろにされ、農村や地方、非生産的人々への苛烈な施策となってしまった。社会が成り立っ
  ていくための根源的要素さえも奪ってしまったのである。

  TPPは、もともと2006年5月にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国加盟
  で発効した経済連携協定であったし、その理念は太平洋を囲む国々が関税のない自由貿易をして、
  経済発展を図ろうとするもので問題は無かった。しかし米国が入ってきて、米国の利益の最大化
  を図るためにその理念を利用しようとする所に問題がある。
  農、工業製品の自由貿易の他に、金融・投資、サービス、政府調達等についても例外無い自由化
  を行うもので、医療や訴訟などについても米国の巨大資本の参入が予想されている。工業製品の
  の恩恵は高くはなく、農産物については相当程度の影響が予想される。サクランボやオレ
  ンジ、牛肉は今でも38.5%、バターの関税は360%小麦の関税は252%











  09.また、新聞を替えた                      2011年10月05日

  毎日新聞から朝日新聞に、また新聞が替わった。昨年の10月の「01.新聞を替えた」として書い
  ているから1年振りである。
  毎日に較べて頁が多く分厚さが直ぐに実感できた。10頁ほども朝日の方が多いのである。しかし
  なんの事はない、それは広告分の差であって、内容的には毎日の方が良いと感じられる。
 
  2011.10.5日の朝日の朝刊は40頁であるが、そのうち全面広告が14頁もあり、更に紙面の下1/3〜
  1/4はどの頁も広告で占められていて、さらには上段、中段にもぽつぽつと広告が入っている。
  これらを計算してみると、なんと約20頁は全部広告なのである。だから正味の記事は半分の20
  頁であり、記事とは言えないようなラジオ・TV、株式覧が3.5頁もあるので、中身は知れたも
  のなのだ。

  「天声人語」は確かによく書かれていて感心するが、その他は五十歩百歩であるように思える。
  確かに広告も時に役立つ事もあるが、カラーでドギツイものが多い様に思えてならない。俳優の
  作り笑顔や、睨みつけるような白人女性など、意味のない巨大な写真が多い。ほんの少し前まで
  NHKの朝の連続ドラマで見せられていた顔が、全く異質の広告顔になっていたりする。たいがい
  広告は読み飛ばすが、もう少し洗練された品の良いものにならないものだろうか?特に広告の多
  い朝日とか読売では、広告の合間にある記事を探し読むような感覚になることがある。

  週刊誌の新聞広告の見出しを眺めるだけで、内容はかなり想像出来るので、これは重宝する。こ
  れはどの新聞でも同じようである。電車の中吊り広告と同じであり、これさえ読んでいれば社交
  的な話題に困る事はない。

  毎日の夕刊の1面の下の方に、「数独」がいつも掲載され、月〜金は初級、土曜は中級であった。
  これを解くのが楽しみだったが、それは朝日には無いので仕方が無い。「数独」も上級、難関と
  なると一寸やそっとでは解けないものがあり、秋の夜長には良いかも知れない。長い飛行機の旅
  等には格好である。

  新聞を替えて、我が女房殿が新聞拡販員の口車に載せられて何がしかの利得を得たに違いないが、
  これはお寒い我が家の家計と大新聞の拡販競争の要求が、合致したせいだろう。








  08.地上の太陽・核融合発電                    2011年08月03日
   
        (JAEA資料より)

  3.11の災害以来、原発の見直し機運が一挙に盛り上がってきて、再生可能エネルギー利用や
  石炭・ガス等を利用した火力発電の見直しがなされ、火力発電が当面の切り札として再利用され
  ている。

  しかしながら、太陽光や風力、潮力、水力、地熱及びバイオ利用等のクリーンエネルギーを除い
  て、石炭にしろガス利用の火力発電にしろ大量のCo2を排出し、温暖化防止には逆行するもので
  ある。節電対策努力や、燃料電池やマイクロ水力発電、スマートグリッド等も推進すべきではあ
  るが、原発の縮小・廃止分をカバー出来るものではなかろう。もし、カバー出来るなら以下は不
  要であり、そうありたいとは思うのだが現実的ではないように思えてならない。

  そこで最後の切り札として期待されているのが核融合発電である。”地上に太陽を”のスローガ
  ンのもと、研究・開発がされてから久しい。その現状はどうなのだろうか?
  
