「直葬」という語彙を知りませんでした。まあ、字を読めば直接に葬るのだから葬儀無しかな
とは想像出来はしましたが!でもいやな文字ですねえ。
Netで「直葬」と検索してみると、「小さな火葬式、通夜・告別式を行いません、総額17.3万円
追加料金一切無し」などと書いた葬儀社のHPが現れる。年間10,000件の実績、他に「小さな一
日葬33.3万円」「小さな家族葬49万円」もあると出ている。
今までは気に留めたこともなかったが、あの「日比谷花壇」がこの分野にまで進出している。
コピー文はこうだ。「直葬なら日比谷花壇、Flowery Funeral、直葬プラン・おくりばな…。」
直葬とは、「病院などのご逝去先から、火葬場へ直接搬送し、通夜や葬儀告別式を行わず、火
葬のみを行うものである。法律上死亡時刻から24時間経過しなければ、荼毘を行えないので、
実際の火葬は翌日以降になる。死亡届の提出、火葬場の空き状況等によって日時が決定する。」
と書かれている。
知恵蔵によると、「通夜や告別式などの宗教儀式を行わない、火葬のみの葬儀形態。近親者や
友人など限られた関係者のみで執り行うケースが多い。葬儀費用が平均18万円程度と安価で、
時間が軽減できることが利点である。一方で、十分な別れの時間が取れない、招待しなかった
人々からの反感を招く、葬儀後に個別の弔問が多発するといった問題が起こるリスクもある。
経済的な問題や宗教観の変化、人間関係の希薄化などにより、2000年以降、都市部を中心に増
加している。NHKが2013年に行った調査によると、地域別では関東地方が特に多く、葬儀全体の
5件に1件を占めている。」と葬儀の20%がこの形式になっているというから驚きである。
NHKテレビ番組で「増える直葬その背景をさぐる」という番組が放映された。そこでは、4人に1
人が直葬というおくり方をしている現状が報告された。この直葬は以前は経済的困窮者が主だ
ったが、社会的に認知されてきているという。
直葬を選ぶ理由として番組では
@家族に迷惑をかけたくない A子どもや身内がいない B自分の価値観にあった葬儀
を上げていたと「仏声人語」のサイトに出ている。
この分では、僕も”直葬”になる確率が高い。多分経済的理由で!
しかし、せめて”竹”クラスにして貰い、棺桶にはこのHPのHTML文とゴルフボールの一つでも
入れて貰えるよう「エンディング・ノート」に書いておこう!
この直葬の後は、 樹木葬にでもして貰うかな!
その日が遠くないあなたのために、参考になるかどうかですが日比谷花壇のサイトです。
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≪40自然科学≫
・重力波観測 (2014.03)
2014.3.17に米ハーバード大学等のチームが、「原始重力波」の痕跡を南極に設置した電波望
鏡で検出したと公表し、アインシュタインが100年も前に一般相対性理論で存在を予言した事
を裏付けてみせた。
宇宙はビッグバンの直後急速に拡大したとする「インフレーション理論」を裏付ける直接的な
証拠となるそうである。138億年前に誕生した宇宙は直後にビッグバンを起こしたが、その後
38万年の間は中心部の密度が高すぎて周りの物質と衝突を繰り返し光が飛び出す事も出来ない
状態であった。
これを観測するため、大気が安定している南極に電波望遠鏡を設置して、ビッグバンの名残で
あるマイクロ波「宇宙背景放射」の観察を続け、ついにマイクロ波の振動方向分布が特定のパ
ターンを描いていて、原始重力波による影響と予測されていたパターンに一致したことを発見
した。
重力波は重い星などが振動する際に、時間や空間の振動が周囲に伝わる波で、アインシュタイ
ンがその存在を予言していた。
二間瀬敏史氏が「ブラックホールにちかづいたらどうなるか?」(さくら舎・2014/2月刊)の
エピローグで重力波とブラックホールについて次のように書いているが、こんなにも早く重力
波の検出がされた事にはさぞ驚いているだろう。
「20**年、岐阜の神岡鉱山の地下に設置されたニュートリノ望遠鏡と重力波望遠鏡が宇宙から
のニュートリノと重力波を検出した。1987年に大マゼラン星雲に現れた超新星の時に捉えら
れたニュートリノは11個に過ぎなかったが、今回は数千個のニュートリノと重力波が検出さ
れたのである。これは超新星爆発が銀河系の近くで起こったことを示している。重力波は超
新星爆発が周りの空間を振動させ、それが地球に伝達したことを意味している。世界中の望
遠鏡でも同様の信号を捉えていて、総合すると、南十字星の近くの「りゅうこつ座」の星座
にある「イータ・カリーナ」と呼ばれる地球から7500光年にある星であることが分かった。
この「イータ・カリーナ」は太陽の70倍の質量をもつ星で、星の進化の最終段階を迎えてい
て、これが爆発したのである。世界中の天文学者が見守る中、ニュートリノと重力波観測か
ら10時間後、木星の様に輝く星が現れた。これが「極超新星」とよばれるブラックホールの
誕生が観測された歴史的な瞬間であった。」
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・SETI(地球外知的生命探査)(2014.01)
兵庫県立大学西はりま天文台の鳴沢真也さんの「宇宙人の探し方(幻冬舎新書2013.11)」を読
んでいたら、地球外知的生命探査(SETI)について科学的に真面目に書かれていた。
この手の話はSFと混同されがちで、真面目に考えられない事が多い。映画では、1968年公開
の「2001年宇宙の旅」、1977年の「未知との遭遇」、1982年の「ET」、そして1997年の「C
ONTACT」等が「2001年」を除いて地球外知的生命の物語となっている。これらの映画を
見た程度の知識しかないので、SETIについて真面目に考えた事もなかった。
SETIは(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)の略語であり通称「セチ」という。
SETIには地球から電波を発信するActive SETIと電波や光を受けるPassive SETIがあり、
電波望遠鏡で受信した電波を解析するPassive SETIが主流である。光学望遠鏡を利用する方法
もあり、それらはOSETI(光学的地球外知的生命探査)と呼ばれている。
我々地球人の存在確率は100垓(がい)分の1なのだそうです。つまり10の 22乗分の1。
銀河系には約1000億個の恒星があり、宇宙には約1000億個の銀河があるので1000億×1000億で
100垓になります。学校のプールに砂を入れると大体1000億個だそうで、100垓は世界中の海岸
にある砂の数よりも多いものだそうです。宇宙はそれ程に大きな存在であるので、地球に似た
惑星がある確率は大であり、当然知的生命が存在する確率は大きい訳です。
世界でも日本でもSETIは数多く進められていて、日本では西はりま天文台の鳴沢真也さん
等が中心になって進められている。有名な天文学者の故カール・セーガンさんもSETIを推
進された一人である。氏の残した有名な言葉に「地球外文明探査は人類にとって、”失敗もま
た成功である”と言える数少ない活動の一つである」がある。
SETI@home(セティ・アット・ホーム)と呼ばれるユニークな活動がある。これはプエルトリコ
のアレシボ天文台によって収集された宇宙から届く電波を解析し、人為的に発信されたと思われ
る信号を検出することによって行われる。この情報処理は非常に膨大な計算量を必要とするため、
プロジェクトと同名のSETI@homeと呼ばれる無償の解析クライアントソフトウェアを配布するこ
とで分散コンピューティングによって計算能力を確保している。このSETI@homeはインターネッ
ト接続されたコンピュータ群を使うボランティア・コンピューティングプロジェクトで、アメリ
カ合衆国のカリフォルニア大学バークレー校 Space Sciences Laboratory が運営している。SET
I@homeはSETIの一部である。その目的は地球外知的生命体の証拠を検出するため、観測データの
分析をサポートすることで、有益な科学的作業を行う。「ボランティア・コンピューティング」
という概念の実現性と実用性を証明することである。
つまりインターネットに接続したパソコンを有していれば貴方もSETIに関われるのである。
SETI Institute Home
また、もし電磁波などにより地球外知的生命を発見した場合のために、国際宇宙飛行学会の取決
めも出来ている。1973年4月5日にパイオニア11号で打ち上げられた惑星探査機ボイジャー一号は
2012年8月に太陽圏を脱出して恒星間飛行を続けていて、地球外知的生命に回収された時にメッ
セージを渡せるよう金属板のディスクを持っている。最も近いケンタウルス座アルファ星に向か
ったとしても8万年も掛かるのであが。
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・日本消滅巨大噴火(2014.10)
なんともショッキングな事である。2014年10月22日に神戸大学大学院理学研究科の巽好幸教授
が発表した「日本列島で今後100年間に巨大カルデラ噴火が起こる確率は1%」というニュースで
ある。御嶽山の爆発やその他の火山活動の活発化が言われているこの時期でのニュースだけに
一層注目される。巨大カルデラ噴火の確率は100年で1%(マイナビニュース)
3.11のM9の巨大地震の後では火山の噴火は付きものだそうで、過去においてもそうした噴火
は幾度も起きている。カルデラ噴火と言えば阿蘇山をすぐ思い出すが、航海日誌さんのHPに日
本の主要カルデラが載っているのでリンクさせて貰うとこんなにも沢山ある事に驚かざるを得
ない。日本の主要カルデラ
wikipediaの破局噴火
NHK カルデラ噴火! 生き延びるすべはあるか?
