「中欧の旅 2011」
 ドイツ南部→チェコ→オーストリア→スロヴァキア→ハンガリー など
 Central Europe と呼ばれる地方の早春を旅して来ました。
 沢山の写真を撮りました、お気に入りがありましたらご自由に利用下さい。

 ブラウザの起動時、画面上部のタイトルタブの
 マークがになってからご覧下さい。
 
下記訪問先をクリックするとそこへ飛びます。
  heidelberg(ハイデルベルグ)
  Rothenburg(ローテンベルグ)
  Neuschwanstein (ノイシュバンシュタイン)
  Wies (ヴィース)
  Salzburg (ザルツブルグ)
  Hallstatt (ハルシュタット)
  Cesky Krumlov (チェスキー・クルムロフ)
  Praha (プラハ)
  Wien (ウィーン)
  Bratislava (ブラスチラバ)
  Budapest (ブダペスト)


翼のどこかに3.11惨禍の後ろめたさを秘めたルフトハンザ航空のLH0711機は、予定時間を大幅に過ぎ
て成田空港を飛び立った。

本来ならドイツ・フランクフルト空港に2011年4月6日の17:30に直行で到着するはずであったが、途中
韓国の仁川国際空港のに着陸し、乗務員の交替と給油や物資の積込み等を行った後、やっとドイツ目
指して舞い上がった。ドイツは原発や放射能汚染に敏感で、自国民をそれらの危険に合わせないよう
厳重な方策を直ちに実行する国で、航空会社もそれを実行しているのである。

仁川を飛び立ったルフトハンザ機は一気に高度を9,000mに上げ、黄海→北京→ウランバートルの上空
を通ってバイカル湖を横切り、イルクーツクからウラル山脈目指して飛び続ける。飛行機のスピードは
900〜1,000km/hであるが、地球の自転速度は赤道上で約1,674km/hなので少しずつ太陽から遅れてくる
ので日が陰ってくる。

果てしないユーラシア大陸を西へ西へルフトハンザ機は飛び続ける。          ウラル山脈をやっと越えるとヨーロッパが近づく。
 


機内食は韓国で積み込んだのでキムチが付いている。
 




韓国仁川からフランクフルト(Frankfurt)まで約11時間かかる。長い辛い空の旅である。
眠るか、本を読むか、映画か音楽を聞くかである。2時間ものの映画を2本見ても時間は使い切れない。
中国語の字幕が付いた映画は文字が大きくて画面の邪魔で大層観づらい。

陽が陰り始めたフランクフルト空港にやっと到着し、空港から90km程南にあるルードヴィフィハーフ
ェン(Ludwigshafen)のビジネスホテルBest Western HOTEL に到着した時はとっぷりと日が暮れていた。
ここは近年急速に発達した街で、世界的総合化学メーカーのBASF社の本社があることで知られている。

翌朝、ホテルを出てみると日本よりも早く花々が咲いていた。

フランクフルトの緯度は北海道の北のサハリン辺りなんだが、北大西洋海流の暖流の影響はこんな所
にまで及ぶのだろうか?我が北海道はきっとまだ深い雪の中だろうに。
 


 






<ハイデルベルグ(Heidelberg)>
ドイツ最古の大学がある町で、山の中腹に廃れたハイデルベルグ城がある。
城から見渡すハイデルベルグの街は小じんまりとした良い街だ。
城の地下には22万Lも入る巨大な酒樽がある。

このハイデルベルグの西北にあるマンハイム(Mannheim)からドイツを横断しチェコのプラハ(Praha)
まで続く1,200kmの街道が、街道にそってあちこちに古城がある「古城街道」である。

                                                                                     城は第二次世界大戦で無残に破壊されてしまった。この近辺にドイツ軍の火薬庫
ハイデルベルグ城の木々はこんなにも新芽を広げていた。                                 があったせいで爆撃を受け無残に壊されてしまった。
 










城からのハイデルベルク市街の眺め








ハイデルベルク市街は学生の町である。街のあちこちに学部の建物が点在する。
 



街や橋からの眺め
川はライン川の支流のネッカー川











<ローテンブルグ(Rothenburg)>
ヴュルツブルグ(Wurzburg)からローデンブルグ、アウクスブルク(Augsburb)を通ってフュッセン
(Fussen)へ南下する350kmの街道は日本の旅行会社が名付けた「ロマンティック街道」であり、
この名前が当地でもこう呼ばれている。(Die Romantische Strasse)

ハイデルベルクからローテンブルグへは169kmの2時間30分のバスの旅である。
ヒトラーが1930年代に造ったアウトバーン(Autobahn)である。戦略上の道路であるが80年以上も前
にこのような道路を造るとは感心する他はない。本来は速度無制限なのだそうだが、多くは速度制
限は120kmと出ているから、第二名神や第二東名(未完成)並ではないか。バスも100km以上で飛ば
すのだが、その左側をビュンビュン追い越して行くのだからドイツ車恐るべしである。120km以上
も出すと日本車なら燃費が極端に悪くなりますぞ。こちらでは乗用車もディゼル車が多く、燃費は
問題ないのか知らん!