  独立行政法人日本原子力研究開発機構(JAEA)には、その研究開発部門として次の8部門があり
  膨大な税金が投入され続けている。
 
  ○ 安全研究センター
    原子力施設の安全性を追求し、機械工学、材料、廃棄物、リスク評価等、多角的・総合的に研
    究する。
  ○ 先端基礎研究センター
    将来の原子力科学の萌芽となる“未踏分野の開拓”に挑戦する。
  ○ 原子力基礎工学研究部門
    原子力の研究、開発および利用のための基礎基盤を形成し、新たな原子力利用技術を創出する。
  ○ 量子ビーム応用研究部門
    科学技術・産業・医療に革新をもたらす“量子ビームテクノロジー”の研究開発を推進する。
  ○ 核融合研究開発部門
    “地上に太陽を”偏在なく無尽蔵な資源と環境・安全性に優れた核融合エネルギー
       を探求する。
  ○ 次世代原子力システム研究開発部門
    長期的エネルギー安全保障と地球環境問題への対応のため“高速増殖炉サイクル”を確立する。
  ○ 地層処分研究開発部門
    原子力の廃棄物の最終処分に向けて、地層処分技術をより確かなものとするための研究開発を
       行う。
  ○ バックエンド推進部門
    原子力開発および利用に不可欠な“バックエンド対策”を支え、放射性廃棄物の処理・処分、
       施設廃止措置の技術を開発する。
        
   の8つがあげられているが、福島原発の悲惨な状況を見せられては、その研究の殆どが虚しく
   思える。なかで、5番目の 那珂核融合研究開発部門は唯一将来への燭光と思われる一つである。
  
  
  核融合での発電が可能となれば、現在抱えている資源問題、地球温暖化問題等の多くが解決可能と
  なるのである。

   
        (JAEA資料より)

   那珂博士の核融合入門に核融合の大まかな説明があるので、これを参照されたい。
  なかなか良くできた説明である。
  
  燃料は海水から得られるのでほぼ無尽蔵、燃料供給を止めれば反応が止まり暴走しない、核廃棄
  物が低レベルで処理が出来るなど良い事づくめの様な説明が書かれているが、原発事故前ならい
  ざ知らず、全て鵜呑みという訳にはいかないでしょう。
  
  重水素と三重水素の核融合によってヘリウムと中性子が排出されるが、ヘリウムは問題ないとし
  ても、中性子はやはり低レベルの放射性廃棄物の一種であり、火力発電の灰と同等程度の注意が
  必要とされる。我が尊敬するニュートリノでノーベル賞を受賞した小柴昌俊氏によると、中性子
  が発生する核融合も、やはり核分裂の原発が制御出来なかったのであるから、軽々に扱うもので
  は無いと、釘をさされている。3.11までは誰もが洗脳され、原発事故など起らないものだろ
  うと思っていたので、筆者もその通りだと思う。

   <JT−60の模型図>
   
        (JAEA資料より)

  
  日本では「JT−60」が、世界的には「ITER]が核融合の実験炉目指して研究、建設されて
  いて、実用化は30〜40年後とされている核融合発電である。
  やらせ質問などの卑怯な方法で国民を騙して誘導するのではなく、必要な情報を早期に公開し、反
  対者の意見にも耳を傾け、真に人類に有益なエネルギーの開発を進めて貰いたいものだ。この核融
  合関連予算だけでも1兆円に近い税金が使用されている事を関係者は肝に銘じるべきである。

  次ぎの総選挙では原子力利用が争点に成る事は間違いなく、原発の停・廃止、縮小や代替エネルギ
  ー問題が問われようが、その際この「核融合」問題について資源を集中するや否やも是非問われる
  問題ではなかろうか。

  参考: 岡野邦彦氏の「核融合とは」のHP


   




























































  07.福島原発の惨状                        2011年06月21日

  福島原発事故の惨状は拡大する一方で、全く収まる気配が無い。

  6月19日現在話題となっている汚染水の浄化も、フランスや米国に多額の金を払って導入した装
  置も運転後直ぐに停止してしまって、汚染水が溢れ出す期日がいよいよ迫っている。

  そうした状況下で、11年06月20日の毎日新聞の「風知草」の記事を読むと真に腹立たしくなる。
  反原発で知られる京大の小出先生によると、「東電の発表を見る限りでは、1号機には水が無い
  とのデータが出ているが、もしそうならドロドロに溶けた核燃料が圧力容器、格納容器の底を破
  ってその下にあるコンクリートの土台にめり込んで、地下へ沈みつつある恐れがあり、一刻も早
  く地下ダムを築いて地下水に到達するのを防ぎ、海洋流出を食い止めねばならない」とする。