いづれを見ても絶望的なもので、こうした噴火が起これば日本は消滅するしかないのであろう。
日本の北海道から九州に原発54基があるが、これらが噴火や火砕流などで破壊されれば、日
本列島などは全く人が住める場所ではなくなる事だろう。噴火の影響だけでも1億以上の人間が
生きていけないそうだから、せめて原発の放射能だけでも止めて貰いたいものだ!
「日本列島で今後100年間に巨大カルデラ噴火が起こる確率は1%」という仮説は、
日本をおそった巨大噴火(KAGAKU 2014.1)で東大地震研の前野深さんが書いている。
前野さんも書いているように7,300年前に起きた喜界カルデラ噴火が最後のカルデラ噴火であり、
凡そ6,000年〜10,000年周期で繰り返しているカルデラ噴火は何時起きても不思議ではないのである。
火山噴火予知連の藤井会長は、「静かな時期しか知らないわれわれの火山噴火に対する危機感の薄さ
から、火山研究に対する資源投入は、地震研究に比べて圧倒的に少ないのが現状です。火山研究の進
歩なくして、火山大国日本で生き抜く知恵は見出せないのではないでしょうか。」と危惧する。
東海地震、東南海地震、首都直下地震、富士山・箱根山や活火山の噴火そして襲い来る巨大津波、更
にカルデラ噴火と日本列島は安全な場所は一つも無いのが実情だろう。それらが発生した時に海外に
逃避出来る日本人はほんの一握りの人々だけだろう。
今後100年間に巨大カルデラ噴火が起こる確率は1%という事は、1万年に1回は発生し、最後の
発生が約7,300年前の喜界カルデラ噴火(鬼界アカホヤ)であるなら、次回発生までは2,700年
であり、誤差を考慮すれば危険域に入っているのは間違いない。
これらに対処するには千年単位での対策が必要で、被害を少しでも減少させる方法を日本民族
絶滅から守るために行うべきである。今から準備しないと間に合わないのではなかろうか。
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・『幻の洋梨コミス』(2015.11)
正式には「ドワイエンヌ・デュ・コミス(Doyenne du Comice)」という洋梨である。僕はせいぜい
ラ・フランス程度しか知らないですが、1849年にフランスのアンジェで誕生した西洋梨で、まことに
美味であるらしい。10月初旬頃から12月頃が出回る時期らしい。
これを群馬の伊香保温泉近くの見城農園が販売している。一個千円近くもするが・・・。
近くに行く事があれば買ってみようかと思っている。
それとこの時期見逃せないのが山梨・境川の「寒桃」である。
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・地球の最後(2013.08)
カール・セーガン(Carl Sagan)はその著書「COSMOS」で地球の最後を次の様に言って
いる。
宇宙はその99%が水素とヘリウムで構成されている。太陽は誕生時に取り込んだ水素を毎秒4
億トン核融合してヘリウムに変換させながら太陽エネルギーを生み出している。しかしながら、
水素の核融合反応は永久には続かない。太陽も、他の恒星たちも、その熱い内部には、一定量
の水素燃料しか持っていないからである。星の寿命は、その星の最初の質量にかかっている。
地球の全生物はその太陽エネルギーによって生存している。植物が成長し、動物がそれを利用
している。誕生以来約50億年核融合を継続し、残りの水素の量は約半分である。それが燃え尽
きる50〜60億年後には太陽光エネルギーは消滅し、地球の全生物は滅亡する。
いや、その前に太陽はその最後に向けて膨張し、赤色巨星となって太陽系を全てのみ込んでし
まう。50〜60億年経ったとき、地球上では異変が始まる。太陽はゆっくりと赤くなっていき膨
張をはじめる。南極や北極でさえ暑くなり氷が溶けて海水面が高くなり、海水温も上昇して雲
が増え太陽光線を防ぐので地球の最後は僅かだけ延命される。
だが遂に大洋も沸騰し、大気も宇宙空間へと蒸発し、想像を絶する大破局が地球を訪れる。だ
が、その頃人類が生存していれば、現在とは全く異なっているものに進化していて、星の進化
を制御したり、和らげたり出来るだろう。あるいは、地球を離れて、火星やエウロパやタイタ
ンなどに向かうかも知れない。そしてまだ若くて将来性のある恒星の周りの、人の住んでいな
い惑星系を探し出してそこへ移住できるかも知れない。
太陽はやがて中心部のヘリウムを使い切ってしまうと炭素と酸素だけになって内部が収縮し、
最後の核融合を起こすものの数千年の単位で膨張、収縮を繰り返しながら最後には球状の気体
の殻を宇宙に噴出し太陽の質量の半分を失い、惑星状星雲に包まれ、小さな熱い星となって、
宇宙空間に熱を出しながら冷えていく。そして更に収縮を続け、スプーン一杯が1トン以上も
あるような高密度の物質になり、数十億年経つと、太陽は退化した白色矮星となって死に絶え
た黒い小さな星となる。
Carl Sagan(1934〜1996年)は米国NY生まれの科学者でご存知の方が多いだろう。NASAの太陽
系惑星探査計画で主導的役割を果たした事は周知の通りである。太陽、地球の最後ばかりでな
く、宇宙や生命の起源についても科学啓蒙家として知られている。
1万年でも相当先のことだが、何十億年も先と言えば想像もできない未来であり、はたして地
球がそんな先まで持つか疑問だが、想像するだけでも地球の最後は壮烈なものであろう。恐竜
が生きていたジュラ紀でさえも1億5千万年ほど前の頃で人類など影も形も無かった事を思え
ば、その30〜40倍もの未来なら人類もセーガンの言うように現在とは異なったものに進化して
科学技術も大変化している事だろう。
様々な小説や映画などで未来の地球を描いたものは種々あるが、地球が最後を迎えるよりもず
っと前に種としての人類が死滅する可能性の方が大きいであろう。この「知的好奇心」の「人
類は絶滅するか」には、50億年ではなく僅か5億年後には太陽の中心にあるヘリウムの減少によ
る熱核融合反応の加速化によって、地球は生命の住めない惑星となるとの説もある。そうした
宇宙の自然現象以外にも、地球温暖化とか核戦争等の人為的要因による人類滅亡の可能性は高
い。
カール・セーガンは「COSMOS」の締めくくりでこう言う。
古代ギリシャのアリスタルコスから現代までの瞬間に、人類が地球上に現れてから今日までの
年数の最後の0.1%に当たる僅かな期間に、地球は宇宙の中心でもなく、宇宙が人類のために