日本車はマツダ車が多い。プリウスは日本ではあんなに多いのに、こちらでは滅多に見かけない。







ドイツでは17基(19基?)の原子炉があり、そのうち8基は運転中止しているそうだ。




ドイツ南部の選挙で反原発を掲げる環境政党である「緑の党」が、福島原発事故の影響もあり躍進し
バーデン・ヴュルテンベルク州では同党出身の首相が誕生し、メルケルドイツ首相の原発政策見直し
に圧力をかけ、現在17基ある原発のうち8基は運転中止が決まった。風車や太陽光発電等への電力依
存を進めて原発は廃止する方向なのだという。

2011年4月18日の毎日新聞の「風知草」に山田孝男さんが書いている。「浜岡原発を止めよ」の見出
しである。のほほんと中欧を巡っている間に、「FUKUSIMA」はレベル7の危機に陥っているではな
いか!福島の危機は増すばかりである。「原発事故がコントロール出来ない以上、首都圏に致命的原
発震災をもたらす確率が極めて高い浜岡原発は直ぐにも停止すべきである。東海地震の震源域の真上
に立地するこの原発が被災すれば間違いなく首都圏には人は住めなくなる。」と良識ある人々が主張
しているが、もっともだ!

→このHPの「時事話題」の「原発震災」も是非ご覧下さい。






ドイツに来たのだから、とにかくビールでしょう!
ビールの本場だからビールの種類はとにかく多い。今回は行かなかったがミュンヘンの9〜10月
のオクトーバフェストでは様々なビール醸造所のテントが林立し、それはそれはもう大変なものだ
そうです。次回ドイツに行くならミュンヘンは外せないね!
 


 

このレストランでロールキャベツとビールの昼食でした。ロールキャベツは煮込みが足りない。







昼食後はローデンブルグ市街観光です。

旧市街を取り囲む城壁
 




 




マルクト広場に面して市庁舎や聖ヤコブ教会が建つ。                  市議宴会館仕掛け時計
 












この位置からの写真が有名である。残念な事に余計な人物と車が写ってしまっている。






ここにはドイツ民芸品店を売っている日本人経営者の店や、縫ぐるみの熊の店、クリスマス用品を
売っている店(軽井沢にも支店があるらしい?)等がある。

ここで孫に熊の縫ぐるみを買う。
ゾーリンゲンMICHELIN社製ステンレス石鹸も土産に買って帰ってNETで調べてみたら、同じものを
1,470円で売っていた、ガッカリである。








ここからフュッセン(Fussen)までロマンチック街道を254km走る。254kmというと東名では東京IC
から浜名湖の先の三ケ日ICまでの距離であり3時間半は掛る。


フュッセンのユーロパーク インターナショナルホテルに投宿したが、このホテルのオーナーは奥
さんが日本人であることもあってか大の日本贔屓で、多少の日本語が判るらしい。阪神淡路大震災
の際は日本にかけつけてボランティア活動などもされたようだ。

こんな張り紙や、ポスターがホテルに貼られていた。

   




ホテルの外観と部屋からの眺め
 




明日はいよいよあの「白鳥城」、ディズーニーランドが模倣したシンデレラ城見学だ!
その前の晩、夜の城見学に出かけた。



ホーエンシュヴァンガウ城(Hohenschwangau)





暗闇に浮かび上がるノイシュバンシュタイン城
漆黒の暗闇で、上の方に微かに星が2個映っています。












<ノイシュバンシュタイン城(Neuschwanstein)>

フュッセンのホテルから10分ほどもバスで走るとホーエンシュバンガウ(Hohenschwangau)に到着する。
ここから登山バスでノイシュバンシュタイン城まで坂道を5分程登って行く。バスが発着する広場の前
の高台にはホーエンシュヴァンガウ城が聳え立っている。






マクシミリアン2世は1832年に、12世紀に建設され廃墟になっていたシュヴァンシュタイン城を購入し、
1853年に息子のルートヴィヒ2世のためにこの城を改築した。この城がホーエンシュヴァンガウ城であ
る。ルートヴィヒ2世はこの城に住んでいた。今でもこの城にはその末裔だろうか、人が住んでいる。


さて、目指す白鳥城であるが、バスを降りて坂道を100mほども登リ、渓谷に掛かった橋を少し渡り
始めると左手に突然その秀麗な姿を現すのである。それは突然に現れる!










動画です、画面中欧のボタンを押下すると動画が始まります。

→動画からHP画面に戻るには、余白を何処かクリックして下さい。







ルートヴィヒ2世は後に、このホーエンシュヴァンガウ城の近隣にノイシュヴァンシュタイン城を建築した。



城には決められた時間にだけ入場出来、イアホンを通して説明が受けられる。(日本語で)
では、色々な角度からの写真をご覧いれよう。

ノイシュヴァンシュタイン城からホーエンシュヴァンガウ城を見下ろす。















滝の上に掛かっている橋から、最初にこの城を見た時の感慨は大きい。





楼中からフォルクゲン湖(Forggensee)方面を望む。










 

さあて、姫路城とどちらが良いかと言うと、規模からすると姫路城が遥かに大きい。
築城時期も姫路城の方がかなり古い、どうもこの城はビルの感覚がする城である。

こちらは「白鳥城」、姫路城は「白鷺城」である。どちらも白い鳥の名前である。
築城が19世紀、明治18年ときては興醒めもいいとこである、せいぜいディズニーラ
ンドの世界の城なんだろう!