  だがダム建設費が1,000億円掛かりこれを公表すれば東電の株価がさらに下落するので、株主総
  会を乗りきれないと言うのだそうだ。小出先生は一刻をも争う事態だと懸念されているのに、東
  電は株価や株主総会を優先させるのだそうだ。この期に及んでいまだに何が大切かの判断が出来
  ない経営者達のようだ。

  原発沖合の魚介類からは、既に汚染されたものも見つかっていて、漁獲は停止されており、これ
  が地下水を通して本格的に海洋汚染が始まるとその被害の甚大さは、その規模や期間においても
  とてつもない状況になるのではないか。地上での汚染で避難地域にはチェルノブイリと同様に30
  年経っても人が住めなくなるのではないかと言われているが、海洋汚染が広がれば更に被害が拡
  大するのである。


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  06.安全な技術は無い                       2011年06月21日

  評論家の西部邁は言う。
  『技術が安全なはずはない』
  常に危機を孕みいつも誤謬にさらされている技術知が安全なはずはない、と言う。自動車であれ
  薬品であれ技術の産物に安全ということはないのであって、かくして「文明の被害」が夥しい数
  の交通事故死者等を毎年出していて、第二次大戦後だけでも「文明の被害」に遭った人命は1億
  にのぼるに違いないとする。

  第二次大戦では、世界の戦争犠牲者は約5,200万人(英タイムズ調べ)であるが、それを遥かに凌
  駕する犠牲者が西部の言うところの「文明の被害」で発生しているのである。
  WHOは2011年5月に、世界の交通事故による死者数は年間130万人にも達し、このまま対策を放
  置すれば2020年には年間190万人に達する恐れがあると発表した。なかでも自動車の増加が著しい
  中国とインドが特に多い。中国が22万人、インドが13万人(2007年WHO調べ)である。

  安全なはずはない技術知にだけ頼っていては、巨大な地震や津波や原発震災によって多くの犠牲
  が発生してしまうのである。時速300km近いスピードで走行していた新幹線を安全に止めたのは
  如何に技術が優れていたかである、と技術をまたぞろ礼賛する向きもある。しかしこれは地震発
  生箇所と新幹線に距離があり、地震警報発生から地震波到達に何十秒かの余裕があったための幸
  運であったのである。もし仮に、これが東海地震や首都直下地震であったなら、地震発生から殆
  ど時をおかずして地震波が新幹線を襲い、大惨事に成る事は間違いないのである。急ブレーキを
  掛けても数キロも走ってやっと停止するのだから。

  南海地震、東南海地震、東海地震の同時発生や首都直下地震が発生した時に長期振動や激震に超
  高層ビルは耐えられるのか、躯体がもし持ち応えたとしてもガラスや壁、建物内の什器備品が落
  下したり、エレベータや給排水衛生設備や空調設備は大丈夫なのか?まだ我々は一度も経験した
  事がないのである。高架高速道路は阪神高速の倒壊から改善されたのか?地下街、地下鉄は津波
  対策はなされたのか?

  条件の良かった3.11でさえ、帰宅難民や車が道路を埋め尽くしく、電気は止まり、携帯も掛から
  なかった。ビルが倒壊し、大火災がもし発生したなら帰宅さえ出来ないだろう。

  西部はこうも言う。
  予測不能な危機に何とか対処できるのは、技術知ではなく、人間組織を支えるのは実践知であり
  過去における経験への確かな解釈と未来に対する想像力豊かな洞察でもたらされる、と。しかし
  この実践知でさえも常に可謬的なことを確認しておくべきであるとする。

 
  