あるのでもないことに気が付いた。我々は毀れ易い世界に住んでいて、広大な空間と永遠の時
間の中を彷徨っている。宇宙には何千億個もの銀河があり、1兆の100億倍もの恒星が散らばっ
てる。
我々は星の灰から出来ていて、私たちの起源や進化は、遥か彼方の宇宙の出来事と結びついて
いるので、宇宙の探検は自己発見の旅でもある。
我々は、地球に住むようになってから、攻撃欲や儀式欲、指導者に屈服することや、外部の人
に敵意をもつ事などの遺伝的性質を進化の過程で持ってしまった。他方では、他人を思いやる
同情心や子供・孫への愛情、歴史に学ぶ気持ちや偉大で情熱的な知能も合わせ持っている。こ
のどの側面が優勢となるかは不明である。
核保有国の核が使用されると人類は核の直接破壊力や放射線、市の灰等によって滅亡する。人
類の自己破滅を齎す核戦争だけは必ず避けなければならない。
セーガンが深く関わったボイジャー2号は1977年8月に地球を出発し、今まさに太陽系を抜けて
飛び続けていて、その内部には宇宙人へのメッサージが積み込まれている。
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・宇宙の終焉 (13.08)
2013.8.26の英国BBC放送の「地球伝説」を見ていたら宇宙の終焉をこう描いて予想していた。
ヘリウムを使い切った太陽は赤色巨星となり地球も呑みこみ、やがて白色矮星となり、小規模
の核融合反応で少しの光を出すがその光も途絶えて、最後に黒色矮星となって星の一生を終え
る。
1000億もの銀河を有する宇宙も、現在は壮年期で膨張を続けつつ星々の誕生、死滅をその宇宙
内部で行いながら、過去から未来へ向けての「時間の矢」を持っている。その宇宙も100兆年後
頃にはに宇宙自体が死滅状態となって、絶対零度まで冷え切り、過去も未来もない、つまりは
「時間の矢」の時間も無い何も無い暗黒の死の状態になる。
時の流れも、光も無い「無の世界」である
しかし考えてみれば、この状態は生命の「死」の状態に似ている。地球上の生物などその根源
は宇宙のチリから出来たものであり、人間にしても大きなチューブに僅かの知能を付けただけ
の生き物で、毎日チューブの上から食べ物と酸素を取り込んで、せっせと排出物と二酸化炭素
を吐き出して、あるいは生殖しなが子孫を残しているだけのものである。
人類は宇宙時間でみるとほんの一瞬だけ、宇宙の片隅の銀河の更にそのまた片隅の地球という
星に住み着いて、木の上に住んでいたサルが地殻変動や気候変動で地上に降り立たざるを得な
くなり二足歩行で前足二本が自由に使えるようになって、物を作ってその過程で知恵が付き、
他の生物を支配しただけの生物であろう。壮大な宇宙の営みの中の極小の事象だろう。人類が
死に絶えるまでは、「死」には時間の流れは残るのだろうが、否、人類よりかは生き延びる生
物が死に絶えるまでは時間は残るだろうが、宇宙の終焉時にはその時間さえも無くなるという。
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(11.11)
「膨らむ宇宙の結末は」 一千億年後空間バラバラに?
11.10.31の朝日新聞朝刊の「科学」欄の記事はなんともセンセーショナルである。
最近の研究によると、宇宙の膨張速度がスピードアップを増していて、早まり方によっては
「銀河もバラバラになり、太陽系も地球も形を保てずに大気が剥がれ、私達の体をつくる原
子どうしも光より早く離れていく。そうしてついには空間も引き裂かれて宇宙は終わる。
(東大数物連携宇宙研究機構・IPMU)」
同機構の高田昌広氏の計算によると、最も早ければ、その瞬間は今から一千億年後だそうだ。
2011年のノーベル物理学賞を受賞した米ソール・パールマター、豪ブライアン・シュミット
米アダム・リースの三氏の、1a型途呼ばれる超新星の観測で銀河の遠ざかる速度を調べて
判ったそうだ。「アインシュタインの相対性理論を覆すほどの出来事」だとIPMUの村山
斉機構長の談話も載せている。
従来はビックバンで発生した宇宙の膨張は、星等の持つ重力で停止しやがて収縮するのでは
ないかと考えられていたが、膨張が加速するなら銀河間がどんどん間延びして、人類の天の
川は独りぼっちに成る事は決定的で、縮んで潰れる可能性は無くなったそうだ。
(朝日新聞記事より)
重力に逆らって宇宙を広げる力は「暗黒エネルギー」らしく、宇宙全体の73%を占める量ら
しい。残る23%は重力を持つ「暗黒物質」で、わずか4%が星や人間なのだそうだ。その「暗
黒エネルギー」について、ハワイの「すばる望遠鏡」で観測を2012年から始めるそうだ。
IPMUの村山斉さんの「宇宙は何でできているのか」(幻冬舎新書)も参考にどうぞ。
(僕には読んでも理解出来ない部分が多いですが)
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・ビールは、本当は体にいいんです!(13.05)
戸部廣康著/角川SSC新書「ビールは、本当は体にいいんです!」はビール党にとって夢のよ
うな書である。
赤ワインに含まれるポリフェノールの抗酸化作用よりも、ビールのホップに含まれるイソフム
ロンという成分の方が強い作用をするという。ホップの毬花(きゅうか)に含まれるフムロン
が醸造中にイソフムロンに変化し、このイソフムロンには糖尿病や高血圧のリスクを減らし、
アルツハイマーにも効くらしい。
このイソフムロンは、加熱殺菌処理したラガービールの方が、フィルター殺菌処理する生ビー
ルよりも多く含まれる。また発泡酒や第3のビール、ノンアルコールでもホップを含んだもの
であれば良いらしい。
俗に"ビール腹"と言って、ビールを沢山飲む人は肥満になると思われているが、これはつまみ
に油っぽいものを沢山食べ、ビールを鯨飲するからである。一日に500mlのビールを飲むと、
糖尿病や高血圧のリスクを減らし、体重を減らす事さえできるということが、バルセロナ大学
やマドリッドのカルロスV保健研究所等の研究により、発表された。ビールには葉酸、ビタミ
ン、鉄分、カルシウム等が含まれ、ワインと同等の健康効果があるとされた。
上のスペインの研究では述べられていないが、ビールには更にホップに含まれるイソフムロン
があるので、ビールの方がワインよりも良いかもしれない。ただホップは苦味があるので、苦
手な方もあろうが『良薬、口に苦し』なのである!