この城を築いたルートヴィヒ2世なる人物は常人ではないような所があり、つまり精
神を病んでいたふしがある。1886年に40歳で謎の死を遂げているが、側近の美青年
だけに興味を持ち結婚はしなかった。1886年というと日本では明治時代で西郷やら
大久保が活躍していた時期で、ついこの前の話しである。そんな時期に中世風の城
をゲルマン神話や騎士伝説に憧れて建設したらしい。




ノイシュヴァンシュタイン城を観たあと、近くのホップフェン(Hopfensee)湖畔で昼食だ。





ホップフェン湖の向こうにはアルプス山脈(ドイツアルプス)が連なっている。








<ヴィース教会(Wies)>

ホップフェン湖から25kmの間、このような長閑な牧草地の間を緩やかに登り降りして行くと何の変哲
もない教会がある。 世界遺産 ヴィース教会である。
  




  




ところがである、一歩中に足を踏み入れてみるとビックリ仰天である!
当方はクリスチャンではないので、評論のしようがないが・・・唖然である!




















普通、教会と言うと薄暗くて、陰湿で、陰惨で、威厳に満ちているのが相場だが、ここは明るくて
朗らかで、絵画館的なのである。少し綺麗過ぎるナ!


一歩外に出てみると、馬がのんびりと草を喰んでいる。





ここからは255km、4時間のロングドライブである。行き先はオーストリアのザルツブルグ
(Salzburg)である。
このようなバスに乗って                              ドライブインで時々トイレ休憩
  




トイレは有料が多い。ここは70ct。お金を入れてバーを押すと通れる。         スーパーにも寄ってみたが、品数は少ない。
  




このホテルで夕食。サーモンらしいが、多分マスだろう。               やっとホテルに到着。
                









<ザルツブルグ(Salzburg)>

ザルツブルグはSalz(塩=岩塩)が取れ、その交易で栄えたドイツ国境にあるオーストリアの町だ。
1273年にオーストリアでハプスブルク家のルドルフ一世が神聖ローマ皇帝に選ばれて以来1918年に
カール一世の時にハプスブルク帝国が解体されるまで645年間もの間ヨーロッパでその栄華を極めた。
同家は血縁制度を利用した政略結婚や戦争によって広大な領土を獲得して行った。


1547年時点でのハプスブルク家の領土




そのハプスブルク家がここの塩を独占交易して莫大な利益をあげたのである。
ザルツブルグの旧市街そのものが世界遺産となっていて、モーツアルトやカラヤンの生家もある。




これはミラベル宮殿で、現在は市長公邸。木蓮が沢山咲いていた。






庭園からホーエンザルツブルク城(Hohensalzburg)を望む               この庭園は「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となった。
 







木蓮が見事に花開いている。                            カラヤン生家

 




 
 
 
 王冠百合(瓔珞百合/ ヨウラクユリ)                         モーツアルトの生家
  



モーツアルトの生家
              
 



ホーエンザルツブルク城塞(Hohensalzburg)
120mの丘の上に築かれていて、ケーブルカーで登るようになっている。今回は行かなかった。






「モーツアルト・クーゲル(チョコレート)」を売っている店。
この店でしか買えないチョコレートだという添乗員さんの説明
で女共は殺到して買い漁る!帰国して食べてみたが、ロッテの方が旨いのでは?        トイレの朝顔、これくらいだと的が絞れていいもんだ!
  




もうすぐ復活祭だそうで、市場で様々なものを売っている。チュウリップも沢山ある。
  





鶏や卵の飾り、どうやら卵は復活祭のシンボル的意味があるらしい。
  










ここからザルツブルグの東一帯に広がる山岳地方へ約90kmほど走るとザルツカンマーグート
(塩の領地・Salzkammergut)だ。
切り立った崖の道をバスはビュンビュン飛ばす。




<ハルシュタット(Hallstatt)>

ハルシュタット(Hallstatt)はハルシュタット湖畔にある小さな町だ。

 




このよく絵葉書に登上する写真は、ヨーロッパを個人旅行されていた日本の方が連れて行ってくださった場所
からのもので、このアングルで何枚も攝った。






昼食は全てビール付きです、無論のこと。                       丹後伊根の舟屋の様なものか?
  




木を壁に合わせて成長させたのか、木を平面に切ってから家を建てたのか?
こうした家が何件かある。                              険しい山だがトレッキングでもするのだろう。
 




ハルシュタットから194km約3時間走ってチェコのチェスキー・クルムロフ(Cesky Krumlov)へ向かう。
その途中の風景
 









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