  
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     05.南西諸島の安全                        2011年02月15日    防衛大学校長の五百旗頭(いおきべ)さんが2011年2月13日の毎日新聞の「時代の風」欄に「南   西諸島 あんぜんのために」と題して寄稿している。    中国のGDPが日本を抜いて世界第2位になったことが、このところ盛んに報道されている。他の   国々がリーマン・ショックによる世界的経済危機に見舞われている最中、一人中国だけは経済的   軍事的に大躍進を続けている。このまま中国が経済成長を続けるなら早晩アメリカを抜いて世界   第一の経済大国になるだろうと予測されている。    その中国の経済成長に不可欠なエネルギー資源と運搬ルートを確保するために、中国は世界各   地に進出して活動をしている。その一つが尖閣諸島の領有の問題であり、東シナ海への中国海軍   の進出である。中国の軍事拡大は凄まじく、兵力は289万人と日本の24万人の10倍以上である。   2位は260万人のインド、3位は154万人のアメリカである。宇宙では既に軍事衛星を所有してい   る他、ステルス戦闘機や大陸間弾道ミサイルや空母の建造にも取り掛かっている。質の面でアメ   リカには及ばないものの、いづれ比肩する軍事力を、いやアメリカを凌駕する軍事力を持つ事に   なるのではなかろうか。       1971年以来、中国は尖閣諸島の領有権を主張するようになり、1992年には国内法で中国領土に   編入してしまった。この大陸棚に石油やガス資源が埋蔵されている事が判明したからである。対   して日本の対応はまことにのどかで、沖縄本島以西の南西諸島には防衛施設は皆無なのだそうだ。   五百旗頭氏に言わせれば「およろしければどうぞお取り下さい」の状態なのだそうだ。防衛大学   校長がそう言うのだから、その通りなのだろう。    遅ればせながら、2011年になってやっと「南西諸島防衛」をテーマにして日米共同演習が行わ   れた。紙に書かれた約束事に過ぎない「日米安保条約」が実際に行動を伴うものであるという事   を、この地域に干渉しようとする国々に認識させ、無分別な行動を抑止させる効力が認められる   と五百旗頭氏は言う。    以上は南西諸島への人為的脅威への対処であるが、この地域ではその他に地震・津波という自   然災害への対処が極めて大切なのである。    今から240年前の明和大津波は山のような津波で40mの大波が石垣島を始め多くの南西諸島を壊   滅させたのである。わずか240年前の事であるにも関わらず、多くの人が忘れてしまって無防備   に安穏に生活している。   →http://isamusouma.web.fc2.com/27jiji.html#jisin の 八重山地震・明和の大津波を参照    川を逆流した大津波は最高85mの高さまで達したという。   五百旗頭氏は地形的に高台に逃れる事は難しいので、強靭な鉄筋3階建以上のビルが必要だと述   べているが、これで大丈夫なのあろうか?少なくと、100m間隔ぐらいで最低10階以上の鉄骨鉄筋   の避難所を兼ねた建物を低地には設けるべきではなかろうかと思う。     津波大石(つなみうふいし・石垣島・大浜崎原公園・推定重量700トン 写真:山村武彦氏) → この頁の最初に戻る
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  04.「以て瞑すべし」                        2011年01月23日

   葬式の追悼で、”・・・貴方の功績はもって瞑すべし”でありました。
  と読み上げられれば、故人に対しては最大の賛辞なのでしょう。否、故人は聞くことが出来ない
  のだから、参列者が故人に対して敬意を持つものなでしょう。
  人間、誰しもこのような追悼文で送られたいものではあります。

   「以て瞑すべし」とは
  ・ここまでできれば、もう死んでもよい。転じて、それで満足すべきである。
   例:「全力を尽くしたのだから"以て瞑すべき"であろう」
  ・その結果で満足すべき
  ・理想とまではいえないが、その水準に達していれば、十分に満足してよい。
  ・物事が整ったり、よい後継者が見つかったりしたので、後のことは安心だ。
  ・死者の追悼で、「生前、十分な功績をあげて満足でしょう」という意味の表現。
  ・それによって安らかに死ねるだろうという意味で、それくらいできれば死んでも良いという気
   持ち。宿願を果たしたので、もう安心して死ねる。例:「偉業を成し遂げたのだから、以って
   瞑すべしだ」 
  などと色々のところに載っているので、このように使うのだろう。

   作家の森村誠一氏が、「森村誠一の写真俳句のすすめ」2010年12月17日の森村誠一の写文俳句
  12月の中で、”以て瞑すべし”的エッセイを載せていらっしゃるのでその一部を紹介しよう。
  
  『三年間、それぞれの月、季節ごとに、人生や、自然や、移り行く世相や、発展を止めることの
   ない物質文明下の影響を受ける地球と、社会環境や国際情勢の変化などをつぶさに観察する機
   会を得た。過ぎた日は昨日のように近く、追憶は限りもない遠方に烟(けむ)っている。そして、
   未来は無限の可能性と、永遠の未知数に満ちている。