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・雪男 (13.06)
「雪男は向こうからやって来た 角幡唯介著/集英社」という本がある。この雪男という文字
を見た途端、スラヴォミール・ラヴィッツの脱出記 「シベリアからインドまで歩いた男たち」
(ヴィレッジブックス社・海津正彦訳)を連想した。これは後に「ウエイバック」 という映画
になって2012年に公開された。
その脱出記で、極寒のシベリア、モンゴルの大平原、そして灼熱地獄のゴビ砂漠と歩き通し、
最後に5000mを越えるヒマラヤ越えをしてインドに辿り着くのであるが、その最後の所で雪男
に遭遇する場面がある。(映画では雪男は描かれない)
本では、2時間ほども雪男と対面し、トラブルを避けるために道を迂回しその途中で残り少な
くなった脱出者の一人がクレパスか何かに落ちて亡くなるという件りが書かれていた。この雪
男との遭遇がきっかけで、後に英国に住んだスラヴォミール・ラヴィッツが注目され英国の雪
男捜索活動熱を巻き起こしたのである。英国の新聞記者は当初雪男の取材にラヴィッツを訪ね
ていたが、そのシベリアからの脱出のスケールに圧倒され、雪男のことは他に任せて上記の本
「脱出記」の作成に傾注して行ったのである。
いまどき「雪男」でもあるまいし。と思うのが現在の通念だと思うが、とりあえずこの分厚い
「雪男は向こうからやって来た」を読み進んでみた。
結論からすると、雪男は発見できなかったのである。目撃証言や足跡の写真は多くあるが、決
定なものは未だ無い。
冒険家鈴木紀夫の雪男のスケッチ
(鈴木の遺稿に残っていたもの・「雪男は向こうからやって来た」から拝借)
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Wikipediaによると、
『ヒマラヤ山脈のイエティ、ロッキー山脈のビッグフットなどを指すことが多い。 日本国内
では中国山地のヒバゴンも雪男とされる。 なお、「雪男」と訳されるが、本来性別は限定
されていない。中国では「野人」と呼はれる。 それぞれの雪男の共通点として、人里離れ
た山奥に住む、全身毛むくじゃら、直立二足歩行するという特徴が挙げられる。体色につい
ては、白、茶色、灰色など諸説あり、共通認識とはなっていない。
目撃証言はあるが、ヒグマやハイイログマ(グリズリー)等の見間違いも多いとされている。
それ以外の説としては、毛皮を着た猟師や猿人、ギガントピテクス(アジアに生息していた
巨大類人猿の化石種)の生き残り、未発見の生物などが挙げられる。 ゴリラがヨーロッパ
では(ギリシア時代からの記録がありながら)19世紀末まで架空の生物だと思われていたと
いう例もあるので、雪男についても実在を強く信じる人間は少なからずいる。
一方、ヒマラヤ地域のシェルパがヒグマを「イエティ」と認知していたことが判明している。
ブータンで「雪男」を指すとされた「メギュ」、チベットでの「テモ」もヒグマを指す名称
だった。
しかし、2011年にロシアのケメロヴォ州で開かれた雪男に関する国際会議では、ケメロヴォ
州に95%の確率で実在するとの結論が出された。』
2011年10月6日〜10日に西シベリアのケメロヴォ州で「雪男に関する国際会議」と大規模捜
索がロシアや米国、カナダ、中国などの研究者が参加して実施された。6日からの現地調査
の結果、洞窟内でイエティとの関連が推測できる毛髪や足跡を採取したという。イエティは
ヒマラヤ山脈の方が有名だが、同州にも「目撃情報」はある。タス通信によると、1958年に
も今回のような大捜索をソ連科学アカデミーが実施した。
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また2011年12月にはロシアの北カフカスで「雪男」捕まるというニュースがあった。
『ロシア北カフカスのイングーシ共和国の国境警備隊は、森で「雪男(イエティー)」を捕ま
えた。インターファクス通信がイングーシ共和国のマルシャニ社会発展相の発言を引用して
伝えた。
マルシャニ社会発展相によると、はじめこの奇妙な生き物は、地元の農場の羊を盗んだ熊だ
と思われたが、その後、その熊が住んでいた森を調査した国境警備隊が、身長が約2メート
ルの奇妙な生き物を発見したという。
社会発展相によると、捕らえられた生き物はゴリラによく似ており、身長は約2メートルで
黒っぽい色をしている。ゴリラとは違って歩行の際には「前脚」で支えることなく、人間の
ように垂直に歩くという。唸り声を上げ、奇妙な音を発している。この生き物は、メスでは
ないかと見られている。
マルシャニ社会発展相によると、大きなゴリラには通常、長くて大きく重い腕があるが、
捕獲された生き物の手は短く、人間のように二本足で立っているという。
社会発展相は、生き物は非常に脅えており、主に肉や植物を食べていると指摘した。
社会発展相は、数日後にこの奇妙な生き物を引き取るためにモスクワからイングーシ共和国
に専門家らが到着すると伝えた』との事である。
(同上記事に掲載されている胡散臭い写真、クマゴンの方が愛嬌がある:RIA Novostiから拝借)
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「雪男は向こうからやって来た」の中で角幡は日本の著名な登山家とインタビューし、雪男
らしきものを目撃した人物として芳野光彦、田部井淳子、小西啓文、尾崎啓一、今井通子等
を挙げている。登山家ではなく冒険家だろうが、ルバング島で小野田寛郎を発見した鈴木紀
夫について詳しく書いている。
鈴木は1974年に小野田を発見したばかりの翌1975年にはヒマラヤのダウラギリW(7661m)
の近くのコーナボン谷に行って雪男の発見にトライしている。その後6回もコーナボン谷に
行き、挙句1986年に雪崩に巻き込まれ、翌1987年に600mも流された地点で遺体で発見され
たのである。鈴木は1975年に雪男らしきものを目撃したものの、確証がとれずその後5回も
同所に行き雪男の第一発見者を目指した。だから途中ダウラギリW登頂を目指す日本の登山
隊に会っても、多くの登山隊が山に入れば雪男を先に発見されてしまう恐れがあると雪男探
検については固く口を閉ざしていたらしい。
角幡は朝日新聞に勤めていたが、それを辞めて2008年の「ネパール雪男捜索隊員」に加わり
捜索するが発見できず、諦めきれずに、隊を離れて更に単独で粘った模様をこの本に認めて
いる。角幡は言う「自分が行った捜索や客観的な目撃談、足跡の写真に雪男の論理的な存在
を認めることは出来なかった。私は雪男の存在を、実際の捜索現場ではなく、接した人の姿
の中に見たのだ」と。
こうも言う「私は最初から雪男を探そうとか、死ぬまで探そうと決めていた訳ではなかった。
様々な局面で思ってもみなかった現象に出くわし、放置できなくなったのが雪男だった。旅
先で出会った雪男は、彼らの人生を思いもよらない方向に向けさせ、そこから後戻りできな
いものにさせるのである。その行きずりに私は心を動かされた」のだという。だからつまり
”雪男は向こうからやって来たのだ” 雪男を探す人々こそが角幡の雪男なのだろう!
