*** 雪の青森***

*大間崎と薬研温泉*

  今年2011年は、例年になく雪が多いと報じられている。
  関東平野の東京の近くに住んでいると、去年の暮れから雨も雪も全く降らず、
 空気はカラカラで、全てがパサパサで、何だか無性に雪を見たくなってしまう。

  新幹線が2010年の12月に青森まで開通した。八戸までは既に開通していたのだが、
 八甲田山の下をくぐるという大工事の末に、やっと青森まで開通したのだ。八甲田
 トンネルは全長26kmもあり、陸上の鉄道トンネルとしては世界最長なのだそうだ。
 26kmというと、東京から東海道線で横浜の手前の子安辺りまでの距離である。 
 最速の”はやぶさ”が2011年3月から東京〜青森間を3:10分で走り抜ける事になる。

  八甲田山トンネルに入る手前に七戸十和田駅があり、そこからバスでマグロの一
 本釣りで知られる大間崎にまず向かった。宇都宮を過ぎると車窓に雪景色が映るよ
 うになって、盛岡、八戸と北上するにつれていよいよ雪は多くなり、七戸十和田駅
 で降りた時には辺り一面の銀世界であった。関東平野から来るとまるで別世界であ
 る。

  バスはマサカリ型をした下北半島の付け根の野辺地から国道279号線に入って、陸
 奥湾沿いに北上を続けた。途中、半島の柄の中程に位置する横浜で小休止した。神
 奈川の横浜ではない、下北半島の小さな町である。春には一面に菜の花が咲くそう
 である。陸奥湾の浜の横に位置するから”横浜”なのだろう。

 

 陸奥湾は、何と言ってもホタテである。
 PA脇に「ほたて観音」が雪に埋もれて建っていた。















  この国道と平行してむつ市大湊まで大湊線が走っているが、線路は雪で埋まっていて
 列車は運行しているかどうか判らない。
  この陸奥湾の反対側、太平洋側は六ヶ所村であり原然の再処理施設備がある場所であ
 る。プルトニュームを再生するので安全性に対して賛否の議論がなされている所だ。

  たまたまであるが、今度の旅行鞄に東野圭吾の「天空の峰」という文庫本を入れて来
 て、そのお終いの方を読んでいたのだが、この東野という作家は技術系だけあって、原
 発について結構詳しく書き込んでいる。この本は敦賀の原発や動燃・もんじゅを題材に
 した小説であるので、青森の六ヶ所村の事を意識させられるのである。

  丘には巨大な羽根を持った風力発電が何基も屹立している。降りしきる雪はいよいよ
 激しく、バスのフロントガラス越しには僅かな視界しか得られ無い。

 
 















  むつ市で再度小休止し、バスはいよいよ津軽海峡に面して走り続ける。振り返ると尻
 屋崎方面の山並みがうっすらと見える。

 

  途中、山と海にへばり付いて下風呂(しもふろ)温泉がある。
 ここは井上靖の「海峡」や、水上勉の「飢餓海峡」の舞台でもある地なのだ。

  かって大間の海軍要塞強化のためと、青函連絡船が被害を受けた場合の代替航路とし
 て利用するために、戦時中、軍はむつ市から大間までを鉄道で結ぶ工事を進めた。だが、
 戦局がいよいよ厳しくなり、材料が入手出来無くなって工事は中断し、以後再開されず
 に今日に至っている。青函鉄道トンネルを掘る際に、現在の竜飛岬経由よりもこちらの
 大間崎からの方が距離が北海道まで2kmほど短いので、こちらのルートの検討もなされた
 ようだが結局現在のルートに決まってこちらは放置された儘になっている。こちらのル
 ートでは県庁所在地の青森から外れてしまうのが大きな理由だったのだろう。南部地方
 の住民は大いに不満だったに違いない。
















  2011年の築地市場での初セリで、市場最高値を付けたのは函館市戸井のマグロで3,249
 万円だった。例年、大間のものが最高値だったが対岸の戸井産のものがキロ9.5万円でセ
 リ落とされた。買い手は銀座すし店の久兵衛と、香港の板前寿司の共同購入であった。
  久兵衛の寿司は値段が高く、滅多なことでは行けないものだ。寿司は小ぶりで、ここで
 お腹を満たすことなど僕には不可能なので、回転のカッパ寿司で一皿90円で我慢しよう。


 大間崎にはマグロと漁師の手のモニュメントがある。

 

 本州最北端の碑
 津軽海峡の烈風は強烈だ! だが、津軽の竜飛岬の風はもっと凄いらしい。

 















  他には、土産物屋や食べ物屋が僅かにあるばかりで、寂しい所だ。

 


  大間にはマグロの加工場は無く、無論、高給マグロを消費する経済力も無い。だから
 マグロは水揚げされても殆んどが東京・築地等の消費地へ送られてしまうのだ。

 















  余りの寒さに、早々に退散し、今日の宿である薬研温泉目指して元の道を引き返す。
 道路の脇には雪が随分積もっていて、盛んに雪かきをしている。

 















  この薬研温泉は、津軽海峡を離れて山奥に9km程入った所にある山間の温泉で、更に進むとあ
 の恐山に突き当たる。

 

  この道を進んで左折すると恐山である。ただ、冬の間は閉鎖されている。
 閉鎖中は、二人が寺を守って雪深い中にこもっているそうだ。















 

  このホテル、烈風が吹くと窓のサッシから風が吹きこんできた。仕方がなく新聞紙を丸めて
 すきま風を防いだ。救われたのは、温泉がとても良くて体がいつまでもポカポカとして冷めず
 暖房を切らないと暑くて寝られないことだった。でも、やはりここでは二重窓が必要だろう。

 


 