   私たちは好むと好まざるとにかかわらず空間を移動(旅行)できても、時間の囚人である。一
   分一秒も過去へ戻ることはできず、老若にかかわらず、現在がいちばん若い。我々は無限の可
   能性と未知数を食いつぶしながら、未来に向かって歩いて行く旅人である。

   過去から学ばない者には未来がないと同時に、過去に縛りつけられた者はいまがいちばん年老
   いている。過去から学んだものを教訓とし、未来に役立てるとき、我々はいまがいちばん若く、
   未知の狩人となる。

   私にとってはあっという間に経過した三年間であったが、茫然として時を過ごしていれば、そ
   れは一度限りの人生における損失(ロス)にすぎない。なにもせず、寝て過ごしても時間は時間
   であり、三年は三年である。若者は洋々たる未来の無限の可能性に恵まれているが、その可能
   性に挑戦しない限り、無限になにもないのと同じである。

   だが、そのことは若者に限られず、すべての人間に対していえることであろう。死刑でも宣告
   されない限り、いや、死刑を宣告されたとしても、執行日を告げられなければ、また医師に余
   命を予告されても、確実に予告された日に死ぬとは限らず、人間は生ある限り、無限の可能性
   をもっている。ただ、加齢に伴い、未知数が減ってくるだけである。

   生を受けると同時に、神からあたえられた日めくりカレンダーの残りが少なくなるほど、時間
   を大切に使うようになる。時間が濃縮されてくるのである。
   十二月に入ると、師走と称(よ)ばれるように、さして多忙でもない人も小走りに走りたくなる。
   一年ごとの人生の刻み目に時間が濃縮して感じられるのである。

   年頭に立てた予定を達成できず、年の暮れになってから急にばたばた動きまわって片づけよう
   とする心理と、薄くなった人生のカレンダーの持ち主の心理は共通するところがある。除夜の
   鐘が鳴り終わると同時に、人はまた新たな一年をもらったような気がするが、日毎減っていく
   人生の日めくりカレンダーを、新たに補給することはできない。一期一会の消費である。人間
   は分秒刻みに現在を過去に変えながら、神よりあたえられたそれぞれの人生を消費しているの
   である。

   なにもしない消費か、あるいはこの世に新たな生産をしながらの消費か、のちがいである。

   人生というケルン(石を積み重ねた山の道標)にどんな小さくともよいから、自分の石を新し
   く積み重ねたい。そんなおもいで聞く除夜の鐘は、一撞(つ)き、一鐘声(しょうせい)ごとに人
   間が積み上げるケルンの一石のように聞こえてくる。

   除夜の鐘撞(つ)き惜しみても時は行き


   どんな人の人生であっても、一度限り(ワンチャンス)の貴重な試み(トライアル)である。生き
   るために自分の人生の一部を売り渡したり、強制されたり、あるいは人生そのものを奪われた
   りする人もいるが、せっかく生を受けた以上、無駄に使いたくないとおもうのが人情である。
   どんな人生を過ごそうと、本人がいいとおもえば、それでよい。

   「いいじゃないの、幸せならば」が人生の要諦であるが、人間は時に幸せよりも不幸や不利益
   を選ぶこともある。社会正義のために自らを犠牲にしたり、使命のために家庭やささやかな幸
   せを放棄する。彼らにとっては幸せという身の回りの居心地よさよりも、生き甲斐や使命感の
   ほうが価値をもっているのである。つまり、幸せだけでは満足できない人間も少なくない。

   人類が文化をもってから地球上に生を受けた人間の総人口は、調査者、調査方法によって百二
   十億人から九千百億人と、かなりの異同はあるが、今日のような高度な物質文明の恩恵に浴し
   た、あるいはその副産物の弊害を受けた人類は、地球の総人口の中の一部にすぎない。いまだ
   かつて現代ほど物質文明が高度に発展した時代は過去にない。

   その意味で、現代に生きる人間は、過去の人間たちが決して経験しなかったことを体験してい
   る。電気、ガス、車、新幹線、航空機、PC、携帯、iPad、キンドルなど、物質文明の頂
   上に立った者は、決してそこから下りられなくなる。今後、これ以上の発展が期待されるとす
   れば有人宇宙船ぐらいで、この数十年間の飛躍的な発展は期待できないそうである。つまり、
   いまを生きている人類は、人類史上、空前絶後の経験をしていることになる。