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・大西洋を渡った新人(10.09)
現在の人類の祖先ホモ・サピエンスは10万年ほど前にアフリカで誕生し、世界中に広がって
行った(いわゆるグレート・ジャーニイ)が従来の定説であったが、南アメリカ・ブラジルで発
見された遺跡、遺骨はグレート・ジャーニイを数万年も遡る前のものであった。
(国立科学博物館HPより)
従来では南米到着は約1.2万年前だとされていた。
ところが、ブラジルのカピバラ国立公園(世界遺産)に残された3万点もの線刻による岩絵、洞
窟壁画や人骨が発見されており、年代測定をしたところ最古のものは6万年も前のものだという
事が判ってきた。世界各地に岩絵、洞窟壁画が残されているが、ここのものは規模が圧倒的に大
きい。特に、船の壁画も描かれている事が興味深い。
カピバラ国立公園の名前がついたカピバラは、例のネズミの親方のような動物で、食用に飼育
しているものもあるらしい。味は豚肉のようだとか?体長120〜130cm、体重40〜60kgとかなり大
きい齧歯類の動物である。
(カドリー動物図鑑より)
現代は最後の氷河期が終わって約1万年だとされている。アフリカを出発した新人は氷河で凍
ったベーリング海峡を歩いて渡ったと習ったものだ。ところが上記のように、北米→中米→南米
と移動してきた時代を遥かに遡る時代の遺跡、遺物が発見されて、グレート・ジャーニイでの
到着のはるか昔から人類が南米に棲んでいた事になり、辻褄が合わなくなった。
氷河期には海面は現在よりも170mほども低くなっていて、大西洋にいくつもの島が姿を現すら
いのだ。その島々を壁画に描かれていた船で渡りながらアフリカから南米にたどり着いたので
はあるまいか?どうもこちらの説の方が有力である気がする。
カピバラ国立公園の壁画
(考古用語辞典より)
人類は猿人(アウストラロピテクス)→原人(ホモ・エレクトス)→旧人(ホモ・ネアンデ
ルタールなど)→新人(ホモ・サピエンス)と言われていて、ジャワ原人や北京原人はホモ・
エレクトスである。日本でも明石原人がいたとされるが疑問な点が多い。原人や旧人は絶滅し
てしまって現代の我々の祖先は新人(ホモ・サピエンス)である。最近の研究結果では、一部
の旧人と新人は交雑していたらしく新人に旧人の遺伝子が僅かに残っていた事が判ってきた。
だが何故だか旧人は3万年前に絶滅してしまっている。
ホモ・サピエンスである我々新人も何万年後かには新しい人類に取って変わられるのであろ
うか?いや、現在も殺し合い、奪い合い、自然を破壊し続ける新人は近い将来自ずから絶滅す
る道にきっと進むことだろう。
そうでなくても、自分から数えて1代前は両親で2人、2代前は4人、3代前は8人と親が
居るのであり、わずか10代前で千人になる。現在の日本の人口1.2億人に達するにはわず
か27代目である。こうなる以前に近親結婚で重複があるのであろうが、それがある限界に達
すると新種と交わらない限り絶滅するようプログラムされているのかもしれない。旧人のネア
ンデルタール人が突然絶滅したのはこうした原因かもしれない。
この国立広園は觀てみたいものだが、少々遠いね・・・。
1008 隅田川上流柳瀬川の鮎
・万年青(10.03)
残り実の万年青息づく春の庭
秋に赤い実を付けたものが、庭陰にあったせいか鳥に食べられず、僅かに残っていた。
万年青は秋の季語ですが・・・。
万年青と書いてオモトと読む。
万年青は、日本おもと協会に登録されているもので約1,000種類以上もある。
斑入りや葉変わりがしたものなど様々である。
静岡・豊明園さんのHPにある様々な万年青
徳川家康が江戸城に入ったときの故事により、引越しの際、万年青を最初の荷物としてオモト
を運最初に運び入れると、その家は代々栄えるそうです。
江戸時代から観賞用に栽培されていたようで、一芽百両などと法外な値段が付いたものもあっ
たそうです。今でも数万、数百万するものがあるらしい。オランダのチュウリップでも一時は
球根一つで家一軒が買えるほどの値が付いたそうで、こうした例は他の草花でも時折ある。
「明治十年頃には京都を中心に大きなブームがあり、一鉢千円(現代の一億円に相当)という例
があった。その後も何度かのブームを繰り返しながら推移している。」とWikipediaにある。
・世界一の桜の名所(10.02)
日本の桜が世界一だと思っていたら、韓国鎮海(チネ)に32万本もの桜が咲く名所があった。
あの吉野山の桜が5万本だから、およそ想像がつこうと言うもの。
(写真はpusannavi.comさんからの借り物です)
ここ鎮海は、文禄・慶長の役で李舜臣(イ・スンシン)が秀吉軍に対して活躍したところで、か
って日本海軍の基地があったところです。今も韓国最大の海軍都市です。ここで毎年3月末か
4月初に「軍港祭(別名、チネ桜祭り)」というのが盛大に開かれています。この約10日の
期間は特別に海軍基地が一般公開される。
かつて日本統治時代に軍事都市として開発された鎮海には、日本を象徴する桜が至る所に植え
られた。解放後、これらの桜はほぼ全て切り倒されましたが、60年代に入り鎮海の桜の品種、
王桜の原産地が済州島のものであることが判り、再度植樹したそうです。
開花時期は、ほぼ東京と同じで、3月末、4月始め頃です。
日本の3大桜も見た事だし、この桜でも見に行ってこようかな?但し、当地では桜の下で花見
の宴は禁止だそうナ!
如何にも韓国人らしいのは、日本憎しと桜を全て伐り倒したが、自国の桜と分かった後は日本
の吉野山の5〜6倍もの植林をするところである。韓国は今や造船、電機、自動車等で日本を
凌駕しているものもあるが、兎に角エネルギーが凄い民族だ・・・!
ソウルの李舜臣
・世界三大紅葉樹(09.12)
世界三大紅葉樹
ニシキギ、スズランノキ、ニッサシルバチカ(アメリカヌマミズキ)の三つが世界三大紅葉だ
そうだ。
ニシキギ(錦木)は幹にコルク質の翼状の物がついているが、付いて居ないものもある。
ピンク色が美しい。
鈴蘭の木は鈴蘭に似た花を付ける。
(写真は借り物です)
ニッサシルバチカはニッサボクとかアメリカヌマミズキと呼ばれる。
(写真は借り物です)
しかし、「世界三大紅葉」ではないもののモミジ、灯台躑躅 (どうだんつつじ)も素晴らしい
紅葉を見せる。殆どの紅葉は、特に光の裏側から見ると実に美しい。
灯台躑躅
もみじ
・人間の寿命(09.05)
人間の寿命はどれくらいなんだろうか?
最近、自分宛に墓地の勧誘の電話がしきりに来るようになった。これは世間が「あなた
の寿命がそろそろですよ」と教えてくれている証なのだろう。そうです、準備しなくちゃ!
現在言われているのでは、だいたい120歳が限界なのだそうだ。140歳だの、150歳だのと
言うのは正確な記録が無いからなのだ。
人間は52回細胞分裂を繰り返すと、それ以上の細胞分裂は出来なくて、死が訪れるのだそ
うです。細胞分裂はDNAをコピーし2つの細胞に分けるのだそうだが、DNAは2mの
ヒモの線状になっていて細胞分裂の度にこのDNAの両端が短くなるのだそうです。そう
して52回の分裂を最後にして、もうこれ以上の分裂が出来なくなると死ぬらしい。
親から受け継いだDNAのひもの長さが1.5mなのか1mなのか不明ですが、自分のは現在
相当短かくなっているのは確かだろう・・・。
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こんな荒唐無稽と思える話もある。
*ベニクラゲ、それは地球上で唯一の不老不死の生物
ベニクラゲとは?