 この薬研温泉は海岸からわずかに内陸に入ったところだが、積雪量は海岸付近に比べ格段に多い。
 恐山に近いとあって、幽玄な景色だ。

 















 この下北半島は猿が生息する北限であり、これより北にはニホンザルは居ない。

 


  恐山は比叡山、高野山と並び日本三大霊場と称される霊場で、本尊が安置されている
 地蔵殿を始め沢山の伽藍を有している。貞観4年(862年)に慈覚大師にによって開山され
 たと伝えられている。正式な寺名は恐山菩提寺である。開山期間は5月1日〜10月31日。

  恐山と言えばイタコによる死者との”口寄せ”が良く知られているが、イタコも高齢
 化が進み、なり手も少なくて数も少なくなっているとの事。”口寄せ”をして貰うのは
 容易ではないらしい。一人故人を現世に降ろして貰うとだいたい3,000円が相場なのだそ
 うだ。

   イタコ



*浅所、黒石*

  源泉かけ流しの薬研温泉「ホテルニュー薬研」は浴槽が総檜葉(ひば)造である。
 檜葉は”明日檜になろう”との意味で翌檜(あすなろ)とも呼ばれる。抗菌作用の成分が
 あるとの説明がされている。青森県の県木だそうで、かってこの木が多くあったのだそ
 うだ。
  
  薬研温泉を後にして、陸奥湾を右手に見ながら野辺地まで南下し、東京・日本橋から
 延々と続く国道4号線に入った。4号線は青森市まで750kmの距離があり、日本最長の
 国道である。その4号線の左右は大変な雪の量である。
  暫く青森方面に進むと、陸奥湾に突き出た夏泊半島がある。その根本の所に白鳥の渡
 来地である浅所海岸がある。

  青森県は津軽地方と南部地方に大別され、陸奥湾に付きだした夏泊半島までが津軽地
 方で、それ以東が南部地方である。県庁所在地が津軽地方の青森市にあることから、八
 戸を中心とする南部は津軽に対して対抗心を持っているらしい。津軽氏が治めていた地
 域が津軽地方で、南部氏が治めていた地域が南部地方の原型で、南部地方は岩手や秋田
 の一部も含まれていたのだそうだ。

 


  鳥インフルエンザの影響で、白鳥の餌付けもあまりやらないらしく、白鳥の飛来数は少
 なくなっている。

 















  この辺りの積雪は尋常ではなく、車も埋もれそうである。

 


 木々には雪が密着している。2〜3mはゆうに積もっている。

 

















  黒石の津軽伝承工芸館で津軽三味線を聞く。

 


  大きな雪だるまに迎えられた。

 


 犬の皮を張ってあるという大きな津軽三味線の演奏、動画でどうぞ。

 

















*津軽鉄道ストーブ列車・斜陽館*

  津軽五所川原駅 - 津軽中里駅 20.7kmを結ぶまことに小さな鉄道である。
 Wikipediaによれば「JR五能線の前身である川部駅 - 五所川原駅間の鉄道を運営していた陸奥鉄道
           が国に買収されたのち、買収によって陸奥鉄道設立時の出資額の倍の支払い
           を受けた株主たちが津軽における次なる鉄道として五所川原 - 中里間の鉄
           道を計画し、これを建設・運営するため設立された。」
           とある。1928年(昭和3年)2月24日設立。

  五所川原は立佞武多(たちねぷた)が平成10年から行われるようになり、青森ねぶた、弘前ねぷ
 たと共に夏の青森の夏祭りになっている。
  五所川原市「立佞武多」


  冬は「ストーブ列車」が観光の売り物となっている、これは車内の様子である。
 

  吉幾三の通称「ホワイトハウス」がこの近くにあるという。
 本人は東京暮らしで、兄弟の誰かが住んでいるらしい。
















  駅舎はまことに小さなものである。

 


 
















  ストーブ列車、鈴虫列車、七夕列車等様々な工夫をして乗客確保を図っている。

   津軽鉄道


 


 















 
 


 


 車内でスルメや酒、餅等を販売し、ストーブで焼いてくれる。

 


 















 これは観光客用の為の車両で、地元の人が乗る車両にはストーブは無い。

 


 



 下車時は丁寧に見送ってもらえる。

 


 
















太宰治 斜陽館

 太宰の生まれた津島家

 


 太宰は津島修治といい、1909年(明治42年)にこの大地主の六男として生まれた。
  この大邸宅は昭和25年から斜陽館という旅館になっていたが、五所川原市金木町が平成元年に
  買取、復元修復工事の後、平成10年から金木町太宰治記念館「斜陽館」として開館した。
  
 


 宅地680坪の広大さを誇り、建物の延べ床面積は1,300uもある。

 


 大きな土蔵は資料館となっている。

 















 部屋の中の襖絵や欄間等も随分と凝ったものである。

 


 


 写真の上は津軽鉄道の乗車券で、下は斜陽館の入場券である。

 
















  太宰は東京の玉川上水に昭和23年6月13日愛人と入水して、39歳の生涯を閉じた。
 入水した日が誕生日であり、その日は後に「桜桃忌」と名付けられて、今でも多くの太宰ファン
 に慕われている。「桜桃忌」は俳句の夏の季語にもなっている。

  東京の吉祥寺に住んでいた時に、入水の場所を訪ねてみたが、今日は水量も少なくとても自殺出
 来るような水深もなかったように記憶している。

  まだ読んでいなかった「きりぎりす」と「津軽通信」の文庫本を、「斜陽館」脇の売店で購入し
 て帰りの車中で読んだ。

  帰りは本当に短時間に大宮へ帰りついた、「津軽通信」を半分も読まない内に。

 

 <終わり>

    → この頁の最初に戻る
   → HPの最初に戻る
inserted by FC2 system