   その経験が、未来の人類の幸福に貢献するか、あるいは地球そのものを破壊してしまうか、ひ
   とえにこれからの人類の英知にかかっていくであろう。自分の積み上げるべきケルンのささや
   かな一石が、人類の幸福にどんな小さくてもよい貢献ができれば、以(もっ)て瞑すべしとい
      えよう。

   

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  03.「大リーガーのツバ吐き」                     2011年01月17日

   不愉快極まわらない事の一つに、大リーガー選手のツバ吐きがある。必要以上に放映されるN
  HKの大リーグ中継で、しばしば大リーガー選手のツバ吐きがアップで映る。打席に入ってクチ
  ャクチャやっていると思ったら、ところ構わずペッツペッツとやる。

   集中するだの、緊張緩和するだのとご託を並べるが、要はマナーがなっていないだけ、自分本
  位だけの野蛮な礼儀知らずの行為である。イチローや松井がペッペとやりますか、日本選手はそ
  んな事はしません。ところが、何をどう勘違いしたのか、血迷ったのか、日本の野球かサッカー
  で極く一部の選手が大リーガーの真似をしてペッペとやっている者がいるという。あきれた奴だ。
  所栓野蛮な行為を格好いいとでも思ったのか知らないが、とんでも無い輩だ。

   大リーガーの選手は途方も無い高給を取っている者が多いが、マナーに関しては誠にお粗末で
  である。野球が上手いだけでチヤホヤされ、上等な生活をしている。だからマナー等零の選手が
  実に多い。試合終了後のダッグアウト等はまるでブタ小屋同然の汚さだそうだ。ツバや紙屑やヒ
  マワリの種の殻や紙コップや噛みタバコ、ガム等が一面に散らばっているそうだ。
   ダッグアウトを汚すのは当然で、それを清掃するために清掃員がいると思っているようだ。

   欧米では一般的に、勿論我が日本でもですが、ツバや啖等を公の場で吐くなどは許されないと
  思うし、見聞したこともない。
   それが大リーガー選手に限っておおっぴらにやって、誰も咎めない、NHKのTV中継でも平
  然とアップで中継なさり、何のコメントもない。他のスポーツではこんな事は知っている限りな
  い。無論あって良いハズもない。
    
     ほとんどが定位置、バッターボックス近辺やダッグアウト付近が多いので、吐かれた唾はいづ
    れに空中に舞い上がり、土中に染み込みスライディングでもすれば、いづれ己の体中に入り込む
    ことだろう。もし、細菌でも含まれていれば感染するかもしれない。
     まさに『天に唾する』行為そのものだ。
    
     NHKだってクチャクチャやっている選手がいたら場面を切り替えたらどうだろう。プレーの
    瞬間に唾吐く馬鹿はいないのだから、その時に映せばいいのではないか?高い受信料を払ってま
    で不愉快なものは見たくないものである。
    

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  02.「韓国の台頭」                          2010年10月15日

   韓国が近年各分野で台頭してきている。
  スポーツの分野では、オリンピックで日本を上回るメダルを取っている。2010年バンクーバー
  オリンピックでは韓国金メダル3個、銀2個であるに対し、日本は銀1、銅1でしかない。フィ
  ギュアーでのキムヨナの圧倒的な強さや、スピードスケート、ショートトラックでの活躍は記憶
  に新しいところである。

   サッカーでは日本はどうしても韓国に勝てない。野球も前回のWBCで薄氷を踏むおもいでや
  っと勝てたばかりである。ゴルフに到っては、男女共に韓国勢に圧倒的に負けてしまっている。
  特に女子の米国LPGAでの韓国女子の活躍は凄いとしか言いようがない。男子の日本のPGA
  での韓国選手選手は常に上位に何人もいるし、日本のLPGAは韓国女子のために開催されてい
  る感さえある。
  
   鉄鋼ではPoscoに新日鉄が抜かれ、造船は遠の昔に追い抜かれている。電機ではサムスン
  電子やLG電子が日本のメーカーを世界各地で駆逐しつつある。自動車でも現代や起亜の追い上
  げが激しい。

   映画やTVでは”韓流”が大流行で、特に昼のBS−TV番組などはどのチャンネルを回して
  も韓国物ばかりである。NHKでさえ韓国物を流している。

   スポーツは、明らかに韓国選手はハングリー精神が強烈であり、特にゴルフ等は家族ぐるみで、
  英才教育を行っていて、国内ツアーが小さく海外に頼るしかない。背水の陣を張っているのであ
  る。オリンピックでは政府による選手への手厚い援護があるほか、サムソン等の財閥の支援が大
  きい。