イタリアの国土はブーツのような形をしていますが、そのちょうどかかとのあたりをサレン
ト半島といいます。ここの海岸付近の海底洞窟に不思議な生物が生息しています。それは体
長が1センチにも満たない小さなクラゲで、ベニクラゲと呼ばれています。ベニクラゲとい
っても、映像や写真で見るかぎり紅色ではなく、半透明の美しい体をしています。
このささやかな生命は、数年前に不老不死であることが発見されたのです。不老不死といっ
ても絶対に死なないというわけではなく、老衰で死ぬ寸前にさなぎのような状態になり、そ
の中でぐんぐん細胞が若返り、やがて生まれたばかりの姿に戻って、再び成長を始めるとい
うことなのです。
人間でいえば、天寿を全うして亡くなる直前の老人が赤ちゃんの時代にまで若返り、また新
しい人生を始めるということです。まるで魔法のような話ですが、この地球上にはその魔法
を実現した生物が確かに存在しているのです。
生物には原核細胞(細菌等)と真核細胞(動植物、カビ・きのこ等の菌類)を持つものがあ
り、原核細胞には死はないのだそうだ。条件さえ整えば永久に生き続ける。がん細胞やウイ
ルスは不死の生物なのだ。
*→細胞(分子細胞生理学のHPより)
・人間は死んだらどうなるか
この根源的な問題については多くの人が色々な事を言っている。
その中で、これを一つ紹介しよう。
河相全次郎の「死後の世界」 −人間死んだらどうなるか−
河相氏は1985年(株)八重洲ブックセンター会長。1986年(株)鹿島出版会副会長。
1992年(社)日本書籍出版協会相談役。1993年鹿島建設(株)副社長。
「死後の世界」 −人間死んだらどうなるか−
河相全次郎 著
はしがき
私は昨年7月病院で胸に溜まった水を抜いたところ、しばらくして意識を失い、そのまま呼吸と
心臓が完全に止まってしまいました。 いわゆる心肺機能の停止です。その瞬間、私は紛れもなく
死を迎えました。この死亡体験のあとこのことを伝え聞いた小学生から老人ホームのお年寄りまで
沢山の人々から死後の世界のことについて色々とお訊ねがありました。一応お訊ねについては、そ
の都度いちいち私自身がお手紙や電話でお応えしていましたが、余りの数にお応えする私の方もと
うとうお手上げになってしまいました。
死後の世界のことについてこんなにも沢山の人が関心をもっておられるとは思ってもみなかった
私は驚くとともに困惑してしまいました。 そんなとき一人の友人が死亡体験にまつわることを小
冊子にして、それをもって返事に代えさせていただくことにしたら悩みも解消するのではないかと
いう知恵を出してくれました。なるほどと思い、早速つくってみたのがこの小冊子です。できる丈
やさしく書いたつもりですが内容はいささか哲学じみてややこしいものになってしまい、さぞお分
かりにくいこととは思いますが、これは飽くまでも私個人の死亡体験にもとづくものですからその
点を 念頭におかれて読んでいただければ有り難いと思います。
来世の有無問う人のあと絶たず
平成十五年二月
生命不滅
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
これは彼の有名な平家物語の語り出しの言葉ですが、生あるものは必ず死すというのも又この世の
必定といえませう。
実は私は昨年、心臓のバイパス手術をやり、もうすぐ退院というところで、肺に溜まった水を抜
いたところ、暫くして意識を失いその内、呼吸と心臓が完全に止ってしまいました。今もってその
原因はよくわからないということですが、紛れもなく死んだわけです。
よく臨死体験をした人の話や書いたものを読みますと、綺麗なお花畑や、三途の川や、死んだ肉
親に逢ったとうようなことが語られていますが、私の場合は死亡体験であったせいか、そんなもの
は何も見ませんでした。それどころか神様にも仏様にも閻魔大王にも逢えませんでした。従って極
楽も地獄も見ることはできませんでした。
つまりは死後の世界は無かったということですが、この体験から来世が無いということはまず間
違いない事実だと思います。それでは死んだ時どうだったかと云いますと、その瞬間、私の肉体は
直撃弾にでも当たったかのように粉々に砕け散ってしまいました。文字通りの散華です。それから
あとはもう何も無い「無」の世界です。そしてそのまま一週間が過ぎ、ひょっこり生き返ったので
すが、その時はもう先生方も看護師さん達も皆あきらめていたようです。
それから退院する迄の四ヶ月間、私は病院のベッドの上で色々なことを考えました。最初に考え
たのはどうして死んだら「無」なのかということです。色々考えている内にどういう訳か、デカル
トの認識論のことを思い出しました。例の「我思うがゆえに我あり」というあの有名な言葉です。
この度の私の死亡体験をこれに当て嵌めて考えてみますと、認識の主体である自分が粉々に砕け散
って消滅したのですから、デカルトの云うように、「そこには神もなく空もなく物体もなく、吾々
自身にも、手も足もなく体さえもないと想定することはたやすいことである」(「哲学原理」第一
部人間認識の原理について)ということになり、死んだあとは「無」であるということをこのデカ
ルトの認識論のおかげで私なりに納得することができました。
ところがもう一つ困ったことが起こりました。実は私は毎朝仏壇にお灯明とお線香をあげ、光明
真言を唱えるという割合に信心深い人間なのです。そんな人間が来世を否定しなければならなくな
った訳ですからこれには参りました。
死亡体験によって得た来世否定と日常生活における来世肯定というこの矛盾を私の体の中で整合
させ、自分を納得させる丈のセオリー(推論)を確立できるかどうかということは私にとって大問
題です。なにしろ自分を納得させる丈の推論が確立できなければ、私はこれからの一生、この来世
否定と来世肯定の矛盾に悩まされ続けなけばならないのですから。そこで私はくる日もくる日も病
院のベッドの上でこのことを考え続けました。しかし、なかなかいい考えは浮かんできません。
色々と考えあぐねていたとき、なんの気なしにテレビをつけてみたところ、偶々カナダの川で撮
った鮭の産卵のドキュメンタリーをやっていました。その時これを見ていた私の頭にあることが閃
いたのです。皆さんもご存知のように鮭は産卵を了えるとそのまま死んでしまいます。然し死ぬ前
にその生命は自分の産んだ卵を通して確実に次ぎの世代へと受けつがれてゆきます。そして子孫
(種)が絶滅しない限りその命は永遠に生きつづけるのです。
我々人間の場合も親が死ぬる前にすでにその生命は血液や遺伝子などによって確実に子供に受け
継がれ、いつまでも子孫の体内に生き続けているのです。このように私たちの肉体は死によって消
滅しても生命は子孫の体内にあって不滅なのです。従って、われわれは例え死んでもその生命は子
孫の体内にあって現世にあるのです。そうして生命が現世にある限り来世も又現世にあるのです。
となると、来世だとか現世だとかと論ずること自体が意味のないことのように思われ「生命は現
世にあって不滅なり」という結論を得て納得することができました。
御仏も神も御座さぬあの世かな
寿 命
あらゆる生きものにはそれぞれ必ず定められた寿命というものがあります。それでは一体その寿
命というものは何によって定められているのでせうか。
私にはそれは「子孫(種)をこの世に残すために必要とする時間によって定まる」ように思えま
す。これは随分大胆な仮説ですが、今後、生物学や生命科学が進歩するにつれて次第にこのことは明
らかにされてくるだろうと思います。例えば、蝉は羽化して三日で死ぬといわれていますが、蝉にと
って子孫(種)を残すための仕事は木に卵を産みつける丈のことですから、それから考えると寿命は
三日もあれば充分なのです。儚い生命の代名詞のようにいわれる蜉蝣は夏の夜一斉に羽化し、交尾と
産卵を了え翌朝までには皆死んでしまいます。蜉蝣にとって子孫を残すに必要な時間は一時間もあれ
ば充分なのです。そこでその寿命は羽化してから三十分から一時間位で尽きるといわれています。な
んとも儚い一生といえませう。
蟷螂の雄は交尾を了えると雌に食べられてしまいます。蟷螂の雄にとって種を残す仕事を了えたそ
の時点こそがその寿命の尽きるときなのです。 ゾウは六十歳くらいまでは出産することができます。
そこで六十歳くらいがゾウの寿命とみられています。
これは所謂生きものではありませんが、よく竹に花が咲き実がなるとその竹は枯れるといわれます
が、これなども子孫を残したあとに寿命が尽きるということの一例ではないでせうか。ところで、人
間はどうでせう。昔はよく人生五十年といっていましたが、五十年も生きていれば一応子育ては了り
ます。
となれば人間が子孫を残すために必要とする時間は五十年ということで、それから定められた寿命
は五十年、即ち人生五十年というわけです。ただ人間の場合は最近の医薬の進歩などにより寿命の尽
きたあとも三十年ほどは余計に生きつづけられるようになりましたが、これを「余生」とは実にうま
い表現だと思います。近ごろ寿命が延びたという言葉をよく耳にしますが、これは正しくは「余生」
が延びたというべきで、寿命の方は子育てが了るまでということに変わりありません。
従ってそれ以上生きるということは、もうすでに寿命が切れている訳ですからそれから先は体のあ
ちこちに故障が起きても不思議ではないということになりませう。
これ以外にも 「 生きものの寿命はその生きものが子孫(種)をこの世に残すために必要な時間に
よって定まる 」 という例は沢山ありますが、これは要するに生きものがこの世に生まれてくるのは
ひとえに自分の子孫(種)というものをこの世に残し、気が遠くなるような太古の先祖から受継いだ
生命を子孫に引継ぐことによって不滅たらしめるためであるということです。
そして、これこそが生命の不滅と寿命とのかかわりなのです。
ところで、最近沢山の人から一度死んだあなたにとって死というものはもう怖くはないでせうとよ
くいわれますが、私にとって今でも死への恐怖はちっとも変わりません。ただ死の恐怖が頭をよぎる
とき、反射的にたとえ死んでも私の生命は子供達の肉体にあって生きつづけるのだと思うとスーッと
恐怖は消えてしまいますが、やはり死ぬということが怖いことには変わりありません。臨死体験をさ
れた方の中には死は怖くなくなったと話されている方が多いようですが、死亡体験をした私には死後
の世界のことがわかっていながらもやはり怖い存在には違いありません。
ところで、「人間一度死んだら二度とは死なない」という言葉がありますが、そうなると私の場合、
これからは死ぬ心配と死なない心配の二つの心配をしなくてはなりません。人間にとってなんとも心
配の種はつきないものだとつくづく思います。
呵々
(この文はNETでのダウンロード可とされているのでそのまま利用した)
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私のコメント:河相氏は、死後の世界は「何も無い「無」の世界」で、デカルトの認識論の通りだ
と言われる。そして「私たちの肉体は死によって消滅しても生命は子孫の体内にあ
って不滅なのです」だから生命が現世にある限り来世も又現世にあるのです。
だから「生命は現世にあって不滅なり」という結論される。しかし、子や孫の無い
者はどうなるんだろうか、と言う疑問がありはしないだろうか?
所謂臨死体験の類は沢山ある。それらの多くは体外離脱の現象を述べたものだ多い。
立花隆の『臨死体験』は様々な臨死体験の本だけれども、その結論が
「生きてる間に、死について、いくら思い悩んでもどうにもならないのに、いつま
でもあれこれ思い悩みつづけているのは愚かなことである。生きてる間は生きるこ
ことについて思い悩むべきである。」なのである・・・。これでは、この本をお勧めす
る訳には参りませんな!
・縁起物(一両〜万両)
正月の縁起物として飾られる赤い実です。
写真をご覧になるだけでお分かりでしょう。
一両
蟻通し・有通し(ありどおし)とも呼ばれる。刺を持っている。あかね科
十両
薮柑子(やぶこうじ)の別名。やぶこうじ科
百両
唐橘(からたちばな)の別名。やぶこうじ科
千両
せんりょう科で、実が葉の上に付く。
万両
やぶこうじ科
写真は「季節の花 300」 http://www.hana300.com を利用させて貰いました。
・寒桃(冬桃)
15.1.21
周りの山々は紅葉しているのに桃が見事に色付いている、寒桃である。
<写真は「ふえふき旬感ネット」さんの借り物>
山梨でも寒桃を栽培していた。
山梨県の境川町に寒桃を栽培している農家があり、11月末から12月初旬に境川農産物直売所に出し
ている。ふえふき旬感ネット
境川農産物直売所は中央高速の甲府南ICを降りて直ぐの所にある。
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冬桜は知っていて、実際に見に行ったが、寒桃(冬桃)は知らなかった。
三重県北勢町新町で栽培されているのだそうだ。
『新町の寒桃は、江戸時代に信州から桃木谷に移植された珍しい桃の品種です。この木は春
になって花が咲くのは普通の桃と同じですが、その実は、冬の初め頃に色づき寒くなって
から熟します。そのことから、寒桃又は冬桃と言われています。明治時代には栽培に力を
入れ、出荷も行われていました。
文久元年(1861年)、孝明天皇の御妹和宮親子内親王が、第十四代将軍、徳川家茂へ御降
嫁となり、京都から江戸へお下りの際、この里から美濃国赤坂の御泊所まで行き、この実
を献上したところ、宮様は大変お喜びになり、宮中にもお分かちになったと伝えられてい
ます。』
と井後純子さんが説明されている。珍しいものがあるものである。
これは黒目川の傍に10月下旬に咲いた桃の花。
上の北勢町新町の「寒桃」とは別種で、今の時期に花咲いた桃の木だろう。
鬼石の冬桜はこのHPの「愛でる」→「桜」に掲載しています。
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・癌の話
07年の日本人の死亡原因のトップはがんであり、そしてその中でも肺がんがもっとも多いと言
われている。がんは体の一部の細胞が、特定の遺伝子の情報シグナルを受けて無制限に増え続
ける病気なのであり、それを防ぐには、その特定の遺伝子の活性をブロックすればよい事にな
る。
間野博行さん(自治医科大学教授)が肺がんの異常遺伝子を発見し、その遺伝子を利用して肺
がんを診断したり治療する事に道を開いた。
医療・医学ニュース → 医療・医学ニュース
間野さんを知ったのは、「高梁高校の東京支部だより」にがんの話を寄稿されていたからであ
る。彼は昭和53年の高梁高校の卒業生であった。ぼくの14年後輩である。
僕のHP「生きる」→「病とどう向き合うか」に関連記事。
・小さな生態系
5年経ってもエビは元気だった。
定年退職の時に娘が買ってくれたものだ。
左の水槽の中に一匹だけ残っていたエビは今だ生存していた。その間、餌は一切与えず、水道
水を僅かに補給したのみである。
余りにも可哀想なので、2匹入っている右の円柱形のものを購入してきて、左のエビをこれに
入れてやった。いまのところ仲良く泳いでいる。この専用の水を売っているので、水が少なく
なれば補給してやろうと思う、水道水ではない専用の水を!