   韓国企業の世界進出は、ウオン安が基本的には追い風になっているし、韓国政府がEUや米国
  とFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)を締結し、関税無しで世界市場への進出を
  強烈に後押ししている。我日本は、国内政争に忙しく完全に韓国に遅れてしまった。

   しかしながら、韓国の台頭が地に足が着いた確実なものかというと、かなり無理をしているふ
  しがある。あまりにも過激なのである。貿易依存度も日本よりも遥かに高く、貿易が好調な内は
  よいが、少しでも低調になるとたちまち韓国経済に大打撃を与える要素となる。

   韓国の国家予算は2008年で約16.7兆円であり、その1.3倍もの対外債務を有している。東京都
  の2010年の予算規模が約12.4兆円である事を考えると、経済規模も国家予算規模もまだ小さく、
  何かに躓くと通貨不安に陥ったりする恐れは多分にある。
 
   人口は約4600万人であるが、日本以上に出生率が低く、将来人口減はさけられそうにない。更
  に北朝鮮との併合などがあろうものなら、北朝鮮の2400万人の人々を養うだけでも相当の負担が
  掛かってくる。西ドイツが東ドイツ救済で今尚大きな負担を負い続けていることを見るとその大
  変さが判ろうというものである。

   物事を極めてラディカルに進める気質を持っているが、あまり激しないで周りとの協調を図り
  ながら地道にやっていかないと長続きがしないのではなかろうか?
   それにしても目を見張らされる”台頭”ぶりではある。


   
   (韓国の国花)

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  01.「新聞を替えた」                         2010年10月15日

   新聞を替えた。
  朝日新聞から毎日新聞へである。
  郵便受けから取り出して手にすると、その厚みが2割方薄くなっている。
  それは広告の量が随分違うからである。

   朝日や読売はやたらと広告が沢山掲載されている。頁をめくっていると一頁まるまる広告のも
  のも頻繁にある。だからそれらは殆ど読むこともなく読み飛ばすことになる。よほどの関心のあ
  る広告以外まず一頁まるまるの広告など読まない、見ない。

   それからおり込み広告の量も朝日、読売の方が断然多い。だから土曜日などの配達新聞の量は
  相当なものである。
   僕はおり込み広告はかなり良く見る。スーパーの安売り、自動車、電器製品等の広告は本当に
  良く見る。見終わった後は、その広告で四角い箱を造り折りたたんで仕舞っておき、ごみ廃棄時
  にそれを箱状に戻して利用する。ベターホームの料理教室ではこれを野菜などの不要部分を捨て
  る際のゴミ箱替わりにして利用している。
   僕も、土曜などは大量に折り込まれている紙質の上等な大型の広告紙を利用して、この箱を沢
  山造る。ダイソンの掃除機には紙パックが付かない構造なので、この広告で作った紙箱をゴミ捨
  て用に必ず利用する。これがすこぶる便利なのである。

   さて、新聞の内容だが、紙面の少ない毎日でもその内容は朝日や読売に比べて決して遜色はな
  い。否、読み応えのある記事が結構多い。ただ朝日の文芸欄は量・質共に他社を相当凌駕してい
  る事は否めない。
   個人の興味の問題だが、生活欄で朝日は情報機器やIT、パソコン等のハード、ソフト面で新し
  い記事を多く掲載してくれるので、その情報を随分利用してきたが、毎日はそちら方面が弱い。
  日経には、「日経PC21」という月刊紙があり、これは朝日や読売の比ではない。

   特に読売の販売促進方針は凄まじく、部数を伸ばす為なら何事も厭わない姿勢がある。毎日は
  そちらには力点を置いていないのだろう。広告を取る活動も少ないのだろう。でも記事内容にお
  いては問題はなく、新聞を替えても何の問題もなかった。
  販売部数が少ないせいか、販売店も小さいのだろう。夕刊などはかなり年配のおじいさんが自転
  車でよたよたと新聞を配って回る。目が良くないのか、覚えられないのか配達先の名前を何度も
  確認しながらやたら時間をかけて郵便受けに入れて行く。そのため夕刊は4時半頃にならないと届
  かない。朝日や読売はバイクや自動車で大量に持ち込んで、元気一杯のお兄さんが勢いよく手際
  よく配って回るのだが・・・。

   
   
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