2012.3月
(枝に登っている小さなエビです)
2007年5月に入手した「HOLOHOL」のスカーレットシュリンプという赤いエビは、3年後に健気
にも生きていた。屋内のあまり日の当たらない所に置いていたので、色はめっきり褪せてしまっ
て白っぽくなってはいるがピョンピョンと跳ねていた。3匹が1匹に減ってはいたが立派なものだ。
この3年間一度水を補給しただけで、放ったらかしであった。餌も全く与えていないのである。
素晴らしい小さな『生態系』を維持していた。将来、人類が遠く宇宙に旅立つなら、こうした技
術の確立が不可欠であろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2007年5月)
”放ったらかしていい水槽”とのなんとも”ぐうたら”で”ずぼら”な僕にとっては魅力ある
ものがあるとの情報を得て探していた「HOLOHOLO」なるものを入手してから1年が経過した。
(「HOLOHOLO」は2007年5月20日に入手)
地球は46億年という長い年月をかけて、とても微妙なバランスのうえに成り立つ『生態系』を
形成しているが、この「HOLOHOL」は地球の生態系と同様に、太陽からの光、水、食物循環で成
り立っている”小さな生態系”である。
大阪の有限会社オータムと言う会社がやっているこの「HOLOHOLO」の秘密は以下の通り。
HOLOHOLOの秘密 → holoholo
HOLOHOLOのHP → 参考にどうぞ。(僕は販売協力者ではありませんが)
入手直後の状態
(オータム社HPより)
スカーレットシュリンプという赤いエビ
(オータム社HPより)
一年後の状態(2008年5月)
右下の方にエビが生きている。
・ムペンバ効果(湯は水より早く凍る?)
08年7月9日にNHKが放送した「ためしてガッテン」で37.2℃の水と66.5℃の湯を60g
づつ零下25℃の冷凍庫に入れたら、高温の方が早く凍った実験を紹介した。
NHKは前野紀一北大名誉教授の協力を得て、実験を繰り返して高温の方が早く凍る
ことを確認して放送したとし、この現象を「ムペンバ効果」としている。
これに噛み付いたのが早大名誉教授の大槻義彦氏で、いくら実験してもそんな現象
は起こらないと反論している。
下記大槻教授の08.7/22と08.7.31の項を参照ください。
大槻義彦公式ブログ
タンザニアの高校生 Erasto B. Mpembaが発見したこの現象は本当なのだろうか?
自分が適当にお湯と水を冷蔵庫の製氷棚に入れてやった結果では水の方が早く結
氷したが、湯の方が早く凍る事があるんだろうか。
mixyの、とある日記に次のような記事が載っていた。
『1、物体の熱容量が相変化をしないにも関わらず変化している。しかし同じ相であっても、
分子の振動自由度の占有数は温度によって比例するので、それに伴い熱容量は変化する。
だが、同じように冷却をしているので、高い温度の方が早く凍るとは考えられない。それだ
と冷却するに従って熱容量が上がるのだから。
2、0〜60℃まで加熱した熱量と0〜30℃まで加熱した熱量は明らかに違う。なのに
60℃の水が早く凍るという現象はそれだけを見ればエネルギー保存則が破綻している。
実験の再現性が無くて、根拠に乏しい物を放送してよいのだろうか??
しかも、熱いものを凍らせた方が電気代が安く済むとまで抜かしやがったらしい。そんな事
があったならば、既に永久機関が開発されていて、地球温暖化も解決してるから(笑)さす
がに放送まではやばいだろ!」
まぁyoutubeにも同じ実験をしている動画があったので、それを見て気付いた点が二つある。
1、水を入れている容器が開放系であること。
2、二つ同時に冷却していること。
つまり、蒸気圧の変化と気体の溶解度が原因ではないかと思ったのである。』 以下略。
08年7月31日の朝日・夕刊でこの論争を記載している。
国立極地研究所の藤井理行所長は南極で零下40℃の大気に熱湯をまくと瞬時に氷の
粒になるが、水をまいてもうまくいかない。熱湯の方が水より温度差が大きく、激
しく熱を奪われるからだ、としている。
ムペンバ効果とは→ ムペンバ効果
→「ムペンバ効果」について様々な議論が起きています。あなたも検索してみたら如何?
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・人類は何処からきて、今後どうなるのだろうか
「われわれはどこへ行くのか?(松井孝典著・ちくまプリマー新書)」をもとに、この
興味尽きない話題を見て行く。 <作製中>
複製されるヒト
・人類は絶滅するか
太陽は年々明るくなり続けていて、5億年後には地球は生命が住めない惑星になるそ
うです。
太陽の熱核融合反応は水素の原子核4つが融合し、ヘリウムの原子核に変わる現象で
水素原子核4つの質量よりもヘリウムの原子核の質量が0.7%軽くなり、その減少した
質量が E=mc²(エネルギー=質量×光速の二乗)で莫大な核エネルギーを放出す
る訳です。
いかに巨大な太陽でも時間の経過とともに太陽中心部の水素が減り、ヘリウムが増え
ると、水素よりもヘリウムの重量が重くて重力が増し、熱核融合が加速され続け太陽
が明るくなり、ついには地球は生命が住めない惑星に5億年後になるそうです。
それよりも、今問題になっている化石燃料を燃やし続ける事による温暖化や、利益優
先の仕組みの元での大量消費と経済成長を続ける限り22世紀は迎えられないかも知れ
ない。
更に、人為的な事象である核管理は進んだとは言えず、世界終末時計は2007年ついに
5分前までに迫っている。現在はこの時計は環境破壊をも考慮して針が進められている。
世界終末時計
・最強の生物
1.「深海の超好熱古細菌」
超好熱古細菌がインド洋の水深2,450mの熱水が噴出する海底で採取されたと08.07
.29の朝日の朝刊に掲載されている。
この微生物は海洋研究開発機構の実験では、温度122℃、水圧200〜400気圧で増殖す
ることが確認された。今回の古細菌がいた場所の海水温度は360℃だったそうだ。
地球上の生命は、これら古細菌が住んでいたような高温の海域で誕生した、というの
が有力な説の一つである。
好熱菌は、至適生育温度が45℃以上、あるいは生育限界温度が55℃以上の微生物のこ
とを言い、特に至適生育温度が80℃以上のものを超好熱菌と呼ぶ。極限環境微生物の
一つだそうだ。
2.「クマムシ」
周りに水分が無くなると、自らも乾燥してたる型にまるまって「乾眠」し、零下272
℃の超低温、151度の高温でも、また、75,000気圧の環境でも死なず、凍土で8年以上
も生きたとの報告があるのだそうだ。(08.06.16朝日新聞)
これらの生物は、地球環境が悪化して、人間などの生物が絶滅した後もきっと生き延
びるものだろう。
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